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2017年12月27日 (水)

1967年のマーラー・ツィクルス(その3)

 1976年にウィーンで開催された大規模なマーラー・ツィクルス。その模様を仮想的に考えるシリーズの続き。

●第7番 マデルナ指揮ウィーン響
※この演奏にも、以前イタリアで出ていた CD があり、5月27日とクレジットがある(Hunt)。 ブルーノ・マデルナは、イタリア生まれの前衛作曲家。指揮者としてとしての活動にも熱心で、マーラーでは第3、5、7(2種)、9番(2種)の Live が残っている。この点では交友のあったピエール・ブーレーズと似ている。かつて吉田秀和氏がそのブーレーズの「第7番」の録音(DG)がCD1枚に収まっていることに驚いていたが、このマデルナの録音も同じく1枚もの。ブーレーズの演奏は第4楽章が異常に速いことで有名だが、全体のタイムではこのマデルナ盤の方がブーレーズ盤より短いくらいである。特に第1楽章は20分を切っていて、これは非常に珍しい(19:02)。ただ全体が速いというわけでなく、 曲頭はむしろほの明るく、穏やかに進む。その後は緩急・強弱をはっきりつける場面が多くなり、その場合も非常に急に加速・減速するので油断ならない。展開部後半で第2主題が回想される部分の濃厚な歌、さらに再現部に入る前後からはルフトパウゼなども使いながら劇的に盛り上がる展開が目を引く。このあたり以降の奔放な指揮ぶりには正直オケがついていっていないが、無類の面白さであることは間違いない。続く第2楽章が遅めで、夢の中の出来事のように始まるのに対し、第3楽章は今度は速め、という感じで、良くも悪くも予測不能。このツィクルスでは最も異色の演奏であろう。ちなみに、ウィーン響の「第7番」は、他に1950年にシェルヘンとのウィーン Live が残っているだけ。

●第8番 クーベリック指揮バイエルン放送響
※クーベリックは、1963年にコンセルトヘボウとこの「第8番」を Live 演奏していたほか、この年の2、3月から、バイエルン放送交響楽団とマーラーの交響曲全集の録音を「第9番」からスタートさせている(DG。4年後に完成)。この時期、世界を見渡しても大作「第8番」を安心して任せられたのは、クーベリック以外にはほとんどいなかったと思われる。それは、この曲1曲のために彼の手兵込みでわざわざミュンヘンから呼び寄せられたことでもわかる。バイエルンのオケは、1967年以前はまだクレンペラーの指揮で「第2、4番」を演奏した記録があったくらいだが、前記のようにクーベリックとはすでに「第9番」のセッション録音を終えていた。また同年4、5月には、それぞれ「第3番」(Live、Audite)、「第4番」(セッション、DG)を演奏・録音している。このツィクルスでは、最も安定してマーラーを演奏することができたオケであったことは間違いない。一方、ソリストは主にウィーンを中心に活躍していた歌手たちが選ばれた。Wiener Singakademie のサイトに、詳しい演奏記録があることが判明。ソリスト名は、マルティナ・アローヨ、ゲルダ・シャイラー、リーゼ・ソレル、ルクレティア・ウェスト、ビルギット・フィニレ、ヴィレーム・プシビル、ウラジーミル・ルジャック、トゥゴミール・フランク。演奏日も、6月14日であった(>こちら)。残念ながら本ツィクルスの録音はないものの、1970年の同コンビによる正規 Live 録音が残っているので、こちらを聴いてみよう(Audite)。有名な DG によるセッション録音の前日に同じメンバー・同じ会場で行われたライヴであり、当然、表現はよく似ている。驚くほど勢いのある演奏で、速めのテンポを採り小気味好く進んでいくので、全体がCD一枚に収まっている。それでも弾き飛ばしているようなところがないのは、クーベリックならでは。第二部も厳粛な独唱に始まり、後半部は晴朗な気分に満ちた稀有な名演になっている。ただ、この1970年のソリストたちは、マティスやハマリ、フィッシャー=ディースカウなど、おそらく史上最強のメンバーが揃っていたので、その点は割り引いて考える必要があろうが。

