2018/06/06

Editio Critica Maior; Actsでの本文変更(その2・13:33)

 Editio Critica Maior(ECM)の Acts の巻で、ネストレ28版から読みが変わった箇所のうち、翻訳にも影響のありそうなものを一つ紹介する(ただし、ここはビザンティン・テキストを優先した箇所ではないが)。13章33節、ピシディア・アンティオキアの地で会同司たちに促されたパウロが発する「呼びかけの言葉」の中の一節である。

13:33「我らの子らに対し神がこの約束を成就して、イエスを復活せしめたのです。それは詩篇第二篇に書かれてあるとおりです、汝こそ我が子。我、今日汝を生めり、と。」(田川建三・訳、『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社・刊)

 上記訳文の内、最初の語である「我らの子らに対し」という部分に異読がある。というのも、これはイエスがすでに復活を果たした後の話であり、それを「我らの子らに対し」とするのでは話が合わないからである。ECM に従い有力な異同を以下にあげる。

●読みa 「子ら(である)/我々/に対し」(ネストレ25版が採用)
●読みb 「我らの/子ら/に対し」(P74. 01. 02. 03. 04*. 05. 1409. その他)
●読みe 「彼らの/子ら(である)/我々/に対し」(04C3. 08. 33. 81. 453. 614. 945. 1704. 1884. 1891. 2495. 2818. その他小文字写本多数 Byz。ネストレ26-28版は「彼らの」の語を[ ]内に入れて採用)

 少し古い訳は、底本であるネストレ25版どおり a) の「子孫たるわたし達に(岩波の塚本虎二訳)」「わたしたち子孫に(口語訳)」を採用しているものが多い(ちなみに新共同訳も「わたしたち子孫のために」)。田川建三氏はこの読みについて「これは小文字写本の 142 番にのみ見られる読みである。しかし、いかにその方が意味が通じるからとて、小文字写本一つだけでは、原文として採用するのはとても無理。」と書かれている(上掲本)。では、ネストレの新しい版が採用する e) 「彼らの子孫である私たちに(共同訳、新改訳2017)」「[彼らの]子孫である私たちに(岩波の荒井献訳)」はどうか。「この「彼らの」を含む読みは非常に多くの写本が示している読みである。しかしそれはいわゆるビザンチン系の大多数の写本であるから、正文批判上は、よほどの理由でもない限り、通常は無視されるものである。(田川氏)」。その上で田川氏は、「大文字写本がこれだけみごとに一致してくれていると、やはりこれが原文だったとみなすのが素直である」という考えの下、上記「我らの子に対し」と訳している。これはこれで筋の通った論のひとつではある。

 ところで、この異読について新旧ネストレ等をくってみると、なかなか面白いことがわかる。というのも、ネストレ25版の異読欄には確かに「txt 142」という記述があるのだが、その後の26-28版にはこの写本の引照が消えているのである。田川氏はこのことを不思議に思わなかったのだろうか?。さて、こういう場合こそ大型批評版 ECM の出番なのだが、実は ECM の a) 欄には、なんと引照写本名が記されていない!のである。しかも、ECM は引照写本がない読みを、今回「initial text」に採用したということになるから、僕などは2度びっくりした。無論、ECM も初版が出たばかりなので、誤植(というより印字漏れ)ということもありうる。どこかに「写本142」に関する記述がないか調べてみたところ、ECM の「Studies」編に収録されたクラウス・ヴァハテル氏のコメンタリーに注記があった。それによると、この「写本142」の「我々に対し」という読みは、<ティッシェンドルフ>の第8版に遡るのだが、実はそれは誤りで、本当は「彼らの子らである我々に対し」という読みだった。つまり、「我々に対し」という読みを持つ写本はいまだ発見されていない、というのである。

 ということで、今回 ECM は、写本の証拠が見つかっていないにもかかわらず、ネストレ28版の読みe からネストレ25版の読みa へと「initial text」を変更している。CBGM による検証の結果と言いたいところだが、この個所については、読みa を採用する写本自体がないのだから、話は複雑である。機会があれば、上記クラウス・ヴァハテル氏によるコメンタリーでの議論を紹介したい。

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2018/06/05

Editio Critica Maior; Actsでの本文変更(その1・第1章)

