2015年6月22日 (月)

アーノンクールの新しい『フィガロ』

 ニコラウス・アーノンクールがモーツァルト作曲の4幕のオペラ・ブッファ『フィガロの結婚』K.492を振った新しい映像をCS放送で見た。といっても、まだ前半しか見てないのだが・・・。彼の『フィガロ』については、以前、このオペラの序曲についてその拍子記号を調べた折に、まとめて聴いたことがある(「『フィガロ』序曲はアラ・ブレーヴェか?(その2)」)。

http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2012/02/post-5003.html

 このうち、2006年のザルツブルク音楽祭ライヴ(ネトレプコのスザンナ!)については、僕は『フィガロ』のベスト盤(映像)として挙げたことがあるくらいで、今もその思いは変わらない。

http://gospels.cocolog-nifty.com/classic/2009/11/post-de4c.html

 ところで今回の演奏は、2014年の3月6日にアン・デア・ウィーン劇場で収録されたもの。同劇場の新制作演目であった『コジ・ファン・トゥッテ』にあたって演出家が降板騒ぎを起こし、結果、アーノンクールはなんと演奏会形式でダ・ポンテ三部作を一挙上演するという決断に至ったのだという。しかも、オーケストラ・ピットに入ったのは、アーノンクールと、彼の長年の盟友ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(古楽器使用)。これまでの録音では、奏法はともかく現代楽器使用のオーケストラを使っていたので、これは期待が大きい。で、注目の序曲演奏だが、ここでは彼の過去の演奏以上にゆっくりとしたテンポを採用しており、5分10秒ちょっとかかっている(最遅で知られるクレンペラーとほぼ同じ!)。これは明らかにアラ・ブレーヴェ&プレストの音楽ではない。ただし意図して音を割ったナチュラル・ホルンの咆哮、ケトル・ドラムの硬い乾いた音色など、古楽器群の威力はめざましく、決して弛緩した印象はない(ちなみにヴァイオリンのパートには頭髪が真っ白になったご高齢の女性が座っているが、これはアーノンクールに長く連れ添っているアリス夫人だろう)。

 さて本編に入ると、確かに演奏会形式とあって舞台装置はなく、譜面台がいつも舞台に出たままだ。だが、相応の演技はついている。例えば、スザンナとマルチェリーナがお互いをあてこすりあう第1幕のデュエットでは、二人はその譜面台をあえて向かい合うように置き直し、対決の姿勢を<見せる>。そして、それを見た会場からも笑いがもれる、という具合で、演奏会形式の制約を逆手にとって、意外におもしろい演出になっている。また、たいていの歌手たちはおおむね楽譜が頭に入っている様子で、ずっと音符を追っているようでもない。基本的に彼ら彼女らは観客にすべてを伝えようとしていて、まるで俳優のように語りかけてくる。いや、語るように歌っている、と言うべきか。音楽の長調と短調が交代する部分や、大事なセリフが歌われるときは、音楽の流れが止まることも辞さずに大きなルバート、パウゼで強調する。あるいは、<叫ぶ>。レチタティーヴォでは、音高がない<語り>のような部分が頻出し、これも劇に大いに貢献している。エリーザベト・クールマン演じるケルビーノは、このレチタティーヴォで地声のような低い声と、裏声のような高い声を器用に交錯させ、分裂気味の性格を露わにしたりもする。おかげで聴きなれた曲が絶えず新鮮に耳に響く。しかしここでの本当の主役は、オーケストラだろう。人数は30人を少し超えたくらいだろうか。テンポも序曲と同じく非常にゆったりで、舞台の前に陣取った器楽奏者たちは、歌手たちとともに心ゆくまで歌い、おしゃべりし、時に叫び・・・伴奏以上の役割を果たす。まるで、「歌詞の意味は、すべてモーツァルトの書いた音符の方に書かれているのですよ!」とでも言いたげな様子で。

 個々の歌手については簡単に書くしかない。伯爵役のボー・スコウフスはザルツブルクでの上演に続く登板で、こちらは完全に暗譜で歌っている。表現力は随一。一方、その夫人であるロジーナを歌うのは、なんとザルツブルクではケルビーノ役だったクリスティーネ・シェーファーだ。さすがにこれは慣れていない役と見え、ずっと楽譜を手にしている。結果、少し控え目な、初々しいロジーナになっている。この大物二人のほかは、若手中心の新鮮な布陣だ。前出のクルマンは売り出し中とあって、2つのアリアで大きな拍手をもらっている。クルマンと、スザンナ役のマリ・エリクスメンが歌う第二幕の逃走のデュエットは超絶的な遅さだが、途中から見ていた細君が「この二人、うまいんじゃない?」と聞いてきたほどすばらしい。おそらくこのプロジェクトの白眉。ちなみに歌手たちが着ている統一感のまったくないステージ衣装は、それゆえ一見すると自前のようにも見える。だが、装置&衣裳担当がいるところを見ると、これもそれぞれ不釣り合い見えるようなものをあえて選んでいるのだろう。今回、一番僕がびっくりしたのは、歌手たちのアリアの後、盛大な拍手が続き音楽が止まっているあいだ、かのアーノンクールが満足げにうなずき、笑顔まで見せているということ。自分の盟友たちとともに、自分のやりたい音楽をやりたいだけできる喜びが、彼の表情から伝わってくるようだ。そのアーノンクールの顔を見つめる歌手たちのはにかむような笑顔が、またいい。こちらもそれらを見ることができただけで十分満足な気分になったので、視聴途中だけどご紹介することにしたという次第。なお配役等は、以下のとおり。

[出演]
アンドレ・シューエン(フィガロ)
マリ・エリクスメン(スザンナ)
ボー・スコウフス(アルマヴィーヴァ伯爵)
クリスティーネ・シェーファー(伯爵夫人)
エリーザベト・クールマン(ケルビーノ)
ペーター・カールマン(バルトロ、アントニオ)
イルディコ・ライモンディ(マルチェリーナ)
マウロ・ペーター(バジリオ、ドン・クルツィオ)
クリスティーナ・ガンシュ(バルバリーナ)

