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2018年1月29日 (月)

リラ・オルガニザータという楽器はどんな音がしたか(その2)

 前回は「リラ・オルガニザータ」という楽器の概要をお伝えした。早速、表題どおり「どんな音がしたか」をハイドンのリラ楽曲の音源等で聴いていきたいと思うのだが、正直、それはかなり少ない。世界中のハイドン音楽を集めている『ハイドン音楽倉庫』Daisy さんのサイトでも、リラ・オルガニザータを使用したとされる盤は、協奏曲で2枚、協奏曲(2曲)とノットゥルノ(3曲)で2枚、という2つのシリーズしか見つからなかった。

 まずは協奏曲で、ヒューゴ・ルフ(Hugo Ruf)のリラ・オルガニザータ、シュツットガルト・ソロイスツの演奏(『ハイドン音楽倉庫』さんの紹介記事はこちら>HOS)。ハイドンのリラ・オルガニザータ協奏曲2曲(Hob.VIIh:2、VIIh:4)が収録されている。こちらは、LP時代にパイオニアから2枚の国内版LPで出されていた全曲集からのCD化(※1)。日本盤LPのシリーズ名も「ヴォックス楽器博物館」であ理、元々は Vox 原盤であったと思われる。海外では、Vox 系のTurnabout レーベルでも出ていた。

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 ただ、このハイドンの協奏曲は2台のリラ用であるにも関わらず、リラの演奏者としてはフーゴ・ルーフ(LPの表記)しかクレジットされていない。(その1)にも書いたように、リラ(・オルガニザータ)は、メロディとしては単音しか出せない楽器である。もしかしてルーフ一人で多重録音したのかと考えていたが、実物のLPを手に入れてみると、そこに答えがあった。

「●このレコードの使用楽器について
 18世紀以降、小型の手廻しオルガンが、クランクを廻すというメカニックの類似からドレーライエルにちなんでライエルカステンと呼ばれた。英語のハーディ・ガーディの用語法にも同じ変化がみられる。このレコードでは、ヴィオラ・ダ・ガンバを受け持っているヨハネス・コッホが復元したライエルカステンが演奏に用いられている(写真2)。したがって、リラ・オルガニザータの擦弦楽器としての機能はこの楽器には含まれていない。また、送風装置が電気化されているので、一人の奏者によって演奏されている。リラ・オルガニザータは、弦かパイプのどちらかがだけでも演奏されることができたので、このレコードは、パイプだけで演奏した音色を再現しているということになろう。(解説=大久保一)」

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(パイオニアLP、H-5023V から。上の写真1が、オルゲルライエル=リラ・オルガニザータ、下の写真2が演奏に使われたライエルカステン)

 ということで、基本的にフーゴ・ルーフ/シュツットガルト・ソロイスツ盤の演奏では、箱形の電動小型オルガンの一種が使われていたことがわかった(カステンとは箱の意味)。演奏・音については、Daisy さんの「冒頭からリラ・オルガニザータのサーカスの手回しオルガンのような音色とそれにマッチしたコミカルなメロディが独特の雰囲気にいきなり引き込みます。」との評にもあるように、ストリート・オルガンのような素朴な音が聴こえている。上記LPにおける大久保一氏の解説では、「リラ・オルガニザータは、弦かパイプのどちらかがだけでも演奏されることができたので、このレコードは、パイプだけで演奏した音色を再現している」とある(※2)。さて、これはどうだろう。

 (その1)で調べたとき、この楽器には、
1)メロディー弦
2)ボルドゥン(ドローン)弦
3)2段のオルガン・パイプ
という3種の発音部があると書いた。このうち2)については、ボルドゥン(ドローン)弦をホイールに触れないように離すため、楽器の側面に 引っかけておく止め具があった。また、3)についても1段と2段のオクターヴ違いの音、もしくは1オクターブ上の音だけを出すこともできたという(※3) 。さらに「一種のストップによって、弦とパイプとの接合を遮断して、弦だけを鳴らせることもできた(大宮真琴氏『ハイドン全集の現場から 新しい音楽学の視点(音楽之友社・刊) 』)」という。しかしこれは素人考えだが、1)のメロディー弦だけ鳴らすのは上記ストップでできたとして、3)のオルガンだけ鳴らすのはできただろうか。1)のメロディー弦にも、2)のボルドゥン(ドローン)弦のようにホイールと接触しないように外す機能があったのだろうか。この点については、上記、大宮氏の浩瀚な本にも記載がなく、僕は正直、半信半疑であった。ただ、もう一種のリラ(・オルガニザータ)使用音源である「コワン&アンサンブル・バロック・ド・リモージュ」盤の解説にもヒントがあったので、この盤を紹介したときにもう一度、この話題に帰ってこよう。

 最後に参考までに、フーゴ・ルーフ/シュツットガルト・ソロイスツ盤に記載された楽器編成を記しておく。リラ(ライエルカステン)1、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1、ヴィオラ・ダ・ガンバ1、ホルン2。独奏楽器対オーケストラという形でなく、ハイドンが書いたオリジナルとほぼ同じ編成で録音していることには、その録音年代も考えると頭が下がる思いだ。ソロ・アルバムも多いスザーネ・ラウテンバッハー率いる弦も、さすがに伸びやかで気持ちがいい。

※1 LPとCDでは演奏者等は同じだが、なぜか録音年が違う。LPは「1965年10月」、CDは「1970」。ちなみに僕の耳には両者は同じ演奏に聴こえるので、再録音ではないと思う。ちなみに全5曲のCDは、格安全集セットで有名な Brilliant Classics から出ている「ハイドン・エディション」(全150枚組)に収められていた。>>現在は全160枚組になって再発売されており、これにはありがたいことに新たに8つの「ノットゥルノ」というリラ楽曲も含まれた。Disc143-144「ナポリ王のための8つのノットゥルノ」ウィーン・コンツェルト・フェライン(orfeo原盤)。ただし、こちらはリラは使われていないフルート&オーボエ版の演奏。
※2 これについては、CBS/SONYから出ているランパル&ピエルロがソロを務めた『ハイドン フルートとオーボエのためのコンチェルト集』(リラ協奏曲の別バージョン)のCD解説にも、「従って演奏者は弦かパイプのいずれかを奏することも、両方を鳴らすことも出来た。(高橋昭氏)」とある。
※3 ただし、オルガン・パイプからの音については、弦より2オクターヴ高いとする文献(ド・ブリュクヴィユ《ヴィエルに関する記述》)もある。

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2018年1月28日 (日)

リラ・オルガニザータという楽器はどんな音がしたか(その1)

 ヨーゼフ・ハイドンは77年の生涯で、千曲に近いと言われているくらい膨大な数の楽曲を書いているが、その中には現在ではほとんど使われていない珍しい楽器のための曲も含まれている。例えば、「バリトン」という楽器。これはヴィオラ・ダ・ガンバにも似た独特な形を持った弦楽器で、ハイドンはこの楽器を好んだニコラウスI世の求めに応じて、126曲ものトリオ(バリトンとヴァイオリンまたはヴィオラとチェロ)をはじめ、二重奏、ディベルティメント、協奏曲などを作曲した。また、「リラ・オルガニザータ」という特殊な弦楽器についても、ナポリ王のフェルディナントIV世からの注文で5曲の協奏曲、8曲のノットゥルノを残している。先に紹介した「リステンパルトのハイドン演奏まとめ(その2)」という記事の中で、3曲のノットゥルノについて触れたが、それはいずれもリラ・オルガニザータを他の楽器で置き換えたヴァージョンであった。今回は、あらためてオリジナルのリラ・オルガニザータについて書いてみたい。

 さて、まず「リラ・オルガニザータ」とはどういう楽器だろう。CDの解説などでは、一般にハーディー・ガーディの変種・一種で、そこに小さなオルガン機能が組み込まれていると書かれているものが多い。「ハーディー・ガーディ」なら、名前を聞いたことがある方もいらっしゃるだろう。これはちょうどヴィオラのような大きさの弦楽器だが、弓は使わない。胴体に円形のホイールを取り付け、クランク(ハンドル)を回すことでホイールを回転させ、それが弦をこすって音を出す。ギターのように首から紐で下げて抱えるか、膝の上に置いて構え、右手でホイールに連動したクランクを回したようだ。メロディー弦は1本またはユニゾンで調律された2本で、音程を変えるためには振動する弦の長さを変える必要があるが、それはヴァイオリンのように指で押さえるのではなく、弦の奥側・下側に設けた鍵盤(キー)を左手で押すことで弦長を短くするという。なぜピアニカみたいに、上側・手前側に鍵盤がないのか不明だが、演奏風景を見るとどうやらピアノ等のように上から押す仕様でなく、左手の指を手前側に引いてキーを押し込むような弾き方になるようだ。構造上、当然ながら単音しか出ない。ただし、楽器の両側面に2本づつ計4本のボルドゥン(ドローン)弦が別に着いていて、いわゆる「ドローン」=単音で変化の無い長い音を流すこともできる。この機能を使うとバグパイプのような感じの音になる。楽器と演奏風景については、こちらの「MK@ハーディーガーディー奏者」という方のツイッターにある画像(向かって左)が、一番わかりやすいのではと思い、紹介させていただきます(ちなみに Wikipedia のハーディー・ガーディの項目もかなり詳しい)。

 一方、「リラ・オルガニザータ」は、その名前からも類推できるように、上記の「リラ」に小型のオルガン・パイプを2段取り付けたものと言われている。ホイールを回すハンドルにふいごが連動していて、空気を送り込みむことで、弦と同じピッチの音、さらに1オクターブ上の音を鳴らすことができるという。パイプやふいごを組み込むことで、楽器の幅はかなり厚くなる。想像だがおそらくこの時点では、もはやギターのように首から下げて弾くことはできなかったのではないだろうか。

 ところで、新ハイドン全集のリラ楽曲の校訂を担当された日本の大宮真琴氏が、自ら監修・録音したLPレコード『ヨーゼフ・ハイドン ノットゥルノ全集』があり、その解説文にはこうある。

