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2018/06/06

Editio Critica Maior; Actsでの本文変更(その2・13:33)

 Editio Critica Maior(ECM)の Acts の巻で、ネストレ28版から読みが変わった箇所のうち、翻訳にも影響のありそうなものを一つ紹介する(ただし、ここはビザンティン・テキストを優先した箇所ではないが)。13章33節、ピシディア・アンティオキアの地で会同司たちに促されたパウロが発する「呼びかけの言葉」の中の一節である。

13:33「我らの子らに対し神がこの約束を成就して、イエスを復活せしめたのです。それは詩篇第二篇に書かれてあるとおりです、汝こそ我が子。我、今日汝を生めり、と。」(田川建三・訳、『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社・刊)

 上記訳文の内、最初の語である「我らの子らに対し」という部分に異読がある。というのも、これはイエスがすでに復活を果たした後の話であり、それを「我らの子らに対し」とするのでは話が合わないからである。ECM に従い有力な異同を以下にあげる。

●読みa 「子ら(である)/我々/に対し」(ネストレ25版が採用)
●読みb 「我らの/子ら/に対し」(P74. 01. 02. 03. 04*. 05. 1409. その他)
●読みe 「彼らの/子ら(である)/我々/に対し」(04C3. 08. 33. 81. 453. 614. 945. 1704. 1884. 1891. 2495. 2818. その他小文字写本多数 Byz。ネストレ26-28版は「彼らの」の語を[ ]内に入れて採用)

 少し古い訳は、底本であるネストレ25版どおり a) の「子孫たるわたし達に(岩波の塚本虎二訳)」「わたしたち子孫に(口語訳)」を採用しているものが多い(ちなみに新共同訳も「わたしたち子孫のために」)。田川建三氏はこの読みについて「これは小文字写本の 142 番にのみ見られる読みである。しかし、いかにその方が意味が通じるからとて、小文字写本一つだけでは、原文として採用するのはとても無理。」と書かれている(上掲本)。では、ネストレの新しい版が採用する e) 「彼らの子孫である私たちに(共同訳、新改訳2017)」「[彼らの]子孫である私たちに(岩波の荒井献訳)」はどうか。「この「彼らの」を含む読みは非常に多くの写本が示している読みである。しかしそれはいわゆるビザンチン系の大多数の写本であるから、正文批判上は、よほどの理由でもない限り、通常は無視されるものである。(田川氏)」。その上で田川氏は、「大文字写本がこれだけみごとに一致してくれていると、やはりこれが原文だったとみなすのが素直である」という考えの下、上記「我らの子に対し」と訳している。これはこれで筋の通った論のひとつではある。

 ところで、この異読について新旧ネストレ等をくってみると、なかなか面白いことがわかる。というのも、ネストレ25版の異読欄には確かに「txt 142」という記述があるのだが、その後の26-28版にはこの写本の引照が消えているのである。田川氏はこのことを不思議に思わなかったのだろうか?。さて、こういう場合こそ大型批評版 ECM の出番なのだが、実は ECM の a) 欄には、なんと引照写本名が記されていない!のである。しかも、ECM は引照写本がない読みを、今回「initial text」に採用したということになるから、僕などは2度びっくりした。無論、ECM も初版が出たばかりなので、誤植(というより印字漏れ)ということもありうる。どこかに「写本142」に関する記述がないか調べてみたところ、ECM の「Studies」編に収録されたクラウス・ヴァハテル氏のコメンタリーに注記があった。それによると、この「写本142」の「我々に対し」という読みは、<ティッシェンドルフ>の第8版に遡るのだが、実はそれは誤りで、本当は「彼らの子らである我々に対し」という読みだった。つまり、「我々に対し」という読みを持つ写本はいまだ発見されていない、というのである。

 ということで、今回 ECM は、写本の証拠が見つかっていないにもかかわらず、ネストレ28版の読みe からネストレ25版の読みa へと「initial text」を変更している。CBGM による検証の結果と言いたいところだが、この個所については、読みa を採用する写本自体がないのだから、話は複雑である。機会があれば、上記クラウス・ヴァハテル氏によるコメンタリーでの議論を紹介したい。

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