[演出&映像監督]フェリックス・ブライザッハ
[装置&衣裳]ドリス・マリア・アイクナー
[指揮]ニコラウス・アーノンクール
[演奏]ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、アルノルト・シェーンベルク合唱団
[合唱指揮]エルヴィン・オルトナー

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2012年9月27日 (木)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(12) 第20巻『天国と地獄』

 第20巻はオッフェンバック作曲の喜歌劇『天国と地獄』。このタイトルは大正時代!における日本での初演時につけられたものらしく、もともとの原題は『地獄のオルフェ』。つまりモンテヴェルディやグルックらがオペラの題材にした夫オルフェオが死んだ妻エウリディーチェを黄泉の国に救出しにいく有名なギリシア神話が元になっている。といってもこのオペラ、オルフェオの物語を抱腹絶倒のパロディにしたもので、これに対し前巻の『フィデリオ』は、妻による夫の救出劇であり夫婦愛を壮大に賛美したものだった。だからといってそのすぐ後の巻に、救出劇をからかった夫婦間の欺瞞が全編の主題である『地獄のオルフェ』を出すデアゴスティーニのセンスはなかなかである(同社のシリーズ担当者がオペラに精通しているのだろうか、いや逆にまったく知らないのかも知れないが・・・)。それはともかく、当盤は今をときめくマルク・ミンコフスキがリヨン歌劇場管弦楽団(&グルノーブル室内管弦楽団)を振り、歌姫ナタリー・デセイが全編大活躍するもので、出た当初から決定盤として知られている。僕もこのオペレッタの映像はこれしか見たことがないが、はっきりいってこれで十分である。というか、これ以上の盤があるとは思えないくらいのすばらしい実況記録なのだ(1997年収録)。ここでのデセイは、まさにこのユリディス役になりきったような演技と歌で私たちを魅了する。彼女はリヨン出身。生まれ故郷の「小屋」で、ジュピテール役で夫君のローラン・ナウリ、演出家ローラン・ペリーら盟友とともに、ほかの場所では絶対に真似できない世界を作りあげたのだ。

 さてこの映像、序奏が奏されているあいだにバレエ団のパントマイムとともに出されるクレジットが、フランスらしくしゃれている。しかもそれらパントマイムの動作は後々、ストーリーの中でだんだん意味が明らかになるという趣向。ちなみにここで奏されるのは、かの有名なフレンチ・カンカンの音楽がついたいわゆる『天国と地獄』序曲ではない。僕も知らなかったのだが、これはドイツで演奏された折にカール・ビンダーという人が曲中の音楽をつなげて作った編曲物だったらしい(いや、知らなかったなあ)。このDVDでミンコフスキが演奏しているのは、初演時に演奏された序曲というか序奏で、ずっと短くて抒情的なもの。にもかかわらず付属解説書に記されたブルー・アイランド氏の曲目解説では、「地獄のギャロップ」が「序曲の最終部分にも大きなクライマックスとして置かれ・・・」うんぬんの記述が見られる。まあ、肝心のDVDを見ないで書いているのかもしれないが、これはいかにも手抜きである。

 狂言回し的な役割を果たすキュピドン(=愛の天使キューピッド)のキスで歌う曲をはじめとしたフランスならではの楽しいクプレの数々、〇〇(とある生物)とユリディスとのデュエットなど、バラエティに富んだ歌で2時間ものあいだまったく飽きさせない。歌手たちの歌には多少凹凸はあるが、彼ら彼女らの個性的な演技と風貌、そして歌い口には、超一流劇場の豪華歌手による上演とはまったく違ったおもしろさがある。なかでもカッサンドル・ベルトン(カサンドル・ベルトン)は、小柄な体型と達者な演技で実に魅力的なキュピドンである。この人が歌うケルビーノや『アルチーナ』のオベルトも見てみたいと思って調べてみたら、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の『フィガロの結婚』(カンブルラン指揮、2006年)でシェーファーのケルビーノと共演しているバルバリーナ役のDVDが出ている。ちなみにご主人は売り出し中のバリトン歌手リュドヴィク・テジエなのだという(いや、これも知らなかった)。余談ながら今後の夫婦そろっての活躍を期待したい。

 しかしこのように『フィデリオ』『天国と地獄』を続けて見てくると、「立派な妻」「気高い女性」と称えられるレオノーレより、浮気性で移り気なユリディスの方に、ずっと惹きつけられてしまうのはどうしたことだろう。無論、これはデセイの魅力あってのことだとは思うけれど。オペラとは、かくも複雑で、悩ましいものなのか、いわんや我々の人生とは・・・。

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2012年9月19日 (水)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(11) 第19巻『フィデリオ』

 当シリーズの前作『魔弾の射手』の作曲家ウェーバーがウィーン以外の諸都市に紹介をしたのが、ベートーヴェンが唯一完成させたオペラ『フィデリオ』。こちらの盤はグラインドボーン音楽祭におけるハイティンク指揮の真面目な演奏と、ピーター・ホールの正統的演出で、予想通り実に手堅い出来である。主役たちもそれぞれの役柄において違和感が少ない。中でもマルツェリーネ役のエリザベス・ゲイルは、このハウスの常連だろうがあいかわらず達者な演技。クルト・アッペルグレンのロッコは、素朴かつ三枚目的な役作りである。実のところ、最近の舞台ではもっとスタイリッシュなロッコをよく見かけるし、過去にはオペラ全体の基調に合わせロッコの「お金がないと・・・」という諧謔的なアリアを省略さした演出さえあった。が、第1幕の終わり近くで、絶対的な上司であるドン・ピツァロに対し、「今日は王様の命日の祝日で・・・」と声を張り上げを煙に巻くあたりは、それがさえない部下のロッコだからおかしいのだ。実際、ベートーヴェンの書いた音楽だってそういう風に書いてある。レオノーレ役はベテランのエリザベート・ゼーダーシュトレーム。夫のために苦労しているなあという感じ(生活観?)がにじみ出ていて、第二幕の墓堀りのシーンでの場面など演技もうまくて真に迫っている。まあこうした細部の積み重ねが、男装した妻による夫の救出劇という若干、無理気味な設定のオペラにあって、物語にリアリティを与えているのだろう。ハイティンクの指揮は、現在ならば(といってもオペラはもう振らないのかもしれないが)もっとスケールの大きな音楽を聴かせると思うし、レオノーレ序曲(第3番)も挿入していないのだが、それだけに劇的に引き締まった音楽が聴ける。フィナーレで決して大きくはないグラインドボーンの舞台いっぱいに人民があふれる場面など、初めて見る人にも十分このオペラの真髄が伝わる好タイトルである。1980年収録。