「3.楽器 リラ・オルガニザータ Lira organizzata
 リラ・オルガニザータという楽器は、こんにちでは実際には使用されず、博物館のなかでしか見ることができない。ナポリの王宮跡のカポディモンテ(Capodimonte)博物館には、王家のために製作された見事なリラ・オルガニザータが、2台所蔵されている。
 リラ、もしくはリラ・オルガニザータは、イタリア語によるこの楽器の呼びかたであり、英語ではハーディ・ガーディ(Hurdy-gurdy)、ドイツ語ではドレーライアー(Drehleier)、もしくは、ラートライアー(Radleier)と呼ばれ、フランス語ではヴィエール(Vielle)、または、とくにオルガンパイプつきの楽器は、ヴィエル・オルガニゼー(Vielle organisee)と呼ばれた。」

 ただここで注意したいのは、実際に上記・大宮氏の文章にあるナポリの博物館に残っているという2台の楽器には、「オルガニジトリ(Organisitri)」と表示されているのだが、オルガン装置は装着されていないのだという(大宮氏による新ハイドン全集の「オルゲルライヤー協奏曲」の巻の「序言」※1)。当時、ナポリ駐在のオーストリア公使館付参事官であったノルベルト・ハドラヴァという人物が、他の作曲家に送ったリラ楽曲の作曲を依頼する手紙や、あるいは当時のナポリ関係の文書記録に、「オルガンつきの2台のライアー」「(国王の)お気に入りの楽器であるリラ・オルガニザータ」という記述が複数見られる。なので、ナポリ王宮で「リラ・オルガニザータ」が演奏されていたのは事実だろう 。だが、ハイドンが作曲の際に想定してた楽器が、どのようなものであったかについては、はっきりとはわかっていないというのが本当のところ。ハイドン自身も、ノットゥルノ「Hob. II : 31」 の自筆スコアでは、表紙には「2 lire」、楽器表示には「Lira」、同「Hob. II : 27」楽器表示には「Lira」とだけ書いている。あるいは他の筆記者が写した協奏曲「Hob. VIIh : 5」の総譜表紙に、自筆で「Concert per la Lira」とだけ書き込んでいる。もしかすると、オルガン機能がついた楽器自体、見たことも聞いたこともなかった可能性もある(※2)。ではなぜハイドンが、「リラ・オルガニザータ」用の協奏曲やノットゥルノを書いたと言われているかと言えば、
1)協奏曲のうち「Hob. VIIh : 4」(エステルハージに残るパート譜)と「Hob. VIIh : 3」(同総譜)には、それぞれ他の筆記者の手で「Concert per le Lira Organisato」「Concert / per la Lira Organizata」とあること。
2)上記のように他の作曲家に作曲依頼があったように、ハイドンにも同じような依頼がナポリ側から依頼があったと推定されること。
という状況証拠が挙げられるくらいである。

 長々と書いてきたが、今日のところは、「ハイドンのリラ(・オルガニザータ)の楽曲」と一口に行っても、楽器の想定でさえなかなか一筋縄ではいかないところがあるということが言いたかったわけである。それが次回から見ていく演奏実戦での錯綜にもつながっていくのだが・・・

※1 この報告は、大宮真琴氏の著作『ハイドン全集の現場から 新しい音楽学の視点』(音楽之友社・刊)にも記載があるが、参照先が校訂報告書(Ohmiya 1976B)となっているので注意が必要。正しくは、全集楽譜(Ohmiya 1976A)。
※2 オワゾリールのCD『8 Nocturnes』につけられたアンソニー・ショートの解説。

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2018年1月27日 (土)

1995年の Mahler Feest(その3)

●5/8『リュッケルトの詩による歌曲』 ムーティ指揮ウィーン・フィル
※1995年のアムステルダムで、ウィーン・フィルは引き続きムーティとの演奏会に臨む。ムーティにはマーラーを振るというイメージはあまりなく、「第1番」のセッション録音(EMI、1984年) とルートヴィヒとの「リュッケルト」のLD映像(1992年)があるくらいだ。今回のソリストは、米国出身のメゾ・ソプラノ、ジェニファー・ラーモア。歌劇場を中心に活躍していて、マーラーは録音していない。どちらかと言えばロッシーニやベルカント物のイメージが強く、どのように歌うのか興味深いところだ。確かに前半はテンポも速めで割となめらかに歌っているが、4曲めの「真夜中に」あたりからは、ソプラノでは出せないしっとりとした声が、沈み込むような雰囲気を醸し出し始める。ムーティもまさに入神のサポートぶりで、「私はこの世に忘れられ」の後半部では、終始「ピアニッシモ」で「エスプレッシーヴォ」という至難の指示に、ラーモアともども果敢に挑んでいて、これは聴衆も固唾をのんで聴き入っている。最後のところ、3回くりかえすうちの2回目の「in meinem Lieben」という歌詞の部分では、「pp」の指定にもかかわらず高い音域になるせいか思わず強く歌ってしまう歌手が多い。その点、あふれ出ようとする感情をあえて内に秘めたラーモアの歌唱からは、静かな感動が広がる。ウィーン・フィルの「リュッケルト」は、個別曲では有名なフェリアー/ワルター以下、結構残されているが、1995年以前の全曲(5曲入り)となると、メータ(Live)、バーンスタイン、ブーレーズ、そして上記ムーティ(映像)くらいか。

●5/8『交響曲第4番』 ムーティ指揮ウィーン・フィル
※ウィーン・フィルの「第4番」は、マゼール(全集)、バーンスタイン(映像全集および2回目の全集)、アバドくらいしかなかった。このムーティ指揮の演奏は、「ここがこう、あそこがどう」と言うより、全体として極めて完成度の高い演奏である。特にテンポの切り替えがスムーズで、その点ではこの曲の演奏の中でもトップクラスを行く。第2楽章スケルツォの主部は、グロテスクな要素やパロディー性は薄い純音楽的な演奏。代わりに副主題のテーマが、まるでウィンナ・ワルツのように優雅に響く。続く第3楽章では、ウィーン・フィルの弦が寂しげなメロウな音色でゆったりと歌う。一方、終結部近くの強奏部はさすがの迫力で、ホールいっぱいに音響が鳴り響いている。ソリストはバーバラ・ボニーに交替する。ボニーの出番はたった一楽章という贅沢さだが、確か5月2日に『子どもの不思議な角笛』を歌ったハーゲゴールとは当時、夫婦だったはずなので、一緒に Feest に参加していたのかもしれない。彼女の方はオペラ以外にも 宗教曲やリートなどもよく歌っていて、1999年にはシャイーの全集でこの曲のソロを録音している。相変わらずリリックな美しい声である。ややリート寄りの歌い方だが、子どもにおとぎ話を聞かせるようなインティメートな語り口が好ましい。

●5/9『子どもの不思議な角笛』 アバド指揮ベルリン・フィル
※1995年5月9日、ついに Feest にベルリン・フィルが登場。指揮をするのは、当時の芸術監督であったアバドである。ソリストもアンネ・ゾフィー・フォン・オッターと、連日、大物が続く。彼女はのちにアバドと同曲集を録音することになる(DG, 1998年)。歌ったのは、「ラインの伝説」「浮世の生活」「この歌を作ったのは誰?」「高い知性への賛歌」「トランペットが美しく鳴り響くところ」の5曲。知的な歌いぶりは変わらないが、ここではまだ初々しさの残る幾分素直な歌いぶり。 実際に、彼女の声も最高に美しかった時期だ。逆に「ラインの伝説」「浮世の生活」などでは、アバドの指揮がセッション録音より緩急の変化を大胆につけているところもあって、面白い。「高い知性への賛歌」を声色を自在に変えてユーモラスに歌ったあとの「トランペットが美しく鳴り響くところ」は、極めて静かで優しい歌いぶりが心に沁みる。伴奏ともにこの曲の名演の一つで、個人的には同曲のベスト歌唱と言いたい。1995年当時、ベルリン・フィルの「角笛」は、1962年にリヒャルト・クラウスが振ったもの以外には見あたらない。

●5/9『交響曲第5番』 アバド指揮ベルリン・フィル
※1995年当時、ベルリン・フィルの「第5番」は、カラヤン、ハイティンクがあったほか、アバドも1993年に録音していた。この直近の録音と解釈等は大きく変わっていないが、Feest の場合は第一楽章の葬送行進曲や第2楽章の第2主題などは、アバドの演奏にしては、やや茫洋とした音響で歌っていく。実際、前半部分は陰鬱な雰囲気が支配的であるが、そこに時折、ベルリン・フィルの華やかな音色が、冬の花火のようにきらめく、といった風情である。この Feest には、『CONDUCTING MAHLER』というリハーサル演奏を収めたDVD(Frank Scheffer監督、IDEALE AUDIENCE)が出ている。そこで、この曲の第1、2楽章をいつものように全力で弾き始めるベルリン・フィルに向かって、アバドがそれぞれ「ステファン、ソロが大きすぎる。やりすぎるな。かなり強い。昨日はホールで聴いたけど、ここでは、そこまでやる必要がない。(注1)」「フォルテだからってそこまで強くしないでいい。ちょうど良い人もいるけど、全体的にもっとやわらげないと。弦楽器が大きすぎる。攻撃的すぎる。」とやや不機嫌に告げている様子が写っている。ここからは、アバドがコンセルトヘボウのよく響く音響に気を使っている様子がわかる。アダージェットは、頂点部以外は極限に近く静かな演奏(この演奏風景(部分)は上記DVDのタイトルバックになっている)。続くロンド=フィナーレはベルリン・フィルの機能性を活かし颯爽と進んでいくが、切っ先が早い、というか「ため」がないため、この曲に壮大なドラマを期待する向きにはやや不満かもしれないとも思う。

