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2019年6月16日 (日)

モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)

 Zauberflete さんのブログ「Zauberfloete通信」で、モーツァルトのホルン協奏曲第4番 K.495 等の発想標語「Allegro maestoso」について、いつもながら興味深い考察がなされている。>>「モーツァルトの「アレグロ マエストーソ」」。詳細は上記記事を見ていただくとして、僕が気になったのは、この曲の第1楽章には発想標語の異同のほかに、長さ=<小節数>の異同もあるという点だ。後者の問題については、野口秀夫氏の優れた論考がある>>「《伸縮自在な》ホルン協奏曲 変ホ長調 K.495」。この論文には、いくつかあるバージョンと野口氏が再構成したバージョンを一覧表にしていて、それぞれがどのフレーズを採用、あるいは削除したかが一目でわかるようになっている。これは、いつもながら野口氏ならではの優れたお仕事だ(MID 音源で、実際に音で確認することもできる!)。

 あらかじめ断っておくが、この曲の自筆譜は第2楽章と第3楽章の一部が残されているだけである。野口氏の論文では、以下の資料が検討されている(以下、太字は引用)。

  • プラハ大学図書館蔵アーロイス・フックス・コレクションの総譜筆写譜(1800年直後):229小節(NMA校訂報告:録音なし)
  • アンドレ刊初版(1802年):175小節(AMA:ダム、ブロムシュテット、ドレスデン国立歌劇場O.、NMA付録)
  • ヴィーンの美術工芸社刊パート譜(1803年):218小節(NMA:録音多数)

 このうち一番最初に記された(野口氏のいわゆる)「プラハ版」の標語記号は「Allegro」、2番目の「アンドレ版(初版)」は「Allegro moderato」 、最後の「ウィーン版」は「Allegro maestoso」(ただし、第一ヴァイオリンには「Allegro moderato」と書かれている)ということが、新全集の校訂報告に記載されている(Giegling, 1988)※1。その異同が、この曲の発想標語において解説やCDの表記などでばらばらになっていることの原因になっているわけである。一方、野口氏が主に扱っているそれら3版の小節数の違いは、あまり話題にならないのはなぜだろう※2。それぞれの版は、野口氏の指摘のようにかなり長さに違いがある。モーツァルト作品の演奏実践の場では、新全集(NMA)が出るまでは(いや、新全集が出てもかなりの期間)、旧全集(AMA)やそのリプリントが使われていたことが多い。なので、この論文を読む限り、AMA(=175小節という短いバージョン?)を我々は聴いてきた想定になってしまう・・・

 Zauberfloete さんは先の記事で、「カラヤンが録音に使った譜面には「アレグロ モデラート」と書いてあった確率の方が高いとも思える。」と書かれているが、カラヤンやベーム、バーンスタインなどの大物指揮者は、基本的に新全集は使わない。というか、新全集が出る前に録音された有名なカラヤン&デニス・ブレインの録音は、僕もLP時代から何十回も聴いているが、現代の録音と曲の長さが違うという話は聞いた覚えがない。先週、実際にカラヤン&ブレイン盤を聴き直してみたが、新全集と変わらない218小節であった。一方で、屋根裏部屋に保管してあった初期LP(英COLUMBIA:33CX 1140)の表記も確認してみたが、K.495 の第1楽章は「Allegro moderato」、k.417 の第1楽章は「Allegro maestoso」と、やはり旧全集の表記(アンドレの初版と同じ)を採用している。これはどういうことか?

Sl1600 Sl1600-2 Sl1600-1


 結論から言えば、旧全集(AMA)に、2つのバージョンがあるらしいことがわかってきた。古い楽譜を参照する場合、imslp が便利だが、ここに Leipzig: Breitkopf & Härtel から出された旧全集「Wolfgang Amadeus Mozarts Werke」として、2つの楽譜がアップロードされていた(Serie XII:Concerte für ein Blasinstrument mit Orchester, Bd.2, No.19、「Ernst Rudorff」編)。これは、複数の人がデータを送る imslp ではそれほど珍しいことではない(一般的には、スキャンする解像度などの差がある)。このうち野口氏が参照したものと同じ楽譜と思われる方は、1881年に出版されたもの。こちらは、上記アンドレの初版を元資料にしたらしく、確かに175小節しかない。録音として、ペーター・ダム(Hr)、ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場O. の旧録音盤(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN)が挙げられている。週末に Amazon で取り寄せて聴いてみたが、確かに提示部の構成はアンドレ版(旧全集)と同じでやや短い。ただし、ダムは展開部の途中から再現部の入りにかけてウィーン版に移行しているほか、再現部終わりの部分で同じ音型(2小節分)をくりかえすなど、楽譜を変えている。旧全集を使って録音したというより、おそらく独自の校訂作業を行なっているのだろう※2。

