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2016年11月30日 (水)

『メサイア』でマリナーを偲ぶ

 今年も明日で師走。自分もそういう年齢になったせいか、近年、演奏家の訃報ばかり目につくようになった。ちょうど前世紀の後半に、彼らの演奏を通じ様々な曲を聴き知ってきたという事情もあるが、寂しいかぎりだ。そうした音楽家で、今年亡くなったひとりに、ネヴィル・マリナーがいる(1924/4/15 - 2016/10/2)。古楽器演奏が主流となる前は、彼と彼が結成した室内オケ=アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのコンビによる演奏こそ、バロックから前期古典音楽の演奏では最もオーセンティックと思われていた。現在ではかつてのような輝きはなくなったかもしれないが、それでも世界各国で指揮を続けていたのは、彼が豊かな音楽性を持っていた証しだろう。確か昨年もN響に客演していた様子が、テレビで流れていた。

 マリナーの演奏で最も親しく聴いてきたのは、やはりモーツァルトだろう。交響曲全集や、セレナーデ集、ブレンデルとのピアノ協奏曲全集などは、小学館/フィリップスによる「モーツァルト全集」にも採用されていて、個性的とは言えないまでもいずれも安心して聴ける「全集」向きの演奏だ。映画『アマデウス』での、サウンドトラックも彼の指揮によるものだった。ほかにロッシーニの歌劇序曲全集などは、彼ならではの仕事だったろう。しかし本日、マリナーを偲んで僕がCDラックから取り出したのは、ヘンデルのオラトリオ『メサイア』(ロンドン)だ。彼はこの大曲を都合3回も録音していて、これは1976年に録音された初録音盤。2014年に亡くなったクリストファー・ホグウッドが作製した1943年のロンドン初演版を使っているとのクレジットがあるが、彼はこの録音でチェンバー・オルガンも担当している。

 その演奏は、まったく瑞々しい。ピリオド・アプローチ全盛の時代にあって、もはや古くさく響いても仕方がないところだが、そうした印象はいささかも感じられない。冒頭のシンフォニーから、マリナーの採るテンポやデュナーミクはいささかの迷いもなく、極めて明解だ。そしてシンフォニーに続くテノールのレチタティーヴォとアリアを歌うフィリップ・ラングリッジはまさに理想的な歌唱で、いつ聴いても気持ちがいい。その他のソリストも、エリー・アメリング(ソプラノ)やアンナ・レイノルズ(アルト)など宗教音楽には欠かせないソリストたちが務めている。さらにこの盤では、同アカデミーの合唱団がまたすばらしい。イギリスらしい軽めの発声で、透明感あふれるいきいきとしたコーラスを聴かせる。その最初の頂点は、第12番のイエスの誕生を伝える合唱で、これは見事というのを通りこして、痛快でさえある。以下、特に何かしら特別な主張があるわけでもないのだが、そのさりげない演奏は、我々にヘンデルを聴く楽しみを惜しみなく味あわせてくれる。僕は就寝時によく『メサイア』の第一部を聴きながら眠ることがあるが、その際に結局、このマリナー盤を選んでいることが多い。現在はハイライト盤でしが出ていないようだが、中古ショップ等でもよく見かけるので、手に入りにくいということはないだろう。マリナーの代表盤として、これからもずっと聴き継いでいきたい盤だ。

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2016年11月23日 (水)

ケルビーノの第3幕のアリエッタ

 「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事で紹介したケルビーノの第3幕の!「アリエッタ」について、書いてみたい。例によって日本語の情報はほとんど見つからない(泣)。まずは現在、僕にわかる範囲で、基本的事項を整理しておこう。

 直前のレチタティーヴォでケルビーノは、バルバリーナから娘姿に変装し「あとでみんな一緒に、奥方様に花を捧げに行きましょう。信用して、ねえケルビーノ、バルバリーナを」と誘われている。で、残されたのはこちらの歌詞だけ。ワシントンに『フィガロ』の初演時に配られたというイタリア語リブレットがある。そこにその歌詞が印字されているという。>この画像も「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事にある。

Cher.Se così brami
                 Teco verrò;
                 So che tu m'ami,
                 Fidar mi vo :
         Purché il bel ciglio            (a parte.
                 Riveggia ancor,
                 Nessun periglio
                 Mi fa timor.