(注1)ということは、アバドはムーティの演奏会(か、リハーサル)を聴いたのだろう。ところで、ここで名前が出ている「ステファン」とは誰だろう。1993年に首席ホルン奏者になった、シュテファン・ドールのことだろうか。

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2018年1月21日 (日)

2017年まとめ

 2017年の忘備録かわりのまとめ記事。

 昨年末、ある日、急に僕が過去に書いた「クルレンツィスの『ドン・ジョヴァンニ』」 という記事にアクセスが集中するという日があった。調べてみると、『レコード芸術』誌が恒例の「レコードアカデミー賞」を発表する1月号が発刊されていて、クルレンツィス/ムジカエテルナによるチャイコフスキー『悲愴』が大賞をとっていた。そのことで、「クルレンツィス」とネット検索した方が急増したためと想像された。なんと大賞銀賞にも、僕が上記記事で絶賛したモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』も入選していて、まさに2017年を席巻した感じである。この『悲愴』(Sony)は僕も早々と注文を出していたが、それが裏目に出て「<輸入盤2017年10月27日発売Teodor Currentzis 『Tchaikovsky: Symphony No.6』(8898540435-2)に関するお詫びとお知らせ> 」にあるように交換対象となってしまった口である(泣)。最近、やっと交換手続きを終え、さっそく年始休みに聴いてみたが、確かにすごい演奏ではある。おそらくオケを徹底してしごいた結果だろうと思うが、クルレンツィス+『悲愴』なら「当然、こういう方向性になる」と先回りして期待してしまっていた自分もいて、この先、彼らがどうそうした我々の期待を裏切って!いくのか、その点がさらに興味深いところだ。

 余談ながら、同じようにソプラノ歌手のラケル・アンドゥエサについて書いた記事「新時代の歌姫 -- ラケル・アンドゥエサ」にもアクセスが急増した夜(12月14日)があって、これは2016年の6月7日に東京・王子ホールで収録された彼女のリサイタルが、2017年の年末になってNHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」で放送された日、と判明した。放送自体、僕は仕事で聴けなかったが、多くの方がその声、歌いぶりを聴かれて驚嘆されたのではないだろうか(12月28日早朝のBSでも流れたらしい)。

 時代の流れだろう。Facebook や Twitter で演奏家自らが発言される機会が多くなっている。例えば、「10月21日に行ったオーケストラ・リベラ・クラシカ第40回定期演奏会」について、Orchestra Libera Classica (OLC) の Facebook アカウントが、「モーツァルトの交響曲第40番をブライトコプフ・ウント・ヘルテル社が2014年に出版した楽譜に準拠して演奏しました。こちらのサイトで紹介されている「第1稿改訂版」(公演プログラムでは「第1稿・第3段階」と紹介)が今回演奏した版にあたります。 Hidemi Suzuki and Orchestra Libera Classica played on the concert last Saturday Mozart's Symphony No.40 "1st version , 3rd stage" based on the score published in 2014 by Breitkopf und Härtel. / http://www.academia-music.com/shopdetail/000000112942/」と書かれていた。この演奏会の模様は NHK・TV でも放送されたようだが、最新の原典版が複数の資料を混交し<決定稿>なるものを作るのではなく、このようにそれぞれの段階の稿を複数用意するようになったのは非常に良い傾向だろう。バッハの『ヨハネ受難曲』や一部のカンタータで、カールス社が複数の稿を出しているのはその典型で、つまりは原典版と言えども万能ではないということだろう。また最近は「自筆譜至上主義者」とでもいうような方などもいて、それだけを眺めて「ほかは全部誤り」みたいな物言いをする人も結構いる。その意味ではいつも書いているように校訂報告こそが大事で、そういった認識がますます広がることを心から期待している。余談ながら、上記 OLC の発言にもリンクされているアカデミア・ミュージック社で、僕もK.550 のブライトコプフ新版を買っているのだが、この「アカデミア」が各種新刊楽譜の情報を日本語で!いち早く我々に伝えてくれている役割は大きい。「アカデミア」は2017年にちょうど創業以来70年を迎えた老舗だが、月刊で出していた詳細なカタログ「アカデミア・ニュース」が2018年から隔月刊になるという。厳しい環境の中でも、ぜひ頑張っていただきたい。

 CDでは何があっただろうか。楽譜からみで言えば、上記カールス社が2016年に出したモーツァルトの『ミサ曲ハ短調 K.427』の新版に基づく演奏が、当の Carus レーベルから出た(フリーダー・ベルニウス指揮シュトゥットガルト室内合唱団、シュトゥットガルト・ホフカペレ)。この新版では、指揮者のベルニウスと、バッハ研究で有名なU・ヴォルフが補筆している。今回は「クレド」にはトランペットとティンパニを加筆しているが、「エト・インカルナートゥス・エスト」の2段の空きスペースに一対のホルンを加えることはしていない。女声ソリストのヴィブラートがごく稀に気になるが、シュトゥットガルト室内合唱団の透明な歌声は非常にすばらしい。あと発掘物で言えば、『ナンシー・ストレースのためのアリア集~サリエリ、モーツァルト、パイジェッロ、他』もおもしろい企画だった(Coviello)。ドイツ出身のソプラノ歌手マリー=ゾフィー・ポラークが、リリックな声でのびのびと歌っている。ナンシー・ストレースは、「フィガロ」初演でスザンナを歌ったイギリス人歌手。一昨年末に出た『Mozart & The Weber Sisters / モーツァルト・アリア集~ウェーバー三姉妹』(Erato/Warner)などもそうだが、こういうモーツァルトと交流のあった歌手たちをフィーチャーした企画は、もっと聴いてみたい。あるいは、ポラークも上記アリア集の中で歌っているマルティーン・イ・ソレルの『椿事 Una cosa rara』など、「フィガロ」と人気を競ったということで名前だけは有名なので、そろそろ全曲新盤が聴きたい。あるいは、『魔笛』と同時期のジングシュピールとか。

 コンサート映像やハイレゾ音源のネット配信も進んだ反面、LPレコードの復権も話題になった。メディアの多様化が進み、状況はますます混沌としてきている。が、やはり肝心なのは、<中身>=コンテンツであろう。その意味では、2018年も演奏法・レパートリーともに、新しい試みがどんどんと進むことを期待したい。

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2018年1月20日 (土)

リステンパルトのハイドン演奏まとめ(その2)

 リステンパルトのハイドン録音について、自宅にある盤や最近買った盤等を整理している。今回は、交響曲以外の曲。

 例によって、「Les Discophiles Francais」レーベルに録音したモノラル録音のシリーズから。

1)フルート協奏曲、2つのホルンのための協奏曲、オーボエ協奏曲 Les Discophiles Francais, DF 730.061
※ランパルが吹いたフルート協奏曲とピエルロが吹いたオーボエ協奏曲が1954年、アンドレ・フルニエとジルベール・クルジエ(クールシェ)による2つのホルンのための協奏曲が1955年の録音と言われている。今となっては、ハイドン偽作三部作という感じであるものの、我々としては古典派ならではの簡素かつ優美な曲に、虚心なく耳を傾ければ良いだろう。当時の管楽器は国ごとに特徴があって、フランスのそれは概して軽め、かつ華やかな音がした。かの国の往年の名手たちは、演奏そのものもいかにも軽やかで耳に心地よい。特に、2ホルン協奏曲は曲も楽しいし、演奏もベストに近いのではないか。それぞれに10インチ盤もあった(フルート、2ホルン、オーボエの順に、EX 25053、EX 25077、EX 25026)。交響曲の項でも触れたが、無印盤のほかジャケット表に「connaissance de la musique」と記されたシリーズも出ている。また、3曲とも前回(その1)の注で触れた Forgotten Record からCD-Rとして出ているほか、各国 Amazon や iTunes Store において MP3 音源も購入可能だ。余談ながら、ランパルとピエルロは後年、ヤーノシュ・ローラとそれぞれの協奏曲を再録音している(Sony)。また、クルジエも2ホルン協奏曲を再録音している(Erato、下記4)参照)

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2)ノットゥルノ第1番 Les Discophiles Francais, EX 17.040
※こちらは33回転・7インチ盤で、「NOTTURNO No1 EN DO MAJEUR」と1曲だけがクレジットされている。「第1番」というと「第1番ハ長調、Hob II : 25」 のように取れるが、実際に収録されているのは、現在「第4番ハ長調、Hob II : 31」と分類されている曲である。オリジナルは、2台のリラ・オルガニザータ、2クラリネット、2ホルン、ヴィオラ、バッソ(=チェロ)という編成であった(注1)。この盤では、のちにハイドンがロンドン(2回めの旅行)で同曲を演奏したときの編成に従い、ランパルのフルート、ピエルロのオーボエに、2ヴァイオリン、2ホルン、2ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成で録音されている。ソロの2人以外は名前がないが、ザール室内管のメンバーであったと思われる。無論、後述のステレオ盤のようなレンジ感は出ないものの、楽器の音色はよく録れているし、ランパルはやはりうまい。第3楽章では、ピエルロと絶妙なかけあいを見せる。この盤は、今回紹介した中ではやや珍しいかもしれない。前記 Forgotten Record が、「交響曲第7、21、48番」の復刻版CDにボーナス的に入れてくれたので、これを手に入れるのがいいかもしれない(ただし、表記は「Hob 2/25 」と間違い)。