※フルトヴェングラーに始まり、ベーム、カラヤン、バーンスタインなど巨匠たちがこぞって得意にしていた演目だけあって、推薦したい盤はCDでもたくさんある(この4人のものならはずれはないだろう)。映像ではバーンスタインがウィーンで大成功を勝ち取った1978年1月の上演記録が先年出て、ポップ、コロといった歌手といい伝説の名演というに恥じない出来である。バーンスタインの緩急を大きくとった個性的な指揮がまず見もの。フィデリオ序曲は、序奏冒頭のアレグロ部分を剣の達人による居合い抜きのように鋭く始め、逆に主部に入ってのアレグロは比較的ゆったりと進めるので、再び序奏部分が戻ってくるところではなんとアッチェラダンドをかける!(普通は最初に戻ったことを強調するためにリタルダンドをかけるか、あるいはインテンポで進める)。レオノーレ第3番序曲のあとなど会場の盛り上がりもすごい。だがレオノーレについては、ギネス・ジョーンズが美しい髪を短く切って題名役に臨んだベームの映画版DVD(1970年)が、容姿といいひときわ張りのある声といいベストに近いのではないか。キングのフロレスタンも当たり役だっただけにすばらしい。また新しい映像では、メータ指揮のスペイン・バレンシア州立歌劇場盤あたりか(2006年)。リフトを多用したカメラワークなど最新鋭の機材を使った美しい舞台に加え、マイヤー、ウーシタロ、イルディコ・ライモンディといった歌手たちも充実している。もしかして「なぜスペイン?」とお思いの方がいらっしゃるかもしれないが、このドイツ・オペラの真髄たる曲の舞台設定が、実はドイツでなく「スペイン国営刑務所」であることを知ってました?
※※でも私個人は、『フィデリオ』よりこのオペラの初版である『レオノーレ』が気に入っている。アリアの構成など実は『レオノーレ』の方が複雑で、まるでよくできた編曲版のように聴こえて、楽しい。一曲で二度楽しめるオペラなんて、そうそうないのでは?。その意味では作曲順の『レオノーレ』>『フィデリオ』の順でなく、『フィデリオ』>『レオノーレ』の順に聴いた方がいいのかもしれないけれど。

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2012年6月19日 (火)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(10) 第18巻『魔弾の射手』

 第18巻と続く第19巻は、ドイツ・オペラ初期の傑作が続く。まずウェーバー作曲『魔弾の射手』は、アーノンクール指揮、チューリヒ歌劇場のもの(1999年収録)。アーノンクールはこのシリーズ初登場。有名な序曲で、冒頭、無弁のナチュラル・ホルンが4台登場するあたりは、まさに彼ならでは。主役の歌手たちは、何事も割り切ったような現代っ子のエンヒェンを演じるハルテリウスをのぞき、いく分、旬を過ぎているように思えないではない。特に50歳代のニールセンは、最初、登場時には花嫁役のアガーテにはどうかと思えるのだが、最初に歌うアリエッタはその分、心のこもった歌唱で、アーノンクールの丁寧かつ周到な指揮もあって一種の神々しささえ漂っている。サルミネン(カスパール)はさすがに貫禄だが、見かけは悪役レスラーにしか見えない・・・こわい・・・。

 さて、今回久しぶりにこのオペラを聴いてみたのだが、第1幕でスランプに悩む若い猟師マックス役のザイフェルトが黒ずくめの衣装を着た猟師仲間や農民にいたぶられる場面など、「ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ・・・」と執拗にくりかえされる2度の不協和音の強調も相まって、とてもオペラの中の他人事として聞き流せない(苦笑)。銀縁めがね姿のザイフェルトも、落ち目のプロ野球選手のような風貌で、いかにも冴えない。そう思ってみると、親方格のクーノーも、花婿候補の若者を心配しているというより、後輩に肩たたきをして自主的にやめさせようとしているリストラ担当の中間管理職のように見える。が、これらはいずれもアーノンクールや演出のルート・ベルクハウス女史が、そういう「つらい」聴き方をするよう仕向けているわけだ。農民の踊りの暴力性や、狼谷の場面に出てくる不気味な人間の列は、いやおうなしに見る者の心に残る。またエンヒェンはアガーテに対し、初夜を前にした女性への性的なほのめかしを連発するが、その線で考えると原作どおり歌われる彼女のアリアも、愛するいとこを思いやるというより、もともとがどこか勘違いな歌だったように聞こえてくるから不思議なものだ。しかし、このオペラはいつからそういう曲になったのだろうか。僕が子どもの頃は「名曲アルバム」的な音楽教育レコードには、必ず第3幕の「狩人の合唱」が入っていたものだが、今や僕が見た最近の映像ソフトでは、この有名な合唱が皮肉やパロディ的に歌われているものがほとんど・・・。そういえば、最近、このオペラの新譜自体あまり見かけないようだ。つまるところ我々には、ウェーバーの夢見た森に戻り、そこから「ともに天を仰ぎ見る」ことなどもはやできないということだろうか。

※ということで対抗盤は、ベルクハウスの弟子筋にあたるかのコンヴィチュニーが演出したハンブルク国立歌劇場のDVDあたりか(1999年収録)。幸い日本語版がある(Arthaus Musik)。大胆な読み替え演出のようでいて、作品の精神には忠実!。また、口直しをお望みの方には、小クライバーのはつらつとしたデビュー録音(DG)がぴったり。

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2012年6月17日 (日)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(9) 『コシ』『タンホイザー』