 大型批評版 Editio Critica Maior(ECM)の「使徒行伝」の巻に関する情報の続編。今回から具体的な中身の紹介をしたいと思うのだが、ネストレ28版と「initial text」が相違する箇所、特にビザンティン・テキストを採用した例を見てみよう。第1章からは、以下の3つが該当する。

1) 1:10「白い衣」
「彼が(天に)のぼっていく,彼らは天をじっと見つめていたが,そのときに見よ,白い衣を着た二人の人が,彼らのそばに立って,」(荒井献・訳、『使徒行伝 上巻』新教出版社・刊)
「そして彼らが熟視しているところで、天へと去った。そして見よ、彼らのかたわらに二人の男が白い衣を着て立った。」(田川建三・訳、『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社・刊)
※「天に(天を)」という句を「見つめる」「行く(去る)」のいずれにかけるかで、上記2種の訳が考えられるところだが、ここで関係するのは「白い/衣」という語。これにネストレ28等は複数形(与格)を使う(読みb:P56C*. 01. 02. 03. 04*. 044. 81. 323. 945. 1175. 1704. 1891. その他)。が、ここには単数形とする異読がある(読みa:04C3. 05. 08. 33. 614. 1884. 2147. 2495. 2818. その他 Byz)。 行伝10:30の「輝く/衣」では同じ単数形が使われている(ECM によれば、ここを「白い/衣」(単数)と揃える異読まである)。証拠としては当然、読みb の方が優位に見えるのだが、CBGM の分析ではそれは読みa の流れから数回にわたって生まれているという。それで、今回は単数形の読みが a(initial text)とされた。

2)1:15「およそ百二十人」
「 そしてその頃、ペテロが兄弟たちの中に立って、言った。一緒に居た者たちの群はおよそ百二十人であった。」(田川訳、上掲本)
※「およそ/百/二十」と言う句のうち、「およそ」の語に2種の読みがある(厳密には「およそ」の語がない写本もわずかにある)。ネストレ28版等は「wsei」を(読みb:01. 02. 04. 044. 104. 1175. その他)採るが、多数派は「ws」(読みa:03. 05. 08. 33. 81. 453. 614. 945. 1505. 1704. 1884. 1891. 2147. 2818. ほか小文字写本多数 Byz)。どちらを採っても意味的に大きな差はないと思われるところ。だが、こちらも CBGM の分析で読みa の優位が確認されたという。

3)1:26「彼らに籤を与え」
「そして彼らに籤を与え、籤はマティアスに当たった。そして彼は十一使徒と共に選ばれた。」(田川訳、上掲本)
※「彼らに(to them. あるいは for them.)/籤を/与え」というネストレ28版等の読み(読みb:01. 02. 03. 04. 05C1. 33. 81. 104. 945. 1175. 1704. 1739S. 1891. その他)に対し、「彼らの(their)/籤を/与え」とする異読(読みa:05*. 08. 044. 453. 614. 1884. 2147. 2495. ほか小文字写本多数 Byz)がある。CBGM の分析では、こちらも読みb は、読みa の流れから数回にわたって生まれているという。

 ビザンティン系の写本については、田川氏などは「ビザンチン系の役に立たない写本その他」「この場合にぴったりだが、ほぼビザンチン系ばかりだから、原文ではないだろう」「しかしそれはいわゆるビザンチン系の大多数の写本であるから、正文批判上は、よほどの理由でもない限り、通常は無視されるものである」のように言っている(上掲本)。正文批判の専門家はここまで極端ではないだろうが、ビザンティン系の写本の読みとシナイ・バティカン写本の読みが相違したときに、後者を優先してきた例は非常に多いだろう。上に見てきたように、今回の ECM における「ビザンティン・テキストの再評価」という事情の背景には、CBGM によって判明した写本間の一貫的な(Coherent)依存関係がある。その詳細がわからない以上、検証も反論もできないという点が、従来の正文批判とは大いに変わっている点かもしれない。ちなみに、CBGM については『A New Approach to Textual Criticizm; An Introduction to the Coherence-Baced Genealogical Method』(Deutsche Bible Gesellshaft)という解説本が出ていて、最後の行伝1:26 については、かなり具体的な検討結果が出ている。また紹介できたらと思う(Kindle バージョンもある)。

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2018/06/01

Editio Critica Maior 新刊(Acts・その2)