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 次は、ステレオ盤から。

3)オルガン協奏曲(ハ長調)、ノットゥルノ第2番、協奏交響曲、ノットゥルノ第6番 Le club francais du disque, CFD 278
※交響曲編でも登城した「Le club francais du disque」盤から。オルガン協奏曲は、現在「第1番ハ長調、Hob XVIII : 1」と呼ばれている曲で、ソリストはヴェルナーのバッハ録音等でもおなじみのエヴァ・ヘルダーリン。このLPで聴くポジティブ・オルガンの音色は宝石でも散らすかのように美しいし、豊かな残響を伴った録音も優れている。現在ではホグウッドやコープマンなど、古楽器による優れた録音も出ているが、リステンパルト盤の余裕と豊かな響きには抗いがたいものがある。協奏交響曲は、「第105番、Hob I : 105」で変ロ長調。ヘンデル(ヴァイオリン)、ベティ・ ヒンドリクス(チェロ)、ヴィンシャーマン(オーボエ)、ジャック・オルティエ(バソン)というソリスト陣である。重厚さこそないが、バソン・フランセ等の音がいかにも鄙びた感じでなつかしい。ノットゥルノは2つあり、最初のものは「No 2」との表記だが、現在では「第3番ハ長調、Hob II : 32」と分類されている曲の方である。オリジナル編成は2台のリラ・オルガニザータ、2クラリネット、2ホルン、ヴィオラ、バッソ。このLPではロンドン版によっていて、2台のリラ・オルガニザータをフルート2本に、2クラリネットを2ヴァイオリンに置き換えている(コントラバスも追加)。本来、第2楽章アンダンテは、(くりかえしなしで)67小節あるが、ロンドンでの演奏に際し46小節に縮めたバージョンで演奏している。もう一つ「No 6」は「第6番ト長調、Hob II : 30」で間違いない。オリジナル編成は2台のリラ・オルガニザータ、2クラリネット、2ホルン、ヴィオラ、チェロ。この曲にはロンドン版はないのだそうだが、ここでは通例に従い2台のリラ・オルガニザータをフルートとオーボエに、2クラリネットを2ヴァイオリンに置き換えている(2曲ともに、ヴァイオリン等、弦の数は増やしている)。「Hob II : 32」はノットゥルノの中でも最も華があるし、「Hob II : 30」のアンダンテも愛すべき旋律を持つ佳曲だ。演奏は非常に優雅であるにもかかわらず、急速楽章のリズム感にも不足していない。リステンパルトの名に恥じない優れたものだろう。以上、1961年8月の録音。例によって、 Nonesuch 盤がモノラル・ステレオ両仕様で出ている(H-1024、H-71024)。同じく Musidisc(30 RC 670, Stereo)からも出ているほか、Westminster のバジェット・レーベルである The Music Guild にもステレオ盤(S-35)がある。また上記 Forgotten Record から板起こしCDも出ていて、それはそれでありがたいのだが、この盤の最初のノットゥルノのクレジットも「第2番へ長調、Hob II : 26」のままとなっている(上記 The Music Guild 盤も同じ)。ノットゥルノ2曲のみ、各国 Amazon や iTunes Store において「Mono version」なるものが MP3 音源で購入可能であるが、LPの方がずっと音は美しい。

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4)チェロ協奏曲第2番 Erato, STE 50266(STU 70266)
※アンドレ・ナヴァラをソリストに迎えたエラートへの録音。オーケストラは、「Orchestre de Chambre de la Radiodiffusion Sarroise(ザール放送室内管弦楽団)」との表記である。ちなみにこれまでの盤の表記は、「Orchestre de Chambre de la Sarre(ザール室内管弦楽団)」であった(注1)。アンドレによるトランペット協奏曲、バルボトゥとクルジエによる2つのホルンのための協奏曲(以上、パイヤール指揮)を併載したCDが国内盤でも何度か出ていた。が、元々はヴェイロン=ラクロワの独奏によるパイジェッロのクラヴサン協奏曲ハ長調(リステンパルト指揮)と組み合わされていた。フランスの名手たち、合わせて7人が演奏した協奏曲録音をセットにした「STE 50266-9」という4枚組でも出ていたほか、モノラル仕様として「LDE 3366」「LED 3366-9(4枚組)」もあった。また、Musical Heritage Society(US) など各国のレーベルからも、同仕様のLPが1966年に出ている。僕の所有盤はエラートながら「STU 70266」で、これは再発盤か。肝心の演奏だが、『ハイドン音盤倉庫』の Daisy さんがナヴァラの旧盤、パウムガルトナー指揮のザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカとの共演に関する記事では、「リステンパルト盤は名手リステンパルトのサポートがちょっと不安定で今ひとつピンと来ませんでした。」と書いておられる(>HOS)。実際、オケの状態がこれまで聴いてきた協奏曲やノットゥルノなどとは少し落ちるようにも感じられる。ナヴァラのソロは、この曲の演奏としてはかなり気迫のこもったものなので、それに引きずられ荒くなったのだろうか。ただし、LPで聴くと音の傾向はややまろやかになるが。録音年についてだが、国内盤CD等には「1960年代中頃」との記載があるようだが、エラートがワーナー傘下になってから出た欧州仕様のCD記載のクレジットによれば、「1965年6月12、13日」の録音と明記されている。

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 以上が僕が確認した限りの情報である。記載もれや錯誤があれば、ぜひコメント欄等でお知らせください。

(注1)「リラ・オルガニザータ」とは、ハーディー・ガーディーに小型のオルガン装置が組み合わされているような非常に珍しい楽器だそうで、現在ではハイドンの楽曲(協奏曲とノットゥルノ)が演奏される場合がほとんど。その場合も、原曲どおり2台のリラ・オルガニザータを使った演奏・録音は非常に少ない。「第1番ハ長調、Hob II : 25」と「第2番へ長調、Hob II : 26 」「第3番ハ長調、Hob II : 32」については、コワン/リモージュ・バロック・アンサンブル盤があった。ちなみに「Hob II : 32」は、全67小節の「version de Naples」(ナポリ・ヴァージョン)による(ただし、同盤収録の「第8番ト長調、Hob II : 27 」は、第1楽章に「ラルゴ」の序奏を付加し、使用楽器にフルートとオーボエ、ヴァイオリンを使ったハイドン自身の改訂によるロンドン・ヴァージョンでの演奏である)。
(注2)リステンパルトの録音の中で最も有名なものの一つに、バッハの『フーガの技法』がある。これも最初のエラートへの録音(1963年頃)はザール放送室内管になっているが、後年の「クラブ・フランセ」盤(1966年)はザール室内管のままである。おそらく実体的には同じオケだとも想像されるが、エラート盤には「放送」表記が多い。契約の関係で名前を使い分けているのだろうか。

(その1)交響曲編へ、(その2)その他編

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2018年1月16日 (火)

1967年のマーラー・ツィクルス(補遺・サヴァリッシュ2)

 連日の追加情報で恐縮だが、1967年のマーラー・ツィクルスで、サヴァリッシュが指揮したコンサートの概要が判明した。1月15日に、Twitter の「海外ネトラジクラシックwikibot‏」というアカウントで、当該ツィクルスのサヴァリッシュ/ウィーン響の録音を持っておられる方がつぶやいていた! そこに引用された情報によると、公演日時は、同年の6月3日午後7時30分。プログラムは、以下のとおり。

・マーラー 交響曲第4番ト長調
・(レオポルト)モーツァルト 交響曲ト長調『新ランバッハ』
・モーツァルト ソプラノのためのモテット『エクスルターテ・ユビラーテ』KV.158a

 日付と曲目がわかっただけでもうれしいが、なんと「第4番」のソリストが「ルコムスカ(S)」であると書いてある。僕は、「1967年のマーラー・ツィクルス(その2)」という発言で、ネット上の別の情報源から以下のように書いていた。

「ソリストは「ツァデク」だそうで、これはおそらくウィーンで活躍したヒルデ・ツァデクのことだろう。「第3番」のウェストとともに、こちらで紹介したミトロプーロス&VPOの「第8番」にも出ている(ただし、ネット上ではソプラノはハリーナ・ルコムスカだったという説もあり)。」

 この発言は訂正しなければならない。 ハリーナ・ルコムスカ(Halina Lukomska、「ルコムシュカ」とも)はポーランド出身のソプラノで、ご主人はポーランドの作曲家でブロッホ(Augustyn Bloch)。当人も近現代の曲が得意だったとかで、ルトスワフスキやブーレーズなどの録音があるようだ。とはいえ、実際に聴いてみると、想像していたよりずっと柔らかな声である。マーラーの「第4番」終楽章にもぴったりだったろう。

 ツィクルスの録音を聞かれた @netradio_wiki さんによれば、「マーラーの交響曲第4番。3楽章頂点で珍しく唸るサヴァ爺が聴ける。」とのことで、若きサヴァリッシュのツィクルスにかける意気込みが感じられる。さらに興味深いことに、このつぶやきは次の言葉で結ばれている。「今にして思えばショモジーの5番が聴きたかったものよ。」

「Daisy@ハイドン音盤倉庫さん!大変ですよ。僕たち以外に、3人目のショモギー(ショモジー)・ファンが見つかりましたよ」(笑)

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2018年1月14日 (日)

1967年のマーラー・ツィクルス(補遺・サヴァリッシュ)

 書きかけのシリーズがいくつも溜まっているので(笑)、ちょっと短めに補足記事を。

 この一連の記事中、ツィクルスでマーラーの「第4番」を担当したウォルフガング・サヴァリッシュについて僕は、「日本でもドイツ物の大家として有名だったサヴァリッシュだが、(いや、だからというべきか)マーラーの交響曲の録音はない!」と書いていた(>(その2))。正規録音はないはずだが、本日、何気無しにNHKのクラシック音楽のサイトを見にいったところ、来週(2018年)1月21日(日) 午後9時からの「クラシック音楽館」の後半<コンサート・プラス>において、サヴァリッシュ指揮の『さすらう若者の歌』(第2曲、第4曲)が放送されるとあるではないか。クレジットは、以下のとおり。

バリトン:ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ
管弦楽:NHK交響楽団
指 揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ
(1989年4月28日 サントリーホールで収録)

 おお、サヴァリッシュもマーラーを振っていたんだ。早速、ネットで調べてみると、フランツさんという方の『Taubenpost~歌曲雑感』というブログに、「フィッシャー=ディースカウ日本公演曲目1989年(第10回来日)」という記事を発見。4月28日(金) 19:00 サントリーホールで「N響マーラー・スペシャル」(注1)というコンサートがあり、その日のプログラムも記載があった。

