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2020年4月29日 (水)

モーツァルトの歌曲「老婆」は完成作か?

 前回の記事「モーツァルトの全自作品目録(その4、1787年)」において、1787年の5月18日に完成された「老婆」K.517 と、同20日に完成した「秘めごと」K.518 という2つの歌曲について、「初版の出版時に、前者は不明の人の手で、後者はヨハン・アントーン・アンドレーの手で伴奏部分が補筆されている」という情報を記しておいた。このことは、一般に日本語で読むことのできる曲解説などでは、ほとんど触れられていない。唯一、僕が見つけたのは、後者の K.518 について、『モーツァルト事典(東京書籍・刊)』において、訳者の松田聡氏の訳注にこう書かれていたもの。

「◆《ひめごと》の伴奏パートは、大部分が他人(ヨンン・アントーン・アンドレー)の手になるとの情報が、『新全集』序文の補遺にある(アイゼンはアウグスト・エーバーハルト・ミュラーの名も挙げている)。」(p.129、「ヨンン」はママ)

 この記述を元に、新全集の「歌曲」の巻「NMA III/8: 歌曲 (Ernst August Ballin, 1963)」の前文・補遺(1987年)を見ると、モーツァルトに由来する筆跡としては、以下のような言及がある。

「左手の第1小節(アウフタクトを含む)から第2小節(4分音符の c を含む)まで
 右手の第8小節(2番目の8部音符を始めとして)から第9小節(5番目の8部音符)まで
 18、19小節の両手
 新全集(NMA)において、普通に印字された残りの音符は、ヨハン・アントーン・アンドレーによって、モーツァルトの自筆譜に加えられた。」

 というのも、この曲の自筆譜は、例によってポーランドのクラクフにあって、新全集の初版の編集時には直接、参照できなかったのだろう(この巻の編集者であるエルンスト・アウグスト・バリーンが、まだ自筆譜がベルリン国立図書館にあった時期に作ったメモによったと、校訂報告にある)。のちに自筆譜の閲覧が可能になり、実際にそれを見ることができたわけだが、実はそのクラヴィーアによる伴奏部は、なんとほとんど出版社のアンドレーの筆跡だったことがわかったということではないだろうか(アンドレーは、作曲家でもあった)。以下に、IMSLP にアップされていた自筆譜の画像(K.518 の部分)を示す。

K518

 皆さんはどうご覧になるだろうか? 歌唱声部は見慣れたモーツァルトの筆致だが、伴奏部はほとんど違った人の手になるものであることが、素人目にもわかる(まずもって、符頭の向きが反対)。新全集が指摘した2番目の箇所(第8小節)など、右手の1番目の8部音符は明らかに追記された跡が見える。また実際の音符も、右手パートはほとんど歌唱声部をなぞっただけに見える(今の新全集版の楽譜は、編集者が和声等をつけており、それらの付加は小さな音符で表されている)。

 一方、K.517 の方はどうか? 今度は、最初に、自筆譜の画像を見てもらおう。

K517

 こちらは、驚くべきことに、クラヴィーア・パートの右手の部分は、ほとんど書かれていない。この点について、これまでの有力な解釈は、「老婆」が昔を懐かしんで大いに嘆く、という歌詞の内容に基づき、モーツァルトがあえてより古い形式の記譜である「通奏低音」の形で伴奏を書いたというものである。例えばこちら。

「 4節からなる詩は,昔のよき時代を懐かしみ,今の時代を嘆く,いつの世にも聞かれる老人の言葉。モーツァルトはすばらしい機知をもってこの詩を輝かせた。すなわち「老婆」の語りを表現するのに,<通奏低音>で作曲したのである。<通奏低音>は,低音に付けられた数字をもとに即興的に和音づけを行う方法で,17〜18世紀前半の音楽に用いられた技法である。」(『モーツァルト事典』東京書籍・刊、藤本一子氏の担当)

 確かに、モーツァルトの初期のリートには、そのような形で書かれた曲がいくつかある(K.53(43b)、K.148(125h)、K.343(336c))。新モーツァルト全集において、それらの曲には、リアリゼーションの上、加筆された右手パートが、小さな音符で追記されている。ただし、通常、通奏低音は、一段の五線にバス(と記譜音からの音程を示した数字が付く場合も)のみが書かれる。こちらは、K.148(125h)「ヨハネ分団の儀式のための賛歌『おお、聖なる絆よ』」の例である。

K148

 一方、K.517 の伴奏は、見てのとおり大譜表に書かれており、第2~4小節目および終結部は、(声楽と同じ旋律ながら)右手パートも書かれている ※。また K.517 の自筆譜を見たあとで先の K.518 に戻ると、当初 K.518 も不完全な記譜状態であり、そこにアンドレーが追加で音符を書き込んだことがよくわかる。両者とも終結部には、短いが「擬古様式」とは思えない装飾的な後奏が付く。また、上に挙げたK.518 の自筆部分の2番目は、第2節と第3節の間を繋ぐ短い間奏、歌唱声部のない箇所である。このような肝心な部分のみ先に書いていく記譜法は、モーツァルトが急いで曲を書いているときなどによくある「節約法」である>>「ロンド K371 の見つかった「60小節」(その2)」を参照。以上のことから、これらはともに楽譜としては未完だったとも考えられる。実際に新モーツァルト全集の補遺(2002)では、両作品に、K.517>>「Fr 1787w」、K.518>>「1787x」 というフラグメント作品に与えられる番号を付している ※※。

 ただ以上のことは、主に楽譜の記譜状況という外形的証拠によっての判定である。特に K.517 については、これを様式的に見れば、左手パートをバス1声で書くやり方が効果を上げているように見える ※※※。前記事でも触れたように、モーツァルトがわざわざ「完成日」を書いて、全自作品目録に載せたことの意味も考える必要がある。モーツァルトの歌曲を聴くとき、どうしても歌手の歌う美しい旋律に気を取られて、伴奏部まで気にしてこなかったのではないだろうか(少なくとも僕は、そう)。だが、これらの曲を聴くとき、ちょっと伴奏にも耳を傾けていただけると、また新しい発見があるのではないかと思う。

※ モーツァルトの初期の歌曲に、K.147(125g)「いかに私は不幸なことか」という短い作品がある(下記、譜例)。こちらは、やはり通奏低音的な書法でバス=左手パートをかきながら、大譜表を使い、右手パートも自分で書き下ろしている。そのような例があるには、ある。

