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2016年3月25日 (金)

カラヤンの時代

 先日、このブログで前世紀終わりから今世紀初頭の時代について「アーノンクールの時代」だったという文章を書いた。それには、おそらく異論のある方もいらっしゃるだろう。では、その前はどうだったのかと言えば、あまり議論の余地がないのではないか。なぜなら、それが「ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代」であったことは、衆目の一致するところだろうから。ある人は好意的に、ある人はしぶしぶ認める、という違いがあるにせよ。

 というのも、カラヤンの影響力という点で、またひとつ驚いたことがある。今週出た「レコード芸術」4月号(音楽之友社・刊)の特集が、例によって「最新版 名曲名盤500」というベストレコードを選ぶ評論家10人による投票ものであった。今号はその最終回。配列はアルファベット順であり、リヒャルト・シュトラウスからイザイまで、64曲が取り上げられている。僕としては以前に「名曲名盤とは何か?」という記事で書かせていただいたように、この種の企画に以前ほど興味を持てないのだが、ぱらぱらと眺めていたらカラヤンの演奏がベスト1に選ばれている曲が異様に多いことに気づいた。で、昨日、就寝前の時間を使って、数えてみることにした(笑)。

1)全64曲のうち、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラ、声楽曲といったオーケストラが演奏に参加する曲が60曲ある。
2)このうち、カラヤンが録音を残した曲が51曲ある(非正規盤しかない『椿姫』、4曲しか録音を残さなかった『調和の霊感』を除く)。

 51曲という数字も驚きだが、これをお読みの皆さんは、このうち何曲でカラヤンが第1位を獲得したと想像されるだろうか。実は・・・

3)このうち、カラヤンの録音が第1位を獲得した曲が29曲ある(同点1位を含む)。

 なんと、半分以上、57%を占めている。さらに

4)カラヤンが第2位を占めた曲が12曲ある(1、2位を独占した曲を除く)。

 つまり、合わせて41曲で第1位か第2位にランクインしている(80%)、という状況になっている。アンチ・カラヤンの方が見たら、あきれそうな数字だ。実は上記の「名曲名盤とは何か?」という記事でも、バッハの曲がほとんどすべてリヒターかグールドといったいわゆる旧譜で占められていて、評論家の保守的な傾向について驚いた、という内容を僕は書いている。実際、この種の人気投票では、「往年の名盤」と言われているような録音に投票が集中する傾向があるようだ。また今回、アルファベット順の終わり近くに、偶然にもリヒャルト・シュトラウスやチャイコフスキー、ヴェルディ、ワーグナーといったカラヤンが最も本領を発揮している後期ロマン派のレパートリーが集中していた、という特殊事情もあるかもしれない。それでもこの高評価は、どう考えたらいいのだろうか。確かに、1960年代から80年代にかけて、カラヤンの新譜が「レコード芸術」誌の月評や広告欄に毎月のように登場していた。個人的にも1980年代に、リヒャルト・シュトラウスの交響詩や『悲愴』、『ばらの騎士』新盤、『ローエングリン』『パルジファル』など、上記投票でも選ばれている名盤たちが次々と生まれてきた瞬間に立ち会っていたのであり、そうしたことがあたりまえであったのは何と贅沢だったろうか。そして彼の死後、四半世紀が過ぎてもなお、こうして多くの録音が聴き継がれてきているのは、やはりすごいことなのだろう。が、逆に・・・上記の投票結果が、近年のクラシック界の厳しい現状とリンクしていると考えるざるを得ないとしたら、そこに大いなる寂しさを感じてしまうのは僕だけではないだろう。

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2016年3月23日 (水)

ザンクト・フローリアンの朝比奈隆

 1975年に、朝比奈隆氏が手兵の大阪フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの聖地ザンクト・フローリアン修道院を訪れて行った交響曲第7番ホ長調(ハース版)のライヴ録音・新盤が出た。初出はジャン・ジャンから出た「ブルックナー交響曲全集」(1978年)の特典盤LPで、翌年にはビクターから市販LP2枚組でも出された。CD化されたのは1987年というから、そこから数えても今から30年弱前になる。HMVのユーザーレビューで、埼玉県の七海耀さんという方が、 「なんと、初出の1987年から、何も変わらず。リマスターもされず。新装再発もなし。カタログから消えたこともなく、そのまま売れ続ける。もちろん、技術的には、後の新日本フィルや都響との録音が優れているのかもしれないが、何と言っても、豊かな情感は、この演奏に勝るものなし。そんな盤がひとつくらいあっても良いだろう。」と書かれているが、これは至言であろう。