マーラー(Mahler)
1. さすらう若人の歌
2. 交響曲第4番ト長調

 なんと!「第4番」を振っているではないか。ソリストは、フィッシャー=ディースカウの奥方であるユリア・ヴァラディ(無論、『さすらう若者の歌』の方は、フィッシャー=ディースカウが歌った)。1967年のマーラー・ツィクルスから20年以上経ってからの演奏記録とはいえ、関連記録として記載しておく(注2)。来週の放送が楽しみだ。

(注1)参考までに、この「N響マーラー・スペシャル」のチラシ画像が、岡本浩和さんという方のブログ『アレグロ・コン・ブリオ』の「ヴァラディ&フィッシャー=ディースカウ」という記事にあった。
(注2)某巨大掲示板によれば、1970年頃に「第2番・復活」をN響と演奏したこともあるらしいが、詳細は未確認。他には、「第1番・巨人」も75年に他オケと。
(※2018年11月1日の付記)よしおさんという方から、NHK交響楽団の演奏会記録があることをコメント欄でお知らせいただいた。感謝! それによれば、サヴァリッシュには2回、マーラーの交響曲を振った記録があり、1回目が1975年5月14日にNHKホールで振った第1番(「マルティヌー 交響曲第4番」のあと)。2回目が1989年、上記サントリーホールでの第4番となっている。

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2018年1月11日 (木)

リステンパルトのハイドン演奏まとめ(その1)

 僕がいつもおじゃましている日本最大の(いや、おそらく世界最大の?)ハイドン音盤サイト『ハイドン音盤倉庫 - Haydn Recordings Aechive』で、毎年恒例の「H. R. A. Award 2017」が発表されている(>こちら)。これは同ブログの主宰者である Daisy さんが、その年にお聴きになった多数の音盤の中から、最も優れたものを部門別に選ぶ企画。その2017年の【交響曲部門】に選ばれたのは、カール・リステンパルトのLP(Nonesuch, 第21、48番「マリア・テレジア」所収)だったので、喜ぶやら、驚くやら、何だかそわそわした年始を過ごしたものだった。というのも、僕もこれと同じ演奏を含むフランス盤LPを以前から所有していて、この「毎日クラシック」のサイトでも紹介させていただいたことがあったから(>こちら)。この盤は「Le club francais du disque」というレーベルで、当該記事でも触れたようにジャケットはいわゆるペラジャケ、いかにも廉価盤の仕様である。シリーズ番号も入っていて、「PRINCEPS 18, No 347」とある。調べてみると、どうやらフランスで会員(クラブ)制で頒布されていたシリーズのようである。あまたのハイドン音源をお聴きになっている Daisy さんが「素晴らしい演奏と素晴らしい録音が揃った超名盤」(>(リステンパルト/ザール室内管の交響曲21番、マリア・テレジア(ハイドン))」とおっしゃるだけあって、演奏の立派さは半端ではない。リステンパルトが主兵であるザール室内管弦楽団から豊かな響きを引き出していて、これは現代のハイドン演奏から失われて久しいものだ。ただ、リステンパルトのハイドン演奏は、複数レーベルで発売されており、かなり複雑な様相を呈している。まだ完全にわかっているわけではないのだが、今回の受賞を機に(笑)、自宅にある盤や最近買った盤等を整理してみた。

 まずは「Les Discophiles Francais」レーベルに録音した、交響曲のモノラル録音のシリーズから(以下、「HOS」文字をクリックすると、「ハイドン音盤倉庫」さんのレビュー・ページに飛ぶ)。

1)交響曲第7番「昼」、第21番、第48番「マリア・テレジア」 Les Discophiles Francais, DF 183
※深緑の布が張られた豪奢な見開きジャケット。最初この盤のジャケット写真を Silent Tone Record さんのサイトで見たとき、てっきり上記「クラブ・フランセ」盤(第31、21、48番)と、下記4)の「クラブ・フランセ」盤(第6、7、8番)からの組み替えバージョンかと思い、『ハイドン音楽倉庫』のコメント欄にそのような趣旨のことを書いてしまった(Daisy さん、適当なことを書きちらしてすみません)。しかし今回、当該「ディスコフィル・フランセ」盤を手に入れよく聴き直してみると、こちらは明らかにモノラル録音であることがわかった。しかも、演奏自体もかなり違う。明確に違いのわかるところを一例挙げれば、「マリア・テレジア」の第3楽章において、モノラル版はメヌエットやトリオの後半部分をくりかえしているのに対し、ステレオ版はくりかえしていない。録音年は、1956年ではないかと思われる。

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2)交響曲第81番、第85番「王妃」 Les Discophiles Francais, DF 116 HOS
※こちらの「王妃」はモノラルで、録音年は1954年と言われている。後年のような洗練こそまだないが、Daisy さんも指摘されているようにモノラル特有の「引き締まった響き」が、ハイドンの飾りのない音楽に合っている。僕は所有していないが、「Club Mondial du Disque」というレーベルで、同盤のクラブ仕様盤も出ていたようだ(CMD 386)。後出のステレオ版の「王妃」(1966年収録)とは別録音だろう。「王妃」だけの10インチ盤も出ていたが、第81番の10インチ盤があったかは不明。なお、10インチ盤には、下記写真の無印盤(EX 25.036)のほか、ジャケット表に「connaissance de la musique」と記されたシリーズ(325.036)も出ている(裏面の解説文等は同じ)。

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3)交響曲第90番、第91番 Les Discophiles Francais, DF 113
※こちらは同じ「ディスコフィル・フランセ」盤ながら、美しいブルーグレー色の布が張られた見開きジャケットで、ちょっと所有欲をそそられる盤だ。録音年は、やはり1954年と言われている。第90番の序奏から主部にかけてモノラルならではの強い表出力で、いかにも迫力満点だ。

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 以上がモノラル録音(注1)。リステンパルトには、レーベルを変えてステレオ録音のシリーズもある。

4) 交響曲第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「夜」 Le club francais du disque, (H)303
※こちらはおなじみの三部作が揃っている。ただし、私が所有している盤はモノラル仕様。もしかして上記1)と同じかと思ったが、やはり相違点がある。確かに、次の項の「CDF 347」にある「STERE O=スピンドルの穴」というラベル表記がないが、当時はステレオ装置が高いせいもあり、モノラル盤にも需要があり、多くのLPが両仕様で出されていたというので、その類いだろうか。これにも Nonesuch 盤が出ていて、海外のオークションでもよく見かけるが、こちらにはモノラル(H-1015)・ステレオ(H-71015)両仕様がある。この Nonesuch 盤のラベルには「Recorded in Europe by Club Francais Du Disque, Paris」とある。ちなみに Misidisc というレーベルからも同じ内容のLP(30 RC 699, Stereo)が出ているが、このレーベルは「クラブ・フランセ」から原盤を引き継いだと言われている(下記注を参照)。

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5)交響曲第31番「ホルン信号」、第21番、第48番「マリア・テレジア」 Le club francais du disque, CFD 347
※僕が最初に買ったリステンパルトのハイドンLP。ステレオ・バージョンで、確か Yahoo! オークションで3千円以上した。モノラル・バージョンのジャケット写真も初期LP専門店のサイトで見たことがあるが、僕は所有していない。同じ演奏を含むと思われる Accord 盤CD の記載によれば、「ホルン信号」「マリア・テレジア」は、1965年1月の録音とされる。また上記4)と似た幾何学模様のジャケットもあるようだ(CFD 2347, Stereo)。「H. R. A. Award 2017」を受賞した Nonesuch 盤は、リステンパルトの第21、48番に、若き日のギュンター・ヴァントが指揮した第82番「熊」と組み合わされている(注2)。上記4)同様に、こちらのNonesuch 盤にもモノラル(H-1101)・ステレオ(H-71101)両仕様がある。「ホルン信号」「マリア・テレジア」の Accord 盤CDへのリンクは、HOS

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6)交響曲第85番「王妃」、第100番「軍隊」 Le club francais du disque, CFD 2387
※1966年9月録音のステレオ版の「王妃」と、同年同月録音の「軍隊」を含むLP。「王妃」Accord 盤CDへのリンクは、HOS。「軍隊」Accord 盤CDへのリンクは、HOS

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7)交響曲第94番「驚愕」、101番「時計」 Le club francais du disque, CFD 2393 HOS(ただし Accord 盤CD)
※いずれも1966年9月の録音。非常に落ち着いた大人の音楽で、少なくともこれらを聴いている時間は、「これがハイドン」という気分に満たされる。なお、今見てきたザロモンセットからの3曲は、各国 Amazon や iTunes Store において MP3 音源で購入可能だ。 Accord 盤CDは今では廃盤のようなので、こちらをダウンロードするという手もある。ちなみに Prime Music 会員や Apple Music メンバーなら無料で聴くことができる。

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 これらステレオ・シリーズについては、後継の Musidisc レーベルで、4枚組のリイシュー盤も出ている(第6、7、8、31、21、48、94、101、85、100番。CRC 27)。

番外編:8)交響曲第49番「受難」
※こちらは、上記7)の最後に紹介したものと同じで、各国 Amazon や iTunes Store で MP3 で販売されている音源。今のところ出所不明だが、「モノラル・バージョン」とあるので、新しいものではないだろう。

 交響曲以外の曲は、次回に。

(注1)リステンパルトのモノラル盤には、「Forgotten Reccords」という復刻LP盤レーベルから板起こしCDが出ている。交響曲では、上記「ディスコフィル・フランセ」盤から、「第7、21、48番」、「第81、85、90、91番」の2セット3枚がCD-Rで販売されている。リステンパルトのハイドンを聴いてみたいが、LPはちょっと、という方にはうってつけだ(>こちら)。フランスのサイトだが、注文すると英語でメールがきて、1週間ちょっとで送ってくれる。値段はかなり高くなるが、日本の輸入CDショップでも取り扱っているところもある。
(注2)「Le club Francais du Disque」レーベルは、ギュンター・ヴァントがケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団と多くの録音を残したことでも知られている。近年、上記 Musidisc を通じ、TESTAMENT がモーツァルトを中心にいくつか復刻CDを出している。

