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2018年1月 9日 (火)

1995年の Mahler Feest(その2)

 Mahler Feest の次なる指揮者はベルナルト・ハイティンク。第2、3番の2曲を演奏しているが、これは Feest 前半のハイライトだったろう。またその間に、トーマス・ハンプソンによる歌曲リサイタルも連日行われているという贅沢さである。

●5/5『交響曲第2番』 ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管
※指揮者にとっては、かつての主兵との演奏となるが、Feest 以前におけるコンセルトヘボウ管の「復活」は、ハイティンクを除けば1951年のクレンペラーの Live くらいしか思いあたらない(フェリアー独唱による唯一の盤として有名)。一方、ハイティンクの「復活」は正規盤だけで8種もあるそうだが、コンセルトヘボウ管とは首席指揮者時代の全集録音と Live の2種があった。1995年の Feest における Live は、このオケとは3回目、全体では7番目の録音にあたる。数年前に、1995年2月にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、ドレスデンのゼンパーオーパーで収録されたコンサートの Live 録音が発売されたが、この Feest はそれに続く演奏ということになる。実際、ソリストの、シャルロット・マルジオーノ(S)、ヤルド・ファン・ネス(CA)は、両 Live とも共通であった(注1)。ドレスデン盤はハイティンクの穏健なイメージに似合わない意欲的な指揮が大いに注目された。Feest の演奏もより引き締まった造形ながら、かつての主兵を前に第1楽章の第二主題では弦に大きめのルバートをかけるなど、彼にしては動きのある指揮ぶりだ。展開部後半でもかなり加速していく箇所がある。一方、再現部の第二主題部以降はじっくりと腰を落として歌い抜く。以下の楽章も非常に音楽的な演奏で、弦のピチカートなどではコンセルトヘボウのホール・トーンの美しさが際立つ。終楽章の後半、合唱が入ってくる箇所からは、バーンスタイン並みにゆったりとした進行の中、決して派手ではないが、まさにひたひたと波が寄せるように、会場全体に感動が広がっていく様子が捉えられている。合唱は、オランダ放送合唱団。

●5/6『子どもの不思議な角笛』『若き日の歌』 ハンプソン(Br)、ヴォルフラム・リーガー(Pf)
※トーマス・ハンプソンによるピアノ伴奏による「角笛」は、他に2種ある(注2)。また『若き日の歌』にもピアノ伴奏盤がある(注3)。Feest で歌われたのは、「夏の歌い手交替<若>」「高い知性への賛歌」「魚に説教するパドゥアの聖アントニウス」「ラインの伝説」「不幸なときのなぐさめ」/「外へ!外へ!<若>」「たくましい想像力<若>」「もう会えない!<若>」「歩哨の夜の歌」「シュトラスブルクの砦に<若>」「レヴェルゲ」/「塔の中の囚人の歌」「少年鼓手」「トランペットが美しく鳴り響くところ」「浮き世の生活」「天井の生活」「原光」(/をつけた箇所で区切って歌われた。『若き日の歌』所収の曲には<若>と追記した。)の全17曲。ハンプソンの歌は、現代を代表するマーラー歌手の名に恥じない正統的なものだろう。皮肉や諧謔性はほどほどにして深い声で朗々と歌っていた以前の録音と同じコンセプトとはいえ、自己顕示的なところはなく、曲の良さがよく伝わってくる。セットごとに調子を上げ、次第に緩急の対比が際立ってきて、「外へ!外へ!」の最後では身振りも加えたのか、会場の笑いを誘っている。一方、「歩哨の夜の歌 」では、途中の幻想場面が非常に遅くなるので、全体で7分弱もかかっている。有名な「レヴェルゲ」以下、曲への没入度が高まり、当日の観客とともに我々はマーラー歌曲の奥深い森にいざなわれていく。最後に、交響曲第4番に使われた「天井の生活」、同じく交響曲第2番に使われた「原光」という一見女声向きの曲を歌っているが、これは非常に珍しい。