●『大地の歌』 カルロス・クライバー指揮ウィーン響
※小クライバー唯一のマーラー(6月7日の演奏)で、彼のお気に入りであるモーツァルトの交響曲第33番 変ロ長調も同時に演奏された。かなり以前から Memories などの盤で出まわっていたので、このツィクルス中、最も有名な演奏になっていた。クライバーの演奏を集めている僕のところには Memories、Exclusive、LIVE CLASSIC ほか複数の CD があったが、2014年になってついにウィーン交響楽団の自主レーベルから正規音源として発売された。少し長くなるが、以下は発売元からの情報。「当時のクライバーは、オペラを中心に活躍していたとはいえ、まだ知名度が低く商業録音もゼロという状態でしたが、オペラの現場ではすでに評判となっており、その実力を知っていた演出家のオットー・シェンクの薦めで、ウィーン・コンツェルトハウス協会の事務局長ペーター・ヴァイザーが、シュトゥットガルトを訪れて直接クライバーに出演を依頼したという経緯で実現したのがこのコンサートでした。オットー・シェンクさまさまです。/ 指揮を引き受けたクライバーは、勉強のため、『大地の歌』のエキスパートで父の友人でもあった指揮者オットー・クレンペラーを訪ねるためチューリヒに向かいます。そこで演奏や歌手の人選についてアドバイスを受け、クレンペラーのお気に入りでもあったテノールのクメントとアルトのルートヴィヒを起用しておこなわれたのがここでの演奏ということになります。」クレンペラーを訪ねたという話が興味深いが、クレンペラーはもっぱら自分自身についての逸話を1時間話し続けただけとも伝えられている(注1)。また有名なサイト「エーリッヒ & カルロス・クライバー ページ」によれば「このコンサートは不評だった」とのことである(>こちら)。無論、好意的な批評もあったにはあったが、クライバー自身「ウィーンの演奏会の録音テープは捨ててしまったよ。」と言ったという。後年、この録音を聴く我々としては、要所要所でクライバーらしいしなやかなフレージングを聴き取ることができるし、オケの音色や響き具合に十分気を使っているところも彼らしいと感じる。が、まさにこれらの点が、ツィクルス当時のマーラー演奏としては理解し難かった(新しかった)のではないか。第4楽章で1か所、テンポが速すぎ息継ぎが遅れているところがあるが、クメント、ルートヴィヒは十分気合いの入った歌唱、どちらかと言えばオペラチックな力演で応えている。ウィーン響にはクレンペラーとのセッション録音(1950年)があったほか、Live では1954年のクレツキ、そして1964年のウィーン芸術週間でのクリップスの演奏があった。後者は、ヴンダーリヒとフィッシャー=ディースカウという最強コンビがそろった録音として、2011年に正規発売された折、大いに話題になった。

●第9番 マゼール指揮ベルリン放送響
※マゼールは計3回の全集を残すなど、偉大な「マーラー指揮者」のひとりと言える。この「第9番」も、少し時代は下るが、1回目のウィーン・フィルとの全集(Sony)の中で、1984年に録音している。全集中でも評判のよい方の演奏だし、僕は嫌いではないが、それは彼が個性派巨匠になってからの演奏と言える。ツィクルス前後のマゼールはと言えば、1965年にベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督に就任。DG や Philips にベートーヴェンの交響曲やバッハの『ミサ曲ロ短調』などを相次いで録音。まさに「俊英」と呼ぶに相応しい活躍ぶりであった。実際、この時期のマゼールの清冽な演奏に、彼の最良の時を見るファンは多い。そのベルリン放送響と入れた1968年の「第4番」がある(英 Concert Hall)。美しく高弦を歌わせるとともに、要所要所でアクセントをつけた演奏は、今聴いても魅力がある。時折、聴き慣れない金管の対旋律が浮かび上がってくるほかは、極めて瑞々しい演奏である。ウィーンでの「第9番」も、対位法的に入り組んだ旋律を器用に解きほぐしながら、観客にこの曲のすばらしさをストレートに伝えていただろう。ツィクルス当時のベルリン放送響が演奏したマーラーの交響曲としては、ロスバウトの「第7番(世界初LP)」があったほか、ウラニア・レーベルからエルネスト・ボルサムスキーという指揮者の『巨人』も出ていた(Live ではクレンペラーの「第4番」もあった)。

●第10番~アダージョ トイリンク指揮オーストリア放送(ORF)響
※「ORF響」というのは今の「ウィーン放送響」のことだが、いずれにしても当時のマーラーの演奏歴はほとんど知られていない。詳しくは(その4)の『嘆きの歌』の項であらためて調べてみたい。ただ「ORF響」が設立されたのは1969年9月なので、1967年のツィクルス時にはまだ前進の「Grosses Orchester des Österreichischen Rundfunks」だった可能性が高いのだが、これはいずれのサイトでもなぜか「ORF響」とされている。また主に合唱指揮者として活動したギュンター・トイリンクについても、ライプチヒで「第8番」を指揮したことがあったというほかは、残念ながらほとんど関連情報はない。どのような演奏だったのか僕にも想像がつかない、というのが本当のところ(注2)。そのトイリンクには、Westminster にパレストリーナの『教皇マルチェルスのミサ』を録音している。こじつけ気味だが、この「第10番」は1本の線で繋がった旋律に対位法的な声部が絡む場面が多いので、それが古い時代の合唱作品に見られる多声音楽風であることも事実なのだが。一方、最初期の演奏稿であるクルシェネク版の出版が1961年、国際マーラー協会の全集版(ラッツ校訂)の出版が1964年ということだ。なので、「第10番」のアダージョをコンサートで演奏すること自体、 1967年の時点で言えば、まだまだ試演的なイベントであったろう。トイリンクの合唱録音についても、『嘆きの歌』の項であらためて触れることにしたい。

