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2020年4月17日 (金)

タイソンのすかし研究(その3)

 昨日は、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 について、自筆譜の情報を記しておいた。そこでは、8つの異なった種類の五線譜が使われていて、第1楽章の2箇所を除きほぼ1ページ毎に用紙を変えていたことがわかった。

「モーツァルトは比較的少量ずつ紙を買い求め、さらに入手する前に使い切るのが実情だったようだ。そして次に入手した紙は同じ店で購入したとしても、別のすかしが入ったものかもしれなかった。」アラン・タイソン「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」(『文学』1991年秋号、岩波書店)

とタイソンは書いている。彼はさらにモーツァルトの作曲状況を、「画家のアトリエ」に例える。

「アトリエにはたくさんの絵画がありますが、それはほとんどが完成されていないものです。そのなかで画家は展覧会に出品したい作品に取り組むのでしょう。」(同上、末尾の「討論」より)

 K.477 が作曲されたと思われる1787年に、モーツァルトが取り組んでいた大作と言えば、10月のプラハ再訪問のために用意されていた『ドン・ジョヴァンニ』がある。オペラのような大規模な作品は、作曲に半年以上かかるので、その間、一貫して同じ種類の用紙が使われるということはなかった。当時の五線紙は、1つのシートから4葉(枚)の横長の用紙をとることができたが、当然、アリアが途中で終わって余白のページ・部分が出ることもあっただろう。そうした場合、貴重な白紙部分をそのままにしたりせず、2枚綴りの用紙から白紙の一葉分を切り取ったり、余白部分に他の作品を書いたりして、再利用したと思われる。この項の(その2)で見たように、K.447 のうち3つないし4つの用紙が『ドン・ジョヴァンニ』と被っている。なので、『ドン・ジョヴァンニ』や他の作品を書き継ぎながら、その合間に手元にちらばっている白紙の五線紙をかき集め、この協奏曲を仕上げたのではないだろうか。

 また、Zauberfloete さんのブログ記事「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447」でもすでに指摘されていたように、第1楽章と第2・3楽章には、それぞれ別のナンバリングが付されていたことも、校訂報告で確認できた。これはこの2つの部分が当初は別々に扱われていたことを示している。また、Zauberfloete さんからは昨日の記事に「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。第1・2ヴァイオリンが同じ五線に書かれているのも驚きました。」とのコメントもいただいた。確かにヴァイオリン2部が1つの段にまとめられているのは、極めて珍しいだろう。また、この協奏曲にはオーボエがなく、代わりにB管のクラリネットが2本加わっているのも特筆すべきだ。さらにファゴットも2本使われているが、ロンドンの大英図書館のサイトで公開されているデジタル画像を見ると、第1楽章の冒頭の楽器表記では、クラリネットの下のファゴットの欄は、いったん別の楽器名が書かれたのち「2 Fagotti」と修正されたことがわかる(調性表記は上塗りで消されている)。ちょっと見にくいが、校訂報告によれば、もともとそこには「2 Corni in E♭(フラット)」(変ホ長調のホルン2)と書かれていたようである ※。

 この件に関し、ちょっと以前の記事になるが、やはり「Zauberfloete通信」において、坪井貞子さんという方による「この曲が編曲だったのでは?」という説が紹介されている(「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447~その2~」)。実際、これが未知の曲の編曲だったとすれば、モーツァルト自筆の<自作目録>にこの協奏曲に記載がないことも説明できるという。

「当然のことながら新たに作曲した1曲とはカウントしなかったので記載されなかった。記載忘れではない。自らの意思によってしなかった。(坪井さんご本人による上記ブログへのコメントから)」。

 実におもしろい論である。さらに、坪井さんは「編曲はそのままされたのではなくアウトラインはそのままで1787年頃の作風に改められて編曲がされたと思う。だからそういう響きがするのである。(同上)」と書かれている。これが確かだとすれば、もともと原曲にホルン・パートがあって、編曲時、当初それをそのまま使うつもりだったのを、急遽ファゴットに変えたというようなことも想定されるだろう(クラリネットももとはオーボエだった?)※※。Zauberfloete さんの「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。」というご指摘も、編曲だったとすればある意味、納得がいく。モーツァルトが過去の作品を編曲した場合、ミサ曲ハ短調 K.K. 427 (417a) とオラトリオ「悔悟するダヴィデ」の例のように、元の自筆譜を再利用することもあったので、判断は簡単ではないが。
 