 第16巻はモーツァルト最晩年の傑作『コシ・ファン・トウッテ』。もともとのストーリーがひとひねりもふたひねりもしてあるので、演出家による読み替え、解釈の変更はもはや当たり前だ。その中でこのグラインドボーン音楽祭のライヴ盤(1975年収録)は、極めてオーソドックスなもの。僕も初めて見た『コシ』の映像は往年のベームの映画版だったし、日頃、新しい演出ばかり選んで見ているわけではない。とはいえ、この盤のように歌手たちが歌うときは基本棒立ちという正攻法で攻めても、「はっ」とするような刺激的な展開は期待できない。このあたり普通にト書きどおり歌って行動するだけで自然に劇が進行していく『フィガロ』あたりとは、事情が違うように思える(『コシ』でそれに近いのは、第1幕の終わりくらいか)。その中では、デスピーナ役のダニエル・ペリエが演技、歌の達者さ、おそらく舞台経験で抜きん出ている。グリエルモ役に当時30代になったばかりのトーマス・アレンの名があるが、特に目立っているわけでもなく、第2幕のアリアでちょっと片鱗をのぞかせている程度。かといって、テノールがやや弱い以外は他の歌手に大きな穴があるわけでもなく、名匠プリッチャードの明解かつきびきびした指揮も相まって、おそらく現地で生で聴いていれば結構満足して帰途についたのではないかと思える。エイドリアン・スラックの演出も、劇場内の出来事として見るならば、いろいろ楽屋落ち的な小技が効いていてユーモアたっぷりなのだし・・・。※アレンと言えば、2006年ザルツブルク音楽祭での全オペラ上演「Mozart22」のプロダクションでは、この『コシ』で、これまたベテランのヘレン・ドナートとドン・アルフォンソ、デスピーナのコンビで大健闘していた。いろいろな新しい演出が出ている中でこのヘルマン夫妻の舞台は、美しさでは際立っている。本当は同じヘルマン夫妻が2004年にザルツブルク・イースター音楽祭で演出した公演の記録があればと思わないではいられない(ラトル指揮BPO)。なんと女性陣がバルトリ、コジェナー、ボニーという豪華さだったのだから(ここでもアレンがドン・アルフォンソ)。あと伝統的な解釈の演出がお好みならば、アバド/マーラー室内管のフェラーラ公演(2000年収録)か。鮮度の高いオケの響きと新しい歌手たち!

 続く第17巻は2作目のワーグナーもので『タンホイザー』。メトでは定番のレヴァイン指揮・シェンク演出の舞台(1982年)だけに実に安定したものだが、この作品にも上記『コシ』と同じく以前から斬新な「読み替え」演出がある。その中でどこまでアピールできるかというところ。演出の面では、第14巻の『ローエングリン』と同じくバイロイトのゲッツ・フリードリヒ演出の盤(ディヴィス指揮、1978年収録)にしておいてもよかったのに、と思わないではない。それはともかく、30年前のレヴァインはすごく元気だし、音楽は序曲から快調に前へ前へと進む(パリ版を使用)。序曲から続くヴェーヌスブルクのバレエ・シーンも非常に見事である。ヴェーヌス役は、妖艶かつ演技もうまいタティアーナ・トロヤノス。エリーザベト役は、先のフリードリヒ演出で同役(とヴェーヌス)を歌ってバイロイトにデビュー(1977年)したエヴァ・マルトン。「実はこのオペラは、二人の女性歌手による歌合戦の物語だったのか!(笑)」と思えるくらいともに絶好調である。ヴァイクルもヴォルフラムとして最高の時を迎えている。その予定調和的な世界の中で、タンホイザー役だけが、最初の竪琴を弾いて歌う歌から、すっかり汗だくになっている・・・(苦笑)。いや、彼リチャード・キャシリーはよくがんばっている!。この役で満足できる歌唱なんてめったに聴けないのだ。かつて帝王カラヤンに喧嘩を売ったルネ・コロは「現在ドイツでローエングリンを歌えるヘルデン・テノールは5人あまりを数えるに過ぎないが、それを指揮する指揮者は5,000人もいる」と言ったとか。が、歌も見た目もきまっていて「彼こそタンホイザー」と言えるテノール歌手って、実はローエングリンより少ないかもしれない。その中でこの盤は、全体にタレントが揃って、歌合戦も非常に華やか。そのあとのタンホイザーの糾弾そしてエリーザベトの擁護の場面では、マルトンの歌がさすがの迫力で、説得力がある。終幕の救済に向けての音楽も神々しいばかりに盛り上がりをみせ、これなら主人公たちも十分救われていそうだ。カーテンコールではマルトン・ファンのひとりが、だみ声で「ブラヴァ、エヴァー!」と叫び続けているが、正直、マルトンがここまでエリーザベトを歌えるとは思わなかったので、これは収穫。※上記のフリードリヒ演出の盤のほかにバイロイトものには、シノーポリ指揮、ヴォルフガング・ワーグナー演出の盤(1989年収録)がある。バイロイトの伝統に現代的な空気を入れたもので、メトのシェンク演出よりはずっとすっきりしている。特にシノーポリのタクトが生み出すしなやかな音楽は、今でも十分新鮮だ(こちらは、ドレスデン版を使用)。ただしこちらもタンホイザーが・・・。

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2012年6月14日 (木)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(8) 第15巻『エフゲニー・オネーギン』

 前巻の『ローエングリン』に続くのは第15巻の『エフゲニー・オネーギン』。作曲家のチャイコフスキー自身により「3幕の抒情的情景」と名付けられただけあって、これも音楽の精妙な美しさでは負けていない。先日、キッチンでタチヤーナの有名な「手紙の場」をかけていたら、オペラ嫌いの家人でさえ、料理をしながら聴いていたのか「これきれいな曲で結構好きやわ。誰の曲?」ときいてきたほどだ。つい先頃も、ドイツ語とはいえヴンダーリヒの歌うレンスキーのアリア「青春の日は遠く過ぎ去り」を聴き、絶唱であって、かつスタイルのくずれのない凛とした歌唱にほれぼれとしたところだ。これらのアリアにしてもホルンやオーボエ、フルートといった管楽器のからみが絶妙で、さすが管弦楽の名手・チャイコフスキーである。冒頭を含め重要な局面でいくつか出てくる重唱も、作曲技法として非常に優れている。このような重唱が書けたのは、モーツァルトとヴェルディをのぞけば、あと誰がいるだろう。という感じでこのオペラを聴くときはいつも曲自体に感心してしまい、演奏家まで気が回らないのが常だが、僕がそう言えるのもこのDVD(エルムレル指揮ボリショイ劇場、2000年収録)のような質の高い演奏があってのことだろう。

