2020年3月 1日 (日)

佐伯茂樹氏『新名曲解体新書』(その2)

 (その1)では、佐伯茂樹氏の『新名曲解体新書』(ONTOMO MOOK)の「ショパン「ピアノ協奏曲第2番」--- 「ショパンはオーケストレーション」が本当に下手だったのか?」という記事について、そこに掲載された譜例が上下逆になっているのでは?という点について書いた。結局、初出誌では譜例は逆になっておらず、ムック本編集時のミスであることがほぼ確認されたのだが、いつもの癖で(笑)実際に楽譜資料にあたってみることにした。

 佐伯氏がこの「ピアノ協奏曲」において注目したのが、バス・トロンボーン・パート。

「トロンボーンというと、通常は、テノール2本とバス1本、もしくは、アルト、テノール、バスという風に、3本セットで使われることが多く、ショパンのピアノ協奏曲のように1本だけ使われる例はかなり稀です。」(同書 p.44)

 その上で、ショパンの手稿譜と通常使われる原行譜を見比べ、(その1)で触れたように第3楽章の冒頭で「原行譜(上)に対して手稿譜や初版譜(下)はスラーが中心のアーティキュレーションになっている」ことを指摘されている。

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 ここでは、トロンボーンはチェロ・コントラバスとユニゾンであり、つまり低弦を支えていることになるのだが、「現行使われている多くの楽譜では、この箇所が全て、同じアーティキュレーションに揃えられています(エキエル版のヒストリカルヴァージョンは揃えていません)。おそらく、のちの出版時に誰かが直したのでしょう。」。佐伯氏はこのあと、この曲のトロンボーン・パートが初期稿ではスラー表現に特化していた点から、普通のスライド式ではないヴァルヴ式のトロンボーンをショパンが意図していたのではとまで推理を進める。このあたりは、古楽器にも精通したトローンボーン奏者でもあった佐伯氏のまさに独壇場と言えるだろう。ちなみに記事にも欄外に記載があるが、佐伯氏は実際に同曲の演奏(有田正広・指揮、仲道郁代・ピアノ、日本コロンビア)に、バルブ・トロンボーンを吹いて参加したという(Amazon の当該CDのページで、上記検討箇所を含む第3楽章の冒頭部分を試聴することができます)。

 

 そのことは置くとして、ショパンの楽譜の話に戻ろう。僕も実際にいくつかの資料にあたってみたところ、imslp にアップされているブライトコプフ版(Plate C. XII. 5.、1879年刊、初版総譜の再版)では、すでにトロンボーンと低弦はともに「ほぼスラーなし」で揃えられていた。「これが今日多く使われる版」(下田幸二氏、『ショパン』2010年3月号)と言われていて、現行版の源泉になっていると思われる。また、最新のナショナル・エディション以前に、PWM(ポーランド音楽出版社)から出ていた全集版から Kazimierz Sikorski 編の同曲スコアも imslp で閲覧できるが、こちらも両パートとも「ほぼスラーなし」であった※。

 一方、佐伯氏の指摘にもある「初版譜」だが、こちらは「ピアノ・ソロ譜+オーケストラ・パート譜」の形で出たもの。やはり、imslp のパート譜のセクションにアップされているものを見つけた(Plate M.S. 1940.、出版年は「n.d.(1836)」とある)。トロンボーン・パートの第3楽章冒頭は、以下のとおり。

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 これは確かに「ほぼスラーあり」で、佐伯氏の記事の譜例どおりだ。ただし、記事では同じパート譜からチェロ・バッソのパートを見てみたところ、こちらも佐伯氏の指摘にもあるように「チェロもスラーが増えている」点がこれまでと事情が違っている。このあたりはさらなる検討が必要かもしれない。

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 ところで(その1)の最後に、「この記事の譜例冒頭に「13」という数字が付されている(初出誌、ムック本とも)。これは一般的に言って小節数を表すと思われるのだが、実はこのトローンボーン・パートは第3楽章の第17小節である。」という疑問を出しておいた。実は今回、「初版譜」を調べたことで、原因と思われる事実に気づいた。上記、「トロンボーン・パート」を見て欲しい。トロンボーンはピアノがマズルカ風のリズムで第1テーマを弾いている間は休んでいて、第16小節の最後の拍の「TUTTI」から2拍遅れた第17小節の2拍目から入ってくる。その第16小節の下段には、トロンボーン用の全休符があり、そこに「12」という数字が見える。これは、実はパートが休んでいる小節数。ただややこしいことにピアノのテーマ冒頭が4小節引用されていて、そこから(つまり第5小節目から)12小節目という数え方になっているのである。今回、『新名曲解体新書』において譜例を担当した方は、このパート譜を見てその16小節目にある「12」という数字を曲頭からの小節数と見間違え、トロンボーン・パート譜に「13」と書いてしまったのではないだろうか。オーケストラや吹奏楽をやったことのある方なら、ここに見るようなパート譜特有の記譜に慣れているだろうが、これは確かに間違いやすいだろう。