 大型批評版 Editio Critica Maior(ECM)の新刊、「使徒行伝」の巻が届いた(Deutsche Bibelgesellschaft 刊)。全3巻・4冊組という大冊であり、以下の構成から成っている。

III/1.1, The Acts of the Apostels, Part 1.1, Text, Chapter 1-14
III/1.2, The Acts of the Apostels, Part 1.2, Text, Chapter 15-28
III/2, The Acts of the Apostels, Part 2, Supplementary Material
III/3, The Acts of the Apostels, Part 3, Studies

 1、2巻目が、本文テキスト「initial text」と異読を収めた本編。3巻目には、本編で使われている記号の説明や、ギリシャ語写本や教父引用、古代語訳のリストといった補遺情報が記されている。さらに4巻目として論文集(英語もしくは独語)が付いている。この種の批評版に論文が付くのは珍しいと言えるが、ECM を主導するクラウス・ヴァハテル氏のコメンタリーなど有益なものが選ばれている。

 さて、(その1)で紹介したようにこの ECM の「initial text」は、ネストレ28版本文とは52か所で相違点があるという。その相違点のリストは第1巻目の序文の最後にある。また、今回の「使徒行伝」の巻ではあえて本文を確定させず、上下二段にスプリットされたまま表示した箇所(a split guiding line)があり、これも155か所にものぼる数がリスティングされている※。冠詞やギリシャ語の変化形等の相違が多く、本文の意味が変わるような箇所はそれほど多くない。とは言え、これらのリストを見る限り、ビザンティン型テキストに戻った箇所が非常に多くなっていることがまず気になる。異読の分析に「Coherence-Based Genealogical Method(CBGM)」という新たな手法が使われた結果なのだが、 この点についてクラウス・ヴァハテル氏は 序文中の「使徒行伝のテキストに関する注記」という文章を書き、詳しく解説している。その文中で「ビザンティン・テキストの再評価」という一項が設けられていて、そこでヴァハテル氏は、よく知られている特定の初期の証拠、ヴァチカン写本やシナイ写本、そしてパピルス群が多数派テキストと相違するときは、精査することなしに安易に多数派の読みが退けられてきたと主張している。その見直しの結果が「initial text」の変更につながったわけである。今後、その成否が議論されていくと思うが、これは意外に大きな影響があるのではないか。前回の発言で僕は使徒行伝における「西方型本文」の問題について触れたが、上に見た「ビザンティン・テキストの再評価」という観点は、福音書や他の新約文書にも適用できるものである。ということは、今後、ECM プロジェクトの進捗により、新約本文の大きな変革が進んでいくかもしれない。

※「公同書簡」の改訂2版からこの表記が採られた。

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2018/05/14

Editio Critica Maior 新刊(Acts・その1)

 情報更新が遅くて申し訳ないのだが、本日、旅行の途中で銀座の教文館に立ち寄ったら、各国語聖書の棚に大型批評版(Editio Critica Maior)の最新刊「Novum Testamentum Graecum. Editio Critica Maior / Band III: Die Apostelgeschichte」の4冊セットが置いてあった。大型批評版=ECMについては、こちらで詳しく触れているが、この時点ではまだ「公同書簡」しか刊行されていなかった。こちらで紹介したネストレ28版でも、ECMがすでに用意されている「公同書簡」の部分のみ、新しく確立された本文が使われていただけである。今回、僕が見たのは「使徒行伝」の巻。当然ながらそこで採用されているテキストの中身が気になるわけだが、4分冊まとめてビニール・コーティングされていて中身を見ることはできなかった(洋書部の人に聞いてみたが、本文の内容まではわからないとのことだった)。そこで、帰宅後、ネットで調べてみたところ、「Deutsche Bibelgesellschaft」のショップサイトに以下の紹介文があった。

For this volume the initial text has been re-examined which led to 52 changes compared to the text printed in Nestle-Aland Novum Testamentum Graece 27th/28th edition and the UBS Greek New Testament 4th/5th edition.

 これを見る限り、本文が再検討された結果、52か所でネストレ27/28版等とは変更があるという。これは驚きである。もともと「使徒行伝」にはいわゆる西方型本文という特殊性があり、他の文書とは幾分、本文確定に課題が多い。そうであるならば、いや、そうであればこそ、僕としてはこの「使徒行伝」の本文改訂を待ってから、ネストレ28版を出して欲しかったという気もしないではない。ともあれ、注文を入れておいたので、現物が届き次第、また詳細を報告したい。

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2012/10/07

ネストレ28版は27版の改訂版?