 以下はその私訳。

ケル(ビーノ).もし あなたが お望みとあれば
                "汝とともに" やって来るでしょう;
                あなたが わたしを愛していることを 知っています、
                わたしを 信じてくださることを 望みます:
         もしも 美しい "目"が            (立ち去る)
                再び 見たとしても、
                いかなる "剣呑”もない
                私を恐れさせるような。

 自筆総譜(2巻目)の第63ページには、これも前に触れたように右端欄外に「Segue l'arietta di / Cherubino.」とあり、一旦、赤いクレヨンで「20」と書かれていて、この数字は横棒線で取り消されている。さらにその下には、「/: dopo l'arietta / di cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」と注記が続き、再び赤いクレヨンで「21」とあり、これも横棒線で取り消されている※1。これらの赤字の番号は曲のナンバーであり、モーツァルト自身が書いたものではないが、当時の上演時に遡ることができると考えられている。自筆総譜における前後の記述(曲番号)を整理しておくと、以下のとおり(これらは注記のない限り、赤クレヨンで書かれている)。

・ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロ、スザンナの6重唱:「19」
・(ケルビーノのアリエッタ「20」)
・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア:「21」と書いて「1」の文字の右上にくっつけて「0」と上書きで訂正
・スザンナと伯爵夫人の2重唱:「22」と書いて横棒線で取り消し
・娘たちの合唱:「23」
・フィナーレ(マーチ):「24」
・2人の娘の歌:「25」
・合唱:「26」と書いて横棒線で取り消し。ただしその訂正は鉛筆。
(参考 第4幕の冒頭、バルバリーナのカヴァティーナ:「27」と書いて「25」と上書きで訂正。あるいはその逆?※2)

 これら曲番号の訂正を見ると、我々「アリエッタ」の削除は、曲全体に影響を及ぼしている。リブレットに歌詞が印刷してあったことも合わせて考えると、曲中に確実に含まれていて、かなり初演に近い時期まで伯爵夫人のレチタティーヴォの前に「あった」、あるいは「あるべき」と思われていたと推定されるのである。そして、少なくともこれら楽譜が総譜としてひとまとめにされ、全体にこれも赤いクレヨンでページ番号が振られる前には、「消えた」ということになる。新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編者、ルートヴィヒ・フィンシャーは、序文の中でこの「アリエッタ」について短く触れて、「第12番の<恋とはどんなものかしら>と、韻律学上、同じ長さと節構造とを持っていることは、おそらく偶然の一致でなない。」と意味深なコメントをつけている。モーツァルトはこの曲を実際に作曲したのだろうか、それとも助長だと考え、組み込むことをあきらめたのだろうか。興味はつきない。

※1 ちなみにこれらの注記は特別なものではなく、どのレチタティーヴォにも終わりに次の曲の指示が書かれている。元々これらはばらばらな楽譜の束なので、どこに続くかを一目でわかるようにしているのだろう。無論、この「アリエッタ」の場合、2度、別々に注記されたことの意味は、もっと良く考えてもいいだろう。
※2 ※1とも関連があるが、ここで見た第4幕冒頭のバルバリーナのカヴァティーナは、どうやら後から追加されたようだ。自筆総譜では、元々、その後に続く(現在の)「シーン2」=フィガロ、バルバリーナ、マルチェリーナのレチタティーヴォの方の楽譜に「シーン1」とあり、その左上に「/: dopo la Cavatina di Barbarina:/」(バルバリーナのカヴァティーナのあとに)と記されている。これは明らかに後から記載されたもの。つまり、あの短くも美しい夜の曲は、最初の構想にはなかったということになる(あるいは、最初の構想では第4幕の冒頭の位置にはなかった、ということ)。

