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2017年12月 7日 (木)

1967年のマーラー・ツィクルス(その1)

 グスタフ・マーラーの作品受容において重要なきっかけとなった機会として、作曲家・音楽学者の柴田南雄氏が著書『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(岩波現代文庫、同名の岩波新書版を増補)の中で次のように書かれている。

「 マーラーについては、まず一九六〇年の生誕百年にヴィーンでは記念展覧会が、ベルリンでは主要作品の連続演奏が行われ、さらに一九六七年の「ヴィーン芸術週間」でマーラーのほぼ全作品の演奏が行われた。」(p.8-9)

 このうち、1960年のベルリンにおけるマーラー上演は、「あまり網羅的ではなく、「第一」「第二」「第三」「第九」「第十」の各交響曲と「大地の歌」を、カラヤン、マゼール、シルヴェストリ、ケーニヒらの指揮者が分担した(柴田氏)」にとどまったようだ。が、1967年の「ヴィーン芸術週間」でウィーン、コンツェルトハウスで行われたマーラー・ツィクルスは、より大規模で、しかもすべての公演・曲目が我が国の FM 放送でオンエアされたという。某巨大掲示板の「ライヴ録音総合スレ」によれば、

「NHK-FMでは  日曜日の午後の「海外の音楽」で6回にわたって放送(解説:柴田南雄、吉田秀和、大町陽一郎)され、そのうちモノが4回でステレオは2回。」

とのことで、かの吉田秀和氏も絡んでいるらしい。この記事を読んだとき、僕は吉田氏が訪日中のローリン・マゼールから、深い関係がありながらもマーラーの音楽に馴染みの薄いウィーンで、大規模なマーラー・ツィクルスが行われるという話(予定)を聞き驚いた、という逸話を書いていたのを思い出した。

「 それだけに、私は、一九六六年の秋、ベルリン・ドイツ・オペラの一行が東京に二度目の来日をしにきたとき、ある夕べ、フィッシャー=ディースカウやローリン・マゼールと食事をしながら歓談した折、マゼールの口から、来年はヴィーンの芸術祭(ヴィーンでは五月から六月にかけて開かれる)で、マーラーの全交響曲作品が、つまり交響曲はもちろん、管弦楽伴奏の歌曲のすべてを含む連続演奏会が開かれるという話を聞いて、驚いたのだった。「へえ!ヴィーンでね」「そう、ヴィーンで。《第一交響曲》はプレートルが、《第二》はバーンスタインが、ベームがヴィーン・フィルを降って、クリスタ・ルートヴィヒの歌う《さすらう若人の歌》を、《第四》はザヴァリッシュ、《第六》はクラウディオ・アバードが、《第七》はブルーノ・マデルナ、《第八》はラファエル・クーベリック。私は《第九》と、ルートヴィヒの独唱で《亡き子を偲ぶ歌》の指揮をする……」」(「表現主義的ネオ・バロック 交響曲第九番」>今は『マーラー』(河出文庫)に入っている)

 この話をなぜ憶えていたかと言えば、上記文章で吉田氏は取材ではなく歓談時の<伝聞>で書いているわりには、かなり細かく演奏者と曲目を記載していて、「なぜここまで詳しく書けたのだろう」と思った記憶があったからである。さらにこの引用文を読んだとき、「なぜ《第五》等が抜けているのだろうか」と、少し疑問に思ったことも。単にマゼールが言わなかったということもあり得る。ただその疑問について考えるとき、柴田氏の記述と比べてみると、解決の糸口が見つかる。

「当時の記録から曲目と指揮者を紹介すると『嘆きの歌』(トイリンク)、『さすらう若人の歌』(ペーム)、歌曲集『子供の魔の角笛』(プレートル)、『子供の死の歌』(マゼール)、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』(マデルナ)、交響曲では、『第1番』(プレートル)、『第2番』(バーンスタイン)、『第3番』(スワロフスキー)、『第4番』(サヴァリッシュ)、『第5番』(ソモジュ)、『第6番』(アッバード)、『第7番』(マデルナ)、『第8番』(クーベリック)、『大地の歌』(クライバー)、『第9番』(マゼール)、『第10番』のアダージョ(トイリンク)で、オーケストラはペームとバーンスタインがヴィーン・フィル、クーペリックはバイエルン放送交響楽団、他はヴィーン交響楽団とオーストリア放送交響楽団であった。」(柴田氏前掲書、p.9-10)