 ところで、佐伯氏は最新の全集版である「エキエル版のヒストリカルヴァージョン」についても言及していた。このヒストリカルヴァージョンは「セミ自筆譜と、初版のパート譜に依っている」とされるので、そのトロンボーン・パートは上に見た「初版譜(パート譜)」と同じ。確かに低弦とは「揃えて」いない。だが、実はこのエキエル版のスコアには、もうひとつ「コンサート・ヴァージョン」なるものがある。これは上記の資料のほかに「ショパンの意図を示すその他の資料も考慮に入れて再構成された」ものと説明されていて、こちらの方がより標準的な扱いをされている。しかもこのヴァージョンでは、トロンボーン・パートは「ほぼスラーなし」に戻っているのである(低弦は、ヒストリカル・ヴァージョンと同じ)。この協奏曲の自筆譜は、先の「セミ自筆譜」という呼び名でもわかるように、他人の手が入っていて、特にオーケストラ・パートはショパンの筆跡ではないとされている。なので、セミ自筆譜やそれに基づく初版に記載があるというだけで、ショパンの意図を議論するには細心の注意がいると言える。本当のところショパンは僕の楽譜探求の守備範囲ではなく、資料もほぼ持っていないので、また機会を見て調べて直してみることにしたい。

※この楽譜は、「エキエル版」以前の権威的な全集=いわゆる「パデレフスキ版」であると思われるが、僕は残念ながらこれは未所有。一応の答えとして、「レファレンス協同データベース」における国立音大付属図書館の投稿に以下の記述を見つけた。「後日、この楽譜は、パデレフスキー編集版『ショパン全集』(全21巻)の第21巻であることが判明。この全集の19~21巻の「ピアノとオーケストラ作品」のみ、カジミェシュ・シコルスキKazimierz Sikorski(1895-1986)の編集によるものということが分かった。 」(<<こちら

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2020年2月29日 (土)

佐伯茂樹氏『新名曲解体新書』(その1)

 今日は2月の閏日。1日長かった今月も今日で終わりということになる。今月初め、佐伯茂樹氏の遺著となった『新名曲解体新書』(ONTOMO MOOK)が出版された。生前 Zauberfloete さんのブログのコメント欄で対話をさせていただいたこともあり、さらにお亡くなりになる直前には本ブログの「モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)」という記事にコメントまで寄せてくださった。そこにも書いたが、佐伯氏は常々、ナチュラル・ホルンやバセットクラリネットなど僕が知りたいと思っている楽器や楽譜のことを取り上げてくださるほぼ唯一のプロフェッショナルであり、その本はまさに「バイブル」になっている(そのうちの何冊かは、思い立ったときに読めるよう、本棚には入れずリビングの机の上に平積みにして置いてある)。58歳というのは、いかにも若過ぎる。まだまだいろいろお聞きしたいことはあった。あらためて、心からご冥福をお祈りしたい。

 さて、このムック本は『音楽の友』に亡くなる寸前まで連載されていた同名の連載を中心に、同誌や同じ出版社が出している『レコード芸術』誌に掲載された最近の記事をまとめたもの。いくつかの記事内容はこれまで書かれた本と被っているとはいえ、最近の佐伯氏のお仕事を概観できる貴重な本だ。つい先月もバッハの「ブランデンブルク協奏曲」で使われたバロック・ホルンについて佐伯氏が書かれた記事を探していて見つけられないでいたが、当該記事「バロック・ホルンとナチュラル・ホルン」ももちろん収録されていて、あらためて読むことができた。


 ところで、書店でこの本を見たとき一番最初に確かめたのが、第1章冒頭の「モーツァルトは《魔笛》の序曲にトロンボーンを使っていなかった?」という記事。これは、雑誌に掲載された折に、上記のブログ『Zauberfloete 通信』で Zauberfloete さんと佐伯氏の間で興味深いやりとりがあって、その後の経過を翌月の連載記事に書かれる旨、佐伯氏がコメントを出されていた(>>こちら)。『音楽の友』誌の編集部にこの話が伝わっていたかどうかは不明だが、書籍化にあたって注記くらいは入っていると期待していたにもかかわらず、ここは残念ながら雑誌掲載時のままであった。

 あと他のページを読んでいて気になったのは、「ショパン「ピアノ協奏曲第2番」--- 「ショパンはオーケストレーション」が本当に下手だったのか?」という記事に掲載された譜例(p.44)。第3楽章・冒頭部分の(バス)トロンボーン・パートなのだが、「原行譜(上)に対して手稿譜や初版譜(下)はスラーが中心のアーティキュレーションになっている」と注記がある。にもかかわらず、譜例の方を見ると、「●原行譜」とされる上のものにスラーが多く、「●手稿譜や初版譜」とされる下のものにスラーが少ない。これはなぜか?

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 記事自体、何度も読み返してみたが、どうも辻褄が合わない。結局「これはもしかして譜例の印刷が逆?」ということに思いあたり、Zauberfloete さんにも尋ねてみたところ、「位置が逆だと思います」とのコメントをいただき、やっと胸のつかえが降りたばかりであった(>>こちら)。

 ここまでが2月27日木曜日夜の話で、本日、たまたま仕事で図書館に行く用事があったので、当該記事の雑誌掲載時には譜例がどうなっていたかを確認するため、『音楽の友』のバックナンバー(2018年6月号)を見せていただいた。すると、なんと初出時には、譜例はムック本とは上下逆で、文字通り「手稿譜や初版譜(下)はスラーが中心のアーティキュレーション」になっていたので、びっくり。ということは、『新名曲解体新書』の編集時に、譜例を間違って入れ替えてしまったのである。これは、佐伯氏にはまったく無縁の話。最初、このような「間違い探し」のような記事を書くのはどうかと思っていたのだが、佐伯氏の名誉のために本稿を書くことにした次第。音楽之友社の関係者の皆様、増刷の折りにはぜひ訂正を。それが無理なら、正誤表をはさんでください(できれば、『魔笛』序曲の自筆譜の状況説明も)。

