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2012年3月17日 (土)

<パリ>交響曲の聴衆に受けたパッサージュとは?(その3)

 私が考えるモーツァルトが「受けるにちがいないとわかっていたパッサージュ」は、アーノンクール説の旋律、そしてそれに続いて奏されるセイディ説の旋律が終って、直後に出る力強いヴァイオリンの上行音型である。私だけの説ではないかもしれないが、ここではいちおうこのブログの筆者の本名を使い橋本説としておく。

4)橋本説;105〜116小節/再現部251〜256小節/ダ・カーポ270〜275小節

Hashimoto1

Hashimoto2

 この箇所は、第1回目(提示部)では、イ長調で決然と「ド・ミ・ソ!、ド・ミ・ソ!」と2回同じ音型のくりかえしに始まる。譜例の6小節をもう一度くりかえし12小節=2セット続け、その直後の提示部の終結を呼び込んでいる。第2回目はセイディ説の旋律からクレッシェンドし、フォルテで今度は主調で1セット=6小節のみ再現し、「今そこで」セイディ説の旋律の頭に「ダ・カーポ」。そして3回目も派手にクレッシェンドしてフォルテ!(ここも1セット=6小節)。そして楽章の終結・・・アーノンクール説&セイディ説の旋律がともに優美なものだけに、ここにいたっていかにも拍手喝采が出そうな曲想ではないだろうか。実は私個人は、最初にこの交響曲を聴いたときからこの箇所がお気に入りであった。その後、この手紙のことを知り、「ああこのパッサージュのことね」と勝手に思い込んでいた。それが定説ではないことを知ったのはずっとあとのことである。

 以上、3回にわたって私論を述べてきたが、これはもちろん結論でもなんでもない、ただの個人的提案である。ほかにも他の学者や研究者に説・指摘があるという情報があれば、ぜひご教授いただきたいし、それよりも何よりもせっかくお付き合いいただいた方は、ぜひご自分の「パッサージュ」を探してみてはどうだろうか。難しい理屈はいらない。当時のパリの聴衆の気分になり、「どこで拍手しよう」と待ち構えていれば、自ずと答えが浮かんでくるのではないだろうか。もしお気に入りの「パッサージュ」を見つけたら、ぜひ当方のブログにコメントをお寄せくださるとうれしいです(もちろんご自分のサイトでお書きになって、そのことをお教えいただいても・・・)。

 長年の懸案であった記事が書けて、今晩はちょっといい気分だ。今から「おいしいアイスクリーム」でも食べようかな(笑)。

(その1)へ、(その2)へ、(その3)へ、(追加情報)

※2012年11月の追記; hornpipe さんの『考える葦笛』hornpipe.exblog.jp ブログから、この件に関し貴重な情報をご教授いただいた。ありがとうございます。これに関して(追加情報)編を付け加えた。こちらも合わせてご参照ください。

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モーツァルト探求」カテゴリの記事

コメント

興味深い解釈だと思います。ハイドンの交響曲をここ数年間は視聴していますが、以前はモーツァルトを良く聞いていました。NHK FM放送 吉田秀和の「モーツァルトその生涯と音楽」の中でも、このパアセージは昔から気になっていたところ。
 さて、パッサージュに関しては、「モーツァルトその生涯と音楽」では、私の記憶では各研究会家の諸説があって、番組では決定的な部分が決まらなかったような記憶があります。アンコールの箇所となると、展開部の結尾の部分での盛り上がりが一番になると、私は以前から思っていました。この箇所は気になっていたところ。今回くり返しを含めた、解釈は私には合点が行く点です。

投稿: tnkichi995 | 2012年3月18日 (日) 19時14分

私のような初心者は、ブログの内容を学習するだけでも苦労します。音楽の世界って深淵だなぁ~と思います。
「毎日クラシックのCDラック」に、ジュリーニ指揮ベルリン・フィルの40番、41番が載ってますね。
あの演奏(とくに40番)は大好きです。ベルリン・フィルがあれほど内省的な表現をするとは信じられない。・・・・ジュリーニの功績? シカゴとのブルックナー第9でも、すばらしい響きを構築してました。
40番でジュリーニ以外には、ヴェーグ / ウィーン・フィルの Live が好きです。冒頭、ヴィオラのダブルストップがあんなに魅力的なのは他にないですよ。

投稿: ひでくんママ | 2012年3月18日 (日) 22時23分

tnkichi995様、おひさしぶりです。こちらまでおいでいただきありがとうございます。吉田秀和氏の番組でもこの話題が出ていたのですね。NHKに録音が残っているでしょうから、文章での採録でもいいですからぜひ内容を知りたいです。
当時の観客は、現代の我々と違って、今そこで生まれた新音楽に、ヴィヴィッドに反応したのでしょうか。ハイドンの《軍隊交響曲》でも、第2楽章、第4楽章の突然のトゥッティで観客は驚き、そして一斉に歓呼の声をあげたにちがいありません。また何か情報ありましたら、ぜひ教えてください。