K147
※※ この補遺編の編者、ウルリッヒ・コンラッドが作った『Mozart Catalogue of his Works』(Barenreiter、2005)でも、同じ扱い。
※※※ 往年の名盤、シュワルツコップとギーゼギングの「歌曲集」では、新全集の加筆等より簡潔に、ほぼ8部音符と休符だけで、まるでコラールのように伴奏を付けており、歌手の「老婆ぶり」も合わせて、大変な聴きものになっている。

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2020年4月26日 (日)

モーツァルトの全自作品目録(その4、1787年)

<第10葉・裏>

1787年

プラハにて

2月6日

+(51,) 6つのトイチェ 2 vn, 2 fl, 1 fl picc; 2 ob, 2 cl, 2 bn,
  2 hr, 2 tpt, timp と basso

 (「6つのドイツ舞曲」K.509)

ウィーン

3月11日

+(52,) ロンド ピアノ独奏のための
 (イ短調 K.511)

18日

+(53,) シェーナ フィッシャー氏のための 私は知らぬ、どこからやって来るのか 以下続く: 伴奏 2 vn, 2 va,
  1 fl, 2 ob, 2 bn, 2 hn と basso
 (K.512 ※+記号は極めて薄い)

23日

(54,) アリア ゴットフリート・フォン・ジャカン氏のための お前と別れる今、おお、娘よ 以下続く:
  伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 cl, 2 bn, 2 hn と basso
 (K.513 ※+記号は薄い)

4月19日

+(55,) 五重奏曲 2つのヴァイオリン、2つのヴィオラとチェロのための
 (第2番ハ長調 K.515)

<第11葉・裏>

5月16日

(56,) 五重奏曲 2つのヴァイオリン、2つのヴィオラとチェロのための
 (第3番ト短調 K.516)

18日

+(57,) 歌曲 クラヴィーアと声楽のための 老婆
 (ホ短調 K.517)

20日

+(58,) 歌曲 ––– ––– 秘めごと ––––
 (ヘ長調 K.518 ※+記号は左だけ)

23日

+(59,) 歌曲 ––– 別れの歌
 (ヘ短調 K.519)

26日

+(60,) 歌曲 ––– ––– ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき
 (ハ短調 K.520)

(検討)
 (55,)のあとに、4声の二重カノン(515b)があった。これは親友のジャカンに献呈されたもので、1787年4月24日の日付を持つ。また(51,)のあとに、4声のカノン「親愛なるフライシュテットラー君、親愛なるガウリマウリ君」(509a)があったが、これは新全集でこの年の7月4日以降の作と推定されている。ともに、目録に記載なし。
 この期間で最も重要な目録未掲載曲は、弦楽五重奏曲ハ短調 K.406(516b) だろう。この曲は、管楽セレナードハ短調 K.388(384a)の編曲で、(55,)、(56,)の五重奏曲の作曲と同時期に、曲集の基本単位=3編にするために、改編されたのだろう。関連して、変ロ長調(514a)、ト短調(516a)というフラグメントもあった。
 他にも、クラリネット五重奏曲の短い断片(516d、516e)もあったが、より興味深いのは K.516f という番号を持つ通称「音楽のサイコロ遊び」だろう。というのも、タイソンの<透かしのカタログ>によれば、五重奏曲 K.516 第3楽章の冒頭主題がクラヴィーア用に書かれた自筆譜と同じ用紙に、この作品(になるべき各断片)が書かれているという。そのことからこの位置に置かれているが、作品としての姿や遊び方にはいまだ不明な点も残っている(日本の野口秀夫さんが、名前のアルファベットに関係があることを発見された>>こちら)。
 一方、(57,)、(58,)の両歌曲は、初版の出版時に、前者は不明の人の手で、後者はヨハン・アントーン・アンドレーの手で伴奏部分が補筆されているという(今後は、フラグメント作品として、Fr 1787w、Fr 1787x と呼ばれることになるようだ)。つまりは未完成作品だったわけで、それでも全自作品目録に載せられたことは、あらためて特筆に値する。

<第12葉・裏>

5月29日

+(61,) クラヴィーア・ソナタ 4手による
 (ハ長調 K.521)

6月14日

+(62,) 音楽的な冗談 アレグロ、メヌエットとトリオ、
  アダージョとフィナーレから成る ー 2 vn, va, 2 hn と basso
 (ヘ長調「音楽の冗談」 K.522)

6月24日

−(63,) 歌曲 ––– ––– 夕べの想い
 (ヘ長調 K.523)

同上

−(64,) 歌曲 ––– ––– クローエに –––
 (変ホ長調 K.524)

8月10日

(65,) 小さな夜の音楽 アレグロ、メヌエット
  とトリオ – ロマンツェ  メヌエットとトリオ、とフィナーレからなる
  – 2 vn, va, と bassi
 (ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 K.525)

<第13葉・裏>

24日

+(66,) クラヴィーア・ソナタ ヴァイオリンの伴奏を伴う
 (第42番イ長調 K.526)

10月28日

プラハにて

(67,) 罰せられた放蕩者 または ドン・ジョヴァンニ 2幕のオペラ・ブッファ – 
  音楽作品 24編 役者 女性たち テレーザ・サポーリティ、ボンディー二とミチェッリ
  男性たち パッシ、ポンツィアーニ、バリオーニとロッリ ––
 (K.527)

11月3日

(68,) シェーナ ドゥーシェク夫人のための レチタティーヴォ: – 美しい私の炎 – アリア とどまってください、
  ああ、愛しい人よ 以下続く: 伴奏 – 
 (「とどまって下さい、いとしい人よ K.528)

6日

+(69,) 歌曲 ––– ––– フリッツの誕生日
 (ヘ長調 K.529)

同上

+(70,) 歌曲 ––– ––– 夢の歌(※ママ)
 (「夢の像」変ホ長調 K.530)

––––––––––––


<第14葉・裏>

12月11日

+(71,) 歌曲 ––– – 小さな糸紡ぎ娘
 (ハ長調 K.531)

(検討)
 (62,)のあとに、「音楽の冗談」のフィナーレの断片(ロンド、522a)があった。タイソンの<透かしのカタログ>によれば「Wasserzeichen 55」という用紙に書かれており、これは「音楽の冗談」のものと同じ種類であることなどからの想定である(ギークリンクの説)。
 (65,)の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」にも、緩徐楽章の断片(525a)がある。楽器編成からの想定だが、K.525 も K.525a もともに上記「Wasserzeichen 55」という透かしを持つ同じ用紙に書かれている。(66,)のヴァイオリン・ソナタのものと思われる断片(526a)もあったが、これが書かれた用紙も「Wasserzeichen 55」で、しかも同じ用紙に(67,)の「ドン・ジョヴァンニ」のスケッチ(第1幕のフィナーレ:祝宴シーン)も含まれている(<透かしのカタログ>)。これらの用紙の使い方は、実に興味深い。
 ちなみにモーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 の第2・3楽章の自筆譜5葉目も、この「Wasserzeichen 55」 の用紙で、先日書いた記事でも、この点について触れている。>>こちら。その記事でも触れているが、この K.447 もこの年、1787年の作と想定されているが、目録に記載がない。