 一家を束ねる母親役のイリーナ・ウダローワは、僕が聴いた中では最高のラリーナ。メゾの役ながら声に硬質なつやがあって、アンサンブルでも埋もれない。ボリショイ劇場の専属だろうか。残念ながら他にはほとんど録音がない(スヴェトラーノフの『金鶏』ライヴCDおよびDVDで金鶏役を演じているが、それくらいいい声だ。あとはやはりボリショイ劇場でアレキサンドル・セーロフ作曲の歌劇「ユディト」全曲の題名役を歌ったCDがあるくらい)。フィリーピェヴナ役のガリーナ・ボリーソワも、老乳母にはもったいないようなしっかりとした声。曲冒頭のこのふたりと姉妹が歌う二重唱・四重唱は非常に見事で、歌い終わりには「ビラビィ!」の声がかかる(観客の乗りは総じていいのだが)。このDVDの舞台は、1944年の同劇場のプロダクションを蘇演したものだという。当然、極めて写実的なもので、このあと木漏れ日の差すデッキにタチヤーナ役のマリヤ・ガヴリーロワが登場するシーンはとても美しい。オリガ役のエレーナ・ノヴァークはかわいらしいおさげ髪姿で登場し、まさにこの華やかな役にふさわしいのだが、声はかなり深い低音でちょっとびっくり(笑)。でもこの姉妹はともに若いので役柄には合っている。ガヴリーロワは第1、2幕あたりでは役づくりからか絶えずしかめっ面で、表情も歌もやや硬目。でもその分、第3幕での登場ぶりは実に堂に入ったもので目を見張らされる。以上、女性陣は総じて好演。ただ男性の主役級の二人は歌こそ安定しているが、かつらとメークがいかにも時代劇調で、この点だけはちょっと残念だ。もちろん本場のバレエ団は全編を通じて活躍していて、農民の踊りや舞踏会の場面も圧巻である。トリケ役のアレクサンドル・アルヒーポフも、なかなかの熱演でエスプリが効いている。オケは弦がよく鳴っているが、金管の強奏が気になったところもある。ただ収録も新しいし、このシリーズ中でも注目度が高い1枚だろう。

※このオペラ、最近もゲルギエフ指揮メト(2007年収録)、バレンボイム指揮ウィーン・シュターツオパー(2007年収録)など優れた映像ソフトに恵まれている(CDよりもいいものが多い)。前者は簡素ながらカーセン演出の美しい舞台上で、ホロストフスキー(オネーギン)、フレミング(タチヤーナ)、ヴァルガス(レンスキー)らの貫禄の歌唱を聴くことができる。ホロストフスキーは、見た目も声もこの役のために生まれてきたように見える。ネタばれになるので詳しくは書かないが、演出面ではプーシキンの原作をもふまえた「手紙」の扱いが見事で、よく考えられていると思う。一方、後者はバレンボイムがダイナミックにオケを鳴らし、ウィーン・フィルもそれに完璧に応えている。終演後、オケの楽員がステージに上がって喝采を受けているのが珍しいが、それも当然という感じがする。アンナ・サムイルは、もしかして今、一番旬なタチヤーナかもしれない。『オネーギン』好きなら、ここにあげた3枚ならどれを聴いても十二分に満足できると思うけど・・・。

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2012年6月12日 (火)

「隔週刊DVDオペラ・コレクション」(7) 第14巻『ローエングリン』

 かなり間が空いたが、デアゴスティーニの「オペラ・コレクション」の視聴記を続ける。

 第14巻は、このシリーズ初めてのワーグナー作品で、『ローエングリン』の登場。当シリーズにはモーツァルト、ヴェルディというオペラの大家たちはすでに3作品づつと順当。プッチーニにいたっては実に4作品が含まれているのだから、ワーグナーがゼロだったのはむしろ不思議なくらい。1990円均一のシリーズだから、3時間を優に超えるワーグナーの諸作は敬遠したいという考えもまあ理解できなくもないが・・・。

 今回のDVDは、1982年のバイロイト音楽祭におけるプロダクション(指揮はウォルデマール・ネルソン)で今では旧作の部類だが、その時代を代表するヘルデン・テノールだったペーター・ホフマンがタイトルロールを歌っている。当時から名盤として知られてきたもので、かつてPHILIPSからLDで出た豪華な「バイロイト・シリーズ」にも収録されていたし、確かCDでも出ていた。僕はかなり前にNHKで放映されたものを見た記憶があるけれど、そのときが初めて見た『ローエングリン』の映像だった。ホフマンはこの役が当たり役だっただけに、今聴いても歌・演技・容姿いずれも最高のレベル。エリザベス・コネルが硬質な声で、極めて冷徹なオルトルートを演じていて、ゲッツ・フリードリヒ演出の明暗の対比を基調とした舞台とあいまって、ロマンチックに傾きがちな舞台を引き締めている。その中で、エルザ役のカラン・アームストロングは、歴代のエルザに比べると確かに歌は弱いのだが、ここではまさに彼女以外のエルザは考えられない。人柄の良さとそれゆえの弱さがにじみでているような演技で、それだからこそオルトルートらにつけこまれるという筋書きがすっきりと理解できる。この舞台を見ている限りは、もともとエルザには声はいらないのでは?とさえ思えるくらいだ。第2幕幕切れで婚礼のため寺院への階段を上って行くエルザが、いわゆる「禁問の動機」が鳴ると同時に思わずオルトルートを振り返ってしまう場面は、そこに持っていくまでの緻密な演出の流れもあいまって、何度見ても心から震撼させられる。