 いずれにせよ、モーツァルトのホルン独奏によるオーケストラ曲は、自筆譜をはじめとした資料、作曲過程、想定されるソリスト、楽器の奏法など、いずれの曲も調べれば調べるほど実に興味ふかい研究素材だと思う。

※ ただし、以下書かれている音符自体はファゴットのままなので、作曲途中での変更ではなく、着手後すぐに修正したようである。余談だが、僕が先日手に入れた、「Das Horn bei Mozart = Mozart and the horn ( Facsimile-Collection )」という本にも、この曲の自筆譜が掲載されているが、画像はかなりつぶれていてグラデーションが出ていない。これでは本格的な研究には使いづらいことが今回わかった(泣)。上記、大英図書館のサイトのデジタル画像の方が数倍優れている。
※※ 第3番に先行する第2番 K.417、第4番 K.495 は、オーボエ2、ホルン2であるのに対し、最後に書かれた第1番 K.412 / K.514 (386b) は、オーボエ2、ファゴット2(ただし第1楽章のみ)である。

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コメント

cherubinoさま
確かに自筆譜の最初のページをよく見ると、fagottの下に消したような文字があります。判別はできませんが、ヘ音記号とダブってト音記号があることからもホルンだったということは納得できます。
それにしても、このクラリネット2、ファゴット2という編成。念のため、フィガロ、ドン・ジョヴァンニ、コジなどのスコアを調べてみたのですが、モーツァルトによる(ホルンやトランペットが加わっていない)クラリネットとファゴット(+弦楽)のみという曲はおそらくこの曲だけではないかと思われます。
その意味でも、この曲は、その成り立ち、オーケストレーションなどにおいても研究に値する特殊な曲だと思います。

投稿: Zauberfloete | 2020年4月17日 (金) 21時25分

Zauberfloete 様、こんばんは。度々のコメントありがとうございます。「クラリネット2、ファゴット2、弦」という編成は、確かに一般的ではないと思われます。確か以前にこの曲を演奏されたことを記事にされておられましたが、ファゴットを演奏する立場から見て、この曲のファゴット・パートはどうですか? 上声部に対し中声部の和音を埋めるということでは、ホルン的にも思えますが。
「クラリネット2、ホルン2、弦」という編成では、K.113 のディベルティメント変ホ長調の第1稿がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=3fE_SwDaIQA&list=TLPQMTgwNDIwMjDxKsehoQFIlA&index=1
クラリネットとホルンが互いに呼びかわし、意外によく合っている感じですが、第2回イタリア旅行時の作品ですから、我々の探索とはちょっと趣旨が合わない感じです。ちなみにこの曲は、モーツァルトが最初にクラリネットを使った曲らしいです。一度、モーツァルトのクラリネットの使い方を、網羅的に調べる必要がありますね。

投稿: cherubino | 2020年4月18日 (土) 20時46分

cherubinoさま
もう一度、K447および他のホルン協奏曲のスコアをよく見返してみたのですが、確かに、K447におけるファゴット・パートは白玉の延ばしなどはホルンの代わりのような役割になっています。
しかし、第1楽章5~7、69~72小節などの巧みな進行のサポート、再現部直前8小節のクラリネットとの四声の部分などはクラ+ファゴットのオーケストレーションでなければ書けなかったような気がします。
それに比べると、第2,3楽章はファゴットとヴィオラのソリ(終楽章)もありますが、クラとファゴットがユニゾンの個所も少なくなく、それほどの必然性もあまり感じられないというのが、直感的な印象です。

投稿: Zauberfloete | 2020年4月21日 (火) 17時55分

Zauberfloete 様、こんばんは。
>再現部直前8小節のクラリネットとの四声の部分などはクラ+ファゴットのオーケストレーションでなければ書けなかったような気がします。
ここは、確かに印象的な箇所で、おそらく演奏の現場でも吹いていて一番おもしろいところでしょうね。いつもながら貴重なご指摘ありがとうございました。他の箇所も、もう一度楽譜を見ながら聴きなおしてみたいと思います。
坪井貞美さんの論文の載った「モーツァルティアン No.11 1993」をオークションで手に入れ、読んでみました。ツッコミどころは結構ありそうですが、オーボエをクラリネットにしたことに合わせて、ホルンをファゴットに変えた、というのは、もし K.447 が1773年以前の曲の編曲だったとしたら、あり得ることだと思いました。今回もいろいろお付き合いいただきありがとうございました!

投稿: cherubino | 2020年4月22日 (水) 20時35分

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