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2020年5月 3日 (日)

タイソンのすかし研究(補遺1)

 「タイソンのすかし研究」というシリーズ記事の(その2)において、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 が書かれた自筆譜について、新モーツァルト全集のこの曲の校訂報告および<透かしのカタログ>を調べ、実に8つもの種類の用紙が使われていることを報告しておいた。が、一般の解説書等には、「この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけ」あるいは「この曲に使われていた紙の大部分は、「ドン・ジョヴァンニ」を書いた紙と同じものだった(中略)。しかし、この曲の紙のうち2枚だけは別のもの」というような説が書かれている。なので、どこでそのような話になったのか、「正直、僕にもわからない。」と書いておいた。ただ、直感的にきっとタイソンの著作に元となる記述があると想像していたのだが、今回、アラン・タイソンの『Mozart: Studies of the Autograph Scores(1987)』の中に、その誤解?の元となった(と思われる)記述を発見したので、(補遺)編として紹介しておく。

「Paper-stidies certainly comfirm that it is a latish work: the autograph includes paper of a type found elsewhere only in Don Giovanni, apart from two leaves in the string-trio score of the six German dances K.571.」(「The D-Major Horn Concerto」p.247)

 この部分の後段を、公平を期すためあえて「Google 翻訳」にかけてみた(笑)。

「このサインには、6つのドイツ舞踊K.571の弦楽トリオスコアの2つの葉を除いて、ドンジョバンニでしか見られない種類の紙が含まれています。」

 「サイン」というのはすなわち「自筆譜」のことだが、あとはほぼ正確に訳されていると思う。ここでタイソンは、おそらく先の記事で僕が触れた「Wasserzelchen 93(すかし93)」というすかしを持つ用紙について言及している。その上で、「6つのドイツ舞曲」で使われた2葉を除けば、「ドン・ジョヴァンニ」でのみ見つかるタイプの紙を<含んでいる>、ということを主張していると思われる。ここでは、協奏曲の用紙全体について言っているのではなく、あくまで「すかし93」という1つのタイプの五線譜についての言及であることに注意したい(つまり、この用紙は、K.447 と K.527、そして K.571 の3つの楽曲でしかモーツァルトは使っていない、ということ)。そうした指摘が拡大解釈され、我が国では「問題の「ホルン協奏曲第三番」に使われている紙はアラン・タイソンの発見によれば二種類あり、大半はオペラ《ドン・ジョヴァンニ》を書くのに使われた紙と同じ紙である。(中略)そして二枚だけ含まれている別の紙は《ドイツ・ダンス》K五七一と同じものである。(石井宏氏『帝王から音楽マフィアまで』(学研M文庫))※」という風に変わってしまったのではないだろうか。

 ちなみに、「ドン・ジョヴァンニ」は1787年の10月28日付けで、「6つのドイツ舞曲」K.571 は1789年の2月21日付けで全自作品目録に載っている。となると協奏曲の作曲年は、「とすると、1789年の可能性もないわけではない。(石井氏)」。ただし、Zauberfloete さんも指摘されていたように(>>こちら)、K.571 の自筆譜は管楽器と弦楽器とに分かれていて、この「すかし93」は弦楽器に使われている。管楽器が加わったオーケストラ・ヴァージョンの完成が1789年初めであり、おそらくずっと早い時期に弦楽ヴァージョンが書かれたと、タイソンは注記している。

 もう一点、このタイソンの「自筆譜の研究」の中に、おもしろい記述を見つけたので、この機会に書いておきたい。それは、モーツァルトの全自作品目録の1788年3月4日付けで記載のあった(77,) 「ああ、惠み深き星々よ、もし天にあって」(K.538)というアリアについてである(>>「モーツァルトの全自作品目録(その5、1788年)」を参照)。これは「ランゲ夫人のための」とあるように、 モーツァルトのマンハイム滞在時の恋人で、妻のコンスタンツェの姉であるアロイージア・ランゲのために書かれた、コロラトゥーラの超絶技巧を駆使した曲である ※※。この曲の自筆譜(総譜)は「Wasserzelchen 95(すかし95)」を持つ12段タイプの五線紙に書かれている。これは1787年の夏から秋頃、「ドン・ジョヴァンニ」K.527 の最終盤で初めて使われ、その後、1787年末の K.531翌1788年1月の K.535同3月の K.537、そしてこの K.538以下、K.539K.540K.540aK.540bK.542K.543K.547bK.548K.550K.551K.553K.554K.555K.556K.557K.558K.559K.559aK.561K.564そして翌1789年2月の K.570 まで、モーツァルトはこのタイプの用紙を連続して使い続けている(以上、この色を付けた番号は、スケッチ、改訂稿等は除き、曲全体でこの「すかし95」のみを使用している ※※)。ここまでケッヘル番号と<すかし番号>が一致するのは極めて珍しいのだが、ここで僕が言いたいのは、K.538 のアリアも「すかし95」を持つ五線紙のみに書かれている以上、ほぼ1788年(当然、完成日の3月4日以前)に間違いないということである。