 ちなみに、細かい点で恐縮だが、この記事の譜例冒頭に「13」という数字が付されている(初出誌、ムック本とも)。これは一般的に言って小節数を表すと思われるのだが、実はこのトローンボーン・パートは第3楽章の第17小節である。この件ほか、ショパンの楽譜の検討は(その2)で。

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2016年11月21日 (月)

訂正とお詫び(「パルピト」?「パールピト」?記事について)

※2016年10月28日付けの『「パルピト」?「パールピト」?』と題した記事について、訂正とお詫び>>元記事はこちら

※上記記事で私が引用し、「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、「パールピト」という歌詞割りに関して私が書いた内容は誤りであったことをご報告いたします。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

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2016年11月20日 (日)

モーバリ・レイバーン仮説(その3)

 前回、前々回に紹介したモーバリ・レイバーン仮説のその後について。

 1970年代にカラヤン/ポネルの一連の上演・録音で一般に知られるようになった第3幕の曲順変更だが、その後、1990年代になって古楽系の演奏家たちがこの仮説に従っている。CDではガーディナー盤(1993、LDもあり)、マルゴワール盤(1996)、クイケン盤(1998)がある。古楽器演奏ではないが、この種の情報に目敏いアバドの全曲録音(1994、1991のLDもあり)もある。DVD(映像)では(その2)で触れたプリッチャード盤(1973)、ベーム盤(1975-76、1980の2種)の後では、ハイティンク盤(1994)があった。またアーノンクールは、1993年録音のCDでは従来どおりの曲順だったにもかかわらず、1996年のチューリヒでの上演記録(DVD)ではモーバリ・レイバーン仮説を採用している(ユルゲン・フリム演出)。

 ところが、その後がなかなか続いていかない。最近では、2003年録音の David Parry のCD(英語歌唱)、あるいは2006年収録のパッパーノのDVDがあるくらいだろう。2000年以降は、古楽系でも採用は減っており、ヤーコプス(2003)や最近評判のクルレンツィス(2012)は、新全集どおり。さらにアーノンクールも、2006年のザルツブルク音楽祭や、こちらで触れた最新のコンサート形式での上演(2014)では、楽譜どおりの順番に戻してしまった。これらの結果から考えると、最終的にモーバリ・レイバーン仮説はフィガロ演奏の主流とはならなかった、と言えるかもしれない。

 以上は、演奏史上の話。他に文献学的に見ても、上記仮説を裏付ける資料は発見されておらず、定説とはなっていないのが現状である。ガーディナーは自身のCDおよびLDでは上記のようにモーバリ・レイバーン仮説を採用したが、それは「ドラマティックな一貫性を強化するため」の「妥協策」とはっきり書いている(ガーディナー盤に掲載されているガーディナー自身が書いた「《フィガロ》の曲順を考える」というライナーノーツから。磯山雅・訳)。さらに「アラン・タイソンは、1981年に、自筆総譜にはこの仮説を裏付ける証拠がないことを示した。」とし、根拠としてタイソンの「《フィガロの結婚》:自筆総譜からのレッスン」(The Musical Times, 122 (1981), 456-461ページ)というエッセイの名を挙げている(原題 'Le nozze di Figaro: Lessons from the Autograph Score')※1。

 ということで「百聞は一見に如かず」。モーツァルトの自筆譜を見てみよう。このオペラの第3・4幕は、2分割された自筆総譜の後編に含まれている。校訂報告書によれば、これらの楽譜はもともとばらばらなパーツに分かれており、それらは2つ折の横長用紙を2枚重ねたもの(結果、8ページ書くことができる)、あるいは2つ折の横長用紙(4ページ書き)、単葉の横長用紙(裏表2ページ書き)などの組み合わせから成っている。さらに今回話題になっている伯爵のレチタティーヴォとアリア(自筆総譜=新全集では「No.18」※2)、六重唱(同「No.19」)や、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア(同「No.20」)等は、ちょうど新しい五線紙の左端から曲を書き始め、数枚の用紙を使っていったあと、最終的に用紙の右端で曲を終えている。つまり五線紙の途中で次の曲の頭を書いていないので、このままでは曲順を入れ替えていたとしてもその判定は難しい。だが、曲頭に付けられたシーン番号等を見る限り、総譜自体の曲順は、現行の曲順どおりになっている。また、初演時(1786年5月)に発行されたリブレット(台本)がワシントンに残っているが、そのファクシミリを見ても現行と同じ順番になっている。

 さらに重要な点がある。通常、「No.19」のセステットのすぐあとに置かれるマルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォの最後に、「私たちの喜びを見て、伯爵がくたばってしまえばいい」と四重唱で歌われる部分があるが、これは第62ページの上半分に書かれている。そしてその下半分および第63ページの1、2段目にかけて、バルバリーナとケルビーノのレチタティーヴォが書かれている。つまり、この2つのレチタティーヴォは、少なくともそれらが書かれた時点でつながっていたことになる。また、この自筆総譜で圧巻なのは、このあと・・・実は、第63ページのおしまい=右端欄外にこんなことが書かれている。