 長くなったので、オーケストラ付き歌曲集等については、次回に。

(注1)アレクサンダー・ヴェルナーによるクライバーの伝記『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上』(音楽之友社・刊)。ちなみにこの伝記には、このコンサートのことがかなり詳しく書かれている。
(注2)Peter Fulop の『Mahler Discography』によれば、1971年8月にウィーンで「第8番」を Live 演奏した記録がある。この演奏には私家盤の録音があるというが、さすがにこれは未聴。

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2017年12月24日 (日)

1967年のマーラー・ツィクルス(その2)

 演奏者の目星がついたところで、1967年のマーラー・ツィクルスがどのようなものであったか考えていくことにしたい(ちなみにこのときの演奏は、一部の曲が市販CDとして一般に頒布されています。また、いわゆる非正規盤(CD-R)でも出ている曲がいくつかあり、ちょうど今年、実演から50年が過ぎ著作隣接権も切れたこともあり、その内いくつかは文章の中で触れています。ご了承ください)。

●第1番 プレートル指揮ウィーン響
※ウィーン交響楽団は、1953年にホーレンシュタインと、この「第1番」をセッション録音していた。前年にアドラー指揮による Live があったほか、1960年にクリップスとも演奏した記録がある。一方、ジョルジュ・プレートルとウィーン響とのコンビによるマーラーと言えば、近年、1991年収録の「第5番」「第6番」のライヴ録音が発掘された(Weitblick)。これらは、宇野功芳氏が絶賛したことでも大いに話題になった。ちなみにプレートルは、ウィーン交響楽団で1986~91年まで第一客員指揮者を務めたが、1989年にこの楽団を率いて来日した折には、この『巨人』も振っている(当時、テレビで放映されたという記憶があるのでご覧になった方もいるだろう)。晩年はウィーン・フィルの指揮台にもよく立っており、2007年収録の『巨人』を振った記録もあるようだ。これらはいずれも後年の演奏であり、個性的な表情づけが注目されていた。が、それよりも抒情的な部分に聴かれる上品かつ意義深い歌わせ方は、劇場で培った彼の若い時からの本領だろう。このツィクルス当時は、プレートルと聞いてドイツ物のイメージはなかったと思う。が、第1楽章あたりは明るく澄んだ音で、美しく響かせていただろうし、終楽章も色彩的な音色で飄々と駆け抜けていたのでは。(2018/1/18の追記 「補遺編・サヴァリッシュ2」で紹介させていただいた @netradio_wiki さんからウィーン交響楽団サイト中のデータベースをご教授いただいた。それによると、この演奏会の日付は、5月31日と判明した。)

●第2番 バーンスタイン指揮ウィーン・フィル
※この演奏が行われた1967年当時、ウィーン・フィルによるこの曲のセッション録音はなかったと思われる。以前にはワルターやクレンペラーとの Live 録音もあったし、直近では2年前の1965年のザルツブルク音楽祭で、アバドがこの曲を振ってデビューしていた。そういう状況の中で、このツィクルスでのバーンスタインの演奏(6月12日)が、当時のドイツの音楽雑誌によれば「聴衆に圧倒的な感銘を与えた(柴田氏)」という。バーンスタインは、当時はすでに第1回目のマーラー交響曲全集の録音に取りかかっていた。後年、DGに入れた全集録音の『復活』では、特に第1、2楽章において極めて遅いテンポにより極限まで拡大されたフォルムが目を引いたが、実は上記の第1回目の全集録音(1963年)でもすでにその傾向は顕著であった。ソリストとして名前が挙がるヒルデ・ギューデンとクリスタ・ルードヴィヒというコンビはさすがに時代を感じさせるが、当時としてはウィーン・シュターツオパーの黄金コンビというほかない(前年、ベームの指揮の『コシ・ファン・トゥッテ』で、ギューデンがフィオルディリージ、ルートヴィヒがドラベッラを歌った記録がある)。この演奏には、CD-Rながら録音記録が残っている。堂々としたテンポは上記セッション録音と同じだが、第1楽章の第2主題における猛烈に粘った歌や、第3楽章トリオ等での急な加速など、いくつもの場面でライヴならではの即興的な音楽の流れが目立つ 。指揮者の気合いは相当なもので、強奏の前には必ず「ドン」という足音が入る。合唱は、ウィーン国立歌劇場のコーラス。第5楽章で合唱が入る部分は、セッション録音でも極めて遅かったが、ここはさらに遅く感じる。そして、会場全体を包み込むような圧倒的なラスト・・・。

