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2017年12月27日 (水)

1967年のマーラー・ツィクルス(その3)

 1976年にウィーンで開催された大規模なマーラー・ツィクルス。その模様を仮想的に考えるシリーズの続き。

●第7番 マデルナ指揮ウィーン響
※この演奏にも、以前イタリアで出ていた CD があり、5月27日とクレジットがある(Hunt)。 ブルーノ・マデルナは、イタリア生まれの前衛作曲家。指揮者としてとしての活動にも熱心で、マーラーでは第3、5、7(2種)、9番(2種)の Live が残っている。この点では交友のあったピエール・ブーレーズと似ている。かつて吉田秀和氏がそのブーレーズの「第7番」の録音(DG)がCD1枚に収まっていることに驚いていたが、このマデルナの録音も同じく1枚もの。ブーレーズの演奏は第4楽章が異常に速いことで有名だが、全体のタイムではこのマデルナ盤の方がブーレーズ盤より短いくらいである。特に第1楽章は20分を切っていて、これは非常に珍しい(19:02)。ただ全体が速いというわけでなく、 曲頭はむしろほの明るく、穏やかに進む。その後は緩急・強弱をはっきりつける場面が多くなり、その場合も非常に急に加速・減速するので油断ならない。展開部後半で第2主題が回想される部分の濃厚な歌、さらに再現部に入る前後からはルフトパウゼなども使いながら劇的に盛り上がる展開が目を引く。このあたり以降の奔放な指揮ぶりには正直オケがついていっていないが、無類の面白さであることは間違いない。続く第2楽章が遅めで、夢の中の出来事のように始まるのに対し、第3楽章は今度は速め、という感じで、良くも悪くも予測不能。このツィクルスでは最も異色の演奏であろう。ちなみに、ウィーン響の「第7番」は、他に1950年にシェルヘンとのウィーン Live が残っているだけ。

●第8番 クーベリック指揮バイエルン放送響
※クーベリックは、1963年にコンセルトヘボウとこの「第8番」を Live 演奏していたほか、この年の2、3月から、バイエルン放送交響楽団とマーラーの交響曲全集の録音を「第9番」からスタートさせている(DG。4年後に完成)。この時期、世界を見渡しても大作「第8番」を安心して任せられたのは、クーベリック以外にはほとんどいなかったと思われる。それは、この曲1曲のために彼の手兵込みでわざわざミュンヘンから呼び寄せられたことでもわかる。バイエルンのオケは、1967年以前はまだクレンペラーの指揮で「第2、4番」を演奏した記録があったくらいだが、前記のようにクーベリックとはすでに「第9番」のセッション録音を終えていた。また同年4、5月には、それぞれ「第3番」(Live、Audite)、「第4番」(セッション、DG)を演奏・録音している。このツィクルスでは、最も安定してマーラーを演奏することができたオケであったことは間違いない。一方、ソリストは主にウィーンを中心に活躍していた歌手たちが選ばれた。Wiener Singakademie のサイトに、詳しい演奏記録があることが判明。ソリスト名は、マルティナ・アローヨ、ゲルダ・シャイラー、リーゼ・ソレル、ルクレティア・ウェスト、ビルギット・フィニレ、ヴィレーム・プシビル、ウラジーミル・ルジャック、トゥゴミール・フランク。演奏日も、6月14日であった(>こちら)。残念ながら本ツィクルスの録音はないものの、1970年の同コンビによる正規 Live 録音が残っているので、こちらを聴いてみよう(Audite)。有名な DG によるセッション録音の前日に同じメンバー・同じ会場で行われたライヴであり、当然、表現はよく似ている。驚くほど勢いのある演奏で、速めのテンポを採り小気味好く進んでいくので、全体がCD一枚に収まっている。それでも弾き飛ばしているようなところがないのは、クーベリックならでは。第二部も厳粛な独唱に始まり、後半部は晴朗な気分に満ちた稀有な名演になっている。ただ、この1970年のソリストたちは、マティスやハマリ、フィッシャー=ディースカウなど、おそらく史上最強のメンバーが揃っていたので、その点は割り引いて考える必要があろうが。