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 今回、そのロングセラー「聖フローリアンのブルックナー」が、満を持して再発された。日本の復刻レーベル Altus がオリジナルマスターテープを発掘し、それをもとにリマスターしたのである。録音されて40年以上過ぎているだけにマスターテープの劣化も心配されたが、もともとの素性がいいのだろう。曲が始まる前の無音のところから、まるで大理石作りのマンモア・ザールに座っているような臨場感・空気を感じられる録音になっている。会場にノヴァーク版の編纂者であるレオポルト・ノーヴァクが居合わせて、演奏後、賛辞を寄せたことでも有名だが、ハース版の特徴であるアッチェレランドしない第1楽章の最後は、何度聴いても美しく感動的だ(実はこの楽章のあと、聴衆から思わず拍手が発せられたということで、その異例の拍手も今回の新盤には収録された)。アダージョや終楽章・第3主題等での悠々とした歩み、長いゲネラルパウゼも、非常に好ましい。この演奏に慣れると、テンポをしきりに変える他の指揮者の演奏がわずらわしくさえ思えてくる。この演奏会は最初、リンツでの演奏を希望していたものが、会場等の都合で次善の策としてザンクト・フローリアンでの演奏が提案されたのだという。曲、歴史、指揮者、オーケストラ、聴衆、会場、スケジュール、そしてCDの制作者たち・・・この名演・名録音は、そうした諸条件が奇跡のように積み重ねられて成立したと思うにつけ、長く聴き継いでいきたい遺産だ。

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2016年3月15日 (火)

モーツァルト・アラカルト3

 先週(3月9日)、アカデミア・ミュージックからのメール・ニュースで、モーツァルトの交響曲第38番 K.504の自筆譜ファクシミリが出版されたということを知った。

https://www.academia-music.com/academia/m.php/20160309-7

 3万円ちょっとという価格は、この種のものとしては良心的な方。さっそく注文を出しておいたところ、初回入荷分に間に合ったのか、週末にはもう実物が宅急便で届いた。新モーツァルト全集の編纂時には自筆譜が行方不明であり、結果、

「確実に自筆譜までさかのぼっている第2次資料としては,《旧モーツァルト全集》とならんで,テオドール・クロイヤーによって,1931年に出されたオイレンブルク版の校訂版(出版番号446)がただひとつ存在する(資料A)。(ラースロ・ショムハイ、新モーツァルト全集の前文から)

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という状態であった。その後、1980年にポーランドのクラクフ・ヤギェウォ図書館で自筆譜が再発見され、2001年にはブライトコプフ新版としてこの自筆譜に基づいた新しい校訂版の楽譜が出た(クリフ・アイゼン校訂)。一方、2003年には遅ればせながら新モーツァルト全集の校訂報告書(シリーズ4:オーケストラ作品、ワークグループ11「SINFONIEN・BAND8」 K.425、K.504の巻)が出版され、その巻に自筆譜の異同および既発の楽譜版の訂正リストが掲載された。今、出版されている紺色の表紙のスコアは、この訂正リストを反映した新版と言えるものになっている(我が国で国内版として出されているベーレンライター版=音楽の友社・刊や、新モーツァルト全集オンラインで公開されている版は、訂正前の版なので注意が必要)。

 で、自筆譜の再発見により具体的にどの部分が変わってきたかだが、スラーやスタッカート、強弱記号の異同が主であり、音符自体が変わっているという部分は、そう多くはない。詳しくは別項に譲りたいが、例えば私が気づいた主な音符の異同部分は以下のとおり。【楽章】小節数の後は(オイレンブルク版1931年版/新モーツァルト全集1971年版/自筆譜ファクシミリ)の順に異同が記してある。

【第1楽章】
1)第14小節 第2ヴァイオリン(音符なし/第1ヴァイオリンと同じ/音符なし)
2)第69小節 第1フルート・第1音(cis'''/a''/cis''')
3)第142小節 第1フルート・第1音(a''/cis'''/a'')
4)第220小節 第1,2ホルン・第1音(4分音符+4分休符/2分音符/4分音符+4分休符)
【第2楽章】
5)第85小節 第2ヴァイオリン・第2音(d''/d''/d')※ここはd"ともとれる書き方がされている
6)第93小節 第1,2ホルン・第4音につけられた前打音(あり/あり/なし)
7)第120小節 第1オーボエ・第1音(a''/fis''/a'')※前小節から続くタイをとってスラーに
【第3楽章】
8)第291小節 第2ホルン・第1音(c'/a/c')※前小節から続くタイをとる