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2016年11月21日 (月)

クルレンツィスの『ドン・ジョヴァンニ』

 本日、以前ネットで予約しておいたテオドール・クルレンツィスの『ドン・ジョヴァンニ』が届いた。さっそくリビングのCDデッキにかけてみる。ある程度予想はしていたし、身構えてもいたのだが、それでも序曲の冒頭に来る身を切るような鋭いニ短調の和音にびっくり。そして、続く序奏部のアンダンテがまた異常に速くて、再度びっくり・・・歌が入ってもおおむね以上のような調子で、これはまた、表現の「徹底」ぶりでは、現代の極北にある演奏と言えるだろう。手兵であるムジカエテルナの連中も、歌手たちも、クルレンツィスに心酔・追随していて、いささかのあいまいさもない。

 今月、CS放送では、クルレンツィスのドキュメンタリーを放送していて、これがこの『ドン・ジョヴァンニ』の録音風景を追ったものになっている。途中、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲『トルコ風』を演奏する光景が出てくるが、これがまたすごかった。奏者はチェロを除きすべて立ち弾きで、まるでジャズのセッションでもしているかのような自由さ。指揮者もダンスを踊るように飛び跳ね、激しくリズムを刻む。第3楽章・ロンドの、おなじみのコル・レーニョもどき?※の個所では、全員が(無論、クルレンツィスも)いっせいに足で床板を踏み鳴らす! セッション録音である『ドン・ジョヴァンニ』では、さすがに演奏風景こそ普通だが、奏者たちを追い込むクルレンツィスの執拗さは、かのアルノンクールでもここまではしないだろうというレベルである。「ディリディリディリディリ、ディリディリダ!」というような擬音をマシンガンのように繰り出し自ら口で説明するのだが、これがまた音程もリズムも正確無比。以前出た『フィガロ』の序曲でも冒頭の弦の合い方がすごくてびっくりしたが、このような練習を何十回、何百回も繰り返して合わせているのだろう。

 クルレンツィスのモーツァルトは、これでダ・ポンテ三部作が完成。アテネ生まれでサンクトペテルブルクで指揮を学んだ後、自らオーケストラ・アンサンブルを創設したという経歴もすごいが、そんな辺境の指揮者に大作を続けてまかせるソニー・クラシカルもたいしたものだ。しかも2014年に一度、このオペラを録音したのだが、指揮者がその出来映えに満足せず、再度、録音セッションを組み替えたのだという。これらダ・ポンテ三部作はいずれも聴き応え十分だが、もしもっと気軽に聴けるものをとおっしゃる方には、アルファ・レーベルから出ているモーツァルトの「レクイエム」をぜひお薦めしたい(ALPHA178)。オケもすごいが合唱担当のニュー・シベリアン・シンガーズが絶品である。「Dies Irae」はもとより、「Kyrie eleison」の二重フーガや、さらに「Domine Jesu Christe」がこんなにもマルカートで、苛烈に響くのは、まさに彼らならでは。演奏者がロシアの楽団で、さらに「Lacrimosa」の後に「アーメン・フーガ」の一部分と効果音を加えているということで、何かまがいもののように思っておられる方がいたら、それは大いなる誤解だろう。僕は最近の「レクイエム」録音では、この演奏が一番好きだ。

※モーツァルトはこのコンチェルト(K.219)の第3楽章で、いわゆる「トルコ風」の音楽が出る中間部の「バッソ(低弦パート)」に、「Coll' arco al roverscio」と書き込んでいる(第165、189、227小節)。普通に読めば「弓の反対側で」ということになり、新モーツァルト全集は、この文字をそのまま採用し、脚注で「col legno」=コル・レーニョと注記している。実際の演奏風景は、アーノンクール指揮、クレメール独奏の映像でも見ることができる。

