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2019/09/22

聖書翻訳の訂正について(補足2)

 前回の続き。

3)1ヨハネ 3:7 子たちよ >> 子どもたちよ
※ここは以前、USB5=ネストレ28版で本文変更があった箇所として、このサイトで以下のように紹介していた。

●子たちよ、誰にも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子が正しいように正しい人です。(聖書協会共同訳)

 「子どもたちよ teknia」が、USB5=ネストレ28版で「幼い子どもたちよ paidia」という語に変わった。「聖書協会共同訳」の「子たちよ」は、「口語訳」「新共同訳」と同じで変わっていない。おそらく底本には従わなかった箇所の一つにあたるが、こちらについては訳注欄にも特に記載はない。ちなみに「新改訳2017」は、「幼な子たち、」を採用、底本を変えたことを明らかにしている。

 僕はそこに「聖書協会共同訳」が底本には従わなかった箇所」というように書いた。が、今回、変更・訂正箇所として挙げられていたので、再度調べ直してみた。ネストレ26/27版によれば、第1ヨハネ書には「teknia」と呼びかける箇所が7箇所ある(新約では、他にヨハネ福音書に1箇所)。2:1, 2:12, 2:28, 3:7, 3:18, 4:4, 5:21 で、「聖書協会共同訳」ではいずれも「子たちよ、」という訳になっている。一方「paidia」を使った箇所は2箇所。2:14 2:18 で、こちらは「子どもたちよ、」と訳している。今回の修正で、1ヨハネ 3:7 を「子たちよ」から「子どもたちよ」に変更したということは、訳文の対比からは「paidia」を訳したという推定になる。この辺の事情は、直接的には関係ないにせよ、田川建三氏の「新約聖書 訳と註6(作品社)」を読むと、よく理解できるかもしれない(1ヨハネ 2:14 についての記述)。

14 子どもたちよ 一二節の「子ら」は一節にも出てきた teknia という語。こちらは paidia(どちらも複数)。うるさく言えば両者に意味の区別はあるが、この著者は意味を区別して用いている様子はないので、どちらも「子ら」と訳しておけばいいのだが、一応違う単語だとわかるように訳し分けておいた。ここは多分、「あなた方は父を知った」の「あなた方」を指すので、それなら「子どもたち」にしようか、というだけのこと。(p.440)

 当初からUSB5=ネストレ28版を訳すつもりだったが校正ミスをしたのか、それとも発表の後で気づいたのかは判然としないが、少なくとも訂正後の訳文は底本での本文変更を明示しているようだ。これは、「子」を「子ども」にしただけに留まらない大きな意味のある変更だろう。あるいは、このように単なる翻訳の変更・修正箇所からも、聖書本文の取り扱い方が見えてくるというのは、おもしろい現象には違いない。

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