<例>第69-71小節 第1,2フルート

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 これらの部分だけで言えば、オイレンブルク版に準拠したという新モーツァルト全集1971年版より、自筆譜の方が前者に近いという興味深い結果となっている※。また、ほかに自筆譜の記述が、最新のベーレンライター版(紺表紙)にも反映されていないものもあり、このあたりの事情はかなり複雑だ(例えば、第4楽章の第252小節目のファゴット、あるいは上記8)の第1ホルン)。それらの異同を対照する意味からも、今回の出版は大いに歓迎したい。

 以下、こちらも自筆譜からみの新譜から。前回、ピアノ・ソナタイ長調 K.331「トルコ行進曲付き」の自筆譜(部分)が発見されたという話題を紹介したが、その発見された自筆譜に基づく新たな演奏が発売される。なんと今回の演奏も日本人。アムステルダム音楽院でスタンリー・ホッホランドにフォルテピアノを師事した江黒真弓さんのデビュー・アルバムで、1800年アントン・ツィーラー製作のオリジナル楽器で演奏しているという。キング・インターナショナルから3月末の発売予定なので、また入手次第、報告したい。

※自筆譜が発見されて新モーツァルト全集の校訂報告がそれによりアップデートしたのは良かったのだが、結果、校訂報告書は自筆譜の異同のみ言及されて、当初(やむを得ずながら)参照されていた当時のパート譜(Bグラーツ、Cモデナ、Dドナウエッシンゲン)の異同が記載されなくなってしまった。これは校訂報告としてどうだろう。新モーツァルト全集1971年版がオイレンブルク版から楽譜を変えた根拠がこれらの筆写譜にあったのかも知れないのだが、当然、それも明記されないままになってしまっている。無論、自筆譜は大事だが、当時の筆写譜の情報は時に自筆譜に勝ることも忘れないでほしい。例えばモーツァルトがプラハでこのシンフォニーを演奏した時などに、パート譜に変更を施した、かもしれないのだから。確かにブライトコプフ新版の校訂者クリフ・アイゼンも、これら筆写譜にはモーツァルトに由来する物は何もないと切り捨てるが、それはあくまで批判版楽譜の編纂者としての意見である。作曲家全集の校訂報告としては、別の立場に立つべきだろう。

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2016年3月12日 (土)

アーノンクールの時代

 ニコラウス・アーノンクール(1929/12/6 - 2016/3/5)が亡くなった。年末に「体力の限界を理由に引退する」旨の発表があったばかり。そのことから考えてみると、ここ数年というもの随分、無理を押して出演を続けていたのかもしれないと思う。「さぞ、疲れたでしょう。ゆっくり休んでください。」

 僕がクラシック音楽を本格的に聴くようになった頃は、ちょうどアーノンクールもそれまでのバロック音楽中心の活動から、モーツァルトなどに活動の幅を広げてきた時期にあたる。実際、僕が生まれて初めて自分で購入した『レコード芸術』誌は1981年の11月号なのだが、その裏表紙には彼がコンセルトヘボウを振ったモーツァルトの「ハフナー交響曲(と交響曲第34番)」のLPの広告が掲載されていた。そのジャケット写真は、ザルツブルク旧市街のモーツァルト広場に立つモーツァルト像なのだが、通常なら青空をバックにとるのが一般的だろう。にもかかわらず雪が降りしきっている冬の情景が選ばれている。なかなか迫力のあるジャケットで、今見てもアーノンクールの厳しい音楽が鳴り響いてきそうな感じがする。そして、この盤が実はアーノンクールにとって、初めてのモーツァルト交響曲の録音でもあった。