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2020年4月25日 (土)

モーツァルトの全自作品目録(その3、1786年)

<第6葉・裏>(続き)

1786年

2月3日

+(32,) 劇場支配人 シェーンブリュンのための音楽つき一幕の喜劇 序曲、
  2つのアリア、三重奏とヴォードヴィルからなる ― ランゲ夫人、カヴァリエリ嬢、
  アダムベルガー氏のために
 (K.486)

3月2日

+(33,) クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 cl,
  2 bn, 2 hn と basso
 (第23番イ長調 K.488)

10日

+(34,) 二重奏曲 私のオペラ イドメネオへの フォン・プッフェンドルフ夫人とプリーニ男爵のために
  伴奏 2 vn, 2 va, 2 ob, 2 bn, 2 hn と basso
 (「私には言葉では言えません」K.489)

同上

(35,) シェーナとロンド ヴァイオリン独奏つきの プリーニ男爵とハッツフェルト伯爵のために
  同上で述べたオペラへの 伴奏 2 vn, 2 va, 2 cl,
  2 bn, 2 hn と basso
 (「もういいの、すべてをきいてしまったの」「心配しなくてもよいのです、愛しい人よ」K.490)

<第7葉・裏>

3月24日

+(36,) クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 2 cl, 2 bn, 2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第24番ハ短調 K.491)

4月29日

(37,) フィガロの結婚 4幕のオペラ ブッファ  音楽作品 34編 役者
  女性たち ストレース、ラスキ、マンディーニ、ブッサーニとナンニーナ・ゴットリープ ー 男性たち ベヌッチ、
  マンディーニ、オッケリーとブッサーニ
 (K.492)

6月3日

(38,) 四重奏曲 クラヴィーア、ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第2番変ホ長調 K.493)

10日

(39,) 小さなロンド クラヴィーア独奏のための
 (K.494)

26日

(40,) ヴァルトホルン協奏曲 レイトゲープのための 伴奏 2 vn, 2 va, 2 ob, 2 hn と basso
 (第4番変ホ長調 K.495)

(検討)
 (32,)の前に、現在でもよく弾かれるピアノの佳曲、ロンド二長調(K.485)があった。未完成曲でもないし、自筆譜には「1786年1月10日、ウィーンにて」との記述があるにもかかわらず、全自作品目録には掲載がない。ケッヘルによれば、ロンド主題は自作ではなくヨハン・クリスチャン・バッハの五重奏曲によるとのこと。それが上記未記載と関係するのかもしれないが、モーツァルトはこの主題をすでにピアノ四重奏曲 (K.478)のフィナーレでも使っている(こちらは目録に記載あり)。
 この(32,)のあとに、「12(3)の二重奏曲」(K.487(496a))があった(Zauberfloeteさんからご指摘をいただいた)。自筆譜が残っているのは第1、3、6番の3曲だけで、しかも楽器の指定がない! ホルン(初版)、ヴァイオリン(旧全集)、バセットホルン(旧全集補遺)、ホルン(新全集)と諸説あるが、自筆譜には作曲者の名前に続き「ウィーン、1786年7月27日、ケーゲルシュタットをしながら」とあることから、この時期の成立であることは間違いない(用紙は「Wasserzeichen 86」で、下記 K.469、K.497、K.498「ケーゲルシュタット三重奏曲」!、K499 でも使われているもの)。
 他にケッヘル6版では、(33,)のあとに K.488 のフィナーレのための短いロンド断章(488d)があった。(36,)のあとにも、K.491 の緩徐楽章への断片がある(491a)。また、(38,)のピアノ四重奏曲 K.493 の終楽章におけるピアノ・パートの断章(493a)が書かれた用紙には、下段の(検討)に記したカノンの一部が書かれている。

<第8葉・裏>

7月8日

+(41,) 三重奏曲 クラヴィーア、ヴァイオリンとチェロのための
 (第3番ト長調 K.496)

8月1日

+(42,) クラヴィーア・ソナタ 4手による
 (ヘ長調 K.497 ※+記号は下だけなし)

5日

+(43,) 三重奏曲 クラヴィーア、クラリネットとヴィオラのための
 (変ホ長調「ケーゲルシュタット」 K.498)

19日

+(44,) 四重奏曲 2つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第20番ニ長調 K.499)

9月12日

(45,) 12の変奏曲 ピアノ独奏のための
 (変ロ長調 K.500)

<第9葉・裏>

11月4日

+(46,) 変奏曲 クラヴィーアのための 4手による
 (ト長調 K.501)

18日

+(47,) 三重奏曲 クラヴィーア、ヴァイオリンとチェロのための
 (第4番変ロ長調 K.502)

12月4日

+(48,) クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob,
  2 bn, 2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第25番ハ長調 K.503)

6日

(49,) 交響曲 – 2 vn, 2 va, 2 fl, 2 ob, 2 hn, 2 bn,
  2 tpt, timp と basso
 (第38番ニ長調「プラハ」K.504)

27日

+(50,) シェーナとロンド クラヴィーア独奏を伴う ストレース嬢と私のための 伴奏 2 vn,
  2 va, 2 cl, 2 bn, 2 hn と basso
 (「どうしてあなたが忘れられるだろうか」「心配しなくてもよいのです、愛する人よ」K.505)

(検討)
 ケッヘルでは、4手用の未完のト長調作品(497a、500a)があり、かつては組み合わせて1曲とされていたり、(46,)との関連も想定されていたりしたが、未詳の部分も多い。
 (49,)のあとには、「プラハ」交響曲の緩徐楽章の断片があった(504a)。
 完成作では、K.506 の歌曲「自由の歌」があった。こちらは、初版が「ウィーン音楽家年鑑1786年版」であり、ケッヘル6版ではこの年に属する番号が与えられていた。が、本年鑑の出版は1785年末頃と想定されるとのことで、その頃の作と言われるようになった。いずれにせよ、全自作品目録には記載なし。ちなみに、コンスタンツェは目録を書き出す前の作だと手紙(1799年)に書いているという。
 (506a)という番号を持つ「トマス・アトウッドのための練習帳」もあって、モーツァルトの自筆の譜例もいくつか含まれるが、これは作品とは言いがたい。また、K.507、508という3声のカノン、あるいは(508A)、(508a)等の歌詞のないカノンも、1786年に集中して書かれたようだが、目録には記載がない(後年のカノンは記載あり)。これらのうちには、左記「練習帳」にアトウッドの手で書き写された作もある。カノンの練習という扱いか。

