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2020年2月29日 (土)

佐伯茂樹氏『新名曲解体新書』(その1)

 今日は2月の閏日。1日長かった今月も今日で終わりということになる。今月初め、佐伯茂樹氏の遺著となった『新名曲解体新書』(ONTOMO MOOK)が出版された。生前 Zauberfloete さんのブログのコメント欄で対話をさせていただいたこともあり、さらにお亡くなりになる直前には本ブログの「モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)」という記事にコメントまで寄せてくださった。そこにも書いたが、佐伯氏は常々、ナチュラル・ホルンやバセットクラリネットなど僕が知りたいと思っている楽器や楽譜のことを取り上げてくださるほぼ唯一のプロフェッショナルであり、その本はまさに「バイブル」になっている(そのうちの何冊かは、思い立ったときに読めるよう、本棚には入れずリビングの机の上に平積みにして置いてある)。58歳というのは、いかにも若過ぎる。まだまだいろいろお聞きしたいことはあった。あらためて、心からご冥福をお祈りしたい。

 さて、このムック本は『音楽の友』に亡くなる寸前まで連載されていた同名の連載を中心に、同誌や同じ出版社が出している『レコード芸術』誌に掲載された最近の記事をまとめたもの。いくつかの記事内容はこれまで書かれた本と被っているとはいえ、最近の佐伯氏のお仕事を概観できる貴重な本だ。つい先月もバッハの「ブランデンブルク協奏曲」で使われたバロック・ホルンについて佐伯氏が書かれた記事を探していて見つけられないでいたが、当該記事「バロック・ホルンとナチュラル・ホルン」ももちろん収録されていて、あらためて読むことができた。


 ところで、書店でこの本を見たとき一番最初に確かめたのが、第1章冒頭の「モーツァルトは《魔笛》の序曲にトロンボーンを使っていなかった?」という記事。これは、雑誌に掲載された折に、上記のブログ『Zauberfloete 通信』で Zauberfloete さんと佐伯氏の間で興味深いやりとりがあって、その後の経過を翌月の連載記事に書かれる旨、佐伯氏がコメントを出されていた(>>こちら)。『音楽の友』誌の編集部にこの話が伝わっていたかどうかは不明だが、書籍化にあたって注記くらいは入っていると期待していたにもかかわらず、ここは残念ながら雑誌掲載時のままであった。

 あと他のページを読んでいて気になったのは、「ショパン「ピアノ協奏曲第2番」--- 「ショパンはオーケストレーション」が本当に下手だったのか?」という記事に掲載された譜例(p.44)。第3楽章・冒頭部分の(バス)トロンボーン・パートなのだが、「原行譜(上)に対して手稿譜や初版譜(下)はスラーが中心のアーティキュレーションになっている」と注記がある。にもかかわらず、譜例の方を見ると、「●原行譜」とされる上のものにスラーが多く、「●手稿譜や初版譜」とされる下のものにスラーが少ない。これはなぜか?

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 記事自体、何度も読み返してみたが、どうも辻褄が合わない。結局「これはもしかして譜例の印刷が逆?」ということに思いあたり、Zauberfloete さんにも尋ねてみたところ、「位置が逆だと思います」とのコメントをいただき、やっと胸のつかえが降りたばかりであった(>>こちら)。

 ここまでが2月27日木曜日夜の話で、本日、たまたま仕事で図書館に行く用事があったので、当該記事の雑誌掲載時には譜例がどうなっていたかを確認するため、『音楽の友』のバックナンバー(2018年6月号)を見せていただいた。すると、なんと初出時には、譜例はムック本とは上下逆で、文字通り「手稿譜や初版譜(下)はスラーが中心のアーティキュレーション」になっていたので、びっくり。ということは、『新名曲解体新書』の編集時に、譜例を間違って入れ替えてしまったのである。これは、佐伯氏にはまったく無縁の話。最初、このような「間違い探し」のような記事を書くのはどうかと思っていたのだが、佐伯氏の名誉のために本稿を書くことにした次第。音楽之友社の関係者の皆様、増刷の折りにはぜひ訂正を。それが無理なら、正誤表をはさんでください(できれば、『魔笛』序曲の自筆譜の状況説明も)。

 ちなみに、細かい点で恐縮だが、この記事の譜例冒頭に「13」という数字が付されている(初出誌、ムック本とも)。これは一般的に言って小節数を表すと思われるのだが、実はこのトローンボーン・パートは第3楽章の第17小節である。この件ほか、ショパンの楽譜の検討は(その2)で。

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2020年2月22日 (土)

