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2012年11月23日 (金)

西川尚生氏の『リンツ』研究(補遺1)

 最後に、西川氏とは直接関係がないが、(補遺)としてこのハ長調交響曲 K.425 の楽譜について・・・

 一般的には、モーツァルト作品の最も信頼できるマテリアルとしては、新モーツァルト全集版(ベーレンライター)が挙げられる。ただしこの作品の場合は、<ザルツブルク資料 Sm>が十分に評価されていない時期(もともとの版は1955年に出版、全集<楽譜版>は1971年出版)に、当時、作曲者自身に由来する唯一の資料と思われていた<ドナウエッシンゲン資料 DO>を中心に校訂されたため、現在では直すべきところが残っている。2003年に<校訂報告書>が出版された折にはこのあたりの事情から全面的に見直しがなされ、巻末に<楽譜版>の「修正・補遺」が4ページ(約100箇所)にわたって追記されることになった。特に上記、筆写譜の評価関係では、<楽譜版>で DO を資料A、Sm を資料B、ブルクシュタインフルト城にあるベントハイム侯音楽コレクション所蔵のパート譜の筆写譜を資料Cとしていたのに対し、<校訂報告書>では紛失中の自筆譜を資料Aとし、Sm を資料Bに格上げ、DO を資料C、ブルクシュタインフルト城の資料を資料Dにそれぞれ格下げしている(これは仕方がない処置とはいえ、利用者だってちょっと混乱しそうだ。しかもこの校訂報告は、資料A'=「ドナウエッシンゲンのセバスチャン・ヴィンターに送った手紙に書かれた冒頭主題の楽譜1〜3小節」と、資料B、資料Cの異同のみ取り扱っていて、他の資料については書かれていない)。

 以下、主な異同を見ておこう。始めに(その2)で触れた Sm と DO の異同箇所を挙げれば、

<第1楽章>
1)Sm と「新校訂版」、43-46小節;Vn2 は休み。DO は Vn1 と Vn2 がユニゾン。
2)Sm と「新校訂版」、186-189小節;1)と同じ。
3)Sm、281-284小節;Vla、Vc、Cb、Bsn のフレーズの後半(3、4泊目)についたスラーは小節線を越えて次の小節の冒頭の音符につながる。ただし新校訂版の脚注に「283-284の Vla は除く」とある(※新全集の校訂報告を見ると、Sm の282小節の Vla のみ「小節後半にスラーを伴う」とあるのでこちらのことか)。「新校訂版」は、Vla、Vc、Cb、Bsn のすべてに前小節の後半から次の小節の冒頭の音符につながる同じフレージングを採用。一方、DO は281、282、283小節ともスラーは小節線をまたがない。

の3箇所は、ともに新全集版が DO の読みを採用したところであり、Sm どおり(※ただし前述3)の Vla は除く)に修正された。一方、

<第2楽章>
4)Sm と「新校訂版」、11小節;Vn2 の伴奏音形が「ラ・ド・ラ・ド・ラ・ド、シ♭・ド・シ♭・ド・シ♭・ド」。DO は「ラ・ド・ラ・ド・ラ・ド、ラ・ド・ラ・ド・シ♭・ド」
<第4楽章>
8)Sm と「新校訂版」、73-76小節; Bsn1 がソロを吹く。DO は Bsn2 が吹く。
11)Sm と「新校訂版」、312-315小節;8)と同じ。

の2つは、修正箇所には挙がっていない。この箇所の異同はなぜか<校訂報告書>にも記述がないからだろう。8)と11)は音楽的には違いはないのだが、4)は大きな相違点だ。ちなみに上であげた3)4)2箇所で見るなら、「旧モーツァルト全集版」を使って演奏した方が、ザルツブルク資料や「新校訂版」に近くなる。前にも書いたように、往年の巨匠たちのCDは、ほとんど「シ♭・ド・シ♭・ド・シ♭・ド」。。ちなみに今回、新全集を使っていると思われる新し目の演奏をいくつか聴いてみたが、こちらはほとんどが「ラ・ド・ラ・ド・シ♭・ド」。ニール・ザスラウ氏はザルツブルク資料の方を高く評価していたものだから、もしかしてホグウッドの完全全集(オワゾリール)では直っている?と思ったのだが、これも新全集と同じ。唯一、ピノックの全集盤(アルヒーフ)が「シ♭・ド・シ♭・ド・シ♭・ド」であった。この盤の録音は1995年なので、Sm やアイゼンの研究等を参照し、独自に修正したのかもしれない。

(その1)へ、(その2)へ、(その3)へ、(補遺1)へ、(補遺2)

※※その後、現在、濃紺の表紙で出版されている「新モーツァルト全集」のスタディー・スコアは、<校訂報告>を反映した新全集改訂版と言えるものに変わっていた。それについての詳細は、(総まとめ1)(総まとめ2)(総まとめ3)へ。

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コメント

楽譜の研究論文までカバーする肥さんの博学さにはとてもかなわないな。まあ、私は、博学などとは程遠い雑学なのでそもそもからしてたちうちしようとすること自体が間違いなのですが。

投稿: 山田 | 2017年1月22日 (日) 14時47分

ん? もしかして、最近お知り合いになったYさんでしょうか?(違っていたらすみません)
いずれにせよ、記事をお読みいただきありがとうございます。「博学」というより、ただいろんなことを調べてみたくなり、いったん気になるととことん調べないと気が済まない、という困った性格です。
またお越しいただき、お気軽にご発言ください。よろしくお願いいたします。

投稿: cherubino | 2017年1月25日 (水) 12時17分

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