 物語としては謎だらけの設定でいくらでも解釈が可能なので、最近では様々な「読み替え」演出が出ている作品でもある。現代最高のローエングリンと思われるカウフマンが主演のバイエルンでの舞台では、エルザ(ハルテロス)はマイホームを夢見て家を建てている。昨年(2011年)のバイロイトでは、6月に新国立劇場でも題名役を歌ったフォークトが評判になったが、主役以外の登場人物はすべからく「ねずみ」の衣装を着ていた(笑)。でも世評どおり最も過激でおもしろいのは、ペーター・コンヴィチュニーの演出によるドイツの教室を舞台としたリセウ劇場のプロダクション。ここでは合唱団は、フリードリヒ演出のようにひな壇に立って歌っているだけでなく、ひとりひとりまったく違った演技をしていて、主役たちが歌を歌っていようがおかまいなしに紙ヒコーキを飛ばし合ったり、ひやかしの声を上げたりする。つまり今風に言えば「学級崩壊」という様相。演出としてどうやって統率をとっているのか不思議なくらいだが、逆にひとりひとりが演出意図を理解し、しかも自発的に行動していなければ、こんなに自然に?「学級崩壊」しないように思われる。カーテンコールで、合唱団のメンバーがとてもうれしそうに大喝采をうけている様子が見られるが、主役たちよりむしろこちらを褒めたいという聴衆の気持ちもよくわかる。日本語字幕のついた盤がないので推薦しがたいが、コンビチュニーの卓越した演出手腕を見るだけでもおもしろいと思うし、2枚目以降に見れば!きっと感銘も深まるというもの。ちなみに「そんな音楽以外のことは関係ないよ」という方に対しては、今でもEMIのカラヤン盤(CD)が最有力だろう。当時のBPOの合奏力と美音はもはや再現不能の高みに達しているし、耽美的な側面はこのオペラの根幹でもあるからだ。

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2012年6月 5日 (火)

ヴンダーリヒの遺産

 前回、フイッシャー=ディースカウ氏の追悼の意味を込め、「ドイツ語歌唱によるオペラ・ハイライト・シリーズ」(DG)というちょっと珍しいシリーズを紹介した。また、その中の数枚でF=D氏とドイツの名テノール、フリッツ・ヴンダーリヒ(1930年9月26日 - 1966年9月17日)が共演していることにも触れておいた。具体的には、『椿姫』『エウゲニー・オネーギン』の2枚。ほかにヴンダーリヒの出番としては、『ドン・ジョバンニ』のドン・オッターヴィオや『ラ・ボエーム』のロドルフォあたりでも共演の可能性があったと思うが、前者はヘフリガーが、後者はコーンヤが相手方を務めている(F=D氏の役は、ドン・ジョバンニとマルチェッロ)。ところが、この2曲には老舗EMIにやはり「ドイツ語歌唱のハイライト」シリーズがあり、何とこちらにはともにヴンダーリヒが参加しているというから、おもしろい。で、今回はヴンダーリヒの歌唱を中心に、このシリーズを紹介したい。

 EMI盤(ツァノテルリ指揮、1960年録音)のドン・ジョヴァンニ役は、ヴンダーリヒの親友で、若き日のヘルマン・プライ。芸達者な彼にしてもこの役はなかなか珍しいらしく、他には先年出たサヴァリッシュ盤があるくらい(ちなみにこちらもドイツ語歌唱で、ヴンダーリヒがドン・オッターヴィオ役)。ニヒルなシエピあたりとは一味ちがう、ちょっと人の良さそうなドン・ジョヴァンニを演じている。ヴンダーリヒのやわらかい発声と語り口は他の追随を許さない。ウィーンで17回もこの役を歌っているのに、上記のサヴァリッシュ盤が出るまでは、全曲盤ではカラヤンの1963年盤しか聞けなかったのだから、このハイライト盤も結構、貴重なのだ(DGが出した『Fritz Wunderlich Live on Stage』に上記公演から彼のアリアが2曲収録されているらしい。もちろんイタリア語歌唱。あとミュンヘンでのリーガー指揮のライヴ盤があるらしいが未発売のようだ)。また、ドンナ・アンナ役のグリュンマーは、いかにも手の内に入った歌唱。ケートのツェルリーナも案外歌っていない役とはいえ、悪かろうはずもない。ちょうどバイロイトに出だしであったトーマス・スチュワートがマゼットを歌っているのは珍しい。全般的にEMI盤の方がよりドイツの劇場という雰囲気が濃厚だ(ただ曲順が結構入れ替わっている)。一方、DGのハイライト盤の方は、ヘフリガーをはじめ、F=D、シュトライヒというどちらかといえば清潔な歌い方をする美声の歌手で固めている。さらに第5曲以下は最後まで9曲連続でアリアが続くという、一見、名歌手たちのアリア集のような作りではある。まあ、そのなかで、レポレロ役のワルター・ベリーがひとり気を吐いていると言うべきか。

 さて、EMI盤『ラ・ボエーム』(1961年録音)の方は、ムゼッタ(ドイツ語ではミュゼットか?)が持ち役のローテンベルガーがここでは可憐なミミを歌い、ロドルフォならぬルドルフ役のヴンダーリヒが甘い声でからむ。ドイツ語歌唱とはいえこのオペラが好きな人はぜひ一度聴いてみてほしい。冒頭の短い序奏のあと、すぐにミミとルドルフの出会いのシーンになるが、ここは私の一番好きな場面で、ハイライト盤なのによく入れてくれたと思う。彼らの演奏も単に声をはりあげるだけでなく、非常に繊細だ。鍵の落ちる音、ミミのせきの声、手が触れ合ったたときの声など非常になまなましく、実況盤風の演出。その後、「冷たい手を」「私の名はミミ」という2つの名アリア、そしてこの幕の終わりまでたっぷり入っているのもうれしい。指揮者には、なつかしいクロブチャールの名前が。ベルリン交響楽団も低弦が利いていていかにもドイツ風だが、旋律線もおろそかにはなっていない。ちなみにDGのエレーデ盤は全曲盤から採られた本物のハイライト集だが、こちらもF=Dやローレンガー(ミミ)、シュトライヒ(ミュゼット)等、なかなか豪華な配役。バイロイトでローエングリンを歌ったハンガリー出身のコーンヤが歌うルドルフも、イタリア物も得意としていたというだけに特に違和感はない。