 本日、早々というかようやくというか、予約しておいたネストレ28版が届いた。まだぱらぱらと気になる箇所をめくっているところだが、前回の発言にからんでひとつ報告しておかねばならないことがある。Holger Strutwolf 氏の「前文」冒頭(英語)を訳すとこうなる。

 この「ギリシャ語新約聖書」の28版は、一方で27版の「a thoroughgoing revision」で、依然として多くの項目でそれ(27版)と密接な関係にある。もう一方で、新しいエディションは根本的に新しいコンセプトを提案する、少なくとも「Catholic Letters」の項目では。というのも、新約聖書のこの部分のために、大型批評版(ECM)がすでに利用可能だからである。

 この文中にある「a thoroughgoing revision」という表現は、ちょっと訳しにくい箇所だ。直訳すれば「完全な改訂版」「徹底した改訂版」となり、こうした訳語だといかにも「全面的に改訂された新版」という意味にとれそうだが、文脈的にはそうではないのだろう。ここで Strutwolf 氏が言いたいのは、28版は「あくまで!27版の改訂版で、依然として多くの項目でそれと密接な関係にある」と訳するのが正しいのだろう。

 ということで、結論を言えばこの28版のテキストの本文は、全面的に新しいものではなかった。本文大型批評版(ECM)がすでに用意されている「Catholic Letters」=「ヤコブの手紙」「ペトロの第1の手紙」「ぺトロの第2の手紙」「ヨハネの第1の手紙」「ヨハネの第2の手紙」「ヨハネの第3の手紙」「ユダの手紙」の部分のみ、新しく確立(newly established)された。それ以外の箇所は27版が保持された(retained)、というようなことが英語版 INTRODUCTION の p.54 に書いてある。前回の発言で「33年目の新版」と書いたが、それは厳密には「Catholic Letters」のみということになる。今考えると、ECM がない以上それはある意味で予想されたことだったのだが、やっぱり残念という思いが残る。ECM の刊行状況(1997年から2005年のあいだに上記7文書が4分冊で出版された)から考えるに、もしかして生きているあいだに全新約聖書の新しい本文にお目にかかれないおそれも出てきた(泣)。逆に言えば、それくらい ECM の存在は大きいということなのだろうが・・・

 ちなみにこの28版の英語版 INTRODUCTION の p.50 には、ECM/NA28 と NA27 との比較表があって、上記の7文書で、計34箇所があげられている。ECM の分冊版では確か23箇所だった(http://gospels.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/editio_critica_.html を参照)。今後、INTRODUCTION にも記載のある ECM の the second edition を参照することができれば、そのあたりの差がわかるのかもしれないが、また落ちついて調べてみたい。今回はとりあえず、ファースト・インプレッションということで。

※あ、そうそう。ただし、脚注部分でのアパラトゥスの表示方法等は、かなり更新されています。

※※あと、ネストレ28版のHPを見つけたので。

http://www.nestle-aland.com/en/home/

待望のデジタル版のアナウンスもある。スマートフォン版も出る!とか。iPhoneでネストレを持ち歩ける・・・これは朗報。

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2012/09/19

28!28!

 タイトルに書いた「28」という数字から、何を想像されるだろうか。一般の方はともかくここをわざわざ訪れる方ならば、「ネストレ新版」のことを連想する人がいても不思議ではないだろう。

 そう!待望の「Novum Testamentum Graece」ネストレの第28版が、ついに出版される。教文館・洋書部が出している最新の「BOOK NEWS」のコピーによれば「19年目の新版」ということだが、前版・第27版(1993)は前々版・第26版(1979)と基本的に同じ本文だったのだから、その第26版から数えれば実に「33年目の新版」!というべきかもしれない。何よりもネストレ本文の改訂は一世紀に数回しかない「業界のお祭り」のようなものだから、それにリアルタイムで立ち会えるというのは貴重な体験なのだ。

