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2018年1月27日 (土)

1995年の Mahler Feest(その3)

●5/8『リュッケルトの詩による歌曲』 ムーティ指揮ウィーン・フィル
※1995年のアムステルダムで、ウィーン・フィルは引き続きムーティとの演奏会に臨む。ムーティにはマーラーを振るというイメージはあまりなく、「第1番」のセッション録音(EMI、1984年) とルートヴィヒとの「リュッケルト」のLD映像(1992年)があるくらいだ。今回のソリストは、米国出身のメゾ・ソプラノ、ジェニファー・ラーモア。歌劇場を中心に活躍していて、マーラーは録音していない。どちらかと言えばロッシーニやベルカント物のイメージが強く、どのように歌うのか興味深いところだ。確かに前半はテンポも速めで割となめらかに歌っているが、4曲めの「真夜中に」あたりからは、ソプラノでは出せないしっとりとした声が、沈み込むような雰囲気を醸し出し始める。ムーティもまさに入神のサポートぶりで、「私はこの世に忘れられ」の後半部では、終始「ピアニッシモ」で「エスプレッシーヴォ」という至難の指示に、ラーモアともども果敢に挑んでいて、これは聴衆も固唾をのんで聴き入っている。最後のところ、3回くりかえすうちの2回目の「in meinem Lieben」という歌詞の部分では、「pp」の指定にもかかわらず高い音域になるせいか思わず強く歌ってしまう歌手が多い。その点、あふれ出ようとする感情をあえて内に秘めたラーモアの歌唱からは、静かな感動が広がる。ウィーン・フィルの「リュッケルト」は、個別曲では有名なフェリアー/ワルター以下、結構残されているが、1995年以前の全曲(5曲入り)となると、メータ(Live)、バーンスタイン、ブーレーズ、そして上記ムーティ(映像)くらいか。

●5/8『交響曲第4番』 ムーティ指揮ウィーン・フィル
※ウィーン・フィルの「第4番」は、マゼール(全集)、バーンスタイン(映像全集および2回目の全集)、アバドくらいしかなかった。このムーティ指揮の演奏は、「ここがこう、あそこがどう」と言うより、全体として極めて完成度の高い演奏である。特にテンポの切り替えがスムーズで、その点ではこの曲の演奏の中でもトップクラスを行く。第2楽章スケルツォの主部は、グロテスクな要素やパロディー性は薄い純音楽的な演奏。代わりに副主題のテーマが、まるでウィンナ・ワルツのように優雅に響く。続く第3楽章では、ウィーン・フィルの弦が寂しげなメロウな音色でゆったりと歌う。一方、終結部近くの強奏部はさすがの迫力で、ホールいっぱいに音響が鳴り響いている。ソリストはバーバラ・ボニーに交替する。ボニーの出番はたった一楽章という贅沢さだが、確か5月2日に『子どもの不思議な角笛』を歌ったハーゲゴールとは当時、夫婦だったはずなので、一緒に Feest に参加していたのかもしれない。彼女の方はオペラ以外にも 宗教曲やリートなどもよく歌っていて、1999年にはシャイーの全集でこの曲のソロを録音している。相変わらずリリックな美しい声である。ややリート寄りの歌い方だが、子どもにおとぎ話を聞かせるようなインティメートな語り口が好ましい。

●5/9『子どもの不思議な角笛』 アバド指揮ベルリン・フィル
※1995年5月9日、ついに Feest にベルリン・フィルが登場。指揮をするのは、当時の芸術監督であったアバドである。ソリストもアンネ・ゾフィー・フォン・オッターと、連日、大物が続く。彼女はのちにアバドと同曲集を録音することになる(DG, 1998年)。歌ったのは、「ラインの伝説」「浮世の生活」「この歌を作ったのは誰?」「高い知性への賛歌」「トランペットが美しく鳴り響くところ」の5曲。知的な歌いぶりは変わらないが、ここではまだ初々しさの残る幾分素直な歌いぶり。 実際に、彼女の声も最高に美しかった時期だ。逆に「ラインの伝説」「浮世の生活」などでは、アバドの指揮がセッション録音より緩急の変化を大胆につけているところもあって、面白い。「高い知性への賛歌」を声色を自在に変えてユーモラスに歌ったあとの「トランペットが美しく鳴り響くところ」は、極めて静かで優しい歌いぶりが心に沁みる。伴奏ともにこの曲の名演の一つで、個人的には同曲のベスト歌唱と言いたい。1995年当時、ベルリン・フィルの「角笛」は、1962年にリヒャルト・クラウスが振ったもの以外には見あたらない。

●5/9『交響曲第5番』 アバド指揮ベルリン・フィル
※1995年当時、ベルリン・フィルの「第5番」は、カラヤン、ハイティンクがあったほか、アバドも1993年に録音していた。この直近の録音と解釈等は大きく変わっていないが、Feest の場合は第一楽章の葬送行進曲や第2楽章の第2主題などは、アバドの演奏にしては、やや茫洋とした音響で歌っていく。実際、前半部分は陰鬱な雰囲気が支配的であるが、そこに時折、ベルリン・フィルの華やかな音色が、冬の花火のようにきらめく、といった風情である。この Feest には、『CONDUCTING MAHLER』というリハーサル演奏を収めたDVD(Frank Scheffer監督、IDEALE AUDIENCE)が出ている。そこで、この曲の第1、2楽章をいつものように全力で弾き始めるベルリン・フィルに向かって、アバドがそれぞれ「ステファン、ソロが大きすぎる。やりすぎるな。かなり強い。昨日はホールで聴いたけど、ここでは、そこまでやる必要がない。(注1)」「フォルテだからってそこまで強くしないでいい。ちょうど良い人もいるけど、全体的にもっとやわらげないと。弦楽器が大きすぎる。攻撃的すぎる。」とやや不機嫌に告げている様子が写っている。ここからは、アバドがコンセルトヘボウのよく響く音響に気を使っている様子がわかる。アダージェットは、頂点部以外は極限に近く静かな演奏(この演奏風景(部分)は上記DVDのタイトルバックになっている)。続くロンド=フィナーレはベルリン・フィルの機能性を活かし颯爽と進んでいくが、切っ先が早い、というか「ため」がないため、この曲に壮大なドラマを期待する向きにはやや不満かもしれないとも思う。

(注1)ということは、アバドはムーティの演奏会(か、リハーサル)を聴いたのだろう。ところで、ここで名前が出ている「ステファン」とは誰だろう。1993年に首席ホルン奏者になった、シュテファン・ドールのことだろうか。

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