●第3番 スワロフスキー指揮ウィーン響
※ウィーン交響楽団の「第3番」は、当時、アドラーとのセッション録音(1953年)があっただけだ(Live としては、この録音に先立って行われたアドラーとのもの、1950年のシェルヘンとの Live がある)。ツィクルスでのソリストは「ウェスト」だったそうだが、これはマーラーのスペシャリストの一人であるアルト歌手の「ルクレティア・ウェスト」のことだろう。Wiener Singakademie のサイトにより、演奏日は6月10日であることが判明した(>こちら)。指揮のスワロフスキーは、ウィーン国立音楽大学指揮科の教授として多くの指揮者を育てたことで有名だが、ウィーン交響楽団では1946~48年に首席指揮者を務めた。このオケを振ってマーラーの「第5番」の録音(Berlin Classics)があるほか、チェコ・フィルとも「第4番」の録音を残している(Supraphon)。さらに CD-R ながら、ロサンゼルス・フィルとのこの「第3番」の録音があった。ツィクルスの2年前、1965年2月19日のライヴであり、これは我々の参考になりそうだ(リリー・チューケジアン(Ms)、ロサンゼルス・マスター・コラール女声Cho、聖チャールズ少年Cho)。弟子のアバドは師のスワロフスキーに、指揮の際、「動作は控えめにと強く言われ」たと証言している。全体に駆け出すことのない落ち着いたテンポ設計だが、ことさらに重々しくなることは注意深く避けられている。とはいえ、この演奏の眼目は第6楽章にあり、ここではロス・フィルを本気で曲に向かわせていて、稀に見る名演になっている(終演後、会場全体が「ブラボー」と叫んでいる! ただしこのライヴでは、観客は楽章の終わりごとに拍手をしているのだが)。ツィクルスとは直接関係ないが、ここでのロス・フィルが驚くほど状態が良いので調べてみると、すでに1962年に音楽監督として若きメータが就任。まさに上り調子にあったようだ。メータはこのオケでいずれマーラーを取り上げていくにあたり、師のスワロフスキーを呼んで振ってもらったのではないだろうか。そして、それが大成功に終わったので、2年後のウィーンでもスワロフスキーは「第3番」を希望したのでは、というのが僕の(勝手な)想像。

●第4番 サヴァリッシュ指揮ウィーン響
※当時、ウィーン響によるこの曲の正規録音はなし(Live では、クレンペラーとの1955年の演奏が残る)。 日本でもドイツ物の大家として有名だったサヴァリッシュだが、(いや、だからというべきか)マーラーの交響曲の録音はない!(2018年1月14日の付記 サヴァリッシュが1989年4月28日に、N響と『さすらう若者の歌』と「第4番」を演奏している記録を発見(>こちら「補遺・サヴァリッシュ1」へ)。フィッシャー=ディースカウとのマーラー歌曲集で、ピアノ伴奏をしているのが、唯一の例外。ただ、彼は『大地の歌』のピアノ稿の世界初演を、1989年5月15日に日本で行っていて、これもテレビで放送されたはずだ(サヴァリッシュのピアノ、マリャーナ・リポフシェク、エスタ・ヴィンベルイの独唱)。なので、決してマーラー嫌いということでもないのだろう。ましてやこの時期、サヴァリッシュはウィーン交響楽団の首席指揮者だったので(1960~70年)、このツィクルスに呼ばれていてもそれほど不思議ではないのだが、もしかするとオケも指揮者もほぼ初見状態だったのかもしれない。ただ、当時のサヴァリッシュの芸風から言って、「第4番」は最も振りやすかっただろう。清潔なフレージングによる、極めてさわやかなマーラーだったと想像される。ソリストは「ツァデク」だそうで、これはおそらくウィーンで活躍したヒルデ・ツァデクのことだろう。「第3番」のウェストとともに、こちらで紹介したミトロプーロス&VPOの「第8番」にも出ている(ただし、ネット上ではソプラノはハリーナ・ルコムスカだったという説もあり)。(2018/1/16の追記 「補遺・サヴァリッシュ2」に詳しく紹介したが、当演奏会のソリストは、ツァデクではなくルコムスカだった。あわせてこの「第4番」の演奏会の日付は、6月3日だったことも判明。情報提供者の「@netradio_wiki」さんに感謝!)

●第5番 ショモギー指揮ウィーン響
※ショモギーとウィーン響には Westminster に、ハイドンの交響曲を入れた LP があった(注)。彼にもマーラーの録音はないが、(その1)にも書いたように、かのシェルヘンに指揮を学んだという。シェルヘンのマーラー録音の中でも、この「第5番」はかなり特色のあることで有名だ。ライヴでは大幅にカットを入れる。さらにおそーい、おそーいアダージェット!(史上最長記録で、15分12秒かかっている)などなど。ただし、ショモギーの既存の録音を聴いてみたが、オケを軽快にドライブした真面目なものばかりなので、師匠のマーラーとは趣きが違っていただろう。ある意味、ワルター風の、古典的なフォルムの「第5番」だったのではないだろうか。あるいは、スウィトナーの同曲の演奏のような。ちなみにウィーン交響楽団には、当時、この曲のセッション録音もなかった。(2018/1/18の追記 @netradio_wiki さんからご教授いただいたウィーン交響楽団サイト中のデータベースにより、この演奏会の日付は、6月15日と判明した。)