「改訂の重点の一つは、異文資料欄(アパレイタス)が体系的に見直され、判りやすくなりました。新たに発見されたパピルスの異文も収録されます。特に『使徒言行録』については興味深い観点が開示されるでしょう。欄外引証では初期ユダヤ教文書への参照が補足されています(「BOOK NEWS」2012 September No.1171;教文館・洋書部)」

 「異文資料欄が体系的に見直された」とのことだが、これは写植時代と違いコンピュータ製版になって、複雑な版の改正が自由にできるようになったことの恩恵もあるだろう(楽譜の改訂なども、かつては既存の旧版の原版をもとに、手で切り貼りしていた時代があった)。いや、コンピュータの活用ということでは、これにより異文評価の方法が進化したことで、本文がどれくらい変わっているかの方がずっと楽しみである。しかも今後、その改訂についての評価もあちこちで盛んになされるとなると、やはり「ネストレ」本文の改版の価値は「業界のお祭り」以上の意味があるだろう。

 ちなみに、スタンダード・バージョンのISDN番号を書いておく。9783438051400

※教文館・洋書部(03-3561-8449)でも予約を受け付けているし、地方の方は Amazon でも買える。

※※教文館の Twitter では、10月2日に入荷したとのこと。その後、筆者もこの28版を手に入れた。上にはかなりの期待を込めて書いたのだが、実は本文の変更はやはり「Catholic Letters」の部分のみであったことが判明。詳しくはこちら 。(2012.10.6の追記)

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2009/11/17

オリジナルは一つ?

 またまた昨日の発言の続き。

 蛭沼先生の遺稿出版に関する募金の呼びかけ記事(関西学院大学のHP)には、先生のプロフィールや主な著書についての情報が掲載されている。そのあとに、「◎本文研究とは?」という解説記事が合わせて載せられている。そのこと自体は特に問題はないのだが・・・その記述の一部に、「?」となってしまった。曰く、

 新約聖書の原典がギリシャ語で書かれており、日本語の聖書はその翻訳であるということくらいは、たいていの人が知っている。しかし、その原点のオリジナルが全く存在しないという事実を考えたことはあるだろうか。新約聖書の原典は、手書き写本によって今日に伝わっているのだが、パピルス写本と羊皮紙の大文字写本だけで四百、小文字写本にいたっては三千近くもの数が残されている。そして、写本の間で本文が相違しているという場合が非常に多い。もちろん、オリジナルの「読み」は一つだけであり、他の「読み」は二次的な変更である。そこで、写本を比較検討し、どれがオリジナルの「読み」であるかを確定する作業が必要となる。それが「本文研究」である(後略。これはそのHPにも記述があるように、「蛭沼寿雄先生の死を悼む 新約本文研究に一大金字塔築く」という『福音と世界』2001年5月号の追悼記事からの転用である)

 僕が「?」と思うのは、<オリジナルの「読み」は一つだけであり、他の「読み」は二次的な変更である>というくだり。新約聖書、さらに言えば福音書のようにその成立の背後に複数の伝承(口承もある)の存在が想定されるような場合に、「オリジナルは一つ」と言い切るようなナイーブな物言いはむしろひさしぶりに聞いたという気がする。確かに、異読の多くは、「二次的な変更」にあたるかもしれない。でも唯一無二の「オリジナル」があったかと言えば、それはわからない。例えば、福音書が初めてひとつの文書に「なった」時でさえ、それはいくつものバージョンから取捨選択された可能性があり、本文は絶えず揺れ動いていたはずである。というとネストレのような正文批判を得て再構築されたテキストはどうかと思う方もあるかもしれないが、これはある意味、理論的な仮構物であり、逆に言えばネストレと100%同じ写本は、この世には存在しない。でも、新約学者など自分が写本等にあたらずちょっと外側から正文批判の成果を利用している人には、簡単に「この読みが正しい。オリジナルだ。異読は後世の修正である」とかいう物言いをする人が結構多いのも事実だから、この文章の筆者がひとり見当違いなわけではないのだろう。まあ、ことほど左様に、正文批判は難しい仕事、蛭沼先生のような方が生涯をかけて取り組むべき仕事であるということだ。

