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2018/07/01

『新改訳2017』の公同書簡(その3)

 前回に続き、『新改訳2017』の第2ペトロを読む。

◯3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
3:6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
●3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 ここは解釈が難しい箇所。3章6節の「〜により」「〜のゆえに」と訳されている句(dia / di' 〜、〜を通して)のうち、「〜」の部分はギリシャ語原文ではネストレ27版までは「それら(hōn)」という複数代名詞になっていた(読みb:P72, 01, 02, 03, 04, 044, 048, 0156, 5, 33, 81, 307, 436, 442, 1448, 1611, 1735, 1739, 1852, 1881, 2344 その他 Byz)。左記のようにかなり写本証拠としては強いと言わねばならないが、ここでネストレ28版は「それ(hon)」という単数で受ける異読を採用した(読みa:025, 1175, その他)。新改訳第三版は、前節の「二つの水を差し(岩隈直氏『希和対訳つき 新約聖書12β』)」、「それら」=「水、waters(複数)」と読んだのだろう(注)。一方、同2017年版はネストレの変更を反映し、「それ」を「ことば(単数)」ととり、上記の新訳となったと思われる。ちなみに、「口語訳」はこの箇所を元々「御言葉(みことば)により」と訳していた。田川本「訳と註」には、それは上の異読(読みa)を採用したのではなく、 「多分口語訳の訳者はまたまたギリシャ語を読まずに、英訳の関係代名詞を読み間違えただけだろう。」と書いている(うーん)。ただ今回、同じ「ことば」と訳す新改訳で、「dia / di'」の訳が「〜により」から「〜のゆえに」と変わっていることについて、「それ」という単数読みを採用した写本が属格ではなく対格としていることからくるということが、田川氏の解説を読むとよく理解できる。さすがにこのレベルになると田川氏の解説は非常に貴重である。

◯3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
●3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 ここも写本証拠上からは、なかなか論議を呼びそうな変更箇所だ。ネストレ旧版は、「heurethēsetai = 見い出されるであろう」。これを採用する写本は多い(読みb:01, 03, 018, 025, 1175, 1448, 1739T, 1852 その他)。実際の訳はいろいろあり、「あばかれます。(フランシスコ会訳)」「暴かれてしまいます。(新共同訳)」「白日のものにさらされるであろう(岩波・小林稔訳)」等の訳もある。ただし、田川建三氏によれば、「「・・・として見い出される」という表現は西洋語ではよく用いられる表現であるが、「・・・」の部分を明示していない場合には、直前に出て来る語を省略している、とみなすものである。それならここは直前の「焼けて」を受けている(ルター、またその後の多くの訳。RSVも。従って口語訳)実際ここは「焼けたものとして」を補って訳すのが最も素直。というより他の可能性はない。」と言い切っている。結果、田川説・田川訳では(直訳)「地と地にあるすべての造作も(焼けたものとして)見出されるであろう。」>>(本訳)「「地と地にあるすべての造作も(焼けて)しまうだろう」となっている。確かに、口語訳は「みな焼きつくされるであろう。」になっている。が、ここでの「焼き尽くす」という訳は、「「焼けたものとして」を補って訳した」というより、単にビザンチン型の異読「katakaēstai = 焼き尽くされるであろう」(読みf:02, 048, 33, 81, 307, 436, 442, 1611, 1739A, 2344 その他 Byz)を訳したとするのが、「最も素直」ではないだろうか。というのも、上記、新改訳第三版の「焼き尽くされます。」も口語訳と同じような訳なのだが、引照・註付きの版では、欄外に「異本「見つけ出されます。」」とある。「異本」ということは、つまり「焼き尽くされる」と「見い出される」という訳は、元々の原文が別であるということを、これは示している。一方、今回の2017年版ではネストレ第28版で上記「見い出される」に否定の意味を持つ「ou / oux」が付いたことを受け、「見い出され/なくなる」=「なくなってしまう」という訳になった。否定なしの読みが上記のように強い証拠写本を持つのに対し、否定付きの異読(読みa)は、コプト語写本とシリア語写本の一部のみ!。田川氏は、この28版について、「いかなるギリシャ語写本も示してない「読み」を原文として採用するなど、沙汰の限りである。」とまで書く。実際、この箇所の「initial text」の変更は最も論議を呼ぶ箇所として、『A New Approach to Textual Criticizm; An Introduction to the Coherence-Baced Genealogical Method』(Deutsche Bible Gesellshaft)にも取り上げられている。「Coherence-Based Genealogical Method = CBGM」の手法を使い、「見い出される」「見い出されない」の2つの読みに、「焼き尽くされる」という異読も加え、それぞれ「initial text」にセットし検討した結果等も掲載されていて、非常に興味深い。

◯3:16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。(聖書 新改訳 c1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
●3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。(聖書 新改訳2017 c2017 新日本聖書刊行会)

 ここでは2つの本文変更があり、一つは「すべての/手紙」という語に、定冠詞「tais」がつくかどうか。ネストレ28版では冠詞を入れているのだが、このことについて文法書的には定冠詞をともなうと「すべての」という意味が強調されるという。ただし、この箇所では以前からどの訳も「すべての」「どの」という訳語であり、新改訳の2つの訳も同様である。もう一つの変更箇所は、動詞「曲解する」の時制。ネストレ28版では、従前の読みである現在形から、未来形に変更されている。これを直訳するなら「他の文書と同じように曲解するだろう、彼ら自身の滅びの方へ向かって。 」というような意味になる。2017版では、そのことがあって「招きます」というような先のことを言うような訳文になったと思われるが、どうだろうか。

 あと、第2ペテロの最後 3:18 は、新改訳第三版は「アーメン。」の語で終わっていたが、これは2017版で削除された。ネストレ26-27版では角かっこつきで入っていたが、同28版では25版同様、削除された箇所だ。

(注)第2ペテロ 3:6 の代名詞が、「それら」複数の場合、上に見たように前節の「二つの水を指す」ほかに、「水と言葉を指すとも解される(岩隈直氏)」。実際、岩波・小林稔訳は、そう解している。

 

 

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