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2020年4月16日 (木)

タイソンのすかし研究(その2)

 前回に続き、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 に関して、タイソンのすかし研究をごく一部ながら紹介したい。『モーツァルト事典』(東京書籍)のこの曲の項では、モーツァルトが1784年の2月以降亡くなるまで書き継いでいた全自作品目録に、この協奏曲が載せられなかったことにについて触れ、それゆえケッヘルによる作曲の推定年、1783年が通説になっていた、と書いている。以下、

「ところが,まずプラートによって筆跡が1787年のものと推定され,さらにタイソンによる自筆譜の用紙研究の結果も,この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけであることが判明し,作曲の推定年は1787年と訂正されることになったのである。(渡辺千栄子、1991)」

とある。前田昭雄/藤本一子というクレジットのある『作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルトI』も、上記『事典』の記述を参照、または同じ元ネタを引き写したのではないかと思われる。なぜか、引用したかのように全体が同じ論旨なので。。。曰く「さらにタイソンも,この作品と同じ紙は1787年の《ドン・ジョヴァンニ》だけであることを明らかにした。(1993)」。ここまで書かれていると、普通はこれが定説だと思うしかないが、実はそうでもない。ちょうど Zauberfloete さんがご自身のブログで、この曲のすかしについて触れておられ、音楽評論家の石井宏氏の次のような文章を紹介されている>>こちら

「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番について、アラン・タイソンが行った五線紙の透かし模様に関する研究によれば、この曲に使われていた紙の大部分は、「ドン・ジョヴァンニ」を書いた紙と同じものだった(1787年2月~10月)。しかし、この曲の紙のうち2枚だけは別のもので、それは1789年に作曲された「6つのドイツ舞曲」K571と同じ紙であった。」(『モーツァルト ベスト101』(新書館、1995))

 Zauberfloete さんも書かれているように、従来の説明とは一部内容が変わっている。本当のところは、どうなのだろう? この協奏曲の自筆譜はロンドンの大英図書館にあり、幸いデジタル画像が公開されている>>こちら。それを見ると、曲は全体で22ページからなっている。石井氏の解説を普通に読めば、このうち2枚(裏表4ページ分)が「6つのドイツ舞曲」K.571 と同じ五線紙、そのほかの大部分(残り全部だとしたら9枚、裏表18ページ分)が『ドン・ジョヴァンニ』と同じという風に読める。ということで、新モーツァルト全集の K.447 の校訂報告を調べてみた。以下は、そのうちこの曲の自筆譜の様子を示した図表。

K447

 ちなみにこれは、「Blatter=葉」単位の表記になっていて、原則的に裏表で2ページ分となる。実は、僕としてもこの英数字の羅列だけだと何となく実感が湧かなかったので、いらない紙でミニチュアの自筆譜つづりを再現し、丁付やページ数を書き込んで確かめてみた(笑)。こうすると非常にわかりやすくなるので、興味のある方はお試しを。

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 その上でわかったことは、一番左が、1. Satz=第1楽章というように楽章表示。そして、左から2番目の列にある連続した数字が自筆譜全体を通じた丁付、真ん中の列がモーツァルトによる丁付、一番右の列が用紙のタイプ、を表しているようだ。つまりこの曲は、第一楽章が5葉10ページ、第2楽章が2葉4ページ、第3楽章は4葉8ページで、すかしで区別されたA〜H、8種類!もの用紙が使われていたことになる。

 これだけでもちょっと驚きだが、この項の(その1)で紹介した<透かしのカタログ>で、『ドン・ジョヴァンニ』が書かれたものと同じ用紙があるのかを調べてみたら、C=Wasserzelchen 93(2葉)、F=Wasserzelchen 56、H=Wasserzelchen 55 の計3種のみ、という結果になった ※。にもかかわらず、どこかで「この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけ」「この曲の紙のうち2枚だけは別のもの」という話になったのか、正直、僕にもわからない ※※。上記のうち、Cの2葉に使われた93番の用紙は、確かに K.447 と『ドン・ジョヴァンニ』、「6つのドイツ舞曲」K.571 の弦楽セクション、という3曲だけ!で使われている。なので、そのことが一人歩きをして、曲全体のことのように拡大解釈されていったのかもしれないが。

※ 第2楽章後半に使われているEについては、すかし(Wasserzelchen 66)は同じだが、五線の引き方に違い(正確には、最上段の五線の一番上の線から、最下段の五線の一番下の線までの長さ=TSに違い)のある用紙が、『ドン・ジョヴァンニ』序曲のいわゆる「コンサート終結部」でも使われている。
※※ 新モーツァルト全集のホルン協奏曲の巻の校訂報告は1998年に出された(担当は、フランツ・ギークリンク)ので、それまでは専門家といえどもこれらすかしの情報にアクセスしにくかった、という事情は確かにある。

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コメント

cherubinoさま
ひじょうに興味深く読ませていただきました。
書いてあることをそのまま信じてはいけないということでしょうか。
それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。第1・2ヴァイオリンが同じ五線に書かれているのも驚きました。

投稿: Zauberfloete | 2020年4月16日 (木) 23時36分

Zauberfloete 様、こんばんは。コメントありがとうございます。
>書いてあることをそのまま信じてはいけないということでしょうか。
一般書の解説文がなぜこのような状況なのかについては、私にも理解しがたいところです。以前、「『フィガロ』序曲はアラ・ブレーヴェか?」という記事を書いた頃、音楽学者を名乗っているプロの方のブログに「《フィガロ》の序曲は2分の2拍子」とあるので質問してみたら、「その種のことは全集の校訂報告に何か書かれているはずです。私にはそれを調べている時間がありません」というような返事が返ってきて、ちょっとびっくりしたことがあります。校訂報告の内容も書き込んだのですが、今でもそのブログの記事は「2分の2拍子」のままです。プロの方々は、皆さんお忙しいので、いちいち一次資料や全集の校訂報告などを見るのは、我々素人くらいのものなのかもしれません。今では校訂報告も、<透かしのカタログ>も、みんな全集オンラインで簡単に読むことができるというのに・・・
>それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。
いつもながらするどいご指摘で、感心させられました。この件、(その3)で「Zauberfloete通信」の過去記事もご紹介しながら私見を書いてみました。また、追加意見等ご教授いただければうれしいです。

投稿: cherubino | 2020年4月17日 (金) 19時59分

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