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2015年4月29日 (水)

Soloとは一人で演奏すること?(その3)

 前回、ハイドンの交響曲第7番「昼」について、低音部の楽器のソロ指定について調べてみた。そのうち第3楽章・トリオのヴィオローネについては、「単に譜面上に「Solo」と書いている」と指摘しておいた。ところが、ランドン編集によるドブリンガー社版の原典版では、トリオの最初の小節内(31小節目)に「Violone [Contrabasso] Solo」と書かれている。さらにヘンレ社刊の新ハイドン全集を見ても、同じく31小節目の音符の上に、「Violone solo」という文字を乗せている。これを見る限りは、いかに「譜面上の「Solo」は、単純に独奏とは決められない」という記事を書いている私といえども、コントラバスは独奏で弾かせるだろう。

 しかし、実は(その2)でも簡単に触れたことだが、これはハイドンの自筆譜では譜表の最下段の横に「Violone」とあり、楽譜の中にこれとは分かれて「Solo」とあると、両版の校訂報告が一致して報告している。これは(その1)で触れた交響曲第15番の場合と表記上は同じということになり、独奏指定とは100%決定できないことになってしまう。独奏としてのソロなのか? あるいはパート(としての)ソロなのか?・・・このことが問題になるのは、チェロやコントラバス奏者を複数抱えている現在の我々の立場であり、当時のハイドンのオーケストラでは低音楽器奏者は各パート1名(ヴィオラも)であり、どのような表記であれ結果的には独りで弾いていたわけだが。

 実はこの項の(その2)以降については、昨年、途中まで書いて放置していたところ(笑)、Zauberfloeteさんがご自身のブログ「Zauberfloete通信」で交響曲第6番「朝」のコントラバス・ソロについて、いつもながら専門家の著作等にも触れられていないような興味深い考察を書かれている。>>こちら。それで続きを書き始めたのだが、この6番のトリオにも第7番と同じくヴィオローネのソロ指定がある。第3楽章・メヌエット本体にはあった管楽器や「Basso」パートがトリオではなくなるのでトリオで、たいていの版ではあらためて楽器指定を付けている。ランドン版では、以下のとおり。

Fagotto
Violino I
Violino II
Viola
Violone [Contrabasso] solo
Violoncello [e Basso]

 この第6番の方には残念ながら自筆譜が残っておらず、確定的なことは何も言えないが、新ハイドン全集(ヘンレ版)の方は以下のとおり。

Violino I
Violino II
Viola
Fagotto
Violoncello
Violone

 こちらの場合は「Solo」指定のみ譜面の中という第7番の自筆譜に準じた表記を採っている。これにランドン版では、Zauberfloeteさんご指摘のトリオ43小節目の「Violone solo」の段内における!「Violoncello solo」指定がからんで、かなり事態は複雑化している(※1)。ここでのランドンの意図は、低音弦楽器奏者が複数いる場合、ソロを弾かないリピエーノのチェロ、コントラバスは、Violoncello [e Basso]のパートを弾いてもいいということだろう。チェロのソロが、Violoncello欄ではなく、Violone solo欄に書かれているのは、ここでチェロのソリストがリピエーノから外れてソロ・パートに移るという意味である。そういうことが想定されるのであってみれば、当然、ここでいう「Solo」は、パート・ソロではなく「独奏」という意味合いが高くなる。

 ただ、このことを考えるには、いわゆる総譜=スコアを眺めているだけではわからない。そこで、この第6番交響曲の18世紀・19世紀初めのパート譜を調べてみた。すると、その中にははっきりとバッソ・パートに、コンチェルティーノとリピエーノに分かれた2種の楽譜「doppelt」を含んでいるものもある。例えば、ミラノにある「A-61-110-4」というパート譜は、Basso obrigatoとBasso ripienoの組み合わせを持つ。また、ベルリンの「M2187」は、Violone obligatoとBasso Continuoの組み合わせ。一方、ベルリン「Mus. ms. 9992/2」は、Violone ripienoのほかにViolone concerto用の一葉が別に付く。こうした点からも当時の人たちも、これらの交響曲を演奏する場合、ソロ的なパートを演奏する奏者とバッソ・パートを演奏する奏者は、はっきり分けて考えていたと思われる(※2)。以上、交響曲第6番から8番のシリーズにおいて、表記はともかく、コントラバスについても独奏として扱うことに、蓋然性は高いと思われるがどうだろう。

※1 ここのソロ楽器交代自体は、ランドン版の脚注にもあるようにウィーンに残る「XIII27013」というパート譜のみで支持されていて、新ハイドン全集の譜面では採用されていない。
※2 ただし、ザルツブルクに残る交響曲第6〜8番「朝」「昼」「晩」のセット=「Hay 275-285」は、単にバッソ・パートがダブっているとされている。以上、パート譜の情報は、すべて新ハイドン全集の校訂報告から。

(その1)へ、(その2)へ、(その3)

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コメント

cherubinoさま
大変興味深い内容でひじょうに参考になりました。
私はいつも思いつきで適当なことを書いているのですが、cherubinoさんの、詳細なデータに基づいて仮説を検証されていくアプローチにはいつも感心させられます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

投稿: Zauberfloete | 2015年5月 3日 (日) 23時28分

Zauberfloete様、いつもながらコメント、また貴重な情報ありがとうございます。第7番「昼」の冒頭のファゴット・パートもそうですが、自筆譜の記譜の仕方は貴重な情報を与えてくれますね(その節約された書き方が、後の世代の音楽家に誤解を生む場合があるとしても)。新ハイドン全集は原典版の中でも極めて厳格な方ですが、それでもこの部分ではファゴット、チェロ、バッソをそれぞれ別の譜表で示していて、校訂報告を見ないと自筆譜の状況を再現できません。
7月の演奏会で「朝」「昼」「晩」を演奏するとのことでしたが、これらの曲ではファゴットの出番も多いので、楽しみですね(いや、大変?)。ところで緩除楽章のファゴットは、ヘンレ版では [ ] 付きで休みを指定していますがどうでしょうか? ハイドンのバッソのあり方として、その点も気になっています。またお手すきのときにでもご教授ください。では。

投稿: cherubino | 2015年5月 5日 (火) 10時15分

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