 余談だが、何もこうした事情は、厳密な意味での筆者がいないような古代文書に限った話ではない。モーツァルトの作品(18世紀)などもすでに原典版の編集が終了しているが、2つ以上の資料(自筆譜や写譜、パート譜、出版譜)から現代の学者が妥当性の高いと部分を組み合わせてひとつの決定版バージョンを作ろうとして、結果、歴史的にはどの時期にも一度も存在しなかった仮構の楽譜になっている場合がある。もっと身近な例で言えば、夏目漱石の小説(19世紀)でも、基本的に自筆原稿、雑誌や新聞(東京版、大阪版)に掲載された活字、さらには初めて単行本になった時の活字という3つないし4つの資料があり、それぞれに漱石の修正、編集者(校正者)による変更、不注意のミス等が想定されるので、結果的にどれがオリジナルかは実は誰にも(おそらく漱石にも!)決定できないのだ。最近では、むしろ良心的な原典版編集者は、一つのオリジナルを特定するのではなく 、豊富な異版報告、脚注をつけて読者に選択肢を与えるような方向で編集作業に取り組んでいると言える。学問には、絶対に「正しい」ことなどめったにない、それが我々の世紀の教訓だろう。

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2009/11/16

蛭沼寿雄先生の遺稿

 前発言にて、故・蛭沼寿雄先生の『新約本文学演習』の紹介をしたが、関西学院大学のHPにて「蛭沼寿雄名誉教授の遺稿『新約本文のパピルス』第III巻を刊行するため、本学教職員をはじめ有志が集まり、募金活動をしてい」る旨のアナウンスを見つけた。

http://www.kwansei.ac.jp/Contents?cnid=6727

 第1巻は僕も所収していて、このサイトのHP版にて紹介文を掲載してある。同種の本は、邦文では皆無という貴重な資料集である。第2巻もまだ手に入るが、その第3巻目は「完成目前で蛭沼教授が他界されたため、未刊となってい」たという。幸い「遺稿の前半部分は、印刷可能な状態で見つかり」、「刊行委員会により、後半(手書き原稿)部分の入力作業を終え、現在、パピルス写真の収集に取りかかってい」るとのこと。募金の呼びかけ人には、荒井献先生や土戸清先生の名前もある。来年には新教出版社より予価16,000円で販売される予定で、しかも募金に協力すると、定価の1割引にあるという特典もあるらしい。

※何度もいうようだが、蛭沼先生こそ日本の新約本文学を引っ張ってきた唯一無二の方です。先生の本で新約本文学を独習した僕としてはぜひ協力したいと考え、ここに紹介した次第です。このサイトを覗かれる方は、なにかしら聖書の本文学に興味を持っておられる方と思います。蛭沼先生のご遺志を実現させるためにも、皆さんのご協力をお願いします。

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2009/11/14

『新約本文学演習』マタイ福音書

 Yahoo!オークションで見つけた希少本(1981年、新約研究社・発行)。

 昭和の後半、我が国の新約本文学をおひとりで担ってきたと言っても過言ではない蛭沼寿雄先生の労作である『新約本文学演習』の第2巻目「マタイ福音書」が出品されていたので入札したところ、開始価格1250円と格安の値段でそのまま落札できた。今日、その便が届いて、今ちょうど中身を眺めているところ。実は同時に同じ方(古書店)がシリーズの第1、3冊目である「マルコ」と「ルカ(1)」、そして『ギリシャ語新約語法』も出品されていて、これらはすでに僕は所有していたのだが、「マルコ」だけあわせて買っておいた(こちらも1250円と格安!)。

 マタイ福音書から242箇所を取り上げ、主要な写本の読みを紹介した上で、筆者の判断、時に他の学者、校定本文の判断をあわせて示すというスタイルで書かれている。取り上げた異同の箇所は「連合聖書協会版の異文指示箇所に依った」ということだが、「それ以外の箇所もある」とのこと(同書「序」より)。おそらく自主出版に近い本であり、発行され流通していた部数自体、きわめて少ないと想像される。元々は蛭沼先生が個人で編集発行されていた『新約研究』というコンパクトな月刊冊子(これもおそらく空前絶後の労作である!)の連載記事をまとめたもの。僕はこの冊子の合冊本を神田の友愛書房さんで買って持っていたが、『新約本文学演習』の方はなかなか手に入らなかったのである。2年に一度くらい友愛書房さんの月刊在庫リスト「キリスト教在庫目録」に載ることがあるが、それを見て勇んで電話をしても優しい店主さんが悪そうに「あー、それは売れてしまいました」と言う言葉を聴くばかりであった。それも1度ならず2度、3度も! 10数年来この本を探していた僕でさえ、1年ほど前に「マルコ」と「マタイ」がリストに載った際に、ようやく「マルコ」だけ買えたわけだから、いかに珍しいかわかっていただけると思う。ちなみに「ルカ(1)」は、これも10年以上前に、銀座の教文館で新品で買った。