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訂正とお詫び(「パルピト」?「パールピト」?記事について)

※2016年10月28日付けの『「パルピト」?「パールピト」?』と題した記事について、訂正とお詫び>>元記事はこちら

※上記記事で私が引用し、「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、「パールピト」という歌詞割りに関して私が書いた内容は誤りであったことをご報告いたします。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

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2016年11月20日 (日)

モーバリ・レイバーン仮説(その3)

 前回、前々回に紹介したモーバリ・レイバーン仮説のその後について。

 1970年代にカラヤン/ポネルの一連の上演・録音で一般に知られるようになった第3幕の曲順変更だが、その後、1990年代になって古楽系の演奏家たちがこの仮説に従っている。CDではガーディナー盤(1993、LDもあり)、マルゴワール盤(1996)、クイケン盤(1998)がある。古楽器演奏ではないが、この種の情報に目敏いアバドの全曲録音(1994、1991のLDもあり)もある。DVD(映像)では(その2)で触れたプリッチャード盤(1973)、ベーム盤(1975-76、1980の2種)の後では、ハイティンク盤(1994)があった。またアーノンクールは、1993年録音のCDでは従来どおりの曲順だったにもかかわらず、1996年のチューリヒでの上演記録(DVD)ではモーバリ・レイバーン仮説を採用している(ユルゲン・フリム演出)。

 ところが、その後がなかなか続いていかない。最近では、2003年録音の David Parry のCD(英語歌唱)、あるいは2006年収録のパッパーノのDVDがあるくらいだろう。2000年以降は、古楽系でも採用は減っており、ヤーコプス(2003)や最近評判のクルレンツィス(2012)は、新全集どおり。さらにアーノンクールも、2006年のザルツブルク音楽祭や、こちらで触れた最新のコンサート形式での上演(2014)では、楽譜どおりの順番に戻してしまった。これらの結果から考えると、最終的にモーバリ・レイバーン仮説はフィガロ演奏の主流とはならなかった、と言えるかもしれない。

 以上は、演奏史上の話。他に文献学的に見ても、上記仮説を裏付ける資料は発見されておらず、定説とはなっていないのが現状である。ガーディナーは自身のCDおよびLDでは上記のようにモーバリ・レイバーン仮説を採用したが、それは「ドラマティックな一貫性を強化するため」の「妥協策」とはっきり書いている(ガーディナー盤に掲載されているガーディナー自身が書いた「《フィガロ》の曲順を考える」というライナーノーツから。磯山雅・訳)。さらに「アラン・タイソンは、1981年に、自筆総譜にはこの仮説を裏付ける証拠がないことを示した。」とし、根拠としてタイソンの「《フィガロの結婚》:自筆総譜からのレッスン」(The Musical Times, 122 (1981), 456-461ページ)というエッセイの名を挙げている(原題 'Le nozze di Figaro: Lessons from the Autograph Score')※1。

 ということで「百聞は一見に如かず」。モーツァルトの自筆譜を見てみよう。このオペラの第3・4幕は、2分割された自筆総譜の後編に含まれている。校訂報告書によれば、これらの楽譜はもともとばらばらなパーツに分かれており、それらは2つ折の横長用紙を2枚重ねたもの(結果、8ページ書くことができる)、あるいは2つ折の横長用紙(4ページ書き)、単葉の横長用紙(裏表2ページ書き)などの組み合わせから成っている。さらに今回話題になっている伯爵のレチタティーヴォとアリア(自筆総譜=新全集では「No.18」※2)、六重唱(同「No.19」)や、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア(同「No.20」)等は、ちょうど新しい五線紙の左端から曲を書き始め、数枚の用紙を使っていったあと、最終的に用紙の右端で曲を終えている。つまり五線紙の途中で次の曲の頭を書いていないので、このままでは曲順を入れ替えていたとしてもその判定は難しい。だが、曲頭に付けられたシーン番号等を見る限り、総譜自体の曲順は、現行の曲順どおりになっている。また、初演時(1786年5月)に発行されたリブレット(台本)がワシントンに残っているが、そのファクシミリを見ても現行と同じ順番になっている。