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2020年4月24日 (金)

モーツァルトの全自作品目録(その2、1785年)

<第2葉・裏>(続き)

1785年

1月10日

+(12), 四重奏曲 2つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第18番イ長調 K.464)

14日

+(13), 四重奏曲 2つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第19番ハ長調「不協和音」 K.465)

2月10日

(14), クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob,
  2 bn, 2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第20番ニ短調 K.466)

3月6日

+(15), アリア 音楽家協会のアダムベルガーのための 数知れぬくるしみのさなかで 以下続き:
  伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 1 ob, 1 cl, 1 bn, 2 hn と basso
 (カンタータ「悔悟するダヴィデ」K.469 第6曲)

<第3葉・裏>

3月9日

+(16,) クラヴィーア 協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 2 bn,
  2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第21番 ハ長調 K.467)

11日

+(17,) アリア 音楽家協会のカヴァリエーリのための - 小暗く、不吉な影の中から 以下続き:
  伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 1 cl, 2 bn, 2 hn と basso
 (カンタータ「悔悟するダヴィデ」K.469 第8曲)

26日

+(18,) 石工職人=歌曲 声楽とクラヴィーアのための 新たなる位階に
  知恵の、今、進まんとするあなたがた 以下続き:
 (歌曲「結社員の旅」K.468)

4月1日

(19,) アンダンテ 協奏曲におけるヴァイオリンのための 伴奏 2 vn, va,
  2 ob, 2 hn と basso

 (イ長調 K.470/散逸)

20日

(20,) 小カンタータ 石工の喜び - テノール声部と、
  最後に2部のテノールとバスの小コーラス 伴奏 2 vn,
  2 va, 1 cl, 2 ob, 2 hn と basso
 
 (変ホ長調「フリーメーソンの喜び」K.471)

(検討)
 1783年にザルツブルクで初演されたミサ曲ハ短調 K.427 を編曲したカンタータ『悔悟するダヴィデ』K.469の扱いは、特筆に値する。新作として書かれた第6曲と第7曲のアリアのみを、おそらく完成日に分けて記載している。ミサ曲の初版は1840年に出た。モーツァルトの生前にウィーンでは演奏されなかったと思われるので、目録に記しても差し支えなかったと思わないでもないが、ここでの彼は律儀にアリアのみを<新作>と認めたことになる。
 その他ケッヘルでは、(12,)絡みと思われる弦楽四重奏曲の断章(464a)、未完のカンタータ「汝に、宇宙の魂よ」(468a、1786年とも)があった。

<第4葉・裏>

5月7日

+(21,) 歌曲 クラヴィーアと声楽のための 魔術師
 (
ト短調 K.472)

同上

+(22,) 歌曲 ―――――― 満足
 (
変ロ長調 K.473)

同上

+(23,) 歌曲 ―――――― 偽りの世
 (
ト長調 K.474)

20日

+(24,) 幻想曲 クラヴィア独奏のための
 (
ハ短調 K.475)

6月8日

+(25,) 歌曲 クラヴィーアと声楽のための ―――――― すみれ
 (
ト長調 K.476)

<第5葉・裏>

7月

+(26,) 石工的な葬送音楽 兄弟: メックレンブルクと
  エステルハージの逝去に際しての 2 vn, 2 va, 1 cl, 1 bst-hr, 2 ob,
  2 hr と basso
 (ハ短調「フリーメーソンのための葬送音楽」 K.477 (479a) )

同上

+(27,) 四重奏曲 クラヴィーア、ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第1番ト短調 K.478)

11月5日

+(28,) 四重奏曲 オペラ 誘拐された村娘への コルテッリーニ嬢、
  カルヴェージ氏、マンディーニ氏とブッサーニ氏のための 伴奏 2 vn, 2 va, 2 ob,
  2 cl, 2 bn, 2 hr と basso
 (「せめておっしゃって、私がどんな過ちを犯したのか」K.479)

21日

+(29,) 三重奏曲 同上のオペラへの コルテッリーニ嬢、カルヴェージ氏とマンディーニ氏のための
  伴奏 2 vn, 2 va, 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 bn, 2 hr と basso カルヴェージ氏、
 (「いとしのマンディーナ」K.480)

12月12日

(30,) クラヴィーア・ソナタ ヴァイオリンの伴奏を伴う
 (第41番変ホ長調 K.481)

<第6葉・裏>

12月16日

+(31,) クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 cl,
  2 bn, 2 hr, 2 tpt, timp と basso
 (第22番変ホ長調 K.482)

(検討)
 ケッヘル番号では、(24,)のあとに歌曲「ぼくはひとりぼっちだ」の一部(475a)、未詳のカンタータ「オフェーリアの全快に寄せて」
(477a)があった。かつては、未完の三重奏曲「ここにアマゾンたちの大王国のありかが」(480b)は、1875年の終わりの作と想定されていたが、1786年の作とされる。
 ちなみに、(26,)の「葬送音楽」の説明書きに名前の挙げられた二人の結社員、メックレンブルクとエステルハージの死亡日がともに11月であることから、目録の「7月に」という日付には「誤期説」「事前成立説」を初め多くの議論がある。少なくとも自筆譜上は、一度完成した後に2本のバセットホルンとコントラファゴットが追加されていて、目録にはその楽器名は見あたらない(目録でホルンとあるのは、自筆譜ではコルノ・ダ・カッチャ。いわゆる「狩のホルン」)。しかも題名は、「葬送音楽」とだけある。これに関して、近年、この年の8月演奏の男声入りの初稿があったという説も出ているが、異論も多い。
 一方、(31,)のあとに位置するフリーメーソン用の一対の合唱付きリート「親しき友よ、今日こそ」(483)と「汝ら、われらが新しき指導者よ」(484)は、1785年末(〜1786初め)の作で、自筆譜も残っているが、なぜか目録には載らなかった。分団の統廃合に伴う「機会音楽」だからだろうか。
 他に、かつて作曲時期が1785年末に位置付けられていたバセットホルンからみの未完の曲(484b、484c)消失曲(484e)もあったが、現在ではいずれも他の年であるとの想定である。

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2020年4月20日 (月)

モーツァルトの全自作品目録(その1、1784年)

