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2020年5月12日 (火)

ジングシュピール『慈悲深い托鉢僧』(その11)

 ジングシュピール『慈悲深い托鉢僧、または鈴飾りの頭巾』を紹介する記事の最終回。第3幕の大詰め。

 再びところ変わって、バゾーラの宮殿の庭。ツェノミーデとマンドリーノは、魅惑のフルーツを食べたせいで、鼻は伸び、お腹はふくらむなど、自らの美しさが失われてしまったことを嘆き悲しんでいる。そこへ一人の奴隷がやってきて、鼻とお腹を元に戻すことができるという「魔法の水」を持った二人の農夫の話を告げる。実は、農夫に化けているのは、ゾフラーノとマンドリーノの二人。さっそく中に導き入れられた農夫たちは、素朴な二重唱を歌う。曲は、入ってくるなり舞曲のリズムではねまわっている雰囲気。

「おいらたちは、田舎からやって来た陽気な二人組、
言葉使いや握手でもって、人の好さはお墨付き。
約束したことはなんでも、なるがまま、
確実にやりますぜ、忠実にやりますぜ。
そんなおいらたちは、田舎からやって来た陽気な二人組
言葉使いや握手でもって、人の好さはお墨付き。

おいらたちは、田舎からやって来た陽気な二人組、
言葉使いや握手でもって、人の好さはお墨付き。
見ろ見ろ、こちらは象のような鼻、
ずっとあっちからでも見えるじゃないか/その姿。
こちとら農夫でも、中身は紳士。
そんなおいらたちは、田舎からやって来た陽気な二人組
言葉使いや握手でもって、人の好さはお墨付き。」

 CDではデュエットとしてきっちり歌っているが、舞台上では田舎者に扮した役者たちが、田舎言葉まるだしで踊りつつ演じ、大いに会場を沸かせていただろう。二人の農夫に対し、ツェノミーデは自分が持つ「魔法のポーチ」と「魔法の太鼓」を渡すかわりに、彼らの持つ「魔法の水」を一口飲ませてもらおうと交渉を持ちかける。しかし、そこに突然、雷鳴が鳴り渡り、その中から堂々と托鉢僧が現れ、自分がキング・アルマンドール、実はゾフラーノの父親であることを明らかにする。ゾフラーノとマンドリーノも、自らの扮装を脱ぎ去る。以下、大団円の合唱へと移る・・・。

「(All)さらば、あなたがた恩知らずな面々よ、
恩知らずな行為は、罰せられるにふさわしい。
あなたがたはわめく、あなたがたは荒れ狂う、
でも、大きな鼻のままで、
いつまでもそのままだろう。
あなたがたは笑い者になるだろう、遠く広く。」

「(Zenomide,Mandolina)悲惨なのは私!変わり果てた姿を見て!
私の美しい見た目は、消えてしまった!・・・」

 打楽器も入りハ長調の明るい行進曲だが、中間部ではツェノミーデとマンドリーノの嘆きの歌をハ短調で!挟み込むという荒技を見せている。その後、冒頭の行進曲が原調で戻り、華やかに全曲を終える。

 以上が、このジングシュピールの概要である。全体的に、民謡風の曲あり、ハルモニーミュージックあり、フォルテピアノが活躍するアリアもあり、とバラエティーに富んだ音楽が並んでいる。決して重量級の音楽ではないが、かといって「二流の音楽」という印象はない。僕が(その7)で絶賛した「ロマンツェ」を、昨日夜、細君に聞かせたら、「これってモーツァルトでしょ?」と当然のごとく言っていた。試しに、この時代の他の作曲家が書いたジングシュピールを少し聴いてみたが、正直、歌も伴奏も極めて「凡庸」に響く。その点、モーツァルトという「お手本」が身近にあることの強みだろうか。『賢者の石』といい『慈悲深い托鉢僧』といい、「モーツァルト=シカネーダー・サークル」の実力は、極めてハイレベルだ。芸術がまだ作者の個性の表出ではなかったその時代、音楽は同時代に生きる人々の共有財産であり、ずっと深く一つの文化の中に根付いていた。そのことがこうした共通作業を成り立たせ、かつ全体として技術や感性を高めていくことにつながっていたのだろう。仲間同士「ああしたら?」「こうしたら?」と意見を言い合い、ときに他人のスコアにも音符を書き込みながらジングシュピールを創り上げているその現場に、ぜひ立ち合いたかった、というのが、この曲を聴いてのいつわらざる気持ちだ。

 最後に一点だけ補足を。この項の(その1) の概説で、僕はこの『慈悲深い托鉢僧』が「音楽学者デイビッド・ブッフ氏によれば、1791年春に初演された可能性もあるという。もしそうならば、これは『魔笛』の先行作ということになる。」と書いている。当時は、1793年初演というのが通説だったからだが、その後、ブッフ氏の説が認められてきたらしい(下記・注)。日本のモーツァルト研究の大御所・海老澤敏先生も、2000年3月に東京オペラシティコンサートホールで行われたオペラ『ルル』の演奏会形式プログラムに、以下のように書かれている。

「ここ二、三年、新聞雑誌を賑わせたシカネーダー・オペラ《賢者の石》(1790年)、そして《親切な托鉢僧》(1791年)に関する再発見、新発見のニュースが登場する。両者は昔からある程度知られていない訳ではなかったし、とりわけ《賢者の石》へのモーツァルトの関与(K625=592a)は知る人ぞ知るものであった。」

 これを読むと、我々のジングシュピールは「1791年」となっている。とすれば、本当にモーツァルトの生前に作曲された作品ということになり、新たな光もあたってくる。今後の研究の進展にも期待していこう。

(注)モーツァルトの同時代人であるツィンツェンドルフ伯爵の1791年3月14日付けの日記に、「托鉢僧、男と女の鼻が伸びる奇妙な道化」を見たと書いてあるらしい。また「Wiener Zeitung」という当時の新聞に、この『慈悲深い托鉢僧』からピアノ伴奏による歌の新刊楽譜広告(ラウシュ音楽商会)が出ていた(1971年4月9日付け)。きっとオンライン・アーカイヴがあるだろうと思い探してみたら、結構、普通に見つかった(オーストリア国立図書館のサイト>>1791年)。上の画像の下から3行目にはっきり作品名を読むことができる(p.932)。曲は3曲あり、下の画像の3、4行目が、上記「ロマンツェ」の曲。これらの記録は、まさに『魔笛』の作曲に本格的に取り組み始めた時期である。

Wienerzeitung1
Winerzeitung2

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