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2017年12月 4日 (月)

バルビローリのマーラー演奏まとめ(その2)

7 交響曲第7番
16)ハレ管弦楽団 、 BBCノーザン交響楽団の合同演奏 1960年
※BBC レジェンド・シリーズで出されたマンチェスターでの Live 録音。Barbirolli Society からも出たほか、<選集1>にも収録された。マーラーの交響曲の中でもパロディ性が高いと言われているこの曲が、これほど温かみを持って響くのは、サー・ジョンの人柄の為せる技だろうか。第4楽章の「夜曲」は、極めて遅い(16:16)。この楽章だけ見ると史上最遅で有名なクレンペラー盤より長いのだが、終楽章はむしろストレートに盛り上がる。曲のせいか、バルビローリのライヴの中では他の盤ほど評判になっていないような気もするが、もっと評価されていいのではないだろうか。

8 『大地の歌』
17)ハレ管 1952年
※サー・ジョンの『大地の歌』は初出! しかも、ハレ管。独唱は、キャスリーン・フェリアー。となれば、音質が悪かろうが、第1楽章冒頭(約7小節分)と第5楽章冒頭(半小節分)が切れていようが、ファンとしては聴かなければならない。以前は、イギリスのヒストリカル系レーベル APR から出ていたが、今回<選集2>に入ったおかげで、手軽に聴けるようになった。最初期のマーラー録音だけに、全体の演奏時間は64分弱と目立って遅いわけではない。が、楽節が変わるごとに大きなテンポ・ルバートをつけるとともに、速いところは速く、遅いところは遅くというように彫りの深さで際立っている。特に終楽章の後半はマーラーの書いた楽譜としても最高のページの一つだが、サー・ジョンの指揮もさらに大きな呼吸で音楽の深部に没入していく様子が記録されている。低弦の抉りといい、ヴァイオリンや木管の魅惑的な響きいい、ハレ管が最高の演奏でサー・ジョンの期待に応え、フェリアーの歌も終曲に向けますます熱を帯びる。

9 交響曲第9番
18)トリノRAI管 1960年
※イタリア製の非正規盤は複数のレーベルで出ていたし、Archipel 盤もある。国内盤としてはデルタが2010年に出した盤がある。トリノの放送局のオケなので、決してマーラーに慣れ親しんではいなかっただろう。にもかかわらず、第1楽章からオケは全力投球している。なので奏者の自発性が生み出す楽興は、この演奏に一番多く感じられる。特に第4楽章のポルタメントを多用した濃密な表情づけは、まさに圧巻。この演奏の1番の聴きものだろう。
19)ニューヨーク・フィル 1962年
※前回、第1番交響曲の時に紹介したセット物「The Mahler Broadcasts」に含まれていた演奏だが、<選集1>に含まれたので俄然聴きやすくなった。バーンスタインは1958年にNYPの常任指揮者に就任していて、すでにマーラーを録音し始めていたが、この Live の時点ではまだ第9番は収録していなかった。他の2種よりオケの響きは重く、少しスロースタート気味ではあるものの、第1楽章後半の爆発はさすがだ。第2楽章の第1レントラーはかなり遅い。しかし、その中にそこはかとなくユーモアをにじませるのが、サー・ジョンの指揮の特徴でもある。アダージョで聴ける少しざらっとした質感を持った厚い弦の響きは、このオケならでは。その濃密さが魅力の一枚。
20)ベルリン・フィル 1964年
※ここで多くを語るまでもないだろう。今でこそアバドやラトルが普通にマーラーをレパートリーにしているが、ベルリン・フィルがまだマーラー演奏に通じていなかった時期に、これほどの名演を残したのは、バルビローリただ一人である。中間楽章の切れ味のよいリズムを聴く限り、オケも指揮者も絶好調であったと思われる。しかも、ここで彼らは私心なく音楽に奉仕している。今も「演奏家」ではなく単に「マーラー」を聴きたいとき、僕はこの盤に手が伸びる。

10 『さすらう若人の歌』
21)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1967年
※以下、オーケストラ付き歌曲について簡単に触れる。24)以外は、EMI へのセッション録音である。こちらは、吉田秀和氏が「ことに後者は、目立っておそいテンポだが、この曲に関する最も美しい演奏の一つだった。」(『世界の指揮者』新潮文庫>>ちくま文庫)と評している演奏。確かに遅い! しかし第2曲の「朝の野を歩けば」 など、途中、音のないかけ声を入れたりして余裕の歌唱。サー・ジョンの自在なアゴーギクも曲に深い陰影を与えている。

11 『リュッケルトの詩による5つの歌曲』
22)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1967年
※「私はこの世に捨てられて」のみ。『さすらう若人』『亡き子』と同じ日(5月4日)に録音されている。23)よりもテンポは遅くたっぷりと歌い抜いていて、余白に入れたにしては、あまりにも名唱すぎる。特に、曲の後半、「Tempo I」に戻ってからのベイカーのピアノシモでの歌、というか祈りのような声を聴くと、僕はいつも背筋がゾクゾクするような感動をおぼえる。吉田氏が、「マーラーの歌」という文章の中で(『マーラー』河出文庫・所収) 、ベイカーの『亡き子』について触れ、「おまけに外国盤には《リュッケルト歌曲集》の一つ、〈私はこの世から消え〉が入っている。」とわざわざ注記しているのは、おそらくこちらの演奏のことだろう。これ以上の歌唱は聴いたことがないくらいの名演。
23)ジャネット・ベイカー/ニュー・フィルハーモニア管 1969年
※こちらは全5曲の演奏。「これもヴァルターとカスリーン・フェリアの組合せによる歴史的名盤とともに、マーラーのレコードの白眉だろう」(吉田秀和、同上)というにふさわしい出来。明るく軽快に始まり、曲が進むにつれ深く沈潜していく。

12 『亡き子をしのぶ歌』
24)キャスリーン・フェリアー/ハレ管 1948年
※Barbirolli Society が発掘したマンチェスター、アルバート・ホールでの Live 録音。フェリアーの『亡き子』としては、1949年のワルター盤、1951年のクレンペラー盤があるが、バルビローリ盤はそのいずれよりもずっと遅いテンポを採る。途中、今にも停まりそうになっている箇所が散見されるが、決して音楽を壊していない。まさにバルビローリの至芸と言うほかない。これを聴くと、あのクレンペラーがまだまだ「ひよっこ」に思える(笑)。ただし、録音はかなり落ちる。
25)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1969年
※バルビローリ一の融通無碍な伴奏、そしてベイカーのしっとりとした美声がいつまでも耳に残る名盤。第1曲と、そして最後の第5曲は、上記24)よりさらに遅い。またこういう時のハレ管は、抑制の効いた、しかしこの世のものと思えないほど美しい音色を奏でる。曲のすばらしさもあるけれど、好き嫌いで言えば、僕はサー・ジョンが残してくれた演奏のうち、これが一番好きかもしれない。「《亡き子を偲ぶ歌》の終曲、あの烈しい慟哭の手にとるように伝わってくる歌のあと、次第に速度をゆるめながら、ニ短調からニ長調に変わり、レントの「子守唄のように」に入ってゆくところなど、私は、フェリアー、ヴァルター盤のあまり張り切らず、ごく自然に、ごく穏やかに移ってゆき、結ばれていく扱いも悪くはないと思うけれだ、ベイカー、バルビローリ盤の、それとは逆の、苦しみの末、やっと到達した諦念のやさしい愛という趣に、いっそう惹かれるのである。」(吉田秀和「マーラーの歌」)、『マーラー』河出文庫・所収)

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