 前回の記事で、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 が、手書きの全自作品目録に掲載されていないことに関する議論について触れた。この目録には、1784年から1791年までの8年間で、計145曲(「魔笛」だけは2曲分)が掲載されている。重要な資料となるので、今回、1年毎にどのような内容が書かれているかを紹介したい。また、上記の協奏曲のほかにもいくつかの重要な作品が目録から漏れているとのことなので、実際にどの作品がそうなのかについても合わせて検討してみた。ちなみにこの目録の原本は、現在、大英図書館のサイトで閲覧できる(>>こちら)ほか、そのファクシミリ本は、 Amazon や ebay などでも比較的安価で入手できるので、興味のある方は実物を参照して欲しい。

※凡例
それぞれページが変わる毎に、<  >に入れた用紙の葉番号を付けた。これと、曲表示の最後で(  )内に入れた現行の曲表記、ケッヘル番号および訳者の注記は、原本に記述なし。また各曲冒頭の番号は、1,〜 10, まで付されているが、以降はない。11番以降は (  ,) 付きで表記(原本には、誰かが鉛筆で番号を書き込んで、消した跡がある。またこの鉛筆番号は、第6葉・裏の上部で1番抜けているので、この葉の4曲目が「33」になり、以降1番づつ若い番号が付いている)。番号を左右下を「+」記号で飾っている曲もある(何曲か「−」記号もあり)。記号付きの曲は、各番号の前に「+」「−」を付けて表記した。タイトルに含まれる楽器名はそのまま訳したが、「伴奏」等で後記されている楽器名は、vn(=ヴァイオリン)、hr(=ホルン)等、記号で表した。改行もできる限り原本に合わせたが、ブログの幅の関係上、折り返されている箇所がある(冒頭=左端から始まっている行)。ドイツ語・イタリア語と日本語の語順の関係もあり、ごく一部の語句の行位置が反映できなかった箇所もある。

 

1784年

<第0葉・裏> 

2月9日

+1, クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, va と basso ― (2 ob, 2 hn 任意で) 
 (第14番変ホ長調 K.449 ※+記号は下だけなし)

3月15日

2, クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2va, 1 fl, 2 ob, 2 bn, 2 hn と basso
 (第15番変ロ長調 K.450)

22日

+3, クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 2 bn,
  2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第16番ニ長調 K.451)

30日

4, クラヴィーア五重奏曲 伴奏 1 ob, 1 cl, 1 hn と 1 bn
 (K.452)

4月12日

+5, クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2va, 1 fl, 2 ob, 2 bn, 2 hn と basso
 (第17番ト長調 K.453)

(検討)
 ケッヘル番号(第6版)で言うと、4, のあとに、ピアノを含む室内楽曲の断片(K.452b)、ピアノ協奏曲の緩徐楽章の断片(K.452c)があるが、いずれも未完成のため目録に記載はない(以下、未完の曲等については、ケッヘル第6版等の番号を持つような主な曲だけ取り上げる。協奏曲のカデンツァやスケッチも目録の対象ではないので省略)。
 また、クラヴィーアの弟子バルバラ・プロイヤーのサイン帳に記載があったという『マエストロ対位法氏の葬送行進曲』ハ短調(K.453a) は、パロディー(いたずら?)のつもりなのか、やはり記載がない。他に、同じくプロイヤー嬢のための練習帳(K.453b)に記載の各曲もあったが、同時期のものと思われている(現在は (K.453a) 等といっしょに綴られている)。

<第1葉・裏> (※ 以下、各用紙の表ページは、左の裏ページに対応する曲の冒頭譜例が載っている)

4月21日

+6, クラヴィーア・ソナタ ヴァイオリンを伴う
 (第40番変ロ長調 K.454)

8月25日

+7, 10の変奏曲 クラヴィーア独奏のための
 (グルックの主題による変奏曲ト長調 K.455)

9月30日

+8, クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 2 bn,
  2 hn と basso
 (第18番変ロ長調 K.456)

10月14日

+9, ソナタ クラヴィーア独奏のための
 (第14番ハ短調 K.457)

11月9日

+10, 四重奏曲 2つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための
 (第17番変ロ長調「狩」 K.458)

(検討)
 7, の「グルックの主題による変奏曲」は、前年の3月23日に、この日の演奏会を顔を見せたグルックに敬意を表すために即興で演奏されている。自筆譜としては、この日の演奏に由来するものと想定されている未完成のスケッチ・ヴァージョン(5変奏の途中まで)と、現行の完成ヴァージョン(10変奏)があるが、両者の五線譜はそれぞれ「Wasserzelchen 60」と「Wasserzelchen 56」と違う種類である。後者は、K.456 および K.457 でも使われていることも、譜面としての完成が、1784年の夏だったということの傍証になっている。ただし、この時期に目録に記載したことについては、少し検討が必要だろう。

<第2葉・裏>

 12月11日

(11,) クラヴィーア協奏曲 伴奏 2 vn, 2 va, 1 fl, 2 ob, 2 bn,
  2 hn, 2 tpt, timp と basso
 (第19番ヘ長調「第2戴冠式」 K.459)

(検討)
 ケッヘル番号で言うと、(11,) のあとに、ピアノ協奏曲の緩徐楽章の断片(K.459a)がくる。
 そのあとの、サルティの主題による8つ(ないし6つ)の変奏曲、および2つの変奏曲(k.460 (454a))は、前者は新全集で疑義のある作品とされたもの(アルタリアの出版譜、8つ=1803年、6つ=1787年、があるのみ)。後者は自筆譜(今は複写のみ残っている)によるが未完成。ただし、サルティのアリアを用いて変奏曲を作ったのは事実らしい。「彼に非常に喜ばれました。」と、レオポルトの手紙に書いている(1784年6月9日付け)。なぜ目録に載せなかったのか?
 さらに、6つのメヌエット(K.461 (448a))、6つのコントルダンス(K.462 (448b))、2つのカドリール(K.463 (448c))がある。これらは、ともに全自作品目録に記載がないことから、旧番号では冒頭の協奏曲(K.449)の直前の番号が与えられていたわけである(上記ホルン協奏曲の K.447 という番号も同じ考えから付けられたのだろう)。実際、あとの2つは現在でもともに1974年の1月かそれ以前の作と想定されている。が、K.461 のメヌエットは、自筆譜にはっきり「Viena 1784(二重下線)」と記載がある。これを目録に記載がないことと考え合わせ、作曲年代をこの年の2月9日以前とする説も有力だ。
 また、6つ目のニ長調のメヌエットは8小節までと、メヌエットの後半およびトリオを欠いている。

4616

 