彼女のバッハは

 前回、Amazon の AI スピーカー、Echo による就寝前の音楽視聴について書いた。例えば、ベッドの中から「Alexa、バッハのピアノ曲を聞かせて」と呼びかけるだけで「平均律」や「ゴルドベルク変奏曲」といった曲をランダムに流してくれる。大抵は BGM 風に聞いているうちに眠りに落ちていくのだが、先日、目覚ましい「トッカータ」の演奏が始まって、一気に目が冴えたことがあった。いわゆるバッハ弾きの演奏ではない。テンポも速く、おそろしく指がまわっている。「一体、誰の演奏だろう?」と思い、Alexa に「この曲の演奏者は?」と尋ねてみたところ、マルタ・アルゲリッチの名前が返ってきたので、驚いた反面、「なんだ、そうか」と納得もした。というのも、アルゲリッチにバッハ・アルバム(DG)があったことは記憶していたし、その演奏の見事さは彼女ならある意味、当然と思ったからだ。ただし、僕自身はこのアルバム、LPで出た頃には買っていない。自宅にはアルゲリッチの DG におけるソロ演奏を集大成した『Martha Argerich: The Collection 1: The Solo Recordings』という8枚組のセットがあり、そこには含まれているのだが、おそらく全体を通して聴いたか聴かなかったかというくらいだ。つまり、そういう未知の演奏に意図せず出会うことができるのも、AI スピーカーのおかげと言えるのだろう。

 アルゲリッチと言えば、シューマンやショパン、ラフマニノフ、あるいはラヴェルといったロマン派の作品に本領があるだろうが、ベートーヴェンやハイドンといった古典派の協奏曲録音にも名盤があり、ある意味、オールラウンダーなピアニストと言える。数年前に『レコード芸術』(音楽之友社)誌で、音楽評論家30人による「世界のピアニスト・ランキング2018」(2018年7月号)という投票企画があり、そこで彼女は全体ランキングで第4位、現役ランキングで第1位という位置付けであった。ちなみに全体ランキングの第1位から第3位は、ホロヴィッツ、リヒテル、ルービンシュタインというもはや伝説の巨人たちであり、アルゲリッチに次ぐ第5位がなんとミケランジェリだから、いかに彼女に対する評価が高かったかがわかるというものだ。今回、僕が聴いたバッハも、技術的にはまったく破綻がないばかりか、声部の弾き分け方や音の濁りのなさなど、まったく見事というに尽きる。同じアルバムに、ハ短調のパルティータ(第2番)が入っているが、こちらも一旦これを聴いてしまうと、他の演奏が凡庸に聴こえるのではと思えるくらいの出来である。彼女は、余程この曲が気に入っていると見えて、後年にもライヴで弾いている。だが、何よりもこれは、彼女だけにしか弾けない「彼女のバッハ」になっていることの方が重要だろう。

 ちなみに上記ランキングで全体ランキングの第6位に入ったのは、ポリーニ。これは単なる偶然だが、先月、彼とアルゲリッチという当代屈指のピアニスト二人を扱った『アルゲリッチとポリーニ/ショパン・コンクールが生んだ2人の「怪物」』(光文社新書)が出た。こういう一般向けの新書が出るというのも、彼女ならではのことだろう。ただ筆者が思いつきのまま綴ったというような、とっちらかった構成が少し残念と言えば残念。しかも、日本人が「ムラヴィンスキーの代わりに来たサー・ジョン・バルビローリにもちゃんと拍手を送った。」などというとんでもない記述まであるのだから、むしろ編集側に問題があるのだろう。アルゲリッチのことを書いた文章なら、青柳いづみこさんの『ピアニストが見たピアニスト―名演奏家の秘密とは』(中公文庫)の方がずっとよく調べられていて、読み応えもあると思う。

※言うまでもなくサー・ジョンは、大阪万博時、1970年の初来日を前に急逝している。同じ年、レニングラード・フィルに同行しムラヴィンスキーも大阪にやってくるという予定だったが結局は出国できず、その代役はマリスの父、アルヴィド・ヤンソンスだった。ちなみに、このときのレニングラード・フィルの演奏会は、ライヴ録音で残っている(1970年7月1日、Altus:ALT094)。また、来日できなかったサー・ジョンの代役は、もう一人のジョン、つまりプリッチャードであったという。

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2020年2月11日 (火)

2019年まとめ

 すでに2月に入っているが、今回は昨年のまとめ記事。

 2019年に一番記憶に残った録音(CD)は、ジョージア(グルジア)出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのシューベルト集。新進演奏家が作曲家デビューのアルバムで、いきなり変ロ長調ソナタ D.960 をぶつけてくることくらいではもう驚かないつもりだが、この演奏は、正直すごい。自分の感性を信じ切った没入ぶりといい、極限まで大きく幅をとった緩急・音量の対比といい、こんなシューベルトは聴いたことがない。冒頭楽章の提示部をじっくり6分ぎりぎりまでかけて弾き、そのあと堂々と同じテンションで提示部のリピートに入るあたりは、まさに圧巻と言える。言い換えれば、彼女の演奏で聴くと、もはや古典派のソナタ(形式)の曲の常套手段である繰り返しが、このソナタが書かれた時点ですでに形骸化の道を歩んでいたことがわかるというものだ。ソナタのアンダンテ・ソステヌートは超絶的な遅さで始まるが、一方で変ホ長調の即興曲では極めて速い自在な音の流れを際立たせるなど、意外性たっぷりのアルバムになっている。僕がシューベルトのピアノ・ソナタで、最近よく聴くのは高橋アキさんのシリーズ(カメラータ)だが、ニュートラルなアキさんのシューベルトとはまた違った魅力にあふれている。加えて、アーティスト自身が名画のオフィーリアに扮したジャケットのアートワークも圧倒的に見事。クルレンツィスといい、このブニアティシヴィリといい、大手レコード会社がのきなみ影響力を落としている中で、ソニー・クラシカルは近年非常に良い仕事をしている。