Haffner1

 その頃、交響曲の月評担当には、大木正興さんがまだご健在だった。この月もフルトヴェングラーの復刻盤が3組4枚も重なっていたのにうんざりされたと見えて、(これらから音楽を聴くには)「鰯の頭も信心からの心境が必要」「話題に乗り遅れまいと心掛けるその道の通人用」「あやふやな手さぐりで虚構を築いて楽しむのは自由ではあるが、所詮ロマンティックな趣味の領域」と一刀両断にされていて、これはむしろ痛快なくらいだ。一方、アーノンクールのモーツァルト盤についても、「バロック器楽の遊戯性に衣替えさせられたモーツァルトである。主張としては面白く目新しい。しかし肝心の様式は直前期への逆行だから、どうしても意図的な姿勢が音楽を支配して作られたものの感を払えない。」と手厳しい。この文章の冒頭は、「バロック期を主要な仕事にしていた音楽家がつぎつぎと古典を録音する。」と始まり、ミュンヒンガーやマリナー、パイヤールといった名前のあとに「いまアーノンクールだ。」と書いている。正直、これらの演奏家とアーノンクールをひとくくりにできないことは、その後の彼の活躍が証明していると言えるが、当時の印象としてはやむを得ないことだろう。なにしろ2枚あるこの号の特選盤(交響曲)のひとつは、カール・ベームの追悼盤として出たモーツァルトの交響曲第29番と、やはり「ハフナー交響曲」の盤だったのだから(もう一枚は、アバドが最初に録音したマーラーの交響曲第5番)。

 いつも書くことだが、その頃はクラシックのレギューラー盤LPは、1枚3千円弱した。浪人生の身分だった僕など雑誌の写真を眺めるだけで、今聴いてもなかなか刺激的な「ハフナー」は、当時は聴いていない。それから数年して、FM放送でアーノンクールがヘルマン・バウマン(ナチュラル・ホルン)と組んで録音したモーツァルトのホルン協奏曲を聴いたときは、本当にびっくりした。これはカセット・テープに録って、これまで何回聴いたかわからない。古楽器演奏がなんたるかをこの盤で開眼させてもらった、と言っても過言ではないだろう。

 社会人になってからは、彼のモーツァルト録音はほとんど聴いていると思う。2団体を使って完成させた交響曲全集や、オペラ演奏については、このブログで何回も取り上げている。

『フィガロ』序曲はアラ・ブレーヴェか?(その1)
アーノンクールの新しい『フィガロ』
伯爵夫人とスザンナ(その1)「フィガロ」
『魔笛』のアンダンティーノ指定(その3)
この歌手のための、この一曲のための・・・「ドン・ジョヴァンニ」
カサロヴァ、セストへの軌跡(その2)「皇帝ティートの慈悲」
3人メッゾの『コシ』(その1)
新バッハ全集改訂版『ミサ曲ロ短調』(その2)
「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(10) 第18巻『魔弾の射手』

 特にザルツブルク音楽祭での「フィガロ」や「ティート」のライヴ映像は、それぞれの曲のベストにあげることを僕はほとんど躊躇しない。ほかにもセレナード集や宗教曲全集など、考えてみれば他のどの演奏家より多くのことを彼のレコードから学んできたように思う。バッハについても、そう。カンタータ全集はLPで買ったものだ(当時は貴重だったスコアがついていた!)。その後、ガーディナーやコープマンなど新たな世代による古楽器全集が生まれていて、個々の奏者の技術的にはすでに乗り越えられているのだろう。が、僕にはこのアーノンクール/レオンハルトの演奏が、最もしっくりくる曲がやはり今でも多い。加えて、ハイドンやベートーヴェン、ブラームス、そしてブルックナー、シュトラウスのワルツまで、彼のレパートリーは拡大し、そのいずれもが何かしらの意義(異議?)をクラシック界に与え続けてきたのは間違いない。

 カラヤン亡き後のクラシック界で、恒常的にベルリン・フィル、ウィーン・フィル、コンセルヘボウなどの一流オーケストラに客演、他に手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとともに膨大な録音を発表し、世界の一流音楽祭や歌劇場で活躍し続けた指揮者はそう多くない。後輩たちを見ても、ジンマンやノリントン、アダム・フィッシャーなど多くの指揮者がアーノンクールの影響を受けている。おそらく、「新帝王」と言われるサイモン・ラトルだって・・・。そうした意味で、今、彼の死がもたらした大きな喪失感に浸りながら、前世紀終わりから今世紀初頭の時代を振り返ってみるとき、僕はこう結論づけざるを得ない。そう、実は「アーノンクールの時代」を生きていたのだ、私たちは!