「Segue l'arietta di / Cherubino. 」

 これは「ケルビーノのアリエッタが続く。」という意味。さらにその下に、

「/: dopo l'arietta / di Cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」※3

 つまり、ケルビーノのアリアのあと、シーン7:伯爵夫人の楽器伴奏付きレチタティーヴォとアリアが始まる、というわけである。ケルビーノの独唱曲は第1、第2幕にそれぞれ1曲づつあるのは「フィガロ」好きなら誰でも知っていると思う。が、第3幕のアリエッタ(小アリア)とは、初耳の方も多いだろう。ただ上記、初演時のリブレットに、なんとこの失われた曲の歌詞が掲載されている(第67ページ)。

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 でも、この曲が現在、存在しないのはご存知のとおり。印字されている歌詞を、<誤り>と感じた誰かが、鉛筆のようなもので消したあとが、リブレットに残されている。このまぼろしの曲との関係も、モーバリ・レイバーン仮説の是非を考えるに重要だと思われる。しかし今の僕には、まだはっきりできていないことが多過ぎる。このアリエッタについては、いずれ近いうちに新たに稿を起こして考えてみたい。

※1 ただ、これは上記タイソンのエッセイにも書かれていることだが、『フィガロ』の自筆総譜の後半部(第3・4幕)は、『魔笛』全巻などともに戦後、行方不明になってしまい、モーバリとレイバーンはそれを参照できなかった(後にポーランドで再発見されるのだが、それは新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編纂時=1973年にも間に合わなかった)。以上、お二人の名誉のために付け加えておく。
※2 曲のナンバリングは、総譜に赤いクレヨンで書かれている。これらの数字はモーツァルト自身が書いたものではないが、パート譜とも一致するので当時の上演時に遡ることができると考えられている。
※3 些細な違いだが、校訂報告書には「di cherubino, viene」の個所で、「, 」が抜けている。ファクシミリでははっきり見えるので引用者で補っておいた。

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2016年11月16日 (水)

モーバリ・レイバーン仮説(その2)

 前回ご紹介した「モーバリ・レイバーン仮説」に関する記事の続き。ロバート・モーバリとクリストファー・レイバーンが、「フィガロ」第3幕の現行の曲順は、歌手の都合でやむを得ず変更されたもので、そのためいろいろな不都合な状態がある、と推定した根拠を紹介する(つまり、現行の第3幕の曲順における難点である。以下、「Mozart's Figaro: The Plan of Act III」(1965) から自由に紹介。なお(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)

1)舞台裏で行われたはずの<裁判の場面>は、伯爵のレチタティーヴォとアリアのあいだで行われたとするには、十分な時間が与えられていない。
2)ケルビーノとバルバリーナとのあいだの会話が、劇の進行上、もっと前の位置にないと、ケルビーノが村の娘たちに交じって伯爵夫人に花を捧げるために変装したりする時間が十分に取れない。
3)スザンナは伯爵とデュエットを歌った後、すぐに伯爵夫人にそのときの様子を報告するため、夫人を探しに行ったはず。現行の曲順ではずっと後の場面までそうしていないことになる。(伯爵夫人は第8場でまだ「スザンナは遅いのね?」と言っていて、)その事実を知る度、私たちは驚かせられる。さらにフィガロの借金を穴埋めするためのお金・銀2000を、どこで調達したかがわからないという余計な疑問を引き起こしている(早い場面で伯爵夫人に会ってさえいれば、夫人にお金を工面してもらったということが想定できる)。
4)台本作家のダ・ポンテが、(彼がそう意図しなかったのなら話は別だが)数ページ早過ぎる場面でスザンナに「この出来ごとを奥様と伯父とにご報告してきます」と言わせるよう書くべきだったことは、同じようにミステリアスだ。(早すぎる場面で「報告する」と言わせたので、その結果)女主人に深い信頼を受けているスザンナが、自らの明白な勤めを論点3)に続き今回もすぐに果たさないことを私たちは信じるように仕向けられてしまう(第8場まで来ても、まだ伯爵夫人はことの成り行きをいっさい知らされていない!※1)。
5)「スザンナは遅いのね?」の場面(第19曲)から手紙の二重唱(第20曲)までのあいだに、モーツァルトはあまりに短い間隔しか許さなかった。そこに少し配慮が足りないことに対し、女性歌手たちが不満を持っていることが知られている。

 こうしたいくつかの課題・難点が、前回の記事で触れたように第7、8場を第4場と第5場のあいだに移動するということで、魔法のように解決できるというので、このモーバリ・レイバーン仮説はいかにも魅力的に映ったらしい。以後、第3幕の曲順を入れ替える演奏が現れてくるようになった。例えば、岸氏の記事にも触れられているが、セッション録音で言えば、1971年に録音されたコリン・デイヴィスの「フィガロ」全曲盤がモーバリ・レイバーン仮説を採用していて、これは最初期の例だろう※2。が、影響力から言えば、名演出家のジャン・ピエール・ポネルが、ザルツブルク音楽祭での「フィガロ」上演で採用したのが大きかったのではないだろうか(1972年7月)。しかもこのときの指揮は、帝王カラヤン。このあと同プロジェクトは1976年まで毎年再演され、さらに翌77年に実現したカラヤンのウィーン国立歌劇場への復帰公演でも取り上げられ、さらにデッカによりLPにもなった(1978年)。ちなみにカラヤンの同録音CD(POCL-2331/3)に付された石井宏氏の解説に、モーバリ・レイバーン仮説が簡潔に紹介されており、以下のような興味深い注釈が付けられている(のちにこの解説は、LONDON というレーベルで出ていた国内版LP/SLD 7001-4から転用されたものと判った)。

