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2019/09/21

聖書翻訳の訂正について(補足1)

 前回、「聖書協会共同訳」の変更・訂正について触れた。そのほとんどがルビの訂正や表記の統一なのだが、本文解釈に関わる修正も若干とはいえ、ある。以下、新約について挙げておく。

1)ヨハネ 8:52 決して永遠に >> 決して
※「私の言葉を守るなら、その人は決して永遠に死を味わうことことがない」という話文から、「永遠に」をとったもの。こちらは、おそらく前節 8:51 の「私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。」に合わせた修正と思われる。どちらにも「ヨハネ」が好んで使う「eis ton aiōna」という同じ成句が入っている。「アイオーン」は「時代」「世代」という意味の語で、未来のことを言うときは「永遠に(わたって)」という意味になる(ヨハネ 6:51, 6:58, 8:35, 8:35, 12:34, 14:16)。ただし、これをこの成句が「Ou mē =決して〜ない」という否定表現に続く場合は、単に<否定の強調>と見る考えもあって、この場合は「決して」とだけ訳される(ヨハネ 4:14, 8:51, 8:52, 10:28, 11:26, 13:8)。例えば、「口語訳」は 8:51, 8:52 とも「いつまでも」、「フランシスコ会訳」も両者とも「永遠に」なのだが、「新共同訳」は両者「決して」のみ。いずれの訳もあるところだし、「永遠に」のあるなしで全体の意味は大きく変わらないだろうが、今回の訂正は 8:51 と揃える意味では、必要な訂正だったろう。

 余談ではあるが、否定語を伴うが故に「決して」訳す後者のグループ中でも、13:8 だけは「私の足など、決して洗わないでください(聖書協会共同訳)」のように「決して」と訳す方が多い(「口語訳」も、「フランシスコ改訳」も、「新共同訳」も同じ)。その中で、田川建三氏は「1ヨハネ」中のすべての「eis ton aiōna」を「永遠に」と訳していて、ここも「私の足なぞ永遠にお洗いになってはいけません」としている。この文脈で「永遠に」を使うと、少し違うニュアンスが生まれると思うが、特に註では触れられていない。

2)マタイ 9:1 『引照・注付き』版聖書の注 c直訳「海」>> c「湖を」は補足
※この箇所は、昨年末に辻学氏が Twitter で指摘されていた箇所を直したもの。

「マタイ9:1「イエスは舟に乗って湖を渡り」。「湖」に注がついていて、直訳は「海」だとある。けど原文には「海」にあたる名詞はない。(2018年12月25日)Tsuji Manabu/@crossroad_learn」

 「マルコ」「マタイ」、さらに「ヨハネ」は、ガリラヤ湖をガリラヤの「うみ = thalassa」と表記する。例えば、マタイ 8:24「海で嵐が起こって」のように。ただ、9:1 では、「dieperasen = 渡る」とだけあって「海」の語はなく、多くは「イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。」のようにこの語を補うことが多い。辻氏によれば、「聖書協会共同訳」の「パイロット版では、8:24も9:1も「海」」という表記だったとのこと。ただし、「旧共同訳」や「新共同訳」が「湖」表記であり、「聖書協会共同訳」も最終段階では両者とも「湖」に直している。その上で、「直訳「海」」という注を付けたのである。これは、他の「湖」表記でも同じで、マタイでは、4:15, 4:18, 4:18, 8:24, 13:1, 14:25, 15:29, 17:27 に「直訳「海」、直訳「海辺」、直訳「海沿い」」などの注を付けている(ただし、8:26, 8:27, 8:32, 14:26では、「同一章の中に繰り返される場合は、初出のもののみを示す。」という原則に従い、注記は省かれている)。

「それを「湖」に直す最終段階で慌てて作業したから、こういう事が起こったのだと考えられる。9:1の方は翻訳上の補いだということをうっかり忘れたわけだ。(2018年12月25日)Tsuji Manabu/@crossroad_learn」

というのが真相のようである。ちなみに同じ福音書記者でも、ギリシャ語に堪能な「ルカ」は、「湖」と言う意味の語「limné」を使う。実際、それが普通だそうだが、「マルコ」だけでなく、「マタイ」も「ヨハネ」もなぜか「thalassa」だけを使う。それだけに、バウアーの辞書などで「thalassa」の語釈で「sea」のほかに「lake」の項を立て、後者には「a Semitic usage」(セム語的語法)との注をバウアーは付けている。なので、「ガリラヤ湖」「湖」という日本語訳でも構わないとも言える。だが、やはり、

「そもそも、「海」は「海」と訳せば良かったんじゃないだろうか。「ガリラヤの海辺」(マルコ1:16等)と直訳しても、大して違和感はないし、「湖」を「海」と書いていることがちゃんとわかる(ルカがそれを直していることも=ルカ5:1)。ここは新共同訳を踏襲しない方が良かった。(2018年12月25日)Tsuji Manabu/@crossroad_learn」

という考えも当然である。実際に、田川訳はそうなっている。

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