●『大地の歌』 カルロス・クライバー指揮ウィーン響
※小クライバー唯一のマーラー(6月7日の演奏)で、彼のお気に入りであるモーツァルトの交響曲第33番 変ロ長調も同時に演奏された。かなり以前から Memories などの盤で出まわっていたので、このツィクルス中、最も有名な演奏になっていた。クライバーの演奏を集めている僕のところには Memories、Exclusive、LIVE CLASSIC ほか複数の CD があったが、2014年になってついにウィーン交響楽団の自主レーベルから正規音源として発売された。少し長くなるが、以下は発売元からの情報。「当時のクライバーは、オペラを中心に活躍していたとはいえ、まだ知名度が低く商業録音もゼロという状態でしたが、オペラの現場ではすでに評判となっており、その実力を知っていた演出家のオットー・シェンクの薦めで、ウィーン・コンツェルトハウス協会の事務局長ペーター・ヴァイザーが、シュトゥットガルトを訪れて直接クライバーに出演を依頼したという経緯で実現したのがこのコンサートでした。オットー・シェンクさまさまです。/ 指揮を引き受けたクライバーは、勉強のため、『大地の歌』のエキスパートで父の友人でもあった指揮者オットー・クレンペラーを訪ねるためチューリヒに向かいます。そこで演奏や歌手の人選についてアドバイスを受け、クレンペラーのお気に入りでもあったテノールのクメントとアルトのルートヴィヒを起用しておこなわれたのがここでの演奏ということになります。」クレンペラーを訪ねたという話が興味深いが、クレンペラーはもっぱら自分自身についての逸話を1時間話し続けただけとも伝えられている(注1)。また有名なサイト「エーリッヒ & カルロス・クライバー ページ」によれば「このコンサートは不評だった」とのことである(>こちら)。無論、好意的な批評もあったにはあったが、クライバー自身「ウィーンの演奏会の録音テープは捨ててしまったよ。」と言ったという。後年、この録音を聴く我々としては、要所要所でクライバーらしいしなやかなフレージングを聴き取ることができるし、オケの音色や響き具合に十分気を使っているところも彼らしいと感じる。が、まさにこれらの点が、ツィクルス当時のマーラー演奏としては理解し難かった(新しかった)のではないか。第4楽章で1か所、テンポが速すぎ息継ぎが遅れているところがあるが、クメント、ルートヴィヒは十分気合いの入った歌唱、どちらかと言えばオペラチックな力演で応えている。ウィーン響にはクレンペラーとのセッション録音(1950年)があったほか、Live では1954年のクレツキ、そして1964年のウィーン芸術週間でのクリップスの演奏があった。後者は、ヴンダーリヒとフィッシャー=ディースカウという最強コンビがそろった録音として、2011年に正規発売された折、大いに話題になった。

●第9番 マゼール指揮ベルリン放送響
※マゼールは計3回の全集を残すなど、偉大な「マーラー指揮者」のひとりと言える。この「第9番」も、少し時代は下るが、1回目のウィーン・フィルとの全集(Sony)の中で、1984年に録音している。全集中でも評判のよい方の演奏だし、僕は嫌いではないが、それは彼が個性派巨匠になってからの演奏と言える。ツィクルス前後のマゼールはと言えば、1965年にベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督に就任。DG や Philips にベートーヴェンの交響曲やバッハの『ミサ曲ロ短調』などを相次いで録音。まさに「俊英」と呼ぶに相応しい活躍ぶりであった。実際、この時期のマゼールの清冽な演奏に、彼の最良の時を見るファンは多い。そのベルリン放送響と入れた1968年の「第4番」がある(英 Concert Hall)。美しく高弦を歌わせるとともに、要所要所でアクセントをつけた演奏は、今聴いても魅力がある。時折、聴き慣れない金管の対旋律が浮かび上がってくるほかは、極めて瑞々しい演奏である。ウィーンでの「第9番」も、対位法的に入り組んだ旋律を器用に解きほぐしながら、観客にこの曲のすばらしさをストレートに伝えていただろう。ツィクルス当時のベルリン放送響が演奏したマーラーの交響曲としては、ロスバウトの「第7番(世界初LP)」があったほか、ウラニア・レーベルからエルネスト・ボルサムスキーという指揮者の『巨人』も出ていた(Live ではクレンペラーの「第4番」もあった)。

●第10番~アダージョ トイリンク指揮オーストリア放送(ORF)響
※「ORF響」というのは今の「ウィーン放送響」のことだが、いずれにしても当時のマーラーの演奏歴はほとんど知られていない。詳しくは(その4)の『嘆きの歌』の項であらためて調べてみたい。ただ「ORF響」が設立されたのは1969年9月なので、1967年のツィクルス時にはまだ前進の「Grosses Orchester des Österreichischen Rundfunks」だった可能性が高いのだが、これはいずれのサイトでもなぜか「ORF響」とされている。また主に合唱指揮者として活動したギュンター・トイリンクについても、ライプチヒで「第8番」を指揮したことがあったというほかは、残念ながらほとんど関連情報はない。どのような演奏だったのか僕にも想像がつかない、というのが本当のところ(注2)。そのトイリンクには、Westminster にパレストリーナの『教皇マルチェルスのミサ』を録音している。こじつけ気味だが、この「第10番」は1本の線で繋がった旋律に対位法的な声部が絡む場面が多いので、それが古い時代の合唱作品に見られる多声音楽風であることも事実なのだが。一方、最初期の演奏稿であるクルシェネク版の出版が1961年、国際マーラー協会の全集版(ラッツ校訂)の出版が1964年ということだ。なので、「第10番」のアダージョをコンサートで演奏すること自体、 1967年の時点で言えば、まだまだ試演的なイベントであったろう。トイリンクの合唱録音についても、『嘆きの歌』の項であらためて触れることにしたい。

 長くなったので、オーケストラ付き歌曲集等については、次回に。

(注1)アレクサンダー・ヴェルナーによるクライバーの伝記『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上』(音楽之友社・刊)。ちなみにこの伝記には、このコンサートのことがかなり詳しく書かれている。
(注2)Peter Fulop の『Mahler Discography』によれば、1971年8月にウィーンで「第8番」を Live 演奏した記録がある。この演奏には私家盤の録音があるというが、さすがにこれは未聴。

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