(なおクリストファー・レイバーンChristopher Raeburn は長年ロンドン/デッカの制作部長であり、このレコードのプロデューサーであるが、カラヤンはすでに1973年から彼の説を採用してきている。)<<引用者注・先述のように1972年からが正しいと思われる。

 これらからカラヤンのデッカへの録音が、我が国においてモーバリ・レイバーン仮説を広めたきっかけとなったのは間違いない。またカール・ベームには1975-76年に撮影した映画版「フィガロ」があり、ここでも演出はポネルが担当しているので、やはり第3幕の曲順を入れ替えている。こうした先例が1970年代にすでにあったのは事実で、岸氏が言うように1980 年のベームの来日公演が、この点で<分岐点>と呼べるものだったかどうかは微妙なところだ。ただ当該公演は、海外の一流歌劇場の本格的引っ越し公演のハシリであったのも事実で、そこでモーバリ・レイバーン仮説が採用されていたことも、決して意義のないことではないだろう。

 さてその後、この仮説の扱いはどのように推移していったろうか。その点は、また次回に。

※1 先の論点3)にも関わることだが、この場面で伯爵夫人が語っている台詞を見る限り、スザンナは伯爵と会ってから一度も報告をしにいっていないことがわかる。
※2 1973年にグラインドボーン音楽祭で収録されたプリッチャード指揮のDVDも、モーバリ・レイバーン仮説を採用していた(ピーター・ホール演出)。

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2016年11月15日 (火)

モーバリ・レイバーン仮説(その1)

 1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演で、往年の名指揮者カール・べームはモーツァルトの傑作『フィガロの結婚』を指揮した。先月末からこのサイトでは、その上演が我が国のこのオペラの受容史上、重要な「分岐点」にあたるとした岸純信氏の説について考えている(『レコード芸術』2016年11月号所収)。その文章を再掲しておこう。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(p.50)

 このうち、第1点目の「コロラトゥーラ」についてはこちらで、第3点目の「パールピト」についてはこちらで検証した。では、第2点目に挙げられている「第3幕の曲順」についてはどうだろうか、というのが今回の検証テーマである。まずは、モーツァルトのスコアどおりの曲順を示す(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)。

第1場(伯爵のレチタティーヴォ)
第2場(伯爵夫人とスザンナ、その後、伯爵とスザンナのレチタティーヴォ~第16番・伯爵とスザンナのデュエット)
第3場(フィガロとスザンナの短いレチタティーヴォ)
第4場(第17番・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18番・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(第19番・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10場(伯爵夫人とスザンナのレチタティーヴォ~第20番・伯爵夫人とスザンナのデュエット)
第11場(第21番・娘たちの合唱~バルバリーナ、伯爵夫人、スザンナのレチタティーヴォ)
第12場(アントニオ、伯爵夫人、スザンナ、伯爵、ケルビーノのレチタティーヴォ)
第13場(前場の5人にフィガロが加わったレチタティーヴォ~第22番フィナーレ)
第14場(フィナーレの続き)

 このうち第7、8場を、第4場と第5場のあいだに移動するというのが、岸氏の言う「仮説」である。実際に上記のベームの日本公演を記録したDVDを見てみると、第3幕(特に中間部)は、下記のような配列になっている(前後部分は記述省略)。

第1~3場
第4場(第17曲・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18曲・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10~14場

 これは元々、今から半世紀も前、ロバート・モーバリ(Robert Moberly)とクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)によって書かれた論文「"Mozart's Figaro: The Plan of Act III", Music & Letters, Vol. 46 No. 2 (April 1965), p.134-6」で提唱された説である。3ページほどの短いものであり、今回、勉強も兼ねて取り寄せてみた。

 その中でモーバリとレイバーンは、このオペラの第3幕について「先行する各幕に比べある箇所では劣っている(inferior)ように見える」とし、「私たちの考えるところでは、その構造上の弱点はプランの変更に伴うものと思われる」と書いている。つまり、元々の台本は彼らが提案した「第4、7、8、5、6、9場」の順であったものを、作曲の段階で変更したのでは、というのである。その理由として二人が挙げたのは、初演時、バルトロとアントニオの役をひとりの歌手が兼役していたので、第6場と第9場の間で衣装を着替える時間がなかった、というもの。そこで、モーツァルトたちは、その間に今の第7、8場にあたるシーンをあいだに挟み込むことで、バルトロ(第6場)からアントニオ(第9場)に着替える時間をかせいだ、と考えたわけである。第7場のレチタティーヴォと第8場の伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアは、このオペラの原作にあたるボーマルシェの劇にはなく、移動可能なもの(movable)だった、からでもある。

 ただその「プランの変更」が原因で、現行の曲順には劇の進行上、いくつか無理が生ずることになった、とレイバーンたちは主張する。以上、長くなったので、次回にその主張の根拠を紹介したい。

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2016年10月28日 (金)

「パルピト」?「パールピト」?(訂正版)

 先日の記事で、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』について、オペラ研究家の岸純信氏によるこのような言及を紹介した。

「そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 この指摘は、カール・ベーム指揮のウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)についてのもの。残されたDVDを見てみたが、実際、ケルビーノ役のアグネス・バルツァは、54〜55小節目にかけて「palpito e tremo」という歌詞を、「パールピト エ トレモ」と歌っている。ただ、実際の現場では、岸氏の言うように歌手たちの対応は分かれているようだ。ケルビーノが当たり役だった歌手で言えば、テレサ・ベルガンサは「パルピト」派のようだ(ジュリーニ(L)、クレンペラー、カラヤン(L)、アバド(L)、バレンボイム)。一方、エディト・マティスは、「パールピト」と延ばし気味に歌っている(ベーム(L)2種)。他のCDを聴いても、結構、対応は分かれているので、興味のある方はご手持ちのCD等で確認していただけると、なかなかおもしろい結果が得られるのではと思う(実際、僕はCDをとっかえひっかえし、しばし楽しませてもらった)。

 ここで、念のため楽譜を見てみよう。

Cherubino24_2Cherubino25_2

Cherubino23_2

 上(2分割されたもの)が旧モーツァルト全集、下が新モーツァルト全集から、53小節後半から55小節目を引用した。微妙な違いではあるが、旧全集をあえて「8分音符/16分音符/16分音符」に分けて文字化してみると「パル/ピト/エ」、新全集は「パル/ピ/トエ」と表すことができる。この「パル」の部分は8分音符なので、岸氏の指摘どおり「パール」と延ばすのが正しいと言えば正しいのだろう。イタリア語辞典を見ると「palpito」の場合、「pa」の「a」にアクセントがあるようなので、そのことも「パール」と延ばし気味にすることを支持する。

 ところで、ここで話を終えるなら、あえて僕がこの記事を書くまでもなかっただろう。というのも疑い深い僕はここまで調べた後で、「念のため」とモーツァルトの自筆譜(ファクシミリ)を見てみたのだが、やはりことは簡単ではなかったのだ。そこでは、こんな風に記されていた。

 これを素直に見る限り、「パルピ/ト/エ」と分けるようにも読める。モーツァルトは歌詞を音符ごとに書き分けているわけではないので、断言まではできないが、少なくとも「パール」と延ばすのが絶対に正しいとは言いにくいのではないか。実際、最後の「e」だけは、短い斜め線で区切られているので、小節末の16分音符で「トエ」と畳み込むように歌う新全集の歌詞割りは、間違いとしか言いようがない。

(2016/11/21の重要な修正)
※上記記述で引用し、僕が「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、確かに始めの8分音符については、その音符の下に「pal」が書かれていました。つまり、この部分については新全集の歌詞割りで間違いがありません。残りの16分音符2つについては、明確な歌詞の書き分けはしていませんが、新全集の「pi/to e」で間違いないと思われます。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

Palpito1

 (古い筆写譜には、「パルピ/ト/エ」と歌詞割りした楽譜もあったようだ。なので最後に、「パルピ/ト/エ」と歌っている録音がないか探してみたところ、なんと僕が10代の頃から最も愛聴していたアリア集の中にそれに近いものがあった。エリザベート・シュワルツコップがジョン・プリッチャード指揮で歌った盤では、この個所を「パルピー/ト/エ」と歌っているように聴こえる。厳密には、歌い出しが少し遅れ気味に入るので、16分音符3つに「パル/ピー/トエ」と当てはめているというべきだが。録音は1952年。これは彼女独特の表現のひとつだろうか。あるいは、どこかにこのように歌詞割りした楽譜があるのだろうか。詳細は不明だが、実際、この盤ほど言葉が明晰に聴こえるアリア集はほかにはない。同じケルビーノの「自分で自分がわからない」などを聴く度に、歌詞の丁寧な扱い、精緻さを極めた表現は、まさに空前絶後の域に達していると思わないではいられない。もし未聴の方がいらっしゃったら、ぜひ一度お聴きください

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2016年10月27日 (木)

伯爵夫人とスザンナ(その5)

 先日の発言の続き。

 『レコード芸術』2016年11月号で、オペラ研究家の岸純信氏が、1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演でカール・べームが指揮した『フィガロ』において「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせた」と書いていたことに関する検証について・・・。ちなみに、この公演での配役は以下のとおり。

スザンナ ルチア・ポップ
伯爵夫人 グンドゥラ・ヤノヴィッツ
伯爵 ベルント・ヴァイクル

 当然ながら、ポップとヤノヴィッツがうたう声部の比較になる。(その4)でも触れたが、僕個人は従来から主に声質での区別などからポップの方が「くねくね音型」を歌っていると判断していた。しかし、声質の区別には聴き手の側の個人的判断が関わるので、以下の検証では主にDVDに残された映像、そして歌唱パートの比較によることとしたい。

 三重唱の始めの部分は、この項の(その2)で見たように、新旧全集ともにスザンナが高いパートを歌う(自筆譜がモーツァルトによってスザンナ・パートを高くするよう訂正されているため)。46小節以降は、自筆譜の訂正が行われていないので、新全集は伯爵夫人が高いパートを歌うバージョンを採用する。そして高い音部のまま、51小節目のコロラトゥーラ音型を伯爵夫人に歌わせる。つまり、ここから両全集に大きな差が現れる。