(その1)交響曲編へ、(その2)その他編

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2018年1月 9日 (火)

1995年の Mahler Feest(その2)

 Mahler Feest の次なる指揮者はベルナルト・ハイティンク。第2、3番の2曲を演奏しているが、これは Feest 前半のハイライトだったろう。またその間に、トーマス・ハンプソンによる歌曲リサイタルも連日行われているという贅沢さである。

●5/5『交響曲第2番』 ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管
※指揮者にとっては、かつての主兵との演奏となるが、Feest 以前におけるコンセルトヘボウ管の「復活」は、ハイティンクを除けば1951年のクレンペラーの Live くらいしか思いあたらない(フェリアー独唱による唯一の盤として有名)。一方、ハイティンクの「復活」は正規盤だけで8種もあるそうだが、コンセルトヘボウ管とは首席指揮者時代の全集録音と Live の2種があった。1995年の Feest における Live は、このオケとは3回目、全体では7番目の録音にあたる。数年前に、1995年2月にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、ドレスデンのゼンパーオーパーで収録されたコンサートの Live 録音が発売されたが、この Feest はそれに続く演奏ということになる。実際、ソリストの、シャルロット・マルジオーノ(S)、ヤルド・ファン・ネス(CA)は、両 Live とも共通であった(注1)。ドレスデン盤はハイティンクの穏健なイメージに似合わない意欲的な指揮が大いに注目された。Feest の演奏もより引き締まった造形ながら、かつての主兵を前に第1楽章の第二主題では弦に大きめのルバートをかけるなど、彼にしては動きのある指揮ぶりだ。展開部後半でもかなり加速していく箇所がある。一方、再現部の第二主題部以降はじっくりと腰を落として歌い抜く。以下の楽章も非常に音楽的な演奏で、弦のピチカートなどではコンセルトヘボウのホール・トーンの美しさが際立つ。終楽章の後半、合唱が入ってくる箇所からは、バーンスタイン並みにゆったりとした進行の中、決して派手ではないが、まさにひたひたと波が寄せるように、会場全体に感動が広がっていく様子が捉えられている。合唱は、オランダ放送合唱団。

●5/6『子どもの不思議な角笛』『若き日の歌』 ハンプソン(Br)、ヴォルフラム・リーガー(Pf)
※トーマス・ハンプソンによるピアノ伴奏による「角笛」は、他に2種ある(注2)。また『若き日の歌』にもピアノ伴奏盤がある(注3)。Feest で歌われたのは、「夏の歌い手交替<若>」「高い知性への賛歌」「魚に説教するパドゥアの聖アントニウス」「ラインの伝説」「不幸なときのなぐさめ」/「外へ!外へ!<若>」「たくましい想像力<若>」「もう会えない!<若>」「歩哨の夜の歌」「シュトラスブルクの砦に<若>」「レヴェルゲ」/「塔の中の囚人の歌」「少年鼓手」「トランペットが美しく鳴り響くところ」「浮き世の生活」「天井の生活」「原光」(/をつけた箇所で区切って歌われた。『若き日の歌』所収の曲には<若>と追記した。)の全17曲。ハンプソンの歌は、現代を代表するマーラー歌手の名に恥じない正統的なものだろう。皮肉や諧謔性はほどほどにして深い声で朗々と歌っていた以前の録音と同じコンセプトとはいえ、自己顕示的なところはなく、曲の良さがよく伝わってくる。セットごとに調子を上げ、次第に緩急の対比が際立ってきて、「外へ!外へ!」の最後では身振りも加えたのか、会場の笑いを誘っている。一方、「歩哨の夜の歌 」では、途中の幻想場面が非常に遅くなるので、全体で7分弱もかかっている。有名な「レヴェルゲ」以下、曲への没入度が高まり、当日の観客とともに我々はマーラー歌曲の奥深い森にいざなわれていく。最後に、交響曲第4番に使われた「天井の生活」、同じく交響曲第2番に使われた「原光」という一見女声向きの曲を歌っているが、これは非常に珍しい。

●5/7『交響曲第3番』 ハイティンク指揮ウィーン・フィル
※ハイティンクは、「復活」の演奏から1日置いて、今度はウィーン・フィルと「第3番」に挑む。ともに声楽(独唱・合唱)を含む大曲だけに、なかなかのハード・スケジュールであったろう。とはいえ、これは大変な名演で、僕個人としてはウィーン・フィルによるマーラー交響曲全集(その1)という記事でもこの演奏を挙げたかったくらいだ。ウィーン・フィルによる「第3番」は非常に少なく、1995年当時はバーンスタイン(映像全集)、マゼール(全集)、アバドくらいしかなかった。曲はウィンナ・ホルンの斉唱に始まり、意外にも弾むようなリズムで迫力満点に進んでいく。その中でもウィーン・フィルの持つ美感がいかなる場面でも最大限活かされており、この点はまさに壮観というほかない。なので、長大なスケールを持つこの楽章が短く感じられるほどだ。実際、ハイティンクの演奏でこれほど推進力を感じさせる演奏も稀で、これはウィーン・フィルと組んだ効果だろう。それだけに、終楽章においては、やや遅めのテンポで息長く歌う弦がいかにも清らかに、安らかに響く。ソリストはこちらも「第2番」と同じネス(CA)。合唱は、オランダ放送合唱団の女声部と聖バーヴォ大聖堂少年合唱団が担当している(注4)。

●5/7『亡き子をしのぶ歌』『さすらう若者の歌』『リュッケルトによる歌曲集』 ハンプソン(Br)、ヴォルフラム・リーガー(Pf)
※1995年の5月7日はちょうど日曜日にあたっている。なので交響曲のコンサートと、ピアノ伴奏による歌曲リサイタルが行われている。つまり、どちらかがマチネー・コンサートで行われたのだろう。ハンプソンによるマーラー歌曲集は、バーンスタイン指揮によるオーケストラ伴奏版(DG)が有名だが、ピアノ伴奏版も録音している(注5)。Feest のリサイタルでは、深く沈潜するような遅い伴奏に始まり、ハンプソンも言葉を置くようにそっと歌い出す「亡き子」がまず出色だ。全体に翌年録音のCDよりもテンポも遅い。途中、歌が高揚していくが、間奏ではまた静まっていく。全体としてピアノ伴奏の繊細さは、ちょっと言葉では言い表せない。「若者」や「リュッケルト」 では少し動きも出るし、絶望的な叫びがホールをつんざく場面もあるとはいえ、全体の傾向は同じである。実際、前者の第2曲「朝の野を歩けば」は颯爽と始まるのだが、途中から停まるようなテンポになりちょっと驚く。リサイタルの最後には、「リュッケルト」から「私はこの世に忘れられ」を静かに、静かに歌い終え、満場の喝采をもらう。その後、短いスピーチがあり、同じ曲集からマーラーがアルマのために書いたという「美しさのゆえに愛するなら」を、アンコール的に、こちらはさらりと歌って、自身が「アドヴェンチャー」と呼んだ2日間連続のリサイタルを終えている。

(注1)ネスは、1984年のクリスマスマチネー Live 以降、Feest 時まで、上記8回の録音のうち5回までもハイティンクの「復活」で歌っている 。アメリンク、マクネアー、そしてこのネス。ハイティンクは、深みよりは透明さを選ぶ傾向にあるようだ。
(注2)1991、1993年にパーソンズの伴奏で全12曲(Teldec)を録音していた。2001年にも Feest と同じリーガーの伴奏で7曲をパリ、シャトレ座で Live 映像収録(TDK Music)している。 なお、オーケストラ伴奏版も、ティルソン=トーマス盤など数種ある。
(注3)1989年にパーソンズの伴奏で5曲(Teldec)、1992年にルッツの伴奏で4曲、それぞれ録音していた。また2001年に上記シャトレ座 Live で5曲(TDK Music)録音している。オーケストラ伴奏版では、ベリオ指揮のものが上記ルッツのピアノ伴奏盤と同じディスクに11曲入っている。
(注4)あくまで「ちなみに」だが、Feest のハイティンクの演奏等にはCD-R盤やネット動画でも聴くことができるものがある。
(注5)「亡き子」は、1996年にリーガー(EMI)と録音している。「若者」は、1992年に上記と同じルッツ(Teldec)と録音していたほか、1996年にリーガーと録音している。「リュッケルト」は、1996年にリーガー(EMI)と、さらに2005年にリーガー(Orfeo)と Live 録音している。

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2018年1月 3日 (水)

1995年の Mahler Feest(その1)

 ウィーンと並ぶマーラーゆかりの都市・アムステルダムでは、1920年と1995年に大規模なマーラー・フェスティヴァル(Mahler Feest)が行われている。最初の Feest は、1920年の5月6日から21日まで、かのメンゲルベルクがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、マーラーの全交響曲が演奏された。これは誰でも聴いてみたかったイベントだと思うが、1995年の Feest も負けていない。なんとアバド、シャイー、ラトル、ムーティ、そしてハイティンクという当代を代表する5人の指揮者が、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管という3大オケを振るという非常に贅沢な布陣だったのだから(グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団も一日出ている) 。後者の会期は、5月1日から17日までの17日間。実はこの Feest の模様をオランダ放送協会が収録していて、これが一部関係者向けの自主制作盤として配布されたのだという。一般に市販されていないものを紹介するのは気がひけるが、関係者向けと言っても結構な数が作られたと見えて、手に入れるのが至難というわけではないらしい。日本でも複数の方がこのセットについてブログ等で触れているし、僕自身も探し始めて1年経つか経たないうちに海外オークションで手に入れることができた(実際、本日現在、eBay.com に1セット出品されている)。以下、今回は開催日順に聴いていくこととしたい。