投稿: cherubino | 2012年3月19日 (月) 21時39分

ひでくんママさん、こんばんは。当方のリクエストに応えて、再度おいでいただきありがとうございます。私もこのジュリーニの40番には非常に感心し、また心ひかれました。
http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2009/09/post-454c.html
あらためて言われてみると、ブルックナー、ドヴォルザーク、ベートーヴェン、そしてヴェルディ!など、私にとっても愛聴盤が多い指揮者です。一方、ヴェーグはモーツァルトのセレナーデ&ディヴェルティメント集や、掘米ゆず子さんとのVn協奏曲全集は持っていて、すばらしい仕事だと思いますが、40番のLiveは未聴です。近いうちに探してみます。

投稿: cherubino | 2012年3月19日 (月) 22時42分

ちょっと質問があります。
きょう、スーパーに買い物にいくとき、運転しながらモーツァルト・オペラのCDを聴いてました。駐車場で、ふと見ると Sinfonia となっていました。「フィガロの結婚」だけが。序曲をそう表記しています。
「コジ・ファン・トゥッテ」および「ドン・ジョヴァンニ」は Oubertura となってました。この違いは何なのでしょう?
CDは THE DA PONTE OPERAS というセット物で、ベルトラン・ド・ビリー / ウィーン放送響の9枚組です。(廃盤らしい)

投稿: ひでくんママ | 2012年3月20日 (火) 18時35分

ひでくんママさま、こんばんは。以前、このサイトで同じ問題について少しだけ触れたことがありますので、以下「・・・」内はその再録。

「というわけで、久しぶりにジングシュピール『慈悲深い托鉢僧』の話。
 まずは第1曲の「Sinfonia」(3分34秒)。モーツァルトはこの時期には、劇音楽の冒頭曲には「シンフォニア」ではなく「オーヴァーチュラ」「オーヴァチュア」、つまり「序曲」と書いていたし、この曲はそれらとは内容も規模も比べものにはならない。(中略)
 余談だが、例外として『フィガロ』の序曲には「Sinfonia」とある。モーツァルトの自筆譜には、序曲のちょうど主題提示部のあと135小節目に8分の6拍子のシチリアーノの音楽を導入しようとした形跡があり(そういうスケッチが4小節のみ残されている)、彼は当初いわゆる(急・緩・急の)イタリア風のシンフォニアとしてこの序曲を構想したのではないだろうか。実際、彼の少青年期のイタリア・オペラ(『ルチオ・シッラ』までのイタリア・オペラ)には、そういう形式のシンフォニアがある。もっとも、これはよく調べたわけではなく、単なる素人考えを書いているに過ぎないけれど。」
http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2008/10/post-2687.html

モーツァルトは、結局、普通の形式、短い展開部(経過部)を持つソナタ形式でこの序曲を書き上げますが、自筆の主題目録のこのオペラの欄には、序曲の冒頭部分の譜例に加え単に「Ouverture」と書いています。忙しい彼のことですから、自筆譜スコアに「Sinfonia」と書いたことなど思わず忘れてしまっていた、というのが本当のところではないでしょうか? おもしろいですね。
http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/02/post-1db3.html
また、zauberfloeteさんのブログにも、このシチリアーノ構想の話題がありますので、勝手ながらご紹介しておきます。
http://zauberfloete.at.webry.info/200906/article_6.html

ちなみに「シンフォニア」という名称について補足すると、上記の急、緩、急の3部分を持つ「イタリア式序曲」=シンフォニアが、やがて発展して「交響曲」=シンフォニーに連なる原流のひとつになるようです。一方、モーツァルトの生まれたオーストリアには4楽章形式の交響曲の伝統もあって、モーツァルトやハイドンの生涯は、ちょうどその発展期にあたるので、どちらの形式の交響曲も書いています。せっかくいい課題をふっていただいたので、今度モーツァルトの劇音楽の序曲について、あらためてまとめてみたいと思います。あっ!それとそのダ・ポンテ・オペラのセット盤、私も今月ずっと車に積んでいます(笑)。すごい、偶然!

投稿: cherubino | 2012年3月20日 (火) 21時05分

ええっっっっ!!! お車に積んでるって!!!

ハリウッド映画なら運命の出逢いですね(笑)。

船の舳先で私を「サモトラケのニケ」にしてくださ~~い! ⇐ タイタニック

冗談はさておき(こら)今後ともよろしくお願いしますっ!