 さらに重要な点がある。通常、「No.19」のセステットのすぐあとに置かれるマルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォの最後に、「私たちの喜びを見て、伯爵がくたばってしまえばいい」と四重唱で歌われる部分があるが、これは第62ページの上半分に書かれている。そしてその下半分および第63ページの1、2段目にかけて、バルバリーナとケルビーノのレチタティーヴォが書かれている。つまり、この2つのレチタティーヴォは、少なくともそれらが書かれた時点でつながっていたことになる。また、この自筆総譜で圧巻なのは、このあと・・・実は、第63ページのおしまい=右端欄外にこんなことが書かれている。

「Segue l'arietta di / Cherubino. 」

 これは「ケルビーノのアリエッタが続く。」という意味。さらにその下に、

「/: dopo l'arietta / di Cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」※3

 つまり、ケルビーノのアリアのあと、シーン7:伯爵夫人の楽器伴奏付きレチタティーヴォとアリアが始まる、というわけである。ケルビーノの独唱曲は第1、第2幕にそれぞれ1曲づつあるのは「フィガロ」好きなら誰でも知っていると思う。が、第3幕のアリエッタ(小アリア)とは、初耳の方も多いだろう。ただ上記、初演時のリブレットに、なんとこの失われた曲の歌詞が掲載されている(第67ページ)。

Cherubino3

 でも、この曲が現在、存在しないのはご存知のとおり。印字されている歌詞を、<誤り>と感じた誰かが、鉛筆のようなもので消したあとが、リブレットに残されている。このまぼろしの曲との関係も、モーバリ・レイバーン仮説の是非を考えるに重要だと思われる。しかし今の僕には、まだはっきりできていないことが多過ぎる。このアリエッタについては、いずれ近いうちに新たに稿を起こして考えてみたい。

※1 ただ、これは上記タイソンのエッセイにも書かれていることだが、『フィガロ』の自筆総譜の後半部(第3・4幕)は、『魔笛』全巻などともに戦後、行方不明になってしまい、モーバリとレイバーンはそれを参照できなかった(後にポーランドで再発見されるのだが、それは新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編纂時=1973年にも間に合わなかった)。以上、お二人の名誉のために付け加えておく。
※2 曲のナンバリングは、総譜に赤いクレヨンで書かれている。これらの数字はモーツァルト自身が書いたものではないが、パート譜とも一致するので当時の上演時に遡ることができると考えられている。
※3 些細な違いだが、校訂報告書には「di cherubino, viene」の個所で、「, 」が抜けている。ファクシミリでははっきり見えるので引用者で補っておいた。

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2016年11月16日 (水)

モーバリ・レイバーン仮説(その2)

 前回ご紹介した「モーバリ・レイバーン仮説」に関する記事の続き。ロバート・モーバリとクリストファー・レイバーンが、「フィガロ」第3幕の現行の曲順は、歌手の都合でやむを得ず変更されたもので、そのためいろいろな不都合な状態がある、と推定した根拠を紹介する(つまり、現行の第3幕の曲順における難点である。以下、「Mozart's Figaro: The Plan of Act III」(1965) から自由に紹介。なお(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)