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2016年3月 9日 (水)

高いホルン、低いホルン(その35・ハイドン編 no.89)

 次の曲は交響曲第89番。調性自体はへ長調だが、第2楽章のアンダンテ・コン・モートがハ長調で、C管ホルンが使われている。

番外編4)交響曲第89番(ヘ長調) 第2楽章にC管ホルン2。ランドン版では指定なし。(他の楽章はF管ホルン2を使用)

 この交響曲の第2、第4楽章は、「2台のリラ・オルガニザータのための協奏曲 ヘ長調 Hob.VIIh:5」の第2、3楽章を転用したもの※。特殊な楽器なのでオリジナルのリラ・オルガニザータによる演奏はなかなか聴けない。ハイドン自身がリラ楽曲(ノットゥルノ)をロンドン訪問時に演奏したときに採用したようなフルートとオーボエ、あるいはフルート2本による編曲バージョンで演奏した音源が多い。個人的には昔、日本コロンビアが出していたランパル(フルート)とピエルロ(オーボエ)のソロによるLP(2枚)でよく聴いた(先年、AccordレーベルからCD化されたようだが僕は未購入)。

 さて、この盤のC管ホルンの扱いは明快だ。というのも、この楽章でホルンは、まさにソロ楽器のように高いC(第16倍音)まで登っていくフレーズを2度(くりかえしも入れると4度)吹くことになる。ということで、ランドン版も新ハイドン全集版もホルンの音域指定はないのだが、今回、僕が聴いたすべての盤がバッソで吹いている。ちなみに今回聴いたのは、以下の諸盤。ミュラー=クライ、ブール、ドラティ、べーム、フィッシャー、クイケン、ドラホシュ、ヴァイル、ブリュッヘン、リンデ、ウルフ、ボストック、ラトル、デイヴィス、ファイの各盤。

 ここからは余談だが、リラ協奏曲からの編曲であるこの交響曲の第4楽章には、strascinando(ストラッシナンド)という指定がある。「音を引き伸ばしながら、ゆっくりと」のような意味だそうだが、この第89番における指定についてはブログ『Zauberfloete通信』の記事「ストラッシナンド/strascinando」に詳細かつ興味深い分析があるので紹介させていただく。ちなみに、ランドン編纂の版では、第4楽章の第16、84小節目に strascinando が、そして第153小節目には( )付き、つまり編者の付加という意味合いで strascinando がある。その記号が付いているパートは、ランドン版では一番上のフルートのパートの上と、第1ヴァイオリンのパートの上の2か所。ただし、Zauberfloeteさんによれば、

「strascinando が「音を引き伸ばしながらゆっくりと」演奏する指定であるのであれば、伸ばす音はフルートと1stヴァイオリンのCの音であろうし、ウルフが言うように、「テーマに戻るのに少し時間がかかることを強調」することにもなる。そして、スコア上に記載されている場所(Flと1stVnのパート上のみ)とも一致する。ということで、ハイドン-モーツァルト プレッセ版のパート譜(Flと1stVn以外)での strascinando の指定はあまり意味がないとも考えられる。」(『Zauberfloete通信』の記事「ストラッシナンド/strascinando」から)

 まさに、そのとおり。ちなみにこれについて、新ハイドン全集版(ヘンレ版)を見てみたところ、第16、84小節目の譜表の一番上に strascinando が付いているだけである。ただし、これはフルート・パートにだけ指示が付いているという意味ではなく、おそらく普通の速度記号・表情記号等のようにすべてのパートに効果が及ぶという意味で、譜表の一番上に記されているように見える※※。というのも、校訂報告には、自筆譜(A)、ブタペストに残るエステルハージ由来のパート譜(Ep、Es)では、第16、84小節について1stヴァイオリンの譜表近くにのみ strascinando が付いているとある。これを編集者が譜表の一番上に移したということだろう。なかなかこういう場合の解釈は難しいところだが、実際の演奏としてはZauberfloete さんのご指摘のように「フルートと1stヴァイオリンのCの音」を引き伸ばし、それに合わせ全楽器がテンポを落としたのち、テーマの再現になだれ込むということになるのだろう。このあたり元曲のリラ協奏曲ではどうなっているのか、また調べてみたい。

※ハイドンのリラ楽曲については、新ハイドン全集でこれらの曲の校訂を担当した大宮眞琴氏による詳細なレポートというか論文が、日本語!の本になっている。>>『ハイドン全集の現場から 新しい音楽学の視点』(音楽之友社・刊)。
※※ちなみに現代のオーケストラの印刷譜では、一番上がフルートのパートになるのが通例だが、ハイドンやモーツァルトの楽譜ではあまりそういう例は少ないように思われる。この第89番の自筆譜でも、一番上のパートはホルン(1st, 2nd)となっていて、以下、1stオーボエ、2ndオーボエ、フルート、ファゴット(1st, 2nd)、そして弦楽の順となっている。

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