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2016年11月16日 (水)

モーバリ・レイバーン仮説(その2)

 前回ご紹介した「モーバリ・レイバーン仮説」に関する記事の続き。ロバート・モーバリとクリストファー・レイバーンが、「フィガロ」第3幕の現行の曲順は、歌手の都合でやむを得ず変更されたもので、そのためいろいろな不都合な状態がある、と推定した根拠を紹介する(つまり、現行の第3幕の曲順における難点である。以下、「Mozart's Figaro: The Plan of Act III」(1965) から自由に紹介。なお(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)

1)舞台裏で行われたはずの<裁判の場面>は、伯爵のレチタティーヴォとアリアのあいだで行われたとするには、十分な時間が与えられていない。
2)ケルビーノとバルバリーナとのあいだの会話が、劇の進行上、もっと前の位置にないと、ケルビーノが村の娘たちに交じって伯爵夫人に花を捧げるために変装したりする時間が十分に取れない。
3)スザンナは伯爵とデュエットを歌った後、すぐに伯爵夫人にそのときの様子を報告するため、夫人を探しに行ったはず。現行の曲順ではずっと後の場面までそうしていないことになる。(伯爵夫人は第8場でまだ「スザンナは遅いのね?」と言っていて、)その事実を知る度、私たちは驚かせられる。さらにフィガロの借金を穴埋めするためのお金・銀2000を、どこで調達したかがわからないという余計な疑問を引き起こしている(早い場面で伯爵夫人に会ってさえいれば、夫人にお金を工面してもらったということが想定できる)。
4)台本作家のダ・ポンテが、(彼がそう意図しなかったのなら話は別だが)数ページ早過ぎる場面でスザンナに「この出来ごとを奥様と伯父とにご報告してきます」と言わせるよう書くべきだったことは、同じようにミステリアスだ。(早すぎる場面で「報告する」と言わせたので、その結果)女主人に深い信頼を受けているスザンナが、自らの明白な勤めを論点3)に続き今回もすぐに果たさないことを私たちは信じるように仕向けられてしまう(第8場まで来ても、まだ伯爵夫人はことの成り行きをいっさい知らされていない!※1)。
5)「スザンナは遅いのね?」の場面(第19曲)から手紙の二重唱(第20曲)までのあいだに、モーツァルトはあまりに短い間隔しか許さなかった。そこに少し配慮が足りないことに対し、女性歌手たちが不満を持っていることが知られている。

 こうしたいくつかの課題・難点が、前回の記事で触れたように第7、8場を第4場と第5場のあいだに移動するということで、魔法のように解決できるというので、このモーバリ・レイバーン仮説はいかにも魅力的に映ったらしい。以後、第3幕の曲順を入れ替える演奏が現れてくるようになった。例えば、岸氏の記事にも触れられているが、セッション録音で言えば、1971年に録音されたコリン・デイヴィスの「フィガロ」全曲盤がモーバリ・レイバーン仮説を採用していて、これは最初期の例だろう※2。が、影響力から言えば、名演出家のジャン・ピエール・ポネルが、ザルツブルク音楽祭での「フィガロ」上演で採用したのが大きかったのではないだろうか(1972年7月)。しかもこのときの指揮は、帝王カラヤン。このあと同プロジェクトは1976年まで毎年再演され、さらに翌77年に実現したカラヤンのウィーン国立歌劇場への復帰公演でも取り上げられ、さらにデッカによりLPにもなった(1978年)。ちなみにカラヤンの同録音CD(POCL-2331/3)に付された石井宏氏の解説に、モーバリ・レイバーン仮説が簡潔に紹介されており、以下のような興味深い注釈が付けられている(のちにこの解説は、LONDON というレーベルで出ていた国内版LP/SLD 7001-4から転用されたものと判った)。

(なおクリストファー・レイバーンChristopher Raeburn は長年ロンドン/デッカの制作部長であり、このレコードのプロデューサーであるが、カラヤンはすでに1973年から彼の説を採用してきている。)<<引用者注・先述のように1972年からが正しいと思われる。

 これらからカラヤンのデッカへの録音が、我が国においてモーバリ・レイバーン仮説を広めたきっかけとなったのは間違いない。またカール・ベームには1975-76年に撮影した映画版「フィガロ」があり、ここでも演出はポネルが担当しているので、やはり第3幕の曲順を入れ替えている。こうした先例が1970年代にすでにあったのは事実で、岸氏が言うように1980 年のベームの来日公演が、この点で<分岐点>と呼べるものだったかどうかは微妙なところだ。ただ当該公演は、海外の一流歌劇場の本格的引っ越し公演のハシリであったのも事実で、そこでモーバリ・レイバーン仮説が採用されていたことも、決して意義のないことではないだろう。

 さてその後、この仮説の扱いはどのように推移していったろうか。その点は、また次回に。

※1 先の論点3)にも関わることだが、この場面で伯爵夫人が語っている台詞を見る限り、スザンナは伯爵と会ってから一度も報告をしにいっていないことがわかる。
※2 1973年にグラインドボーン音楽祭で収録されたプリッチャード指揮のDVDも、モーバリ・レイバーン仮説を採用していた(ピーター・ホール演出)。

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