« 2016年のタケミツ | トップページ | 伯爵夫人とスザンナ(その5) »

2016年10月26日 (水)

伯爵夫人とスザンナ(その4)

 すでに数年前のことになるが、『フィガロの結婚』第2幕の第14曲・テルツェットにおける伯爵夫人とスザンナの声楽パートが、旧モーツァルト全集(や慣用譜)と新全集とでは、高低が入れ替わっているという話題を報告したことがある。

「伯爵夫人とスザンナ」(その1)へ、(その2)へ、(その3)

 その折にも紹介したのだが、『作曲家別 名曲解説ライブラリー モーツァルト2』(音楽之友社・刊)にはこうある。「従来と異なり新全集では夫人のほうがコロラトゥーラを含む高い音域のパートを歌うことになっているが、それは役柄の心理的状況と自筆譜の入念な考証等から得られた判断に基づく(p.351)」。そうした解釈の最も典型的な演奏・演出として、上記発言では「カール・ベーム指揮の映画版『フィガロ』(1976年制作)が最も参考になる」と僕は書いた。「伯爵夫人のキリ・テ・カナワが窮地に追いつめられ「まさかこんなことになろうとは」という<動揺>の表現として、このコロラトゥーラ音型を歌っているのが、歌唱・表情ともに非常によくわかる。」とも。

 逆に、旧全集を使った演奏の解説では、同じ音型がスザンナの「心理的状況」と結び付けて解釈されている例もある。例えばこちら。

「戻ってきたスザンナが奥で伯爵夫妻の会話を聴くシーンでは、夫妻の真剣なやりとりに対し、気の利くスザンナがどうしようかと頭をめぐらす様子が、くねくねと上昇する音階〔譜例13〕でうまく表現されている。しかも初めは上のGだったのが、心配が昂じて三点Cまで上昇するところも聴きどころだ。」(『新潮オペラCDブック・8 モーツァルト「フィガロの結婚」』所収の永竹由幸氏による<訳・解説>から)

 その「くねくね」譜例が、こちら。

T13

 さて、皆さんは伯爵夫人とスザンナの内、どちらが上記音形を歌った方が、この場の「心理的状況」に合っているとお考えだろうか? 実際、多くの演奏実践の場でも、二人のうちどちらが高いパート、つまりこの「くねくね」音型を歌っているかが気になるところだ。一応、新全集が出された1973年の前か後かが、ひとつの目安にはなるだろう。例えば、上記『新潮オペラCDブック』の付属CDの場合、こちらもベーム指揮のザルツブルク音楽祭における1970年のライヴ録音が採られている。ビデオならともかく音源のみでは判断がつきにくい場合もままあるのだが、ここではスーブレットとして一世を風靡したレリ・グリストがスザンナを演じていて、そのチャーミングさが際立つ声によってスザンナが「くねくね」音型を歌っているのがよく聴きとれる(伯爵夫人役は、グンドゥラ・ヤノヴィッツ)。つまり永竹氏の上記解説どおり、だったということがわかる。また実は、僕の前発言でも同じベームのウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)のDVDを取り上げて、スザンナ役のルチア・ポップが上のパートを見事に歌っているとし、「映像では1回目がややアップでわかりやすい」と書いていた。1970年はスザンナが上、1976年は伯爵夫人が上、そして1980年はスザンナが上、という具合で、同じ指揮者、同じ演奏団体であっても、使用楽譜が違う場合もあるわけだ。

 ところで、今月の『レコード芸術』誌(音楽之友社・刊)の特集は、「モーツァルト・クロニクル(年代記)--- 録音史を紐解く」と題し、モーツァルトの録音史を追った企画になっている。その中に「フィガロ」の章もあり、岸純信氏がその執筆を担当している。その記事を見て、すぐ僕は思わずわが目を疑った。氏は、記事の冒頭、上記DVDに記録されているべームの1980年に行われた来日公演(とそのテレビ放映)が、我が国のこのオペラの受容史上「分岐点」にあたるとし、その根拠として以下の3点を挙げたからである。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 氏がこの公演をホールで実際にご覧になったかまでは記述がないが、「”1980年11月”/日本の《フィガロ》が変わった」という見出しの元にある以上、その発言にはある意味、絶対の自信がおありになるだろう。僕の方がこれまでこのブログで書いてきたことを修正しなければと思い、さっそくビデオ・ラックから当該DVDを取り出してきた。ところが、これがまた簡単ではなく、岸氏の指摘どおりともはっきり言い難いようなのだ。実際、このディスクの映像はVHS並みの画面であり、画面ではなかなか判定がしにくい。ここまでで既に長くなったので、その詳しい判定結果は次回にまわすことにしたい。

|

« 2016年のタケミツ | トップページ | 伯爵夫人とスザンナ(その5) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186384/64399008

この記事へのトラックバック一覧です: 伯爵夫人とスザンナ(その4):

« 2016年のタケミツ | トップページ | 伯爵夫人とスザンナ(その5) »