 今年、20年以上続けてきたポータブルCDプレーヤー(CDウォークマン D-E01)とイヤフォンという就寝時の音楽視聴のスタイルが、ついに変わった。というのも、Amazon の AI スピーカー、Echo を導入したから。「Alexa(アレクサ)、バッハのピアノ曲を聞かせて」「ダウランドの曲を聞かせて」などと呼びかけるだけで、好きな音楽を流してくれる便利さは、一度経験するとちょっとあとには戻れない。なにしろ「少し、小さくして」「次の曲」「20分たったら、消して」という感じで、その後の操作もベッドに入ったまま自由自在にできる。AI 自体はまだまだ発展途上で、特定の曲の特定の楽章を「聴く」というようなマニアックな要求には応えてくれないのだが、就寝前に漫然と聞き流すというシチュエーションにはこれで十分、というか最適だろう。なにしろ「パレストリーナの曲を聞かせて」「フィリップ・グラスの曲を聞かせて」というようなお願いにも応えてくれるのだから(ちなみに年末あたりから Echo で一番よく再生したのは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だったりする・・・)。

 ちなみに僕が Echo と連動させている音楽配信サービスは、標準の Amazon Music。ここではブニアティシヴィリの各盤も聴ける。上記のシューベルトは、さすがに CD で買ったが、彼女の他の盤はこのストリーミング配信で聴いている。NML ナクソス・ミュージック・ライブラリーもかなり初期から加入しているので、遅きに失した感もあるのだが、ここに至ってやっと僕も「 CD(メディア)で持っていないと安心できない病」から快癒することができそうな気もしている。そんな事情も手伝って、各社から出る激安セット物にも、今年はあまりやられなかった。意識して続けて買ったのは、カラヤンの一連の来日ライヴ集と、ロトのマーラー(第1、第3)くらいか。

 昨年の「2018年まとめ」という記事で、「レコード・アカデミー賞」について以下のようなことを書いた。

「ちなみに「レコード・アカデミー賞」は、「各年度(1年間)に、日本のレコード会社から発売されたクラシック・レコード」、いわゆる国内盤を対象にしているとある。(中略)正直、この時代にあって、国内盤などというくくりに意味があるとは思えない。この際、「レコード・アカデミー賞」も、たまたま!国内盤で出たディスク内で競うのではなく、日本人演奏家部門(確か、かつてあった)や、日本のレコード会社の企画盤部門、あるいは日本での録音部門とかのレギュレーションで競う方がずっと良いのではないだろうか。」

 その記事を審査委員が読んで反省した、などということはまずないが(笑)、今年の「レコード・アカデミー賞」大賞は、古典四重奏団のショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲全集というからびっくりした(『レコード芸術』2020年1月号、音楽之友社・刊)。それだけにとどまらず、日本人演奏家の作品が、特別部門を除く(交響曲から現代曲までの)主要9部門中4部門で受賞するという快挙を成し遂げた。これは、実に歓迎すべき傾向だろう。一方で、いわゆるメジャー・レーベルは影が薄い(「グラモフォン」2部門)、「ソニー・レコーズ」1部門のみ)。大賞盤を出している「クレアシオン」というレーベルは、同四重奏団のチェリストで、タブラチューラという(擬似)ルネッサンス楽団のフィーデル担当でも有名な田崎瑞博さんが立ち上げたレーベルである。また大賞銀賞の佐藤俊介氏によるバッハ/無伴奏バイオリンソナタ&パルティータは、「アコースティックリバイブ」というレーベル名だが、こちらは何と超高級オーディオ用のケーブルやアクセサリーを出している会社である。そのほかは、「アルファ」や「アパルテ」「TRITO」といった知る人ぞ知るといったマイナー・レーベルから選ばれている。デジタル時代にあって、業界の流動化がますます進む一方で、主要オーケストラやオペラハウスの配信事業と合わせ、新たな時代の到来を考えさせられる今年の「レコード・アカデミー賞」であった。ちなみにブニアティシヴィリのシューベルトは、器楽曲部門でノミネート盤には入ったが、残念ながら受賞は逃した。しかし、翌月の『レコード芸術』誌で発表された読者投票による「クリティカル・チョイス2019」では、堂々3位に入っている。満足。

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