 新約聖書のギリシャ語本文!の細かな情報・蘊蓄を日本語で得るには、マルコやマタイについては田川建三氏の大著『新約聖書 訳と註』を丹念に読むのが今では一番近道と思われるが、少なくとも本文異同に関してはこの『新約本文学演習』シリーズの方が数段詳しい。もし古書店等でこの本をお見かけの方は、その場で買うべき本と憶えておいてください、ぜひ!

※ご報告が遅れたが、その後、『新約本文学演習マルコ・マタイ』ほかの先生の代表的な著作が、「蛭沼寿雄著作選集」全三巻として新教出版社から出た。このような貴重な本が手に入りやすくなったのはいいことだ。2012年の注記

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2008/01/03

IGNTPのElectronic Edition

 あけましておめでとうございます。しばらく更新をさぼっていたので(すみません)、せめて昨2007年の本文批評関係の新刊をいくつかフォローしておきたいと思う。

 まず始めは、夏に出たIGNTP=「The International Greek new Testament Project」の新刊。IGNTPの成果については、ルカ福音書の大型批評版2分冊について、すでにこのサイトで紹介しておいた。

The Gospel According to St Luke
Edited by the American and British Committees of the International Greek New Testament Project
Part One. Chapters 1-12. Oxford University Press, 1984.
Part Two. Chapters 13-24. Oxford University Press, 1987.

 その折には、上記のPart Oneのみ筆者は持っていたのだが、その後、Amazonの中古書籍を予約注文できるシステムを使ってPart Twoを入手することができた。これについては、近いうちにこのサイトでもレビューを書きたいと思っているのだが、このプロジェクトは、このルカ編の次にヨハネ福音書にとりかかっている。実はその成果の一部=Volume Oneパピルス編が、すでに以下のタイトルとして公開されていた。

THE NEW TESTAMENT IN GREEK IV
The Gospel According to St John
Edited by the American and British Committees of the International Greek New Testament Project
Volume One. The Papyri. Edited by W.J. Elliott and D.C. Parker.
(New Testament Tools and Studies 20). Leiden, E.J. Brill, 1995.

 今回、出版されたのは、その第二部Volume Twoにあたる大文字写本編である。

Volume Two: The Majuscules.
Edited by U.B. Schmid in association with W.J. Elliott and D.C. Parker.
(New Testament Tools, Studies and Documents 37). Leiden, E.J. Brill, 2007.

 ちなみに、パピルス、特に4世紀以前の古いものに限っても、ヨハネについては福音書全体のかなりの部分が発見されており、これは他の新約文書と比べても注目すべき点である。これに加え、今回、大文字写本の異読情報が加わったことで、この福音書の本文状況がかなり明らかになったと言える。

 これだけでもかなりの朗報だが、驚くべきことに!この大文字写本編Volume Two: The Majuscules. には、ONLINE PUBLICATIONSまで用意されている。つまり、ネット上でヨハネの大文字写本の異読が閲覧できるのである。

※見せ消ししたリンク以下の記述は、すでにリンク切れのものなので、ここに最新のリンクを貼り直しておく。

https://www.birmingham.ac.uk/research/activity/itsee/publications/new-testament.aspx

http://itsee.bham.ac.uk/iohannes/majuscule/

 このサイト=「THE NEW TESTAMENT IN GREEK: THE GOSPEL ACCORDING TO ST. JOHN/ELECTRONIC EDITION OF VOLUME TWO: THE MAJUSCULES」に行き、左のガイド・フレームの「Electronic Edition」という文字をクリックすると、右フレームに新しいページが開かれる。その一番下にオンライン・バージョンの入り口がある(ちょっと見では見落としがちな場所なので、あわてないで見つけてほしい)。以前に紹介した「Digital Nestle-Aland」と似たようなインターフェイスで、コツさえつかめば我々一般愛好家にもすぐに利用できると思う。興味のある方は、ぜひ一度ご覧になっていただきたい。

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