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2011年1月31日 (月)

高いホルン、低いホルン(その1)

 ハイドンの交響曲には、ほとんどの場合、ホルンが使われている。当時のホルンにはキーやバルブ等がなく、すべて息の強さと唇の動きで音程を作っていたので、自然倍音しか出すことができなかった。ベルに入れた手の動きで音程を微妙に上下させるゲシュトップ奏法も考え出されていたが、当然出しにくい音がいくつも出てくる。それをカバーするためにいちいち曲の調性に合わせた楽器が用意されていたという。ハ調の曲にはC管、ニ調の曲にはD管というように。実際には、楽器を取り替えるのは面倒なので、次第に「替え管(クルック)」というアタッチメントが使われるようになったらしいが(茂木大輔先生のブログをご覧ください)。

 ちなみにこれはトランペットも同じ。当時の楽譜にはそのことを示す、「Corni in C/Do」=C管のホルン、「Clarini in D/Re」=D管のトランペットという指示が楽譜の頭に必ずついている。ただし・・・である。BフラットとCのホルンについては、表題にも書いた高い「alto」のホルンと、低い「basso」のホルンがあったというのである。どちらを使うかによって簡単に言うと1オクターブ音程が違う。厳密に言えば他の調性にもあるらしいが、ほとんどはこの2つ。この場合、例えば高いホルンは「Corni in B♭ alto」等と表される。ちなみになぜB(シ・フラット)管とC(ハ)管にこの問題が生じるのだろうか。素人ながら考えるに、ホルンという楽器は、ドの音を出すと実音では完全5度低いF=ファの音が鳴るF管が今でも標準である。これを真ん中にしてファ・ソ・ラ・シと順に上がっていくと、シ・フラット~高いドあたりが上限近くになるので、1オクターブ下がって低いシ・フラット、低いドの管が登場する余地が生じてくるのではないだろうか。逆に言えば、真ん中からファ・ミ・レ・ドと順に下がっていくと、ド、シ・フラットあたりが下限近くになり、高いド、高いシ・フラットに転回していくという仕組み(ただし、変ロとハのあいだにあるロ調の交響曲は、ハイドンにもモーツァルトにもめったにないと思う。2010.2追記、ハイドンの第46番のみで、この曲ではH管とD管!が使われている)。

 しかし話をややこしくしているのは、当時の作曲家(および演奏家)にはその区別は自明だったらしく、楽譜にその指示がない場合の方が多いことにある。このあたりの事情については、日頃から貴重な情報を提供していただいている Zauberfloete さんのサイト『Zauberfloete通信』に「モーツァルトと調性〜その6 変ロ長調:B管ホルンの響き」という非常にわかりやすい解説があるのでご紹介したいと思う(いつもありがとうございます!)。

 僕は最近、ハイドンの初期の交響曲をずっと聴いてきたが、ハイドンにもモーツァルト同様、このアルト・バッソ問題がある。例えば、交響曲第20番ハ長調。一般に広く出回っているロビンズ・ランドン氏が編纂したユニヴァーサル版のスコアには、「2 Corni in Do alto」とある。世界初のハイドン交響曲の全集録音であるアンタル・ドラティの盤ではこの楽譜を使っており、実際、非常にかん高いハ管ホルンの音が輝かしいばかりに鳴っているのを聴くことができる。この交響曲では2本のホルンのほかに2本のトランペットも使われているのだが、この2つの楽器は和音を埋めるためにかなりの箇所で同時に奏されるので、1枚の盤しか聴かずに、また楽譜なしでこのことを確かめるのは容易ではないかもしれない。が、例えば第3楽章メヌエットの一番始めの繰り返しの前(7〜8小節目)では、音楽がハ長調で終止する場面があるが、ホルンだけがソミレ・ドの音を吹き、トランペットはミレ・ドと1拍遅れて入ってくる箇所があるので、ここを聴けばかなりはっきり区別できる。ほかに筆者が確認したものとしては、高いホルンが聴ける録音記録としてアダム・フィッシャーの世界2番目の全集盤があげられる。ちなみにクリストファー・ホグウッド盤も、トランペットとティンパニーを楽器編成から外しているが、ホルンは高いホルンを採用しているようだ。