●第6番 アバド指揮ウィーン響
※ウィーン響の「第6番」としては、1952年にアドラーによるセッション録音があった。世界初録音と言われているが、以降、頻繁な演奏があったとも思えない。こちらのツィクルスは、(1967年)5月24日の演奏。うれしいことに、この演奏にはCDがある(かつては Hunt から出ていたが、現在は Memories が復刻し、一般のCDサイトでも買える)。恩師スワロフスキーの推薦だったのだろうか。上記のようにアバドはこの2年前にやはりマーラーの『復活』でザルツブルク音楽祭にデビューしていて、それに続く本場での大舞台ということになる。後年の超一流オケを振った時のような洗練こそ見られないが、オケをコントロールする力はこのツィクルスの他の演奏以上に感じられる。晩年のアバドの演奏ではアンダンテを第2楽章に置くことになるが、ここではまだスケルツォのまま。この楽章は驚くほど速いテンポで始まるが、その勢いは他ではあまり聴くことができないほどだ。アンダンテでの厚い響きも、聴き応えがある。バーンスタインのように会場を興奮の坩堝に化すようなスケール感こそないが、若きアバドの底に秘めた気迫が感じられる好演。

 以下の曲は、次回に。

(注)本ブログのリンク集に登録のある Daisy さんのサイト「ハイドン音楽倉庫」に、この交響曲集(第89番・90番)の詳細なレビューがありますので、ぜひご覧ください。なんとショモギー(ソモジ)のプロフィールも! 余談だがショモギーの代表盤として Westminster にバレンボイムとベートーヴェンのハ短調協奏曲(第3番)を録音している盤があって、これは名盤だ(オケはウィーンのシュターツオパー管弦楽団)。若き日のバレンボイムが、こんなにいいピアニストだったなんて(笑)。

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2017年12月 7日 (木)

1967年のマーラー・ツィクルス(その1)

 グスタフ・マーラーの作品受容において重要なきっかけとなった機会として、作曲家・音楽学者の柴田南雄氏が著書『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』(岩波現代文庫、同名の岩波新書版を増補)の中で次のように書かれている。

「 マーラーについては、まず一九六〇年の生誕百年にヴィーンでは記念展覧会が、ベルリンでは主要作品の連続演奏が行われ、さらに一九六七年の「ヴィーン芸術週間」でマーラーのほぼ全作品の演奏が行われた。」(p.8-9)

 このうち、1960年のベルリンにおけるマーラー上演は、「あまり網羅的ではなく、「第一」「第二」「第三」「第九」「第十」の各交響曲と「大地の歌」を、カラヤン、マゼール、シルヴェストリ、ケーニヒらの指揮者が分担した(柴田氏)」にとどまったようだ。が、1967年の「ヴィーン芸術週間」でウィーン、コンツェルトハウスで行われたマーラー・ツィクルスは、より大規模で、しかもすべての公演・曲目が我が国の FM 放送でオンエアされたという。某巨大掲示板の「ライヴ録音総合スレ」によれば、

「NHK-FMでは  日曜日の午後の「海外の音楽」で6回にわたって放送(解説:柴田南雄、吉田秀和、大町陽一郎)され、そのうちモノが4回でステレオは2回。」

とのことで、かの吉田秀和氏も絡んでいるらしい。この記事を読んだとき、僕は吉田氏が訪日中のローリン・マゼールから、深い関係がありながらもマーラーの音楽に馴染みの薄いウィーンで、大規模なマーラー・ツィクルスが行われるという話(予定)を聞き驚いた、という逸話を書いていたのを思い出した。

「 それだけに、私は、一九六六年の秋、ベルリン・ドイツ・オペラの一行が東京に二度目の来日をしにきたとき、ある夕べ、フィッシャー=ディースカウやローリン・マゼールと食事をしながら歓談した折、マゼールの口から、来年はヴィーンの芸術祭(ヴィーンでは五月から六月にかけて開かれる)で、マーラーの全交響曲作品が、つまり交響曲はもちろん、管弦楽伴奏の歌曲のすべてを含む連続演奏会が開かれるという話を聞いて、驚いたのだった。「へえ!ヴィーンでね」「そう、ヴィーンで。《第一交響曲》はプレートルが、《第二》はバーンスタインが、ベームがヴィーン・フィルを降って、クリスタ・ルートヴィヒの歌う《さすらう若人の歌》を、《第四》はザヴァリッシュ、《第六》はクラウディオ・アバードが、《第七》はブルーノ・マデルナ、《第八》はラファエル・クーベリック。私は《第九》と、ルートヴィヒの独唱で《亡き子を偲ぶ歌》の指揮をする……」」(「表現主義的ネオ・バロック 交響曲第九番」>今は『マーラー』(河出文庫)に入っている)