 そして、もうひとつが、旧全集の「1886」年版。同じ「Ernst Rudorff」編で、「Rudorf's revision of the 1881 edition.」と注記されている。全体で2ページ分増えていて、第1楽章は、218小節ある。どのような事情かは不明だが、1881年版が出てわずか5年後に、同じ Plate 番号「W.A.M. 495」のままで改訂がなされたのは珍しいことだろう。1881年版が短いバージョンであったことに対し、当時の研究者から指摘があったのかもしれない。Breitkopf und Härtel からは、19世紀後半に Henri Kling 編で同曲の楽譜が出ていて、こちらも旧全集同様よく使われたのではないかと想像される。ホルン&ピアノ用のリダクション(Nr.2564)が imslp に上がっていて、これを見るかぎりこちらも218小節ある。これら218小節の版の方が、新全集が普及する20世紀後半くらいまで、各指揮者、オーケストラで使われていたのだろう。

※1 モーツァルトの自筆作品目録には、「Allegro」とのみ記載。

※2 残念ながら、こうした情報は日本の音楽学者、評論家が書いた解説等ではほとんど触れられていない。僕が見つけた中では、唯一、ONTOMO MOOK『モーツァルト名盤大全』(音楽之友社)の佐伯茂樹氏の解説(おそらく上記、野口氏の論文等も参照し、独自に研究されたもの)があるのみだ。あと、翻訳ものでは、アントニー・ハルステッド&ホグウッド盤(オワゾリール)のジョン・ハンフリーズの解説が非常に詳しいだけでなく、正確だ。

※3 ペーター・ダムは、Breitkopf & Härtel から、上記 Henri Kling 版の後継版を出している(Nr.7435)。こちらは、スタンダードな218小節版である。また、同社は最新の Henrik Wiese 編による Urtext edition(P.B.15131)も出していて、こちらもサイトで概要を閲覧するかぎり、218小節版である。>>こちら

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コメント

cherubinoさま
ひじょうに興味深い記事、読ませていただきました。
私がこの問題を初めて知ったのは、ペーター・ダム/ブロムシュテット=SKDの協奏曲集に載っていたダム自身による解説です。
その後eurodiscのCDに買換えて、LPは処分してしまったので解説書は手元にないのですが、ダム自身が校訂して再構成したようなことが書いてあったと思います。

投稿: Zauberfloete | 2019年6月17日 (月) 21時50分

Zauberflete 様、こんばんは。コメント感謝いたします!
ペーター・ダム/ブロムシュテット=SKDの協奏曲集のLP解説については、まったくチェックしていませんでした。まさか、ダムさん自身が書いておられるとは! ネット上で画像を探し出して見てみましたが、Zauberfloete さんのご記憶どおりの記述を発見することができました。(その2)として記事に書きましたので、ご覧いただければ幸いです。貴重な情報ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: cherubino | 2019年6月18日 (火) 20時44分

cherubinoさま
初めまして。大変興味深い考察素晴らしいです。
名前を挙げていただきありがとうございます。
この問題に関してはダム本人から詳しく聞いていました。
ダムはこの問題に関して芸大で講演もしています。
もちろん野口氏の素晴らしい考察も読みました。
基本的には、ハンス・ピツカ氏のモーツァルトホルン協奏曲ファクシミリコレクションを参照しました、
この楽譜には比較して相違点がわかるようになっています、
今後とも深い考察楽しみにしております。
失礼いたしました。
             佐伯茂樹

投稿: 佐伯茂樹 | 2019年6月23日 (日) 00時51分

佐伯茂樹様、コメントをいただき感謝申し上げます。
Zauberfloeteさんの影響で佐伯様のことを知り、『名曲の「常識」「非常識」』(音友)に始まり、アカデミア・ミュージック刊の『名曲の真相 管楽器で読み解く音楽の素顔』、『ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本』(音友ムック)と、これらはすべて当方の愛読書、いやバイブルになっております。いつかも書きましたが、『名曲の「常識」「非常識」』に出てくるベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭が「協和音」になり得るという新説を読んだときには、音楽書を読んでこんなに驚いたことはないというくらい驚きました!
ダム氏の講演、聞いてみたかったです。Hans Pizka氏のファクシミリは、以前、国立音楽大学付属図書館で閲覧させてもらった記憶があります。ただし、そのときはK514を調べていたので、残念ながらその部分のコピーしか手元にありません。また追加で閲覧してみます。情報ありがとうございます。
素人のブログですので、たくさん非常識なことを書き散らしていると思います。またぜひいろいろとご教授いただければ幸いです。今回はありがとうございました。

投稿: cherubino | 2019年6月23日 (日) 20時45分

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