●5/7『交響曲第3番』 ハイティンク指揮ウィーン・フィル
※ハイティンクは、「復活」の演奏から1日置いて、今度はウィーン・フィルと「第3番」に挑む。ともに声楽(独唱・合唱)を含む大曲だけに、なかなかのハード・スケジュールであったろう。とはいえ、これは大変な名演で、僕個人としてはウィーン・フィルによるマーラー交響曲全集(その1)という記事でもこの演奏を挙げたかったくらいだ。ウィーン・フィルによる「第3番」は非常に少なく、1995年当時はバーンスタイン(映像全集)、マゼール(全集)、アバドくらいしかなかった。曲はウィンナ・ホルンの斉唱に始まり、意外にも弾むようなリズムで迫力満点に進んでいく。その中でもウィーン・フィルの持つ美感がいかなる場面でも最大限活かされており、この点はまさに壮観というほかない。なので、長大なスケールを持つこの楽章が短く感じられるほどだ。実際、ハイティンクの演奏でこれほど推進力を感じさせる演奏も稀で、これはウィーン・フィルと組んだ効果だろう。それだけに、終楽章においては、やや遅めのテンポで息長く歌う弦がいかにも清らかに、安らかに響く。ソリストはこちらも「第2番」と同じネス(CA)。合唱は、オランダ放送合唱団の女声部と聖バーヴォ大聖堂少年合唱団が担当している(注4)。

●5/7『亡き子をしのぶ歌』『さすらう若者の歌』『リュッケルトによる歌曲集』 ハンプソン(Br)、ヴォルフラム・リーガー(Pf)
※1995年の5月7日はちょうど日曜日にあたっている。なので交響曲のコンサートと、ピアノ伴奏による歌曲リサイタルが行われている。つまり、どちらかがマチネー・コンサートで行われたのだろう。ハンプソンによるマーラー歌曲集は、バーンスタイン指揮によるオーケストラ伴奏版(DG)が有名だが、ピアノ伴奏版も録音している(注5)。Feest のリサイタルでは、深く沈潜するような遅い伴奏に始まり、ハンプソンも言葉を置くようにそっと歌い出す「亡き子」がまず出色だ。全体に翌年録音のCDよりもテンポも遅い。途中、歌が高揚していくが、間奏ではまた静まっていく。全体としてピアノ伴奏の繊細さは、ちょっと言葉では言い表せない。「若者」や「リュッケルト」 では少し動きも出るし、絶望的な叫びがホールをつんざく場面もあるとはいえ、全体の傾向は同じである。実際、前者の第2曲「朝の野を歩けば」は颯爽と始まるのだが、途中から停まるようなテンポになりちょっと驚く。リサイタルの最後には、「リュッケルト」から「私はこの世に忘れられ」を静かに、静かに歌い終え、満場の喝采をもらう。その後、短いスピーチがあり、同じ曲集からマーラーがアルマのために書いたという「美しさのゆえに愛するなら」を、アンコール的に、こちらはさらりと歌って、自身が「アドヴェンチャー」と呼んだ2日間連続のリサイタルを終えている。

(注1)ネスは、1984年のクリスマスマチネー Live 以降、Feest 時まで、上記8回の録音のうち5回までもハイティンクの「復活」で歌っている 。アメリンク、マクネアー、そしてこのネス。ハイティンクは、深みよりは透明さを選ぶ傾向にあるようだ。
(注2)1991、1993年にパーソンズの伴奏で全12曲(Teldec)を録音していた。2001年にも Feest と同じリーガーの伴奏で7曲をパリ、シャトレ座で Live 映像収録(TDK Music)している。 なお、オーケストラ伴奏版も、ティルソン=トーマス盤など数種ある。
(注3)1989年にパーソンズの伴奏で5曲(Teldec)、1992年にルッツの伴奏で4曲、それぞれ録音していた。また2001年に上記シャトレ座 Live で5曲(TDK Music)録音している。オーケストラ伴奏版では、ベリオ指揮のものが上記ルッツのピアノ伴奏盤と同じディスクに11曲入っている。
(注4)あくまで「ちなみに」だが、Feest のハイティンクの演奏等にはCD-R盤やネット動画でも聴くことができるものがある。
(注5)「亡き子」は、1996年にリーガー(EMI)と録音している。「若者」は、1992年に上記と同じルッツ(Teldec)と録音していたほか、1996年にリーガーと録音している。「リュッケルト」は、1996年にリーガー(EMI)と、さらに2005年にリーガー(Orfeo)と Live 録音している。

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