 この話をなぜ憶えていたかと言えば、上記文章で吉田氏は取材ではなく歓談時の<伝聞>で書いているわりには、かなり細かく演奏者と曲目を記載していて、「なぜここまで詳しく書けたのだろう」と思った記憶があったからである。さらにこの引用文を読んだとき、「なぜ《第五》等が抜けているのだろうか」と、少し疑問に思ったことも。単にマゼールが言わなかったということもあり得る。ただその疑問について考えるとき、柴田氏の記述と比べてみると、解決の糸口が見つかる。

「当時の記録から曲目と指揮者を紹介すると『嘆きの歌』(トイリンク)、『さすらう若人の歌』(ペーム)、歌曲集『子供の魔の角笛』(プレートル)、『子供の死の歌』(マゼール)、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』(マデルナ)、交響曲では、『第1番』(プレートル)、『第2番』(バーンスタイン)、『第3番』(スワロフスキー)、『第4番』(サヴァリッシュ)、『第5番』(ソモジュ)、『第6番』(アッバード)、『第7番』(マデルナ)、『第8番』(クーベリック)、『大地の歌』(クライバー)、『第9番』(マゼール)、『第10番』のアダージョ(トイリンク)で、オーケストラはペームとバーンスタインがヴィーン・フィル、クーペリックはバイエルン放送交響楽団、他はヴィーン交響楽団とオーストリア放送交響楽団であった。」(柴田氏前掲書、p.9-10)

 吉田氏の上記文章は、元々1967年11月、つまりツィクルスの終了後に発表されている(『芸術新潮』)。おそらく氏は、放送解説のため柴田氏と同じ放送記録等を参照していただろう。そこには、ソモジュが振った『第5番』と、『大地の歌』を振った(カルロス・)クライバー、『嘆きの歌』および『第10番』アダージョを担当したトイリンクのことも記されていたはずだ。ただ、かの小クライバーもこの1967年の時点ではレコード・デビューもまだで、知名度は極めて低かったと思われる。が、「ソモジュ」「トイリンク」こちらの二人はもっと知られていなかっただろう。つまり吉田氏は、馴染みのないこれらの<名前>を省くため、上記文章ではあえて曲名を含めて書かなかったのではないだろうか。のちに有名になったクライバーは除くとして、実際、ネットで「ソモジュ」「トイリンク」という名前を指揮者として検索してみても、結局、このマーラー・ツィクルスのプログラムについて書かれた記事がヒットしてしまう。またその場合も、誰もこの二人については気にしてはいないようである。なので、この「ソモジュ」「トイリンク」問題を片付けないと先に進めないと思い、今回、この点について調べてみることにした。

 まずは『嘆きの歌』および『第10番』アダージョを担当したトイリンクから。ありそうな名前なのですぐに見つかると思ったが、意外に苦戦することに。おそらく語尾の「ク」は「ハンブルク」「ザルツブルク」などと同じで「g」と想像し、「Toyring」「Toiring」などをあたるがまったくヒットせず。あきらめかけて、試しに Amazon で「トイリンク」と日本語で打ってみたら、シェルヘン指揮のモーツァルトの「レクイエム」(Westminster 盤)がヒットした。指揮の欄に「シェルヘン(ヘルマン), トイリンク(ギュンター)」とある。合唱指揮者だろうと狙いをつけ、あたっていたら「Gunter Theuring」(「Gunter」の「u」の上に、ウムラウト=横2点あり)というスペルであることが判明。これを検索すると、「ギュンター・トイリンク」(1930 - 2016)は、果たしてウィーンを中心に活躍した指揮者・合唱指揮者だった。1959年に「Wiener Jeunesse Choir」、1973年に「Ensemble Contraste Wien」を設立。 指揮者としても、ウィーン交響楽団 、ORF放送交響楽団、ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団など国内外のオーケストラと共演したようだ(ウィーン交響楽団 、ORF放送交響楽団は、上記ツィクルスの参加オケであり、その線でもつながってくる)。落ち着いて探してみると、パレストリーナのミサ曲の録音(Westminster)があるほか、バーンスタインやアバド等の盤で合唱指揮を務めていることもわかった。我が国の合唱コンクールの審査員も務めたことがあるので、もしかして合唱界では知られた名前かもしれない。また「Bach Cantatas Website」にトイリンクのバイオグラフィーがあり、ゲヴァントハウス管弦楽団とマーラーの「第8番」を演奏したことも書かれている(※1)。

