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2016年11月15日 (火)

モーバリ・レイバーン仮説(その1)

 1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演で、往年の名指揮者カール・べームはモーツァルトの傑作『フィガロの結婚』を指揮した。先月末からこのサイトでは、その上演が我が国のこのオペラの受容史上、重要な「分岐点」にあたるとした岸純信氏の説について考えている(『レコード芸術』2016年11月号所収)。その文章を再掲しておこう。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(p.50)

 このうち、第1点目の「コロラトゥーラ」についてはこちらで、第3点目の「パールピト」についてはこちらで検証した。では、第2点目に挙げられている「第3幕の曲順」についてはどうだろうか、というのが今回の検証テーマである。まずは、モーツァルトのスコアどおりの曲順を示す(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)。

第1場(伯爵のレチタティーヴォ)
第2場(伯爵夫人とスザンナ、その後、伯爵とスザンナのレチタティーヴォ~第16番・伯爵とスザンナのデュエット)
第3場(フィガロとスザンナの短いレチタティーヴォ)
第4場(第17番・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18番・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(第19番・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10場(伯爵夫人とスザンナのレチタティーヴォ~第20番・伯爵夫人とスザンナのデュエット)
第11場(第21番・娘たちの合唱~バルバリーナ、伯爵夫人、スザンナのレチタティーヴォ)
第12場(アントニオ、伯爵夫人、スザンナ、伯爵、ケルビーノのレチタティーヴォ)
第13場(前場の5人にフィガロが加わったレチタティーヴォ~第22番フィナーレ)
第14場(フィナーレの続き)

 このうち第7、8場を、第4場と第5場のあいだに移動するというのが、岸氏の言う「仮説」である。実際に上記のベームの日本公演を記録したDVDを見てみると、第3幕(特に中間部)は、下記のような配列になっている(前後部分は記述省略)。

第1~3場
第4場(第17曲・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18曲・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10~14場

 これは元々、今から半世紀も前、ロバート・モーバリ(Robert Moberly)とクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)によって書かれた論文「"Mozart's Figaro: The Plan of Act III", Music & Letters, Vol. 46 No. 2 (April 1965), p.134-6」で提唱された説である。3ページほどの短いものであり、今回、勉強も兼ねて取り寄せてみた。

 その中でモーバリとレイバーンは、このオペラの第3幕について「先行する各幕に比べある箇所では劣っている(inferior)ように見える」とし、「私たちの考えるところでは、その構造上の弱点はプランの変更に伴うものと思われる」と書いている。つまり、元々の台本は彼らが提案した「第4、7、8、5、6、9場」の順であったものを、作曲の段階で変更したのでは、というのである。その理由として二人が挙げたのは、初演時、バルトロとアントニオの役をひとりの歌手が兼役していたので、第6場と第9場の間で衣装を着替える時間がなかった、というもの。そこで、モーツァルトたちは、その間に今の第7、8場にあたるシーンをあいだに挟み込むことで、バルトロ(第6場)からアントニオ(第9場)に着替える時間をかせいだ、と考えたわけである。第7場のレチタティーヴォと第8場の伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアは、このオペラの原作にあたるボーマルシェの劇にはなく、移動可能なもの(movable)だった、からでもある。

 ただその「プランの変更」が原因で、現行の曲順には劇の進行上、いくつか無理が生ずることになった、とレイバーンたちは主張する。以上、長くなったので、次回にその主張の根拠を紹介したい。

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