 ほかにヴンダーリヒが歌ったプッチーニには、これもクロブチャールの指揮で『蝶々夫人』(1961年録音)がある。ちなみにヴンダーリヒの役名は「ピンカートン」ならぬ「リンカートン」。この変更は、前者の言葉の響きがドイツ語ではあまり上品ではない言葉に似ているせいらしい。もちろん最上の「リンカートン」。もう少し長生きしていれば、原語でも歌う時期がきていたのではないだろうか。当時、ウィーンあたりで蝶々さんといえばユリナッチだったと思う(実に40回も歌っている)が、ローレンガーの蝶々さんもいかにも若いまだ十代の娘さんという雰囲気が出ていて、いい。盟友プライもシャープレス役で参加している。プライと言えば、このシリーズにはDGと同じく『エフゲニー・オネーギン』(シュヒター指揮、1962年録音)もあって、ここでもコンビを組んでいる。レンスキーのアリア「青春の日は遠く過ぎ去り」に続くプライ(オネーギン)との6度のカノンによる二重唱が、まさに息もぴったりで驚くほかない。こちらは『スペードの女王』との組み合わせで、収録された曲数も少ないのだが。

 一枚もののCDもあるが、現在、これらのハイライト盤を手に入れるには、『フリッツ・ヴンダーリヒ/オペラ・ハイライト録音集』という7枚組のCDが便利だろう(HMVで検索すればすぐに出る)。上記で触れたほかには、トマ作曲『ミニョン』(1961年録音)、フロトウ作曲『マルタ』(1960年録音)、ロルツィング作曲『皇帝と船大工』(1959年録音、上記3枚ともクロブチャール指揮)というラインアップ。これらは前世紀の中頃までは、ドイツで盛んに上演されていた演目のようだ。ちなみに『マルタ』と『皇帝と船大工』はオリジナルのドイツ語のオペラ。後者はDGのハイライトシリーズにもあり、実はこれはヴンダーリヒの最後の録音・遺作であり、F=Dも共演しているという貴重なもの。また機会があればご紹介したい。

Wunderlich1_2

HMVジャパン

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2012年5月19日 (土)

フィッシャー=ディースカウ氏とドイツ語歌唱オペラ

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 氏(1925年5月28日 - 2012年5月18日)が亡くなった。86歳。バーンスタイン指揮でF=D 氏がバリトン独唱で加わる『大地の歌』は、僕が高校生のとき、名古屋のレコード店で母親に買ってもらった思い出の盤だ。その他、ベームの『フィガロ』全曲盤(東京ライヴ、スタジオ録音、DVD)、何種もあるシューベルト三大歌曲集、ヴォルフのメーリケ歌曲集などなど、我々の年代なら愛聴盤はいくつでもあげることができる。今日は、本来ならばリヒターと録音したバッハの宗教曲でも聴いた方がふさわしいのだろうが、ちょっと思い立っていわゆる「ドイツ語歌唱によるオペラ・ハイライト・シリーズ」(DG)を何枚かCD棚から探し出してきて、午前中からF=D氏の歌唱を中心に聴いている。

 このシリーズは外国盤でも出ているが、2001年の年末に日本でも10枚(いずれも1枚組)がまとまって出されたもの。ドイツやオーストリアの歌劇場では、カラヤンあたりが原語上演を広めるまではこうしたドイツ語による訳詞上演が普通であり、これはそうした背景を持った企画物である。F=D氏は、このうち『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』『オテロ』『仮面舞踏会』『ラ・トラヴィアータ』『エフゲニー・オネーギン』『ラ・ボエーム』の7枚に加わっている。モーツァルトはまだしも、ヴェルディやプッチーニ、さらにはチャイコフスキーをドイツ語歌唱で聴くというのも、今の時代、なかなか勇気のいる行為だろう。でも、それだけで聴かないというのはもったいない。というのも、F=D氏は『オテロ』ではヤーゴを歌っているのだが、オテロ役はなんとヴィントガッセン、『ラ・トラヴィアータ』ではもちろん父ジェルモン役で、息子のアルフレードはドイツの誇る名テノールのヴンダーリヒ、ヴィオレッタがギューデン、『エフゲニー・オネーギン』でもヴンダーリヒとオネーギン、レンスキーのコンビを組んでいるときいて、興味を持たない人がいるだろうか。他の曲でも、シュターダー(ミカエラ)、シュトライヒ(ムゼッタ)、ストラータス(デスデモナ)、ホッター(アモナスロ)、ファスベンダー(オリガ)、ローレンガー(ミミ)といった(!)がいくつも付くようなドリーム・キャストが並んでいる。これらは逆に「ドイツ語歌唱」という企画自体がなければ、もはや聴くことができない配役だろう。さらにこれらの録音セッションは、(『ラ・ボエーム』以外は)ドイツ語圏の一般家庭で気軽に聴けるようオリジナルのハイライト盤のためにだけ組まれたもので、その意味でも当時はなんという贅沢なことができたものだと感心せずにはいられない。

 そんなシリーズの中で白眉の1枚は、やはり『オテロ』(ゲルデス指揮、1967年録音)。F=D氏が歌う「ヤーゴのクレド」はもちろん緻密な歌唱だし、そのあとのオテロとの重唱もたっぷり入っていて聞き応えがある。正直、ヴィントガッセンは声に往年の力がないが、でもその分、オテロの嘆きはよく表出されている。F=D氏による『乾杯の歌』が選曲に入ってないのがちょっと寂しいけれど、その分、第4幕がたっぷり収録されていて音楽的にも十分満足できる(ちなみにこの盤のみは。国内盤のLPが出ていたはずだ)。ほかに予想どおり平均点が高いのが『ラ・トラヴィアータ』(バルトレッティ指揮、1966年録音)。ヴィオレッタはギューデンの可憐な歌唱が、やや軽めだけれどこれはこれでひとつの型になっているし、気品のあるヴンダーリヒとの相性がとてもいい。第2幕のヴィオレッタと父ジェルモンとのやりとりは、表現派、F=D氏の独壇場だろう。ちなみにヴンダーリヒはこの録音の10日ほどあとに事故で亡くなっていて、これは最後から2番目の録音だそうである(山崎浩太郎氏の情報による)。F=D氏には『オテロ』『ラ・トラヴィアータ』ともに、原語(イタリア語)で歌った全曲盤(それぞれ、バルビローリ盤、マゼール盤)があるが、今ではともに影が薄いし、他の配役もハイライト盤の方がずっと豪華だ。