検証点1) 45小節の末尾から、スザンナが高いパートで「capisco qualche cosa」という歌詞で歌い出すのが旧全集。伯爵夫人は同時に「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞を低いパートで歌う。一方、同じ個所で高いパートを伯爵夫人の方が「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞で細かく歌うのが新全集。スザンナは八分音符2つ分遅れて46小節から「capisco qualche cosa, capisco・・・」と低く歌うことになる。この場面、DVDを見ると画面が舞台全体を引きで捉えており、左にヤノヴィッツが、真ん中にヴァイクルが、そして左端のカーテンの陰にポップが立って歌っている。画像が荒いので断言まではできないが、音楽を聞く限り高いパートの歌詞は、「Capisco qualche cosa: Veggiamo come va.」(なんとなく様子がわかったわ/成行きを見てみましょう)と聴き取れる。つまり旧全集。

検証点2) そのすぐあと、例のコロラトゥーラ音型の部分。ここも画面は引きのままだが、音型に合わせて口が動いて(開いて)いるのは、ポップの方のように見える。ヤノヴィッツの口は、1小節遅れて52小節目から「cosa sara」と歌っている。もしこの公演で新全集が使われていたなら、ヤノヴィッツの口が開き続けていて、ポップの方が1小節遅れて「coma va」と口を動かしていなければならない。

検証点3) これ以下、検証点1と同様、高いパートの歌詞を見ていけば、スザンナが歌っているのか伯爵夫人が歌っているかを聴き分けられるのだが、わかりやすい個所として曲の末尾の部分を挙げておこう。3回目のコロラトゥーラ音型が出て、その後、スザンナは「qui certo nascera.」という歌詞を3回くりかえす。一方、伯爵夫人は、「schiviam per carita.」という歌詞を3回くりかえす。DVDでは、高いパートを歌う歌手の声が、1回目および3回目に「qui certo nascera.」と歌っている。ここも旧全集バージョン。

 以上、僕が検証した限りでは、「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来どおりスザンナが歌っている」と判断されるがどうだろうか。公演日によってパートを交換したというようなことがない限り、べームの1980年公演ではこの個所は聴き慣れた旧全集バージョンで歌われたのではないだろうか。では、なぜ岸氏は新全集を採用したように聴いたのか? ひとつの手がかりとして、1986年3月に行われたウィーン国立歌劇場の日本公演でも、伯爵夫人役はグンドラ・ヤノヴィッツであった(スザンナはバーバラ・ヘンドリック)。もしかして、こちらではヤノヴィッツが高いパートを歌ったのではないだろうか。無論、今の時点ではただの想像に過ぎないけれど(記憶ではこの時もテレビ放送があり、僕も見たはずなのだが・・・)

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2016年10月26日 (水)

伯爵夫人とスザンナ(その4)

 すでに数年前のことになるが、『フィガロの結婚』第2幕の第14曲・テルツェットにおける伯爵夫人とスザンナの声楽パートが、旧モーツァルト全集(や慣用譜)と新全集とでは、高低が入れ替わっているという話題を報告したことがある。

「伯爵夫人とスザンナ」(その1)へ、(その2)へ、(その3)

 その折にも紹介したのだが、『作曲家別 名曲解説ライブラリー モーツァルト2』(音楽之友社・刊)にはこうある。「従来と異なり新全集では夫人のほうがコロラトゥーラを含む高い音域のパートを歌うことになっているが、それは役柄の心理的状況と自筆譜の入念な考証等から得られた判断に基づく(p.351)」。そうした解釈の最も典型的な演奏・演出として、上記発言では「カール・ベーム指揮の映画版『フィガロ』(1976年制作)が最も参考になる」と僕は書いた。「伯爵夫人のキリ・テ・カナワが窮地に追いつめられ「まさかこんなことになろうとは」という<動揺>の表現として、このコロラトゥーラ音型を歌っているのが、歌唱・表情ともに非常によくわかる。」とも。

 逆に、旧全集を使った演奏の解説では、同じ音型がスザンナの「心理的状況」と結び付けて解釈されている例もある。例えばこちら。

「戻ってきたスザンナが奥で伯爵夫妻の会話を聴くシーンでは、夫妻の真剣なやりとりに対し、気の利くスザンナがどうしようかと頭をめぐらす様子が、くねくねと上昇する音階〔譜例13〕でうまく表現されている。しかも初めは上のGだったのが、心配が昂じて三点Cまで上昇するところも聴きどころだ。」(『新潮オペラCDブック・8 モーツァルト「フィガロの結婚」』所収の永竹由幸氏による<訳・解説>から)

 その「くねくね」譜例が、こちら。

T13

 さて、皆さんは伯爵夫人とスザンナの内、どちらが上記音形を歌った方が、この場の「心理的状況」に合っているとお考えだろうか? 実際、多くの演奏実践の場でも、二人のうちどちらが高いパート、つまりこの「くねくね」音型を歌っているかが気になるところだ。一応、新全集が出された1973年の前か後かが、ひとつの目安にはなるだろう。例えば、上記『新潮オペラCDブック』の付属CDの場合、こちらもベーム指揮のザルツブルク音楽祭における1970年のライヴ録音が採られている。ビデオならともかく音源のみでは判断がつきにくい場合もままあるのだが、ここではスーブレットとして一世を風靡したレリ・グリストがスザンナを演じていて、そのチャーミングさが際立つ声によってスザンナが「くねくね」音型を歌っているのがよく聴きとれる(伯爵夫人役は、グンドゥラ・ヤノヴィッツ)。つまり永竹氏の上記解説どおり、だったということがわかる。また実は、僕の前発言でも同じベームのウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)のDVDを取り上げて、スザンナ役のルチア・ポップが上のパートを見事に歌っているとし、「映像では1回目がややアップでわかりやすい」と書いていた。1970年はスザンナが上、1976年は伯爵夫人が上、そして1980年はスザンナが上、という具合で、同じ指揮者、同じ演奏団体であっても、使用楽譜が違う場合もあるわけだ。