 吉田氏の上記文章は、元々1967年11月、つまりツィクルスの終了後に発表されている(『芸術新潮』)。おそらく氏は、放送解説のため柴田氏と同じ放送記録等を参照していただろう。そこには、ソモジュが振った『第5番』と、『大地の歌』を振った(カルロス・)クライバー、『嘆きの歌』および『第10番』アダージョを担当したトイリンクのことも記されていたはずだ。ただ、かの小クライバーもこの1967年の時点ではレコード・デビューもまだで、知名度は極めて低かったと思われる。が、「ソモジュ」「トイリンク」こちらの二人はもっと知られていなかっただろう。つまり吉田氏は、馴染みのないこれらの<名前>を省くため、上記文章ではあえて曲名を含めて書かなかったのではないだろうか。のちに有名になったクライバーは除くとして、実際、ネットで「ソモジュ」「トイリンク」という名前を指揮者として検索してみても、結局、このマーラー・ツィクルスのプログラムについて書かれた記事がヒットしてしまう。またその場合も、誰もこの二人については気にしてはいないようである。なので、この「ソモジュ」「トイリンク」問題を片付けないと先に進めないと思い、今回、この点について調べてみることにした。

 まずは『嘆きの歌』および『第10番』アダージョを担当したトイリンクから。ありそうな名前なのですぐに見つかると思ったが、意外に苦戦することに。おそらく語尾の「ク」は「ハンブルク」「ザルツブルク」などと同じで「g」と想像し、「Toyring」「Toiring」などをあたるがまったくヒットせず。あきらめかけて、試しに Amazon で「トイリンク」と日本語で打ってみたら、シェルヘン指揮のモーツァルトの「レクイエム」(Westminster 盤)がヒットした。指揮の欄に「シェルヘン(ヘルマン), トイリンク(ギュンター)」とある。合唱指揮者だろうと狙いをつけ、あたっていたら「Gunter Theuring」(「Gunter」の「u」の上に、ウムラウト=横2点あり)というスペルであることが判明。これを検索すると、「ギュンター・トイリンク」(1930 - 2016)は、果たしてウィーンを中心に活躍した指揮者・合唱指揮者だった。1959年に「Wiener Jeunesse Choir」、1973年に「Ensemble Contraste Wien」を設立。 指揮者としても、ウィーン交響楽団 、ORF放送交響楽団、ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団など国内外のオーケストラと共演したようだ(ウィーン交響楽団 、ORF放送交響楽団は、上記ツィクルスの参加オケであり、その線でもつながってくる)。落ち着いて探してみると、パレストリーナのミサ曲の録音(Westminster)があるほか、バーンスタインやアバド等の盤で合唱指揮を務めていることもわかった。我が国の合唱コンクールの審査員も務めたことがあるので、もしかして合唱界では知られた名前かもしれない。また「Bach Cantatas Website」にトイリンクのバイオグラフィーがあり、ゲヴァントハウス管弦楽団とマーラーの「第8番」を演奏したことも書かれている(※1)。

 次に「第5番」を担当した「ソモジュ」だが、この名前はいかにも日本語の音写があやしい。「ソモジー」「ショモジー」といろいろ打ち変えているうちに、「ショモギー・ラースロー」(1907 - 1988)というハンガリー出身の指揮者がいることがわかった(ハンガリーの通例に従い、姓・名の順で記している)。Wikipedia によれば、ショモギーはブダペストの生まれ。1943年からブダペスト交響楽団の設立に関わり、1945年にはハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の座をフェレンツ・フリッチャイと共に務めた。その後、1950年にブダペスト交響楽団の首席指揮者に就任したが、ハンガリー動乱の際にアメリカに亡命したという。スペルは、「Somogyi Laszlo」(Laszlo」の「a」と「o」の上に、アクサンテギュ=右傾き点あり) 。モーツァルトやベートーヴェンの交響曲のほか、お国ものであるリストやコダーイ、バルトークなどの録音があるようだ。マーラーの録音は見当たらなかったが、ブリュッセルで、マーラーの作品を早くから取り上げていたヘルマン・シェルヘンの薫陶も受けたという。なので、おそらくウィーンで「第5番」交響曲を振ったのは、このショモギーで間違いないだろうと思う(※2)。

 今回はこのあたりで。

※1 「Gunter Theuring」という名前でヒットする作品のひとつに、アーノンクールの『オルフェオ』全曲盤(彼には映像版もあるが、今回は音のみの版の方。1968年録音)がある。「Theuring」は「牧人 Pastore」1にクレジットされていて、声域はカウンターテノールとある。トイリンクが歌手だったという記録は見つけられなかったものの、上記バイオグラフィーでも元々はウィーン少年合唱団出身だったとある。アーノンクールの本拠地もウィーンであり、同姓同名とも思えないので、ここに記しておく(これについては、また追加で調べてみたい)。
※2 (2017/12/30の追記)この項の(その3)で取り上げるクライバー指揮『大地の歌』のライナーノーツを読んでいたら、このツィクルスの一部の指揮者名が書かれていた。そこには「Ladislaus Somogy No. 5.」とある。もしや「Somogyi Laszlo」ではなかったのかと思い焦ったが、「Ladislaus Somogy」の名では検索にも引っかからない。さらに調べていくと、ドイツ語や英語で「Ladislaus, Ladislas」(ラディスラウス、ラディスラス)という名前は、ハンガリー語では「Laszlo」(ラースロー)になるのだという情報が見つかった(例えば、こちら)。なので、今のところ訂正はしないでおく。

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