投稿: ひでくんママ | 2012年3月20日 (火) 21時34分

ひでくんママさん、こんばんは。ベルトラン・ド・ビリー / ウィーン放送響の『THE DA PONTE OPERAS』ですが、軽快なテンポと、適度なアクセントのついたオケがなかなか魅力的なセットだと思います。なにしろ安い(笑)。私は中古で2000円弱で手に入れました。ただ同封のブックレットには曲ごとのオケのメンバー表まで付いているのに、歌手の配役がなく、かわりに配役が書かれたワープロで印刷したような紙が1枚入っているだけ。中古で買ったからかしらと思ったりもしてるのですが、ひでくんママさんのセットはどうなってますか? ちょっと気になって。。。また教えてください。
『タイタニック』のかの有名な舳先でのシーンは「サモトラケのニケ」が下敷きになっているのですね。初めて知りました。実は、この映画、見たことがなくて(爆)

投稿: cherubino | 2012年3月26日 (月) 22時15分

こんにちは。ビリーさまのセットにはブックレット以外なにも付いてません。読まないからいいんです。
パッパーノさまの「ウィリアム・テル」も台所で聞き流しです。ムスコちゃんから目が離せなくて仕方なく?
つかまり立ちをしては、ころりん。ひぃーーーーん泣く。起こす。また立つ。どてッ。エンドレスかい?・・・・笑
読書と音楽鑑賞は毎日どうにか、やれています。


投稿: ひでくんママ | 2012年3月27日 (火) 15時56分

こんばんは。いままでクレンペラー指揮フィルハーモニア管の「後期6大交響曲」を聴いてました。
初歩的な疑問ですが、38番「プラハ」は、なぜ3楽章なんでしょう?
なんとなくオペラの序曲みたいな第1楽章が面白いし個性的です。
さぁ~これから劇が始まりますよ、という感じですね。

投稿: ひでくんママ | 2012年4月16日 (月) 00時19分

ひでくんママさん、こんばんは。『モーツァルト質問箱』にふたたびご投稿いただきありがとうございます(笑)。ただ『プラハ』交響曲にメヌエットがない理由はかなりの難問で、残念ながら定説といわれるものはないと思います。
この曲の高度な内面性が(ある意味、形式的である)舞曲楽章を許容しなかった、という音楽心理学的な説もありますが、このあとに書かれた三大交響曲の極めて内面的なメヌエット楽章(特にK550!)の存在を見れば、そういうこともないような気もします。この曲が初演(1786年1月)されたプラハでは、三楽章形式の交響曲が基本であったというようなことでもあればそれが一番都合がいいのですが、それも十分な証拠がないようです。「メヌエットを書く時間がなかった」という説には、僕個人としてはいかにもモーツァルトらしさを感じないではないですが(真実とは意外にこのように単純なもの・・・)、プラハからの招待状が届き、そこで演奏するために急いでこの曲を書いたというわけでもないようです。なぜならこの曲のフィナーレは、初演の前年春にすでに書かれていることが、タイソン氏の自筆譜(紙)の研究からわかっているからです。さらに彼は、もともとこの『プラハ』交響曲のフィナーレは、自筆譜が失われている『パリ』交響曲の新しい終楽章バージョンとして書かれたと推測しています。(『パリ』交響曲の資料状況は、以下のとおり。http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/03/post-6aa5.html)。ということであれば、『パリ』交響曲の三楽章形式を踏襲したという考えもなりたつわけで、これがひとつの有力な説かと思います。
ちなみにクランペラーの『プラハ』、なかなかいいですね(今、聴いています)。それから、ビリーの「ダ・ポンテ」セットの情報、ありがとうございます!

投稿: cherubino | 2012年4月18日 (水) 22時01分

<文献補足>先のコメントに書かせていただいたタイソン氏の説(『パリ』と『プラハ』、両交響曲の関係について)は、岩波書店の季刊誌『文学』の1991年秋号に収録された「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」という論文に詳しく述べられています。この雑誌、大きめの図書館にはたいてい所蔵されていると思いますので、ぜひご参照を。ついでながら、『プラハ』についてのご質問が、最終的にこの記事の元の話題『パリ』交響曲につながったのも、おもしろい偶然ですね・・・

投稿: cherubino | 2012年4月18日 (水) 22時37分

面白い記事にまとめていただき、ありがとうございます。この件について、ちょうど当該記事と似た時期に論文が出ていたのを見つけました。手紙の原文に当たりながら、おおよそこちらの検討と似た内容で、結論は246-256でした。私はブログ主さまと同じ251-256派です。

https://www.cambridge.org/core/journals/eighteenth-century-music/article/abs/effective-passage-in-mozarts-paris-symphony/0E710C752921D6B28A82A806E380207F#

投稿: Aso | 2022年2月18日 (金) 16時30分

Aso 様、初めまして。今回は当方の記事をお読みいただき、またコメントまでいただき心から感謝いたします。本週末には用事が立て込んでいまして、まだ記事の購入まで至っていませんが、ぜひ参照させていただきます。貴重な情報、ありがとうございました!

投稿: cherubino | 2022年2月20日 (日) 20時03分

大学経由ではフリーで閲覧できたので、気づきませんで失礼しました。ツイッターでDMできればよかったのですが

投稿: Aso | 2022年2月22日 (火) 12時03分

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