●5/2『子どもの不思議な角笛』から シャイー指揮コンセルトヘボウ管
※ソリストは、スウェーデン出身のバリトン歌手ホーカン・ハーゲゴール(ハーゲゴードという表記もある)。「歩哨の夜の歌」「塔の中の囚人の歌」「無駄な骨折り」「魚に説教するパドゥアの聖アントニウス」「レヴェルゲ」「不幸なときのなぐさめ」「少年鼓手」の7曲が歌われている。ハーゲゴールは、この曲集を1993年にベルティーニと4曲のみ録音していた(注1)。これは元気いっぱいな歌い方で、うまく曲集の雰囲気を出している。シャイーもまた、のちにボニーやゲルネほかと同曲集を録音していて、これも僕は愛聴している。Feest の演奏だが、こちらは非常に気心の知れたメンバーによって爽快な開幕を迎えたと言える。ハーゲゴールのたくましいが決して下品にはならない持ち味は、ここでもうまく活かされているし、シャイーの刻むリズムも軽々としている。特に「レヴェルゲ」「不幸なときのなぐさめ」あたりは、まさに痛快と言うほかないだろう。また、こういう曲を演奏するとき、このオケはおそろしくうまい。コンセルトヘボウ管の「角笛」は、Feest 以前にはハイティンク(録音と映像の2種)やバーンスタインの録音があった。

●5/2『嘆きの歌』 シャイー指揮コンセルトヘボウ管
※シャイーは『嘆きの歌』の改訂稿を、第1部初稿版付きで1989年にベルリン放送響と録音していた。この世代の指揮者としてはラトルに次いで早い時期にあたる。Feest 時の独唱陣は、ユリア・フォークナー(S)、ブリギット・レンメルト(CA)、ゲイリー・レイクス(T)。加えて合唱には「Städtischer Musikverein zu Düsseldorf」(=日本語では様々な訳があるようだが「デュッセルドルフ市立楽友協会合唱団」としておく) をわざわざドイツから呼んでいる。が、これは以前の録音時にも組んでいるからだと、今回わかった。なかなか演奏機会の少ない作品だけに、共演経験のある仲間がいるのはシャイーとしてもありがたかっただろう。肝心の演奏だが、ベルリンでの録音は劇的に引き締まった若きシャイーならではの好演だった(確か吉田秀和氏も高く評価していた)。一方、Feest の演奏ではテンポもやや遅くなり、まさに堂々とした指揮ぶりである。特にオケの響きの豊かさやスケール感を出すことに指揮者の注力があるようで、それはある意味、成功している。ただベルリン盤では、第2部・3部の途中、「Ach, Spielmann, lieber Spielmann mein!」と笛(弟が?)歌う場面からスコアの注記に従い、少年の声=ボーイ・アルトを起用していた(注2)。これがなかなか初々しくいい雰囲気を醸し出していたので、それが好きだったという人も当然いるだろう。コンセルトヘボウ管の『嘆きの歌』としては1973年にハイティンクが改訂稿で録音していた(同じプロジェクトの Live とセッション録音)。

●5/3『さすらう若者の歌』(男声) シャイー指揮コンセルトヘボウ管
※ソリストは前日と同じくハーゲゴールが務めた。彼は、1993年にマズアとこの曲を録音していて、おそらく自信があるレパートリーなのだろう。Feest でも葛藤や苦悩をあまり前面に出さない現代風の表現だが、若者らしいさわやかな歌いぶりは好感が持てる。シャイーによってよく訓練されたオケが、力まずに軽やかな伴奏をつけている。コンセルトヘボウ管の同曲集の録音としては、メンゲルベルクやクレンペラーとこの曲を録音した伝説的なバリトン、ヘルマン・シェイの録音が残っているほか、ベイヌムやハイティンク(録音と映像の2種)があった。

●5/3『交響曲第1番』 シャイー指揮コンセルトヘボウ管
※シャイーは1988年から2004年にかけて、コンセルトヘボウ管とマーラーの交響曲全集を完成させている(「第10番」のみは、ベルリン放送響)。この Mahler Feest までに第10、6、7番が収録済みで、この『巨人』は面白いことに会期終了直後の5月19、20日にコンセルトヘボウで行われている。シャイーの指揮は、美しいホールトーンを活かしたのびのびとしたもの。概ね快活なテンポで進むが、新時代のマーラーにふさわしく強弱の幅は極めて広い上に、細部まで神経がよくいき届いている。終楽章も大迫力だが、適切なアクセント付けによってコントロールされているので、決してうるさくはない。ゆったりとした曲想の部分では、たっぷりとした歌にも欠けていない。コンセルトヘボウ管の『巨人』は意外に少なく、ワルターの Live のほか、ハイティンク(録音2種と映像)、バーンスタインが Feest 以前にはあっただけだ。

(注1)ハーゲゴールは、1990年にグンナー・イーデンスタムのオルガン伴奏!で、「角笛」から2曲を歌っていた(Proprius)。
(注2)シャイーのセッション録音だが、我が家にある1991年発売の国内盤には、マルクス・バウアーというボーイ・アルト歌手に「バス」=「Bass」との表記がされている。レコード芸術編の『コンプリート・ディスコグラフィ・オブ・グスタフ・マーラー』というムック本も、このディスクを「名盤115」の一つとして紹介しているが、バウアーには「Bs」(バスの略であり、ボーイ・ソプラノの略でもない)と書いてある。そのせいだろうか、紹介文にもボーイ・ソプラノを使っていることはまったく触れられない(上記吉田氏の文章にも記述なし)。ちなみに、このボーイ・アルト起用は、ほかには「1890年初稿版」使用をうたっているケント・ナガノ盤くらいしかないと思うのだが(ケント・ナガノ盤は、ボーイ・ソプラノも起用している)。

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2018年1月 1日 (月)

1967年のマーラー・ツィクルス(その4)

 1967年のマーラー・ツィクルスから。最後は、オーケストラ伴奏の歌曲集等を取り上げる。

●『嘆きの歌』 トイリンク指揮オーストリア放送(ORF)響
※放送用のセッション録音だが、1960年にクルト・リヒター指揮でこの『嘆きの歌』を演奏していた「Grosses Wiener Rundfunkorchester ウィーン放送大管弦楽団」というオーケストラがある(注1)。問題は、このオケと現在のウィーン放送響との関係だが、ウィーン放送響の前身・ORF響は、上記「Grosses Wiener Rundfunkorchester」とよく似た名前の「Grosses Orchester des Österreichischen Rundfunks オーストリア放送協会大管弦楽団」のメンバーなどで1969年9月19日に結成されたと、公式サイトに書いてある(>こちら)。また、Discogs のサイトには、このオケの「a rough timeline:」として「From 1945 to 19??: Das Wiener Funkorchester / From 19?? to 1958: Das Große Wiener Rundfunkorchester / From 1958 to 1969: Großes Orchester des Österreichischen Rundfunks」とある(>こちら。「??」はママ)。なので、この説明が正しければ、今見てみた3つのオケは、親・子・孫という関係にあると言える(ウィーン放送響は、ひ孫)。ツィクルス時のソリストは、ミミ・ケルツェ、ルクレティア・フィニレ、アントン・デルモータ(2018/1/2の追記 ミミ・ケルツェのバイオグラフィーにこの演奏会が5月29日だったという記述があった。>こちら)。マーラーの作品中、合唱がメインの作品の一つであり、トイリンクが受け持ったのはうなずける。合唱担当は、自身が創設したウィーン青年合唱団(Wiener Jeunesse Choir)だったのではないか。この曲の初稿から第1部が録音されたのは1970年のブーレーズ盤(Columbia)だったので、時期的にみてこのツィクルスで演奏されたのは第2部・第3部のみで構成された最終稿だったろう。その場合、おそらく(その2)で触れた「第10番」と同じ演奏会にかけられたと想像される。(その1)で調べたとおり、トイリンクの名前は合唱指揮者として知られ、この前後もシェルヘンとモーツァルト『レクイエム』、バーンスタインと自作の『交響曲第3番《カディッシュ》』、アバドのCD『ウィーン・モデルン』、インバルとショスタコーヴィチ『交響曲第9番』という具合に、そうそうたるマーラー指揮者と共演している。信頼にたる(合唱)指揮者として、ウィーンで名を上げてきたのだろう。ツィクルスでこの知られざる大曲をウィーンの聴衆に紹介するにふさわしいと抜擢されただけに、全曲を手堅くまとめていたと思われる。

●『子どもの不思議な角笛』 プレートル指揮ウィーン響
(その2)で触れた「第1番」と同じ日に演奏されたと思われる。ソリストは、グンドゥラ・ヤノヴィツ、ヴィクター・ブラウン。ヤノヴィツのマーラーは極めて珍しい。偶然だが、上記、1960年の『嘆きの歌』が唯一の録音。また1989年5月の最後の来日公演で、マーラーの「第4番」のソロを歌ったという記録もあった(アイザック・カラプチェフスキー指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団)。この演奏も、残念ながら録音は残っていないようだ(注2) 。同じリリック・ソプラノが歌った『角笛』としては、シュヴァルツコップ(セル指揮)やポップ(バーンスタイン、テンシュテット指揮)が歌ったものもあるにはあるが、当時のヤノヴィツは3人の中でも一段と清楚な、ボーイソプラノ風の声だったので、どのような感じだったのかちょっと聴いてみたかった気もする。ヴィクター・ブラウンはカナダ生まれのバリトンで、メジャー・レーベルではショルティの『タンホイザー』でヴォルフラムを歌った盤が有名だ。「The Canadian Encyclopedia」というサイトによれば、1968年にトロント交響楽団と『さすらう若者の歌』を演奏しているという(>こちら)。派手さこそないが柔らかい声が魅力の歌手だ。指揮のプレートルはもともと劇場畑の人だけに、各曲の特徴を際立たせながら色彩的な演奏で聴衆を魅了したことだろう。なおこの曲集も含め、当該ツィクルスまでにウィーン響が伴奏したマーラーのオーケストラ歌曲の録音はなかったようだ。(2018/1/18の追記)@netradio_wiki さんからご教授いただいたウィーン交響楽団サイト中のデータベースにより、この演奏会の行われた日が5月31日であることと、歌われた曲目が判明した。「レヴェルゲ」「浮き世の生活」「番兵の夜の歌」「不幸な時の慰め」「少年鼓手」「むだな骨折り」「塔のなかの囚人の歌」「トランペットが美しく鳴り響く所」「高い知性への賛歌」「ラインの伝説」の10曲。一般的な割り振りだと、「浮き世の生活」「トランペットが美しく鳴り響く所」「ラインの伝説」は女声、「レヴェルゲ」「少年鼓手」「高い知性への賛歌」は男声、「番兵の夜の歌」「不幸な時の慰め」 「むだな骨折り」「塔のなかの囚人の歌」はデュエットで歌われたと思われる。

