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2018/12/16

『聖書協会共同訳』の公同書簡(その2)

 続けて、『聖書協会共同訳』の第1ペトロを読んでいく。

●4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じてはなりません。かえって、この名によって神を崇めなさい。(聖書協会共同訳)

 ここで「聖書協会共同訳」は、USB5=ネストレ28版の読み「このこと tō merei」を採用しなかった。と言っても、従前の諸訳も「この名 tō onomati」であり、これはこの読みを支持する写本の評価が高いことによる。>>詳しい解説は、こちら。ただし「新改訳2017」は、底本どおり「このことのゆえに」を採用していた。

●5:1 私は同じ長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。

 ここでは、USB5=ネストレ28版の読みの方を採用し、「そこで、あなたがたの」(口語訳)「さて、わたしは」(新共同訳)と訳されている接続詞「oun さて」でなく、定冠詞「tous」の本文を訳していると思われる。>>詳しい解説は、こちら。(聖書協会共同訳)

 次は、第2ペトロから。

●2:6 また、ソドムとゴモラの町を罰し、灰にして滅ぼし尽くし不敬虔な行いをしようとする者たちへの見せしめとされました。(聖書協会共同訳)

 ここでは「異読」欄に「不敬虔な者たちに今後起こることの」という訳を置いている。これは「新改訳2017」の「不敬虔な者たちに起こることの」という訳に近い。一方、本編の訳は、口語訳の「不信仰に走ろうとする人々の見せしめ」に近いこれらのことから考えても、今回の「聖書協会共同訳」の本文に採用されたのは、USB5=ネストレ28版(=ネストレ旧版)の読みではないか。おそらく「新共同訳」の「それから後の不信心な者たちへの」を更新した。※>>詳しい解説は、こちら。ちなみに「滅ぼし尽くし」という訳は「katastrophē」という語によると思われるが、これはネストレ26/27版では [ ]付きであった。ネストレ28版序文に記載された「27版とのテキスト差異」欄にも記載がないが、ここもネストレ28版が旧版に復した箇所にあたる。

●2:11 御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。(聖書協会共同訳)

 ここは、「新改訳2017」同様、「主の御前で」という USB5=ネストレ28版の読みを採用。元々、ネストレ旧版も「主の御前で」だったが、USB3=ネストレ26/27版は「主のもとから」という読みを採用。ただし、これを底本に持つ「新共同訳」は「主の御前で」のままであった。>>詳しい解説は、こちら。ちなみに日本語訳して読む限りは、「主の前で訴える」という方が「主のもとから訴える」というより素直だろう。「主のもとから」を採用している訳がないか探してみたら、ネストレ27版を底本にしている「岩波訳」(小林稔・訳)があった。「御使いたちは力に関しても、〔彼ら〕より〔も〕大いなるものであるのに、主のもとから彼らの冒瀆〔に対する〕さばきをもたらすことはしないでいる。」。ギリシャ語原文を直訳すると、この小林の訳のように「さばきを」「もたらす pherousin」となる。その場合、田川氏も指摘しているように、「主のもとから裁きをもたらす」という文も成り立つわけである(「田川建三氏『新約聖書 訳と註6』)。

●2:15 彼らはまっすぐな道を離れてさまよい、ボソルの子バラムの道に従いました。バラムは不義の儲けを愛し、
2:16 その過ちに対するとがめを受けました。ものを言わないろばが人間の声でものを言い、この預言者の常軌を逸した行いを阻んだのです。(聖書協会共同訳)

 ここは非常に微妙な箇所。「新改訳2017」においては、「彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。」とし、「捨てて」という動詞の後ろに付けた「、」によって、USB5=ネストレ28版の読み(アオリスト過去)を採用したと僕が想像した箇所。「、」の有無どちらでもそう大きな意味の違いはないだろうが、「聖書協会共同訳」では「新共同訳」と同様「正しい道から離れてさまよい歩き」と「、」なしのままであった。>>詳しい解説は、こちら

●2:18 彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。(聖書協会共同訳)

 ここは「新改訳2017」同様、「現に(本当に)」というUSB5=ネストレ28版の読みを採用。「新共同訳」の「やっと抜け出て来た」を更新した。>>詳しい解説は、こちら

●2:20 私たちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、その人たちの後の状態は前よりも悪くなります。(聖書協会共同訳)

 「新改訳2017」においては、「主であり、救い主であるイエス・キリスト」と「私たちの hēmōn」なしであるUSB5=ネストレ28版の読みを採用していた箇所。一方、「聖書協会共同訳」では底本に反し、「新共同訳」と同じ「私たちの hēmōn」付きの本文を選んだと言える。>>詳しい解説は、こちら

※一点、「者たちへの」の「への」の部分が、「~に対する」という与格の意味にとれる点が気にならないでもない。そうなればネストレ26/27版の訳ということになるが、構文的にはUSB5=ネストレ28版に近い。「hypodeigma」を「見せしめ」と訳したため、日本語的に「への」となったのではと想像される。「実例」=「example」と訳し、「不敬虔な行いをしようとする者たちの実例」とすれば原文に近いし、日本語的にもおかしくないのではないだろうか。

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