 一方、役柄的には『エフゲニー・オネーギン』(ゲルデス指揮、1967年録音)のタイトルロールが一番合っているのではと思われる。F=D氏が歌ったオネーギンとしては、デルモータと組んだマタチッチ指揮のウィーンでのライヴ盤(こちらもドイツ語歌唱)があるようだが、抜粋盤の方で聞かれるレンスキー役のヴンダーリヒとの組み合わせはある意味、究極のコンビではないか。レンスキーの第2幕のアリア「 青春の日は遠く過ぎ去り」の見事さ! タチアーナ役はイヴリン・リア。彼女にはベームの『魔笛』でのちっとも若々しくないパミーナのイメージしかなくて、でもこちらでは意外に好調なのでうれしい。ミュンヘンの歌劇場のオケだし、決してロシア風ではないが、最近『エフゲニー・オネーギン』といえば僕はこの盤を一番よく取り出して聴いているかもしれない。あとほかには『フィガロ』(ライトナー指揮、1961年録音)や『ドン・ジョヴァンニ』(レーヴライン指揮、1963年録音)があるが、これらはドイツ語の響きさえ気にならなければ、まさに自分たちの音楽であり、十分楽しめる。もちろんF=D氏には、原語で歌った全曲盤がそれぞれ何種類もあるから、あえてハイライト盤を聴く意義があるかどうかは微妙だけれど・・・。ちなみに後者にはちゃんと「シャンパンの歌」も収録されていて、こういう曲は本当に彼は得意だし、実際、見事に歌っている。

 実は、DGには上記の「ドイツ語歌唱によるオペラ・ハイライト・シリーズ」で国内盤が出た10枚のほかにも同様のハイライト盤があり、僕が持っているのはF=D氏がタイトルロールを歌った『リゴレット』(シュタイン指揮、1962年録音)。氏には有名なクーベリック指揮、スカラ座による同曲の全曲盤(1964年録音、DG)があり、こちらは今でもほめる人がいる。少なくともジルダとマントヴァ伯爵については、全曲盤のベルゴンツィ、スコットの方に分がある。とはいえ、ハイライト盤のF=D氏も秘術を尽くした究極の歌唱で、ベルリン・フィルの美しい響きも相まって決してほかでは聴けない魅力がある(第一、BPOの『リゴレット』なんて、カラヤンの『ヴェルディ序曲・前奏曲全集』以外には聴けないのでは?)。無論、これを行き過ぎと捉えることもでき、例えば黒田恭一氏は、遺著『オペラ版 雨夜の品定め』の中で、「ぼくの手元にある、もっとも風変わりなリゴレットのきけるCD」としてこの盤を紹介されており、「ここでのフィッシャー=ディースカウがドイツ語でうたっているということもあってのことだろう、あの微に入り細を穿った表現が裏目にでて、なんとも奇妙な歌唱になっている」とはっきりマイナス評価を付けている。しかし、そのあとすぐ「若い頃のフィッシャー=ディースカウの声は絶品である」と付け加えることも忘れていないけれど。

 余談だが、デッカにF=D氏がスカルピアを歌った『トスカ』全曲盤(マゼール指揮、1966年録音)がある。トスカ、カヴァラドッシ役は、ニルソンとコレルリという何とも言いがたい組み合わせなのだが、実はこの盤にはF=D氏以外の上記二役をシリアとキングに変えたドイツ語歌唱のハイライト盤があることをご存じだろうか(バックは、ともにローマの聖チェチリア音楽院のオケとコーラス)。今度はどう見てもワーグナー・コンビで、でもそこまでしてドイツ語歌唱の盤が必要だったということなのだろうか。詳しい理由はわからないが、こちらでもイタリア語、ドイツ語で、F=D氏の極めて知的なスカルピアが聴きくらべできるのだから、文字どおり有難い。でも、こんなことができる歌手ってほかにいないと思うにつけ、氏がいかに不世出の、偉大なタレントだったかがわかるというものだ。

「フィッシャー=ディースカウさん、たくさんの名唱をありがとうございました。」

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2011年2月 6日 (日)

ミンコフスキ、ウィーンの『アルチーナ』を全編配信

 今朝、早起きをしてメトロポリタン・オペラの『シモン・ボッカネグラ』の生中継をネットラジオで聴いた。ホロストフスキーがタイトルロールを歌い、フィリットリ、フルラネット、ヴァルガスなどメトらしく脇役も豪華。指揮のレヴァインは意欲的な指揮ぶりで、終幕後も大喝采を浴びていた。と、一息ついて、少しネットを見ていたら、とんでもない情報を見つけてしまった。というのも、つい先月、同じくネットオペラで現在、絶好調のミンコフスキが振ったヘンデルの魔法オペラ『アルチーナ』を聴いたのだが、このプロダクションのライブ映像が全幕!オンデマンドで配信されているというのである。確かにこの上演の映像は一部 YouTube にもアップされているが、全編が聴けるなんて・・・半信半疑で見てきた。

http://www.servustv.com/cs/Satellite/Article/Alcina-011259328803061

 本当にありました!(現在、第2幕を視聴中です)

http://www.servustv.com/cs/Satellite/Article/Meisterwerke---Arien-aus--Alcina--011259333862243
(2011.2.16、どうやら30分ほどのダイジェストの配信になったようです。リンク張り替えます)

 こちらもハルテリウス、カサロヴァ、カンジェミとスター級を揃えた上に、演出(舞台)も大変美しく見応えがある。もちろんミンコフスキ指揮の古楽オケも見どころのひとつで、時折、ソロ奏者が舞台上にあがって文字通り歌手と競演する! カサロヴァのヘンデルは苦手という人がいるのもわかるけれど、彼女が星空のもとで歌う第2幕第3場のルッジェーロの独白「甘い愛がわたしを魅する」はさすがに見事。この曲を、声楽的技量とは別に、これほど情感豊かに「歌として」歌える人がほかにいるなら教えてほしいくらい。配信期間は示されていないようだが、見ることができるうちにぜひ多くの方に見てほしいと思う。しかし、前記事のニューヨーク・フィルのアーカイヴといい、このオンデマンド配信といい、本当にネット時代がきたのだと実感できる日々だ。

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