1)舞台裏で行われたはずの<裁判の場面>は、伯爵のレチタティーヴォとアリアのあいだで行われたとするには、十分な時間が与えられていない。
2)ケルビーノとバルバリーナとのあいだの会話が、劇の進行上、もっと前の位置にないと、ケルビーノが村の娘たちに交じって伯爵夫人に花を捧げるために変装したりする時間が十分に取れない。
3)スザンナは伯爵とデュエットを歌った後、すぐに伯爵夫人にそのときの様子を報告するため、夫人を探しに行ったはず。現行の曲順ではずっと後の場面までそうしていないことになる。(伯爵夫人は第8場でまだ「スザンナは遅いのね?」と言っていて、)その事実を知る度、私たちは驚かせられる。さらにフィガロの借金を穴埋めするためのお金・銀2000を、どこで調達したかがわからないという余計な疑問を引き起こしている(早い場面で伯爵夫人に会ってさえいれば、夫人にお金を工面してもらったということが想定できる)。
4)台本作家のダ・ポンテが、(彼がそう意図しなかったのなら話は別だが)数ページ早過ぎる場面でスザンナに「この出来ごとを奥様と伯父とにご報告してきます」と言わせるよう書くべきだったことは、同じようにミステリアスだ。(早すぎる場面で「報告する」と言わせたので、その結果)女主人に深い信頼を受けているスザンナが、自らの明白な勤めを論点3)に続き今回もすぐに果たさないことを私たちは信じるように仕向けられてしまう(第8場まで来ても、まだ伯爵夫人はことの成り行きをいっさい知らされていない!※1)。
5)「スザンナは遅いのね?」の場面(第19曲)から手紙の二重唱(第20曲)までのあいだに、モーツァルトはあまりに短い間隔しか許さなかった。そこに少し配慮が足りないことに対し、女性歌手たちが不満を持っていることが知られている。

 こうしたいくつかの課題・難点が、前回の記事で触れたように第7、8場を第4場と第5場のあいだに移動するということで、魔法のように解決できるというので、このモーバリ・レイバーン仮説はいかにも魅力的に映ったらしい。以後、第3幕の曲順を入れ替える演奏が現れてくるようになった。例えば、岸氏の記事にも触れられているが、セッション録音で言えば、1971年に録音されたコリン・デイヴィスの「フィガロ」全曲盤がモーバリ・レイバーン仮説を採用していて、これは最初期の例だろう※2。が、影響力から言えば、名演出家のジャン・ピエール・ポネルが、ザルツブルク音楽祭での「フィガロ」上演で採用したのが大きかったのではないだろうか(1972年7月)。しかもこのときの指揮は、帝王カラヤン。このあと同プロジェクトは1976年まで毎年再演され、さらに翌77年に実現したカラヤンのウィーン国立歌劇場への復帰公演でも取り上げられ、さらにデッカによりLPにもなった(1978年)。ちなみにカラヤンの同録音CD(POCL-2331/3)に付された石井宏氏の解説に、モーバリ・レイバーン仮説が簡潔に紹介されており、以下のような興味深い注釈が付けられている(のちにこの解説は、LONDON というレーベルで出ていた国内版LP/SLD 7001-4から転用されたものと判った)。

(なおクリストファー・レイバーンChristopher Raeburn は長年ロンドン/デッカの制作部長であり、このレコードのプロデューサーであるが、カラヤンはすでに1973年から彼の説を採用してきている。)<<引用者注・先述のように1972年からが正しいと思われる。

 これらからカラヤンのデッカへの録音が、我が国においてモーバリ・レイバーン仮説を広めたきっかけとなったのは間違いない。またカール・ベームには1975-76年に撮影した映画版「フィガロ」があり、ここでも演出はポネルが担当しているので、やはり第3幕の曲順を入れ替えている。こうした先例が1970年代にすでにあったのは事実で、岸氏が言うように1980 年のベームの来日公演が、この点で<分岐点>と呼べるものだったかどうかは微妙なところだ。ただ当該公演は、海外の一流歌劇場の本格的引っ越し公演のハシリであったのも事実で、そこでモーバリ・レイバーン仮説が採用されていたことも、決して意義のないことではないだろう。