 次に「第5番」を担当した「ソモジュ」だが、この名前はいかにも日本語の音写があやしい。「ソモジー」「ショモジー」といろいろ打ち変えているうちに、「ショモギー・ラースロー」(1907 - 1988)というハンガリー出身の指揮者がいることがわかった(ハンガリーの通例に従い、姓・名の順で記している)。Wikipedia によれば、ショモギーはブダペストの生まれ。1943年からブダペスト交響楽団の設立に関わり、1945年にはハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の座をフェレンツ・フリッチャイと共に務めた。その後、1950年にブダペスト交響楽団の首席指揮者に就任したが、ハンガリー動乱の際にアメリカに亡命したという。スペルは、「Somogyi Laszlo」(Laszlo」の「a」と「o」の上に、アクサンテギュ=右傾き点あり) 。モーツァルトやベートーヴェンの交響曲のほか、お国ものであるリストやコダーイ、バルトークなどの録音があるようだ。マーラーの録音は見当たらなかったが、ブリュッセルで、マーラーの作品を早くから取り上げていたヘルマン・シェルヘンの薫陶も受けたという。なので、おそらくウィーンで「第5番」交響曲を振ったのは、このショモギーで間違いないだろうと思う(※2)。

 今回はこのあたりで。

※1 「Gunter Theuring」という名前でヒットする作品のひとつに、アーノンクールの『オルフェオ』全曲盤(彼には映像版もあるが、今回は音のみの版の方。1968年録音)がある。「Theuring」は「牧人 Pastore」1にクレジットされていて、声域はカウンターテノールとある。トイリンクが歌手だったという記録は見つけられなかったものの、上記バイオグラフィーでも元々はウィーン少年合唱団出身だったとある。アーノンクールの本拠地もウィーンであり、同姓同名とも思えないので、ここに記しておく(これについては、また追加で調べてみたい)。
※2 (2017/12/30の追記)この項の(その3)で取り上げるクライバー指揮『大地の歌』のライナーノーツを読んでいたら、このツィクルスの一部の指揮者名が書かれていた。そこには「Ladislaus Somogy No. 5.」とある。もしや「Somogyi Laszlo」ではなかったのかと思い焦ったが、「Ladislaus Somogy」の名では検索にも引っかからない。さらに調べていくと、ドイツ語や英語で「Ladislaus, Ladislas」(ラディスラウス、ラディスラス)という名前は、ハンガリー語では「Laszlo」(ラースロー)になるのだという情報が見つかった(例えば、こちら)。なので、今のところ訂正はしないでおく。

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2017年12月 4日 (月)

バルビローリのマーラー演奏まとめ(その2)

7 交響曲第7番
16)ハレ管弦楽団 、 BBCノーザン交響楽団の合同演奏 1960年
※BBC レジェンド・シリーズで出されたマンチェスターでの Live 録音。Barbirolli Society からも出たほか、<選集1>にも収録された。マーラーの交響曲の中でもパロディ性が高いと言われているこの曲が、これほど温かみを持って響くのは、サー・ジョンの人柄の為せる技だろうか。第4楽章の「夜曲」は、極めて遅い(16:16)。この楽章だけ見ると史上最遅で有名なクレンペラー盤より長いのだが、終楽章はむしろストレートに盛り上がる。曲のせいか、バルビローリのライヴの中では他の盤ほど評判になっていないような気もするが、もっと評価されていいのではないだろうか。

8 『大地の歌』
17)ハレ管 1952年
※サー・ジョンの『大地の歌』は初出! しかも、ハレ管。独唱は、キャスリーン・フェリアー。となれば、音質が悪かろうが、第1楽章冒頭(約7小節分)と第5楽章冒頭(半小節分)が切れていようが、ファンとしては聴かなければならない。以前は、イギリスのヒストリカル系レーベル APR から出ていたが、今回<選集2>に入ったおかげで、手軽に聴けるようになった。最初期のマーラー録音だけに、全体の演奏時間は64分弱と目立って遅いわけではない。が、楽節が変わるごとに大きなテンポ・ルバートをつけるとともに、速いところは速く、遅いところは遅くというように彫りの深さで際立っている。特に終楽章の後半はマーラーの書いた楽譜としても最高のページの一つだが、サー・ジョンの指揮もさらに大きな呼吸で音楽の深部に没入していく様子が記録されている。低弦の抉りといい、ヴァイオリンや木管の魅惑的な響きいい、ハレ管が最高の演奏でサー・ジョンの期待に応え、フェリアーの歌も終曲に向けますます熱を帯びる。