 上記自筆譜の画像で見る限り、ちょうど8小節で筆が止まっていて、その後にかなり余白がある。つまり、残りの楽譜が一葉分取れて、紛失したわけではないようだ。余白には Franz Johannes Gleißner の手で、赤いインクで、これの代わりに2つのカドリール(K.463 (448c))のメヌエット1を、と言うような意味のことが書かれているようで、実際にそのようになっている筆写譜も複数ある。そのことは置くとしても、モーツァルト的にはこの曲は未完成のつもりだったので、全自作品目録には載せなかったとは考えられないだろうか。

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2020年4月17日 (金)

タイソンのすかし研究(その3)

 昨日は、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 について、自筆譜の情報を記しておいた。そこでは、8つの異なった種類の五線譜が使われていて、第1楽章の2箇所を除きほぼ1ページ毎に用紙を変えていたことがわかった。

「モーツァルトは比較的少量ずつ紙を買い求め、さらに入手する前に使い切るのが実情だったようだ。そして次に入手した紙は同じ店で購入したとしても、別のすかしが入ったものかもしれなかった。」アラン・タイソン「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」(『文学』1991年秋号、岩波書店)

とタイソンは書いている。彼はさらにモーツァルトの作曲状況を、「画家のアトリエ」に例える。

「アトリエにはたくさんの絵画がありますが、それはほとんどが完成されていないものです。そのなかで画家は展覧会に出品したい作品に取り組むのでしょう。」(同上、末尾の「討論」より)

 K.477 が作曲されたと思われる1787年に、モーツァルトが取り組んでいた大作と言えば、10月のプラハ再訪問のために用意されていた『ドン・ジョヴァンニ』がある。オペラのような大規模な作品は、作曲に半年以上かかるので、その間、一貫して同じ種類の用紙が使われるということはなかった。当時の五線紙は、1つのシートから4葉(枚)の横長の用紙をとることができたが、当然、アリアが途中で終わって余白のページ・部分が出ることもあっただろう。そうした場合、貴重な白紙部分をそのままにしたりせず、2枚綴りの用紙から白紙の一葉分を切り取ったり、余白部分に他の作品を書いたりして、再利用したと思われる。この項の(その2)で見たように、K.447 のうち3つないし4つの用紙が『ドン・ジョヴァンニ』と被っている。なので、『ドン・ジョヴァンニ』や他の作品を書き継ぎながら、その合間に手元にちらばっている白紙の五線紙をかき集め、この協奏曲を仕上げたのではないだろうか。

 また、Zauberfloete さんのブログ記事「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447」でもすでに指摘されていたように、第1楽章と第2・3楽章には、それぞれ別のナンバリングが付されていたことも、校訂報告で確認できた。これはこの2つの部分が当初は別々に扱われていたことを示している。また、Zauberfloete さんからは昨日の記事に「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。第1・2ヴァイオリンが同じ五線に書かれているのも驚きました。」とのコメントもいただいた。確かにヴァイオリン2部が1つの段にまとめられているのは、極めて珍しいだろう。また、この協奏曲にはオーボエがなく、代わりにB管のクラリネットが2本加わっているのも特筆すべきだ。さらにファゴットも2本使われているが、ロンドンの大英図書館のサイトで公開されているデジタル画像を見ると、第1楽章の冒頭の楽器表記では、クラリネットの下のファゴットの欄は、いったん別の楽器名が書かれたのち「2 Fagotti」と修正されたことがわかる(調性表記は上塗りで消されている)。ちょっと見にくいが、校訂報告によれば、もともとそこには「2 Corni in E♭(フラット)」(変ホ長調のホルン2)と書かれていたようである ※。

 この件に関し、ちょっと以前の記事になるが、やはり「Zauberfloete通信」において、坪井貞子さんという方による「この曲が編曲だったのでは?」という説が紹介されている(「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447~その2~」)。実際、これが未知の曲の編曲だったとすれば、モーツァルト自筆の<自作目録>にこの協奏曲に記載がないことも説明できるという。

「当然のことながら新たに作曲した1曲とはカウントしなかったので記載されなかった。記載忘れではない。自らの意思によってしなかった。(坪井さんご本人による上記ブログへのコメントから)」。

 実におもしろい論である。さらに、坪井さんは「編曲はそのままされたのではなくアウトラインはそのままで1787年頃の作風に改められて編曲がされたと思う。だからそういう響きがするのである。(同上)」と書かれている。これが確かだとすれば、もともと原曲にホルン・パートがあって、編曲時、当初それをそのまま使うつもりだったのを、急遽ファゴットに変えたというようなことも想定されるだろう(クラリネットももとはオーボエだった?)※※。Zauberfloete さんの「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。」というご指摘も、編曲だったとすればある意味、納得がいく。モーツァルトが過去の作品を編曲した場合、ミサ曲ハ短調 K.K. 427 (417a) とオラトリオ「悔悟するダヴィデ」の例のように、元の自筆譜を再利用することもあったので、判断は簡単ではないが。
 
 いずれにせよ、モーツァルトのホルン独奏によるオーケストラ曲は、自筆譜をはじめとした資料、作曲過程、想定されるソリスト、楽器の奏法など、いずれの曲も調べれば調べるほど実に興味ふかい研究素材だと思う。

※ ただし、以下書かれている音符自体はファゴットのままなので、作曲途中での変更ではなく、着手後すぐに修正したようである。余談だが、僕が先日手に入れた、「Das Horn bei Mozart = Mozart and the horn ( Facsimile-Collection )」という本にも、この曲の自筆譜が掲載されているが、画像はかなりつぶれていてグラデーションが出ていない。これでは本格的な研究には使いづらいことが今回わかった(泣)。上記、大英図書館のサイトのデジタル画像の方が数倍優れている。
※※ 第3番に先行する第2番 K.417、第4番 K.495 は、オーボエ2、ホルン2であるのに対し、最後に書かれた第1番 K.412 / K.514 (386b) は、オーボエ2、ファゴット2(ただし第1楽章のみ)である。

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2020年4月16日 (木)

タイソンのすかし研究(その2)

 前回に続き、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 に関して、タイソンのすかし研究をごく一部ながら紹介したい。『モーツァルト事典』(東京書籍)のこの曲の項では、モーツァルトが1784年の2月以降亡くなるまで書き継いでいた全自作品目録に、この協奏曲が載せられなかったことにについて触れ、それゆえケッヘルによる作曲の推定年、1783年が通説になっていた、と書いている。以下、

「ところが,まずプラートによって筆跡が1787年のものと推定され,さらにタイソンによる自筆譜の用紙研究の結果も,この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけであることが判明し,作曲の推定年は1787年と訂正されることになったのである。(渡辺千栄子、1991)」