 さてその後、この仮説の扱いはどのように推移していったろうか。その点は、また次回に。

※1 先の論点3)にも関わることだが、この場面で伯爵夫人が語っている台詞を見る限り、スザンナは伯爵と会ってから一度も報告をしにいっていないことがわかる。
※2 1973年にグラインドボーン音楽祭で収録されたプリッチャード指揮のDVDも、モーバリ・レイバーン仮説を採用していた(ピーター・ホール演出)。

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2016年11月15日 (火)

モーバリ・レイバーン仮説(その1)

 1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演で、往年の名指揮者カール・べームはモーツァルトの傑作『フィガロの結婚』を指揮した。先月末からこのサイトでは、その上演が我が国のこのオペラの受容史上、重要な「分岐点」にあたるとした岸純信氏の説について考えている(『レコード芸術』2016年11月号所収)。その文章を再掲しておこう。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(p.50)

 このうち、第1点目の「コロラトゥーラ」についてはこちらで、第3点目の「パールピト」についてはこちらで検証した。では、第2点目に挙げられている「第3幕の曲順」についてはどうだろうか、というのが今回の検証テーマである。まずは、モーツァルトのスコアどおりの曲順を示す(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)。

第1場(伯爵のレチタティーヴォ)
第2場(伯爵夫人とスザンナ、その後、伯爵とスザンナのレチタティーヴォ~第16番・伯爵とスザンナのデュエット)
第3場(フィガロとスザンナの短いレチタティーヴォ)
第4場(第17番・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18番・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(第19番・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10場(伯爵夫人とスザンナのレチタティーヴォ~第20番・伯爵夫人とスザンナのデュエット)
第11場(第21番・娘たちの合唱~バルバリーナ、伯爵夫人、スザンナのレチタティーヴォ)
第12場(アントニオ、伯爵夫人、スザンナ、伯爵、ケルビーノのレチタティーヴォ)
第13場(前場の5人にフィガロが加わったレチタティーヴォ~第22番フィナーレ)
第14場(フィナーレの続き)

 このうち第7、8場を、第4場と第5場のあいだに移動するというのが、岸氏の言う「仮説」である。実際に上記のベームの日本公演を記録したDVDを見てみると、第3幕(特に中間部)は、下記のような配列になっている(前後部分は記述省略)。

第1~3場
第4場(第17曲・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18曲・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10~14場

 これは元々、今から半世紀も前、ロバート・モーバリ(Robert Moberly)とクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)によって書かれた論文「"Mozart's Figaro: The Plan of Act III", Music & Letters, Vol. 46 No. 2 (April 1965), p.134-6」で提唱された説である。3ページほどの短いものであり、今回、勉強も兼ねて取り寄せてみた。

 その中でモーバリとレイバーンは、このオペラの第3幕について「先行する各幕に比べある箇所では劣っている(inferior)ように見える」とし、「私たちの考えるところでは、その構造上の弱点はプランの変更に伴うものと思われる」と書いている。つまり、元々の台本は彼らが提案した「第4、7、8、5、6、9場」の順であったものを、作曲の段階で変更したのでは、というのである。その理由として二人が挙げたのは、初演時、バルトロとアントニオの役をひとりの歌手が兼役していたので、第6場と第9場の間で衣装を着替える時間がなかった、というもの。そこで、モーツァルトたちは、その間に今の第7、8場にあたるシーンをあいだに挟み込むことで、バルトロ(第6場)からアントニオ(第9場)に着替える時間をかせいだ、と考えたわけである。第7場のレチタティーヴォと第8場の伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアは、このオペラの原作にあたるボーマルシェの劇にはなく、移動可能なもの(movable)だった、からでもある。

 ただその「プランの変更」が原因で、現行の曲順には劇の進行上、いくつか無理が生ずることになった、とレイバーンたちは主張する。以上、長くなったので、次回にその主張の根拠を紹介したい。

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