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2018/12/17

『聖書協会共同訳』の公同書簡(その3)

 第2ペトロの続き、第3章から。

●3:5 こう言い張る者たちは、次のことを忘れています。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって、水を元として、また水によって成ったのですが、
3:6 当時の世界は、御言葉によって洪水に見舞われて滅んでしまいました。

 この箇所の本文確定および解釈の難しさについては、すでにこちらで触れた。ここで USB5=ネストレ28版は(赤字になっている部分を)「それ(hon)」という単数で受ける異読を採用している。これは前例にない処置だったが、「新改訳2017」はおそらくそれを訳し、「そのみことばのゆえに」としている。今回、「聖書協会共同訳」も「御言葉によって」と訳し、「異読」欄の方にUSB4以前の「それら(hōn)」を訳した「御言葉と水によって」を置いている。新共同訳の「水によって」も、前節に2度出てくる2つの「水(複数形)」を訳したと思われるので、今回、これを改めたと言える。ただ「それ」を同じ「(言葉)ことば」ととる両訳だが、関係代名詞が「それら(hōn)」なら「di' + 属格」なので「それらによって」と訳せるが、「それ(hon)」の場合は「di' + 対格」になるので「それのゆえに」の意味になるはず(「田川建三氏『新約聖書 訳と註6』参照)。なので、「聖書協会共同訳」の「御言葉によって」より、「新改訳2017」の「みことばのゆえに」の方が、原意に近いと言える。

●3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音を立てて消えうせ、自然界の諸要素は焼け崩れ、地とそこで造り出されたものも焼けてしまいます。

 ここも解釈が難しい箇所の一つ。「聖書協会共同訳」の「焼けてしまいます。」は、口語訳「みな焼きつくされるであろう。」とほぼ同じ。これは、ビザンチン型の異読「katakaēstai = 焼き尽くされるであろう」の訳ではないかと、僕はこちらで書いている。が、今回、「聖書協会共同訳」では、「別訳」欄において新共同訳と同じ「暴かれてしまいます」を置いている。「別訳」ということは、少なくともこの「暴かれてしまう」と「焼けてしまう」という訳が同じ原文から出ていることを示している。仮に「暴かれてしまう」という訳を、(地とそこで造り出されたものを)「見い出す>>白日の下にさらされる>>暴かれる」というように、「見い出されます(heurethēsetai)」を言い換えたものと解釈するなら、結果的に「地と地にあるすべての造作も(焼けて)しまうだろう。」というように、「見い出される」という語に「焼けて」を補って訳しているという田川建三氏の訳・解釈と同じということになる(この田川説は、上記記事で詳解した。僕自身はこの説はかなり苦しいと思うが・・・)。一方、USB5=ネストレ28版は、上記「見い出される」に否定の意味を持つ「ou / oux」が付いたことを受け、「見い出され/なくなる」との読みを採用する。が、これは証拠写本が非常に弱い(コプト語写本とシリア語写本の一部のみ)。なので、「聖書協会共同訳」ではあえて底本の読みを採用しなかったのだろう。他方、「新改訳2017」は、「なくなってしまいます。」とネストレ28版等の読みをそのまま訳していると思われる。

●3:16 すべての手紙と同じように、彼も、これらのことについて述べています。彼の手紙には分かりにくい所があって、無学な人や心の定まらない人は、それをほか書物と同じように曲解し、自分の滅びを招いています。

 ここで USB5=ネストレ28版では、2箇所の変更があった。まずUSB5=ネストレ28版では、「すべての/(定冠詞)/手紙」という形で定冠詞「tais」を入れる読みを採用したが、これは意味的に大きな違いがない。なので、新共同訳の「どの手紙」との差異がはっきりしない(逆に、USB5=ネストレ28版を採用しなかったとも言えない)。次に、「曲解する」という動詞の時制の変更。USB5=ネストレ28版では、従前の読みである現在形から、未来形に変更されている。それゆえ、「新改訳2017」では多分に意訳気味だが「極解して、・・・招きます」という先のことを言うような訳文になったと僕が想像した箇所である。>>こちらを参照。一方、「聖書協会共同訳」は「極解し、・・・招いています」と、新共同訳と同じ訳のままである。ECM やネストレ28版で従来の読みを更新した箇所の一つだが、上の3:10同様、新説は受け入れ難かったようで、この訳を「異」による=異読と明記したうえで、「ギ」=底本の読みを「招くことになります」としている。異読の評価は別にして、これは翻訳書として極めてフェアーな態度だ。

●3:18 私たちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このイエス・キリストに、栄光が今もまた永遠にありますように

 この節、というかこの「第2ペトロ」の文末には、USB4=ネストレ26/27版では「アーメン。」の一語が[ ]付きで入っていた。「聖書協会共同訳」は、「新改訳2017」同様、USB5=ネストレ28版の読みを採用し「アーメン。」なし(ネストレ旧版に復した)。

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