 ところで、今月の『レコード芸術』誌(音楽之友社・刊)の特集は、「モーツァルト・クロニクル(年代記)--- 録音史を紐解く」と題し、モーツァルトの録音史を追った企画になっている。その中に「フィガロ」の章もあり、岸純信氏がその執筆を担当している。その記事を見て、すぐ僕は思わずわが目を疑った。氏は、記事の冒頭、上記DVDに記録されているべームの1980年に行われた来日公演(とそのテレビ放映)が、我が国のこのオペラの受容史上「分岐点」にあたるとし、その根拠として以下の3点を挙げたからである。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 氏がこの公演をホールで実際にご覧になったかまでは記述がないが、「”1980年11月”/日本の《フィガロ》が変わった」という見出しの元にある以上、その発言にはある意味、絶対の自信がおありになるだろう。僕の方がこれまでこのブログで書いてきたことを修正しなければと思い、さっそくビデオ・ラックから当該DVDを取り出してきた。ところが、これがまた簡単ではなく、岸氏の指摘どおりともはっきり言い難いようなのだ。実際、このディスクの映像はVHS並みの画面であり、画面ではなかなか判定がしにくい。ここまでで既に長くなったので、その詳しい判定結果は次回にまわすことにしたい。

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2016年3月25日 (金)

カラヤンの時代

 先日、このブログで前世紀終わりから今世紀初頭の時代について「アーノンクールの時代」だったという文章を書いた。それには、おそらく異論のある方もいらっしゃるだろう。では、その前はどうだったのかと言えば、あまり議論の余地がないのではないか。なぜなら、それが「ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代」であったことは、衆目の一致するところだろうから。ある人は好意的に、ある人はしぶしぶ認める、という違いがあるにせよ。

 というのも、カラヤンの影響力という点で、またひとつ驚いたことがある。今週出た「レコード芸術」4月号(音楽之友社・刊)の特集が、例によって「最新版 名曲名盤500」というベストレコードを選ぶ評論家10人による投票ものであった。今号はその最終回。配列はアルファベット順であり、リヒャルト・シュトラウスからイザイまで、64曲が取り上げられている。僕としては以前に「名曲名盤とは何か?」という記事で書かせていただいたように、この種の企画に以前ほど興味を持てないのだが、ぱらぱらと眺めていたらカラヤンの演奏がベスト1に選ばれている曲が異様に多いことに気づいた。で、昨日、就寝前の時間を使って、数えてみることにした(笑)。

1)全64曲のうち、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラ、声楽曲といったオーケストラが演奏に参加する曲が60曲ある。
2)このうち、カラヤンが録音を残した曲が51曲ある(非正規盤しかない『椿姫』、4曲しか録音を残さなかった『調和の霊感』を除く)。

 51曲という数字も驚きだが、これをお読みの皆さんは、このうち何曲でカラヤンが第1位を獲得したと想像されるだろうか。実は・・・

3)このうち、カラヤンの録音が第1位を獲得した曲が29曲ある(同点1位を含む)。

 なんと、半分以上、57%を占めている。さらに

4)カラヤンが第2位を占めた曲が12曲ある(1、2位を独占した曲を除く)。

 つまり、合わせて41曲で第1位か第2位にランクインしている(80%)、という状況になっている。アンチ・カラヤンの方が見たら、あきれそうな数字だ。実は上記の「名曲名盤とは何か?」という記事でも、バッハの曲がほとんどすべてリヒターかグールドといったいわゆる旧譜で占められていて、評論家の保守的な傾向について驚いた、という内容を僕は書いている。実際、この種の人気投票では、「往年の名盤」と言われているような録音に投票が集中する傾向があるようだ。また今回、アルファベット順の終わり近くに、偶然にもリヒャルト・シュトラウスやチャイコフスキー、ヴェルディ、ワーグナーといったカラヤンが最も本領を発揮している後期ロマン派のレパートリーが集中していた、という特殊事情もあるかもしれない。それでもこの高評価は、どう考えたらいいのだろうか。確かに、1960年代から80年代にかけて、カラヤンの新譜が「レコード芸術」誌の月評や広告欄に毎月のように登場していた。個人的にも1980年代に、リヒャルト・シュトラウスの交響詩や『悲愴』、『ばらの騎士』新盤、『ローエングリン』『パルジファル』など、上記投票でも選ばれている名盤たちが次々と生まれてきた瞬間に立ち会っていたのであり、そうしたことがあたりまえであったのは何と贅沢だったろうか。そして彼の死後、四半世紀が過ぎてもなお、こうして多くの録音が聴き継がれてきているのは、やはりすごいことなのだろう。が、逆に・・・上記の投票結果が、近年のクラシック界の厳しい現状とリンクしていると考えるざるを得ないとしたら、そこに大いなる寂しさを感じてしまうのは僕だけではないだろう。

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