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2016年3月12日 (土)

アーノンクールの時代

 ニコラウス・アーノンクール(1929/12/6 - 2016/3/5)が亡くなった。年末に「体力の限界を理由に引退する」旨の発表があったばかり。そのことから考えてみると、ここ数年というもの随分、無理を押して出演を続けていたのかもしれないと思う。「さぞ、疲れたでしょう。ゆっくり休んでください。」

 僕がクラシック音楽を本格的に聴くようになった頃は、ちょうどアーノンクールもそれまでのバロック音楽中心の活動から、モーツァルトなどに活動の幅を広げてきた時期にあたる。実際、僕が生まれて初めて自分で購入した『レコード芸術』誌は1981年の11月号なのだが、その裏表紙には彼がコンセルトヘボウを振ったモーツァルトの「ハフナー交響曲(と交響曲第34番)」のLPの広告が掲載されていた。そのジャケット写真は、ザルツブルク旧市街のモーツァルト広場に立つモーツァルト像なのだが、通常なら青空をバックにとるのが一般的だろう。にもかかわらず雪が降りしきっている冬の情景が選ばれている。なかなか迫力のあるジャケットで、今見てもアーノンクールの厳しい音楽が鳴り響いてきそうな感じがする。そして、この盤が実はアーノンクールにとって、初めてのモーツァルト交響曲の録音でもあった。

Haffner1

 その頃、交響曲の月評担当には、大木正興さんがまだご健在だった。この月もフルトヴェングラーの復刻盤が3組4枚も重なっていたのにうんざりされたと見えて、(これらから音楽を聴くには)「鰯の頭も信心からの心境が必要」「話題に乗り遅れまいと心掛けるその道の通人用」「あやふやな手さぐりで虚構を築いて楽しむのは自由ではあるが、所詮ロマンティックな趣味の領域」と一刀両断にされていて、これはむしろ痛快なくらいだ。一方、アーノンクールのモーツァルト盤についても、「バロック器楽の遊戯性に衣替えさせられたモーツァルトである。主張としては面白く目新しい。しかし肝心の様式は直前期への逆行だから、どうしても意図的な姿勢が音楽を支配して作られたものの感を払えない。」と手厳しい。この文章の冒頭は、「バロック期を主要な仕事にしていた音楽家がつぎつぎと古典を録音する。」と始まり、ミュンヒンガーやマリナー、パイヤールといった名前のあとに「いまアーノンクールだ。」と書いている。正直、これらの演奏家とアーノンクールをひとくくりにできないことは、その後の彼の活躍が証明していると言えるが、当時の印象としてはやむを得ないことだろう。なにしろ2枚あるこの号の特選盤(交響曲)のひとつは、カール・ベームの追悼盤として出たモーツァルトの交響曲第29番と、やはり「ハフナー交響曲」の盤だったのだから(もう一枚は、アバドが最初に録音したマーラーの交響曲第5番)。

 いつも書くことだが、その頃はクラシックのレギューラー盤LPは、1枚3千円弱した。浪人生の身分だった僕など雑誌の写真を眺めるだけで、今聴いてもなかなか刺激的な「ハフナー」は、当時は聴いていない。それから数年して、FM放送でアーノンクールがヘルマン・バウマン(ナチュラル・ホルン)と組んで録音したモーツァルトのホルン協奏曲を聴いたときは、本当にびっくりした。これはカセット・テープに録って、これまで何回聴いたかわからない。古楽器演奏がなんたるかをこの盤で開眼させてもらった、と言っても過言ではないだろう。

 社会人になってからは、彼のモーツァルト録音はほとんど聴いていると思う。2団体を使って完成させた交響曲全集や、オペラ演奏については、このブログで何回も取り上げている。

『フィガロ』序曲はアラ・ブレーヴェか?(その1)
アーノンクールの新しい『フィガロ』
伯爵夫人とスザンナ(その1)「フィガロ」
『魔笛』のアンダンティーノ指定(その3)
この歌手のための、この一曲のための・・・「ドン・ジョヴァンニ」
カサロヴァ、セストへの軌跡(その2)「皇帝ティートの慈悲」
3人メッゾの『コシ』(その1)
新バッハ全集改訂版『ミサ曲ロ短調』(その2)
「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(10) 第18巻『魔弾の射手』

 特にザルツブルク音楽祭での「フィガロ」や「ティート」のライヴ映像は、それぞれの曲のベストにあげることを僕はほとんど躊躇しない。ほかにもセレナード集や宗教曲全集など、考えてみれば他のどの演奏家より多くのことを彼のレコードから学んできたように思う。バッハについても、そう。カンタータ全集はLPで買ったものだ(当時は貴重だったスコアがついていた!)。その後、ガーディナーやコープマンなど新たな世代による古楽器全集が生まれていて、個々の奏者の技術的にはすでに乗り越えられているのだろう。が、僕にはこのアーノンクール/レオンハルトの演奏が、最もしっくりくる曲がやはり今でも多い。加えて、ハイドンやベートーヴェン、ブラームス、そしてブルックナー、シュトラウスのワルツまで、彼のレパートリーは拡大し、そのいずれもが何かしらの意義(異議?)をクラシック界に与え続けてきたのは間違いない。

 カラヤン亡き後のクラシック界で、恒常的にベルリン・フィル、ウィーン・フィル、コンセルヘボウなどの一流オーケストラに客演、他に手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとともに膨大な録音を発表し、世界の一流音楽祭や歌劇場で活躍し続けた指揮者はそう多くない。後輩たちを見ても、ジンマンやノリントン、アダム・フィッシャーなど多くの指揮者がアーノンクールの影響を受けている。おそらく、「新帝王」と言われるサイモン・ラトルだって・・・。そうした意味で、今、彼の死がもたらした大きな喪失感に浸りながら、前世紀終わりから今世紀初頭の時代を振り返ってみるとき、僕はこう結論づけざるを得ない。そう、実は「アーノンクールの時代」を生きていたのだ、私たちは!

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