●『さすらう若者の歌』 ベーム指揮ウィーン・フィル
※ベームのマーラーも珍しい。若い頃には『大地の歌』なども振ったらしいが、セッション録音では1963年に『リュッケルト歌曲集』と『亡き子をしのぶ歌』をベルリン・フィルと録音しているだけだ。この時の歌手はフィッシャー=ディースカウだったが、ツィクルスではクリスタ・ルートヴィヒが歌っている。有名な「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団完全ディスコグラフィ」によれば、これは5月21日の演奏。ブラームスの交響曲第2番 ニ長調とともに演奏されたという。この日のブラームスだけは、DISQUES REFRAIN から出ていたので、おそらくマーラーも音源は残っているはずだが・・・。今回は、2年後、同じ指揮者・同じ歌手・同じオケで演奏されたザルツブルク音楽祭でのライヴ(1969年8月)のCD(Orfeo)で聴こう。第2曲「朝の野を歩けば」の歌い出し「Ging heut' morgen uber Feld」という歌詞がついた6つの4分音符と続く2分音符を、まるで練習曲のように几帳面に一音ずつ切って歌わせているのは、いかにもベームらしくて微笑ましい。ルートヴィヒは極めてシリアスな歌唱であり、曲が曲だけにもう少し余裕があってもいいかもしれない。ベームもシンフォニックにオケを鳴らし、単なる伴奏にとどまらない立派な演奏をしている。スタイルとしてマーラーらしいかどうかは別として、これはこれで瞠目すべき演奏だ。ウィーン・フィルによるこの曲集の録音としては、フルトヴェングラー2種(このうちの一つがフィッシャー=ディースカウとの有名な1951年のザルツブルク Live)、フラグスタートがボールト指揮で歌ったもの(Decca、1957年)があった。

●『リュッケルトの詩による5つの歌曲』 マデルナ指揮ウィーン響
※(2018/1/18の追記)「第7番」と同じ5月27日のプログラムである。ウィーン交響楽団サイト中のデータベースにより、この曲を歌った歌手は、ヒルデ・ツァデクと判明した。ウィーンで活躍したソプラノ歌手で、「第3番」のソリストであるウェストとともに、こちらで紹介したミトロプーロス&VPOの「第8番」にも出ている。ディスコグラフィーを見ると、モーツァルトやベートーヴェン、R.シュトラウスといったドイツ物のオペラによく出ている。いくつか聴いてみたが、なかなか硬質で強い声を持っている上に、歌い方もこの時期の歌手にしては随分、近代的だ。劇的な歌唱が聴けたのではないか。
※※(以下は、歌手が判明するまでに記載していた記事)「第7番」と同じ5月27日のプログラムだろう。この曲のソリストは不明。 ツィクルスに参加した歌手で探せば、この曲を何度も録音しているルートヴィヒが順当だろう。ただしもしそうなら、ツィクルスは12日間だったと想像されるが、そのうち合計5日間もステージに上がったことになるけれど。あるいはシェルヘン等と『若者』『亡き子』を録音しているルクレツィア・ウェストも可能性がある。またスェーデンの名歌手ビルギット・フィニレには、ピアノ伴奏版ながらこの曲集のLPがあったし、男声ではトゥゴミール・フランクにもピアノ伴奏版の『若者』のCDがあった。無論、上記のとおりブラウンも十分歌えただろう。結論は出ないが、今回は録音資料の残るルートヴィヒで聴いてみた。直近では1964年にクレンペラーとこの曲集から3曲を選んでセッション録音した盤がある。ゆったりとした情景(「私はこの世に忘れられ」)から、強く声を張り上げる場面(「真夜中に」)まで、自在に声をコントロールできるのがこの歌手の強みだろう。「私は仄かな香りを吸い込んだ」の歌い出しにおける可憐な表情も忘れがたい。余談だが、後年のカラヤン盤(1974年)では、ルートヴィヒの歌に音程から表情までぴったりとつける指揮者・オケの至芸が見事。例えば、「私はこの世に忘れられ」で歌手が歌い出した直後におけるコールアングレと弦!

●『亡き子をしのぶ歌』 マゼール指揮ベルリン放送響
※歌は再びルートヴィヒの担当(6月18日の演奏)。こちらは、Gala から出た「Christa Ludwig Rarities」という2枚組CDに収められて出ている。第1曲の「いま晴れやかに陽が昇る」は、テンポ・ルバートを強調せず意外にあっけなく歌い始められる。マゼールには翌年、この作品をフィッシャー=ディスカウとスタジオで録音した映像があって、そこではより普通の始まりだった。いずれにせよ、マゼールの指揮は緩急自在。同曲の最初の方の間奏部分ではじっくりとオケに歌わせたかと思えば、歌手が「太陽はあまねく照らし出す。/夜を自分の中に包み込んではならない、/永遠の光の中に沈めておかなければならない、と。」と歌った後の間奏に入ると、テンポを上げ切々と弦を歌わせていて、これには正直、驚く。この時期のマゼールは、そうした処置が技巧的・作為的に聴こえず、ストレートに聞き手に迫っていた。歌手もそれに十分応える形で、第2曲以降は強い声と表現意欲が際立つ。ルートヴィヒは後年、カラヤンと同曲集をセッション録音していて、吉田秀和氏に「これはカラヤンの陶酔的豪華な音色美偏重の犠牲になって(中略)、あまりにも非構造的であり、細部のこまやかな味わいが汲みとりにくい。(「マーラーの歌」〜『マーラー』河出文庫)」と書かれていた。あまり誰も指摘しないことだが、終曲の前半をカラヤンは、普通に買える盤では最も速く演奏していた(注3)。カラヤン盤ほどではないが、マゼールもかなり速く、激しくここを駆け抜ける。それに合わせるルートヴィヒの高い対応能力があってこその、彼らのテンポ設計だったろう。吉田氏はこの曲の演奏としてフェリアーとベイカーの歌唱を絶賛したあと、「この二人に対し、例のクリスタ・ルートヴィヒの歌った《亡き子を偲ぶ歌》の本当にいい盤がないのは残念なことである。」とも書いていたが、この演奏のFM放送は聴いていただろうか? ベルリン放送響のツィクルス当時のマーラー歌曲集の録音としては、フィリッチャイの『リュッケルト』があったほか、ウラニア・レーベルからオーケストラ歌曲集(『若者』『亡き子』)が出ていた。

 こうして3回にわたってツィクルス全体を見てきたが、再度、演奏日順に全体を整理してみる(ウィーン芸術週間全体は、5月20日から6月18日までだったらしい(>こちら))。
1)5月21日 「さすらう若者の歌」「ブラームス;交響曲第2番」ベーム
2)5月24日 「モーツァルト;ピアノ協奏曲第17番(ブレンデル)」「第6番」アバド
3)5月27日 「リュッケルト歌曲集」「第7番」マデルナ
4)5月29日 「第10番~アダージョ」「嘆きの歌」トイリンク
5)5月31日 「子どもの不思議な角笛」「第1番」プレートル
6)6月3日  「(レオポルト)交響曲ト長調『新ランバッハ』」「モーツァルト モテット『エクスルターテ・ユビラーテ』」「第4番」サヴァリッシュ
7)6月7日 「モーツァルト;交響曲第33番」「大地の歌」
8)6月10日 「第3番」スワロフスキー
9)6月12日 「第2番」バーンスタイン
10)6月14日 「第8番」クーベリック
11)6月15日 「モーツァルト;ピアノ協奏曲第25番(マガロフ)」「第5番」ショモギー
12)6月18日 「亡き子をしのぶ歌」「第9番」マゼール
※いずれも曲順は推定。2018/1/16、18に一部修正。 
 つまりビッグネームのベーム&VPOで華々しく開始し、新鋭マゼールの「第9番」で締める、というようなラインナップだったことがわかってきた。ここではベテランと新鋭とが適度に組み合わされており、マーラー演奏の多様性が広く認識されたことの意義はいくら強調しても強調しきれない。まさに「箱のふたは開いた」と言える。この後程なく、このツィクルスにも参加したバーンスタイン、クーベリックによる「マーラー交響曲全集」が完成した。さらに1970年代はアバド、マゼールに代表される若手が怖れもなくマーラーの大曲を取り上げ始め、レコード会社もそうした大物セットを競うように発売していった。もし今回、紹介させていただいた各盤を見かけたら、そういう思いで手に取っていただければ幸いだ。

(注1)2011年に Archipel から出た後、最近、Profil から出た「ヘンスラー/マーラー・エディション(21CD)」に収録された。
(注2)「DISCOGRAPHY OF GUNDULA JANOWITZ」というページがあり、そこには1967年にウィーンで!、この「角笛」を歌ったという記録が残る。ただし、クリップスの指揮とある(>こちら)。
(注3)以前、ルートヴィヒはヴァンデルノートと『亡き子をしのぶ歌』を録音していて、このときは第4曲を、逆に史上最長の4分10秒かけて歌っていた。

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