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2006/08/21

マルコ1:1の異読

 前々回に触れた、マルコ1:1「[神の子]イエス・キリストの福音の始め」の異読について補足。

 田川氏の『書物としての新約聖書』によれば、このマルコの書き出しについて、ネストレとUBSでは、異読情報に齟齬があるという。曰く、ネストレ27版は<エレナイオス(とエピファニオス)は「神の子イエス・キリスト」が全部欠けている、とされている>。これに対し、氏のいわゆるアメリカ版(田川氏以外の人はUBS版ないしはGNT版と呼ぶ)では、<エイレナイオスは「神の子キリスト」が欠け、単に「イエス」とのみ記している、という>とされ、しかも「ここはアメリカ版の方が正しい」と言い切っている(p.472)。

 ただ僕が持っているUBS版(第4版)には、このマルコ1.1については、こんなふうに記号が入ってる(画像参照)。

Χριστου υιου θεου シナイ1 B D L W 2427 //(中略)// Χριστου (中略)シナイ Θ 28c (中略) // omit 28(Irenaeus gr,lat1/3  Epihnius omit also Ιησου)

Photo 

 

 この記号の最後のセクションは、

小文字写本28のオリジナル(訂正前の本)は「キリスト 神の子」が全部欠けており、エイレナイオスのギリシャ語原典と、ラテン語版の3個所の記述の内の1個所、エピファニオスは、「キリスト 神の子」に加えて「イエス」の語もまた(=also )omit=オミットされている。

と読むべきではないだろうか?とすれば、エレナイオスとエピファニオスは「神の子イエス・キリスト」が全部欠けており、「神の子キリスト」が欠け単に「イエス」とのみ書かれているのは、むしろ28の方ということになる(この28が「イエス」だけという点については、僕が参照した他の複数資料でも一致した見解だ)。では、ネストレ27の記号も見ておこう。

¶1,1-3 「†-シナイ Θ 28. L2211 pc sams, Or : -(et om. I. Xp.) Ir Epiph :(後略)
 ※聖書日課=レクショナリーのエルは1と似ているため大文字にした

 ここでは、「et om(加えてオミット) I. Xp.(「イエス・キリスト」の語も)」となっているので、田川氏の記号の読みどおりだ。となると、先の指摘とは逆にUBS4とネストレ27とは、見解が一致しているということになる(もし田川氏が、同じUBS4を見て書いていると仮定したら、この異読記号を「エイレナイオスとエピファニオスもまた、「キリスト」の語をオミットして、「イエス」の語だけだ」という意味に読むという主張だろうか)。

 氏は、ネストレとUBS以外に何の資料を参照しているか明示していないが、小文字写本の1555が「短い読み」であることにも触れているので、他の異文資料を見て書いているのは確かだ。また、氏は、ネストレの異読記号の読み方も知らない宣教師たちが、アメリカ版を作ってくれと言ったとくりかえしくりかえし主張しているのだから、記号の読み方を間違うわけもないだろう。としたら、何をもって<エイレナイオスは「神の子キリスト」が欠け、単に「イエス」とのみ記している>ことが「正しい」と書いているのだろうか。まあ、我々素人相手の本なんで気軽に書いただけのことかもしれないが、そういう資料があるなら示して欲しいところだ。

※ちなみにネストレ27の序文には、III.4.教父の引用の箇所にこうある。「そこで、教父の引用をこの版に含めることについて、二つの主要基準が守られている。第一は、引用が本文批評にとって有益であることである。すなわち、著者の引用する新約聖書本文はそれとして確認できるものでなければならない。著者たちによるパラフレーズ、変形、あるいは単なる言及は、新約聖書の批評版の注には入れられない」(橋本滋男・津村春英 共訳、財団法人日本聖書協会)。こうした厳しい態度が、評価欄の記述の相違にあらわれている可能性は高い。いずれ、検討してみたい。

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