とある。前田昭雄/藤本一子というクレジットのある『作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルトI』も、上記『事典』の記述を参照、または同じ元ネタを引き写したのではないかと思われる。なぜか、引用したかのように全体が同じ論旨なので。。。曰く「さらにタイソンも,この作品と同じ紙は1787年の《ドン・ジョヴァンニ》だけであることを明らかにした。(1993)」。ここまで書かれていると、普通はこれが定説だと思うしかないが、実はそうでもない。ちょうど Zauberfloete さんがご自身のブログで、この曲のすかしについて触れておられ、音楽評論家の石井宏氏の次のような文章を紹介されている>>こちら

「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番について、アラン・タイソンが行った五線紙の透かし模様に関する研究によれば、この曲に使われていた紙の大部分は、「ドン・ジョヴァンニ」を書いた紙と同じものだった(1787年2月~10月)。しかし、この曲の紙のうち2枚だけは別のもので、それは1789年に作曲された「6つのドイツ舞曲」K571と同じ紙であった。」(『モーツァルト ベスト101』(新書館、1995))

 Zauberfloete さんも書かれているように、従来の説明とは一部内容が変わっている。本当のところは、どうなのだろう? この協奏曲の自筆譜はロンドンの大英図書館にあり、幸いデジタル画像が公開されている>>こちら。それを見ると、曲は全体で22ページからなっている。石井氏の解説を普通に読めば、このうち2枚(裏表4ページ分)が「6つのドイツ舞曲」K.571 と同じ五線紙、そのほかの大部分(残り全部だとしたら9枚、裏表18ページ分)が『ドン・ジョヴァンニ』と同じという風に読める。ということで、新モーツァルト全集の K.447 の校訂報告を調べてみた。以下は、そのうちこの曲の自筆譜の様子を示した図表。

K447

 ちなみにこれは、「Blatter=葉」単位の表記になっていて、原則的に裏表で2ページ分となる。実は、僕としてもこの英数字の羅列だけだと何となく実感が湧かなかったので、いらない紙でミニチュアの自筆譜つづりを再現し、丁付やページ数を書き込んで確かめてみた(笑)。こうすると非常にわかりやすくなるので、興味のある方はお試しを。

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 その上でわかったことは、一番左が、1. Satz=第1楽章というように楽章表示。そして、左から2番目の列にある連続した数字が自筆譜全体を通じた丁付、真ん中の列がモーツァルトによる丁付、一番右の列が用紙のタイプ、を表しているようだ。つまりこの曲は、第一楽章が5葉10ページ、第2楽章が2葉4ページ、第3楽章は4葉8ページで、すかしで区別されたA〜H、8種類!もの用紙が使われていたことになる。

 これだけでもちょっと驚きだが、この項の(その1)で紹介した<透かしのカタログ>で、『ドン・ジョヴァンニ』が書かれたものと同じ用紙があるのかを調べてみたら、C=Wasserzelchen 93(2葉)、F=Wasserzelchen 56、H=Wasserzelchen 55 の計3種のみ、という結果になった ※。にもかかわらず、どこかで「この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけ」「この曲の紙のうち2枚だけは別のもの」という話になったのか、正直、僕にもわからない ※※。上記のうち、Cの2葉に使われた93番の用紙は、確かに K.447 と『ドン・ジョヴァンニ』、「6つのドイツ舞曲」K.571 の弦楽セクション、という3曲だけ!で使われている。なので、そのことが一人歩きをして、曲全体のことのように拡大解釈されていったのかもしれないが。

※ 第2楽章後半に使われているEについては、すかし(Wasserzelchen 66)は同じだが、五線の引き方に違い(正確には、最上段の五線の一番上の線から、最下段の五線の一番下の線までの長さ=TSに違い)のある用紙が、『ドン・ジョヴァンニ』序曲のいわゆる「コンサート終結部」でも使われている。
※※ 新モーツァルト全集のホルン協奏曲の巻の校訂報告は1998年に出された(担当は、フランツ・ギークリンク)ので、それまでは専門家といえどもこれらすかしの情報にアクセスしにくかった、という事情は確かにある。

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2020年4月14日 (火)

タイソンのすかし研究(その1)

 モーツァルトの曲の作曲年代を考えるときに、自筆譜における五線紙のすかしが話題になることがある。場所(都市)や時代によって、手に入る五線紙が違う。なので、用紙のすかしを調べ、作曲年代が確定しているものと比較対照することで、おおよその使用年代がわかるからである。かつては「様式研究」が主流で、曲の特徴を見て「これはザルツブルク時代の作品」「こちらはウィーン移住後のすぐの作」などと判断されていたようだ。だが、これには「モーツァルトの晩年の作品の様式はこんなもの」などという判定者の主観・思い込みが入る余地が多分にある。一方、五線紙のすかしは、時に違った種類の五線紙が紛れ込むことはあったとしても、客観的な物的証拠に基づくわけで、楽譜に書かれた作曲者の筆跡と合わせ、作品の成立年代を決定する際の重要なファクターになっている。

 ただ、五線譜のすかしを年代判定に使うには、ある程度それらすかしの情報が網羅されていないといけない。モーツァルトの作品においては、ほぼ100強を数えるすかしが調べ上げられているが ※、その調査研究を行ったのがアラン・タイソン(1926 -- 2000)というスコットランド・グラスゴー出身の音楽学者だ。その成果は、新モーツァルト全集の Supplement(補遺)で『NMA X/33 Abt. 2: 透かしのカタログ (Alan Tyson, 1992, 221 頁/透かしのカタログ, 校訂報告 (Alan Tyson, 1992, 68 頁)』として結実している。時に、学者や音楽評論家はいとも簡単に「タイソンによれば」とか「タイソンの説では」という前置きでモーツァルトの作品の作曲年代について語るが、その裏に彼の網羅的かつ浩瀚な研究があったことを忘れてはならないだろう。

