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2018/06/27

『新改訳2017』の公同書簡(その1)

 先般、本年末に刊行予定の「聖書 聖書協会共同訳」(日本聖書協会)が、底本としてネストレ28版に基づくUBS第五版を採用しているという話を書いた。実は、ネストレ28版およびUBS第五版を底本にした日本語聖書としては、『聖書 新改訳2017』(新日本聖書刊行会)がすでにあった。新日本聖書刊行会のサイトには「新改訳2017 改訂に至る経緯」という一文がアップされていて、以下のように書かれている。

「改訂が必要な第二の理由は、聖書学の進歩です。聖書の本文自体、長年の研究によって、変わってきています。半世紀前、新約聖書の「底本」は、ネストレ・アラント24版でしたが、現在は28版です。例えば、第Iテサロニケ2章7節で、かつては「エーピオイ=優しい」という語が本文にありましたが、現在は「ネーピオイ=幼い」です。本文の変更によって、聖書の教えそのものに重要な違いが生じるわけではありませんが、変更すべき箇所は、かなりの数にのぼります。」

 ただし、ここで例示されている1テサロニケの2章7節は、ネストレ26版の時代からすでに「ネーピオイ」になっていた箇所だ。今回はネストレ28版で本文に変更があった公同書簡本文が、「新改訳2017」においてどうなっているか調べてみた。まずはわかりやすいところで、ヤコブ書 2章3節から。

◯2:3 あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、「あなたは、こちらの良い席におすわりなさい」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい」と言うとすれば、
●2:4 あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
2:3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、
2:4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 ちなみに直訳では、「足もと」というのは「足台の/下」。「そこで(そこに)」と訳された語(ekei)が、ネストレ28版では「立っていなさい」ではなく「座りなさい」にかかるようになっているため、それを訳文に反映した結果だろう。ちなみに辻学氏にこの箇所の本文批評を論じた「貧者はどこに座るのか : ヤコブ書2章3節の解釈をめぐって」という論文があり、こちらからダウンロードできる(ただし、ネストレ28版が出る前の論文)。※注

 続いて、第1ペトロ 4章16節から。

◯4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
●4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 ここは「この名」という従来の読み(読みb:P72. 01. 02. 03. 044. 5. 33. 81. 436. 442. 1175. 1243. 1611. 1739. 1852. 2344. 2492. その他)に対し、「このこと」あるいは「この点」という意味となる異読(読みa:307. 642. 1448. 1735 その他 Byz)があり、ネストレ28版および ECM は後者を採用している。従来の正文批判の<常識>から見ると、田川氏が「何故突然二八版および学術版が今まで誰も顧みなかったこの読みを採用する気になったのか、不明。」(『新約聖書 訳と註 6 公同書簡/ヘブライ書』(作品社))と書いているのも理解できないわけではない。ただ、「ここもまた二八版は学問的にひどく後退している。」とまで言い切れるかどうか。ネストレ28、元をたどれば ECM の編者たちも、何の検討・議論もなく「initial text」を変更しているわけないことは、このサイトを訪れる方ならわかっていただけると思う。実際、以前の発言でも紹介した『A New Approach to Textual Criticizm; An Introduction to the Coherence-Baced Genealogical Method』(Deutsche Bible Gesellshaft)という解説本にも、この本文変更について具体的な検討結果が紹介されている。そこではこの1ペトロ 4章16節の読みは、「Coherence-Based Genealogical Method = CBGM」という新しい手法を取り入れたことで、ネストレ27版の決定が覆った「好例」の一つとして取り上げられているのである。この項では簡単に書くしかないが、各写本が引き写されていくときの系列を眺めるとき、読みa を元の読みとすると「パーフェクトな系統的一貫性」が描けるのに対し、もし読みb を元の読みとすると「テキストがその後コピーされていく中で、何回にもわたって読みa が読みb から出現する」ということが起こってしまうという。そのことの当否は一旦置くとしても、これまでは「アレキサンドリア型」「ビザンティン型」などという多分にあいまいなところが残るレッテル貼りに終始してきた従来の正文批判の議論に、CBGM というより一歩、客観的な判断基準が加わっていることは認めざるを得ないだろう。

◯5:1 そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
●5:1 私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 同じく第1ペトロから。新改訳第三版で「そこで」と訳されている接続詞「oun」が、ネストレ28版では定冠詞「tous」に変わった。ここは、おそらくその改訂を反映した訳文になっている。ただECM の第1版(公同書簡の巻)ではまだ「oun」のままで、改訂第2版で初めて変更された箇所。ビザンティン型の読みが採用された一例でもある。

※注 ヤコブ書 2章4節の冒頭にも読みの変更があった。ネストレ28版では「ou」の前に 接続詞「kai」がつく。これについては、上に見たように両訳の差は見られない。

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