 しかし最新の全集録音であるデニス・ラッセル・デイヴィス盤では、この高いホルンの音が聴こえない。そのためオケの音響は、全体に少しくすんだ音色となる。ほかに同じように低いホルンを採用した盤には、ロイ・グッドマン盤、Naxosの複数指揮者全集所収のケヴィン・マロン盤がある。このように、楽器の音程が1オクターブも変わるような重大な点についても<定説>がなく、2つの解釈が生じるということについては、いまさらながら大きな驚きを禁じ得ない。「いったい、我々は18世紀の音楽について何ほどのことを知っているというのだろう!」。これらの背景については、次回、当のランドン氏および『モーツァルトのシンフォニー』の著者、ニール・ザスラウ氏にこう少し詳しく語ってもらうことにしよう。

※(その1)へ、(その2)へ、(その3 モーツァルト編)へ、(その4 モーツァルト編)へ、(その5 モーツァルト編)へ、(その6 モーツァルト編)へ

※コメント欄にその後見つけた関連文献をいくつか紹介しているので、合わせてご覧ください。

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コメント

アルト管について、『図解世界楽器大事典』(黒沢隆朝・著、雄山閣出版)という本に、様々な調のシングルホルンとその音高について記述を見つけたので、これを引いておく(※現在、標準的に使われるへ調ホルンについては、引用者で補った)。

変ロ調ホルン(アルト)・記譜より長二度低い
イ調ホルン・記譜より短三度低い
変イ調ホルン・記譜より長三度低い
ト調ホルン・記譜よ完全四度低い
へ調ホルン・記譜より完全五度低い※
ホ調ホルン・記譜より短六度低い
変ホ調ホルン・記譜より長六度低い
ニ調ホルン・記譜より短七度低い
ハ調ホルン・記譜よりオクターブ低い
変ロ調バスホルン・記譜より長九度低い

これを見ていただければ、ハ調ホルン(アルト)は、上記の変ロ長ホルンよりもさらに1度高い、記譜どおりの音を鳴らす特殊な管だということがよくわかっていただけると思う。理論上で言えば、トランペットと同じ音域の音を吹く楽器ということになる。

投稿: cherubino | 2011年3月20日 (日) 10時26分

実際には記事本文にも書いたように、これらの調の切り替えは楽器の持ち替えのほかにクルック(移調管)が使われたようで、当時の楽器(ナチュラル・ホルン)は多くのクルック付きで売られていたらしい。アンソニー ベインズ著の 『金管楽器とその歴史』(音楽之友社)という本に、当時のカタログから拾った記録が詳しく引用さえているので、興味のある方は図書館ででも参照していただきたい。
ちなみに現代のオーケストラで使われるホルンは「ダブル」および「セミ・ダブル」が主流らしく、これはバルブの切り替えによって管の長さを変換でき、その名のとおり標準のへ調のほかに高い変ロ調にも対応できるようになっており、高音が出しやすくなっている(トリプル・ホルンは、さらに標準のから1オクターブ高いへ調にも切り替えられる)。

投稿: cherubino | 2011年3月20日 (日) 10時32分

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» モーツァルトのB(変ロ)管ホルンについて [Zauberfloete 通信]
この問題(B管/変ロ調ホルンには二種類/長短の管があり、そのどちらで演奏すべきか)について、私としてはモーツァルトのB管は特に指定がない場合にはすべてアルト(高い/短い管)で演奏するのではと考えていたのだが、最近、例外(かどうか)もあるのではと思うようになってきた。 http://zauberfloete.at.webry.info/200804/article_5.html この問題に関しては、どの参考文献をみてもほとんど言及されておらず、Paul R.Bryanという人の論文と、c...... [続きを読む]

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