 以前このサイトのコメント欄で紹介した話だが、モーツァルトの『プラハ』交響曲 K.504 は、ウィーンで書かれた彼の6つの交響曲の中で、唯一メヌエット楽章がない。その理由にはいくつか説があるが、そのひとつとして、1786年の暮れ、『フィガロの結婚』の大成功に沸くプラハからの招待状が届き、そこで演奏するために急いでこの曲を書いたため、「メヌエットを書く時間がなかった」という説がある。僕個人としてはそこにいかにもモーツァルトらしさを感じないではないが・・・(真実とは意外にこのように単純なもの)、実はこの説には無理がある。というのもこの曲のフィナーレは、初演(1787年)の前年春にすでに書かれていることが、タイソンのすかしの研究からわかっているから。上記<透かしのカタログ>によれば、これは「Wasserzelchen 82(すかし82)」と分類されている用紙に書かれていて、「一七八六年のかなり早い時期にモーツァルトが《フィガロの結婚》の最後の二幕を書くのにほとんど使い切ってしまったものと同じ紙に書かれている。※※」。これは、この交響曲の自筆譜のうち、第27葉から第37葉にあたり、こちらの自筆譜ファクシミリで確認したが、ちょうどフィナーレの冒頭から終わりまでの部分になる。この楽章の前、というか実際にはアンダンテの最後は、1ページ分白紙になっている。すかしも、こちらは「Wasserzelchen 88」であり、つまりこのことは第2楽章と第3楽章のあいだで、もともと自筆譜は別れていたことを強く示す。この事実を受けてタイソンは、このフィナーレは、当初、自筆譜が失われてしまった『パリ』交響曲の新しい終楽章バージョンとして書かれたのでは、と推論している(『パリ』交響曲の資料状況は、こちらを参照)。ということであれば、『パリ』交響曲の三楽章形式を踏襲したという考えも成り立つわけで、これが先の疑問におけるひとつの有力な説と思える。

 ちなみに、前回の発言で触れたモーツァルトのホルン協奏曲についても、タイソンの研究で大きく成立年代が変わった曲がある。例えば、第1番 K.412 / K.514 (386b) は、従前は番号どおり第2番 K.417 より以前の作と思われていた。が、この曲の第1楽章の第1〜4葉には、実は上記『プラハ』のフィナーレと同じ「Wasserzelchen 82」が使われていて、それゆえ1786年より前ということはありえない。現在の説では、1786年以降に着手され、完成自体は最晩年、つまり一番最後に書かれたホルン協奏曲ということになっている。また先日、ブログ「Zauberfloete通信」で Zauberfloete さんがその用紙や作曲過程について言及されていた第3番 K.447 についても、1773年とされていた従前の作曲年代がタイソンにより後年に修正された ※※※。この曲については、長くなったので(その2)で。

※ あまり知られていないことだが、同じすかしを持つ五線譜でも、「五線」自体の引き方や段数に違いがあるものがあり、実際のヴァリエーションはこの数倍になる。
※※ 岩波書店の季刊誌『文学』の1991年秋号に収録された「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」というタイソンの論文(北村結花・訳)に詳しい。
※※※ 「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447」を参照。

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2020年4月12日 (日)

モーツァルト・アラカルト(その4・ホルン協奏曲とハフナーのファクシミリ)

 先月、久しぶりに海外のオークションサイト「ebay」を覗いてみた折、ふと思い立って「Mozart facsimile」と検索してみた。そうしたところ、「Das Horn bei Mozart = Mozart and the horn ( Facsimile-Collection )」と、「Mozart Haffner Symphony No. 35 1968 Oxford facsimile edition 」という僕が以前から探していたファクシミリ本がヒットしたので、正直ちょっと驚いた。ebay と言えば、「Electronics, Cars, Fashion, Collectibles & More」というキャッチフレーズにもあるとおり、どちらかと言えば電気製品などのハード系が強いというイメージだったので、楽譜関係のものが出るなんて盲点になっていた、少なくとも僕には。このうち前者は、当ブログで「モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)」という記事を書いたとき、故・佐伯茂樹氏から「ハンス・ピツカ氏のモーツァルトホルン協奏曲ファクシミリコレクションを参照しました、この楽譜には比較して相違点がわかるようになっています、」というコメントをいただいたもの。以前、国立音楽大学の図書館で見せていただいたことはあるが、1980年発行ということですでに手に入らなくなっていたこともあって、上記「ハフナー」交響曲のファクシミリとともに迷わず購入した。それらが最近、アメリカから相次いで届いたので、コロナ禍の外出自粛に対するせめてもの<慰み>としているところ。。。

 ピツカ氏のコレクションでは、早速、K.495 の変ホ長調の協奏曲のセクションを見てみたが、佐伯氏からの情報のようにここでは複数のバージョン(ウィーン版、アンドレ(初)版、ライネッケ版、クリング版、旧モーツァルト全集版)が比較できるようになっている ※。ただし、旧全集(AMA)からは、やはり1881年の版(最も短いバージョン)の方が採用されている ※※。当初、上記記事を書いたときにこの本があれば、もっと分析が楽だったのに・・・と思っていたが、僕の場合、むしろこれが手元になかったため1886年版の存在に気づけたと言える。実際、何が幸いするかはわからない。

 この第4番 K.495 については、モーツァルト自身が青・赤・緑・黒色のインクで各フレーズを書き分けている第3楽章のファクシミリも掲載されている。これは便利そうだ。ほかにこの本には、第3番 K.447 の自筆譜ファクシミリ、K.447 におけるゲシュトプ音(奏法)の解説、第2番 K.417 の自筆譜ファクシミリ(現在、残っている部分)、第1番 K.412 / K.514 (386b) の自筆譜ファクシミリ(部分)、協奏曲断章 K.494a の自筆譜ファクシミリ、同じく K.370b の自筆譜ファクシミリ(とユーリッセンによる再構成案)、コンサート・ロンド K.371 の自筆譜ファクシミリ(オーケストレーションは未完成 ※※※)等々が集められている。これらの情報を集成したピツカ氏の仕事には、頭が下がる思いだ。

 もう一冊、交響曲第35番『ハフナー』の自筆譜ファクシミリだが、こちらは1968年発行とさらに古い(オックスフォード大学出版局)。近年出されたヘンリク・ヴィーゼ校訂によるブライトコプフ新版では、セレナード稿と最終稿の間に中間の形態(1783年ウィーンで演奏された交響曲)が存在するとされ、そうした変更を後追いするためにも自筆譜は必須の資料だ。例えば、第1楽章の反復記号の抹消や、フルート&クラリネットの追加など、それぞれの修正がいつの時期に行われたのかは非常に興味深い問題と言える(詳しくは、こちら)。ちなみに、この交響曲のファクシミリは、IMSLP でも無料で参照できるのだが、僕としてはやはり手元に置いておきたかった(本日現在、この『ハフナー』のファクシミリはもう一冊出品されている)。

 日本と違って、海外のオークションでは時折、こうした古い本が出ることがあるので、興味のある方はぜひ探して見てください。

※ この曲の最も長いバージョンであるいわゆる「プラハ版」については比較の対象になっていない。
※※ ただ、ピツカ氏は1886年の改訂版の存在は知っていたようで、解説の中で触れられている。
※※※ この本の出版は1980年なので、1989年に再発見された K.371 の自筆譜の一部は、当然、掲載されていない。詳しくはこちら>>「ロンド K371 の見つかった「60小節」(その1)」

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