 しかし、実はこの曲には簡略譜(歌唱部とバスのみ)を使った旧稿があったのである(新全集の序文のあとに、1ぺージ目のファクシミリが収められている)。タイソンの<すかしのカタログ>によれば、これは「Wasserzelchen 50(すかし50)」を持つ10段タイプの用紙で、なんとミュンヘンで使われていたものになる。同じすかしでも、10段タイプが使われたのはこの曲だけで、他の14段タイプ、12段タイプ、14-15段タイプは、オーボエ四重奏曲 K.370(368b) と「イドメネオ」K.366 で使われたものになる。このことからタイソンは、K.538 の簡略譜はミュンヘンで、1778年の終わりに、アロイージア・「ウェーバー」嬢のために書かれたと想定している。おそらく、有名な「テッサーリアの民よ/不滅の神々よ、私は求めはしない」K.316 がそうであったように、こちらもアロイージアに捧げるつもりだったのではないだろうか。しかし、その思いは恋とともに露と消える・・・。その10年後、1788年の春に、何らかの演奏会でアロイージア・「ランゲ」夫人に歌ってもらうためアリアが必要となる。そこで、かつての旧作をもとに、歌が入る前までの部分の追加(T1〜T23)、ヴォーカル・ラインの若干の改稿、終結部(T193の最初の4分音符までしか書かれていなかった)の完成という改稿&総譜化が成されたことになる。

 アロイージアに振られた青年モーツァルトは失意の内にマンハイムを去り、その後、単身ウィーンに出てくる。そのウィーンで、先にミュンヘンから引っ越しをしてきていたウェーバー家の面々と再会し、妹娘のコンスタンツェと結婚することになる。が、実はアロイージアもこの地の宮廷俳優だった夫のランゲとともにウィーンにいたのである。親戚なのだから交友はあって当然だが、僕が漠然と考えていた以上に、ウィーン時代に入ってからもアロイージアはモーツァルトの曲を歌っていたようである。その中で K.538 は思い出のつまった旧作の再利用だったわけであり、その意味では、アロイージアとモーツァルトの交友関係を考えるためには大事な曲だろう。また、どういう作品が全自作品目録に載せられたのか(あるいは載せられなかったのか)という議論にも関係のある作品であることも間違いないが、そのことは「全自作品目録」の翻訳終了後に再度、考えてみたい。

※ この文は「モーツァルト、その知られざる遺言」という文章にあり、以下、著者はおそらくタイソンの上記本・論文を参照しながら手際よく二長調のホルン協奏曲 K.412 / 514(386b) の成立事情についてまとめられている。
※※ この目録記載曲の直前には、(K.537a)という番号を持つ未記載曲、アリア「われ、汝に従わん、変容せし英雄よ」の編曲稿があって、これはカール・フィリップ・エマニュエル・バッハのオラトリオ『キリストの復活と昇天』のウィーンでの演奏に際して作られたものである。このカンタータの上演(2月26日と3月4日)にも、アロイージアは出演している。この約2ヶ月後の5月7日には、「ドン・ジョヴァンニ」のウィーン初演があり、ここでもアロイージアは、ドンナ・アンナを歌っている。
※※※ K.551 は言わずと知れた交響曲ハ長調『ジュピター』だが、この大交響曲の全48葉をすべて!同じ「すかし95」で通している。ちなみに直前の 交響曲ト短調 K.550 も、この「すかし95」(全44葉、第2楽章のヴァリアンテ)と「すかし96」だけを使っているが、「すかし96」はクラリネット入りの第2版における追補で使っている。

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