9 交響曲第9番
18)トリノRAI管 1960年
※イタリア製の非正規盤は複数のレーベルで出ていたし、Archipel 盤もある。国内盤としてはデルタが2010年に出した盤がある。トリノの放送局のオケなので、決してマーラーに慣れ親しんではいなかっただろう。にもかかわらず、第1楽章からオケは全力投球している。なので奏者の自発性が生み出す楽興は、この演奏に一番多く感じられる。特に第4楽章のポルタメントを多用した濃密な表情づけは、まさに圧巻。この演奏の1番の聴きものだろう。
19)ニューヨーク・フィル 1962年
※前回、第1番交響曲の時に紹介したセット物「The Mahler Broadcasts」に含まれていた演奏だが、<選集1>に含まれたので俄然聴きやすくなった。バーンスタインは1958年にNYPの常任指揮者に就任していて、すでにマーラーを録音し始めていたが、この Live の時点ではまだ第9番は収録していなかった。他の2種よりオケの響きは重く、少しスロースタート気味ではあるものの、第1楽章後半の爆発はさすがだ。第2楽章の第1レントラーはかなり遅い。しかし、その中にそこはかとなくユーモアをにじませるのが、サー・ジョンの指揮の特徴でもある。アダージョで聴ける少しざらっとした質感を持った厚い弦の響きは、このオケならでは。その濃密さが魅力の一枚。
20)ベルリン・フィル 1964年
※ここで多くを語るまでもないだろう。今でこそアバドやラトルが普通にマーラーをレパートリーにしているが、ベルリン・フィルがまだマーラー演奏に通じていなかった時期に、これほどの名演を残したのは、バルビローリただ一人である。中間楽章の切れ味のよいリズムを聴く限り、オケも指揮者も絶好調であったと思われる。しかも、ここで彼らは私心なく音楽に奉仕している。今も「演奏家」ではなく単に「マーラー」を聴きたいとき、僕はこの盤に手が伸びる。

10 『さすらう若人の歌』
21)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1967年
※以下、オーケストラ付き歌曲について簡単に触れる。24)以外は、EMI へのセッション録音である。こちらは、吉田秀和氏が「ことに後者は、目立っておそいテンポだが、この曲に関する最も美しい演奏の一つだった。」(『世界の指揮者』新潮文庫>>ちくま文庫)と評している演奏。確かに遅い! しかし第2曲の「朝の野を歩けば」 など、途中、音のないかけ声を入れたりして余裕の歌唱。サー・ジョンの自在なアゴーギクも曲に深い陰影を与えている。

11 『リュッケルトの詩による5つの歌曲』
22)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1967年
※「私はこの世に捨てられて」のみ。『さすらう若人』『亡き子』と同じ日(5月4日)に録音されている。23)よりもテンポは遅くたっぷりと歌い抜いていて、余白に入れたにしては、あまりにも名唱すぎる。特に、曲の後半、「Tempo I」に戻ってからのベイカーのピアニシモでの歌、というか祈りのような声を聴くと、僕はいつも背筋がゾクゾクするような感動をおぼえる。吉田氏が、「マーラーの歌」という文章の中で(『マーラー』河出文庫・所収) 、ベイカーの『亡き子』について触れ、「おまけに外国盤には《リュッケルト歌曲集》の一つ、〈私はこの世から消え〉が入っている。」とわざわざ注記しているのは、おそらくこちらの演奏のことだろう。これ以上の歌唱は聴いたことがないくらいの名演。
23)ジャネット・ベイカー/ニュー・フィルハーモニア管 1969年
※こちらは全5曲の演奏。「これもヴァルターとカスリーン・フェリアの組合せによる歴史的名盤とともに、マーラーのレコードの白眉だろう」(吉田秀和、同上)というにふさわしい出来。明るく軽快に始まり、曲が進むにつれ深く沈潜していく。

12 『亡き子をしのぶ歌』
24)キャスリーン・フェリアー/ハレ管 1948年
※Barbirolli Society が発掘したマンチェスター、アルバート・ホールでの Live 録音。フェリアーの『亡き子』としては、1949年のワルター盤、1951年のクレンペラー盤があるが、バルビローリ盤はそのいずれよりもずっと遅いテンポを採る。途中、今にも停まりそうになっている箇所が散見されるが、決して音楽を壊していない。まさにバルビローリの至芸と言うほかない。これを聴くと、あのクレンペラーがまだまだ「ひよっこ」に思える(笑)。ただし、録音はかなり落ちる。
25)ジャネット・ベイカー/ハレ管 1969年
※バルビローリ一の融通無碍な伴奏、そしてベイカーのしっとりとした美声がいつまでも耳に残る名盤。第1曲と、そして最後の第5曲は、上記24)よりさらに遅い。またこういう時のハレ管は、抑制の効いた、しかしこの世のものと思えないほど美しい音色を奏でる。曲のすばらしさもあるけれど、好き嫌いで言えば、僕はサー・ジョンが残してくれた演奏のうち、これが一番好きかもしれない。「《亡き子を偲ぶ歌》の終曲、あの烈しい慟哭の手にとるように伝わってくる歌のあと、次第に速度をゆるめながら、ニ短調からニ長調に変わり、レントの「子守唄のように」に入ってゆくところなど、私は、フェリアー、ヴァルター盤のあまり張り切らず、ごく自然に、ごく穏やかに移ってゆき、結ばれていく扱いも悪くはないと思うけれだ、ベイカー、バルビローリ盤の、それとは逆の、苦しみの末、やっと到達した諦念のやさしい愛という趣に、いっそう惹かれるのである。」(吉田秀和「マーラーの歌」)、『マーラー』河出文庫・所収)

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