2020年2月22日 (土)

彼女のバッハは

 前回、Amazon の AI スピーカー、Echo による就寝前の音楽視聴について書いた。例えば、ベッドの中から「Alexa、バッハのピアノ曲を聞かせて」と呼びかけるだけで「平均律」や「ゴルドベルク変奏曲」といった曲をランダムに流してくれる。大抵は BGM 風に聞いているうちに眠りに落ちていくのだが、先日、目覚ましい「トッカータ」の演奏が始まって、一気に目が冴えたことがあった。いわゆるバッハ弾きの演奏ではない。テンポも速く、おそろしく指がまわっている。「一体、誰の演奏だろう?」と思い、Alexa に「この曲の演奏者は?」と尋ねてみたところ、マルタ・アルゲリッチの名前が返ってきたので、驚いた反面、「なんだ、そうか」と納得もした。というのも、アルゲリッチにバッハ・アルバム(DG)があったことは記憶していたし、その演奏の見事さは彼女ならある意味、当然と思ったからだ。ただし、僕自身はこのアルバム、LPで出た頃には買っていない。自宅にはアルゲリッチの DG におけるソロ演奏を集大成した『Martha Argerich: The Collection 1: The Solo Recordings』という8枚組のセットがあり、そこには含まれているのだが、おそらく全体を通して聴いたか聴かなかったかというくらいだ。つまり、そういう未知の演奏に意図せず出会うことができるのも、AI スピーカーのおかげと言えるのだろう。

 アルゲリッチと言えば、シューマンやショパン、ラフマニノフ、あるいはラヴェルといったロマン派の作品に本領があるだろうが、ベートーヴェンやハイドンといった古典派の協奏曲録音にも名盤があり、ある意味、オールラウンダーなピアニストと言える。数年前に『レコード芸術』(音楽之友社)誌で、音楽評論家30人による「世界のピアニスト・ランキング2018」(2018年7月号)という投票企画があり、そこで彼女は全体ランキングで第4位、現役ランキングで第1位という位置付けであった。ちなみに全体ランキングの第1位から第3位は、ホロヴィッツ、リヒテル、ルービンシュタインというもはや伝説の巨人たちであり、アルゲリッチに次ぐ第5位がなんとミケランジェリだから、いかに彼女に対する評価が高かったかがわかるというものだ。今回、僕が聴いたバッハも、技術的にはまったく破綻がないばかりか、声部の弾き分け方や音の濁りのなさなど、まったく見事というに尽きる。同じアルバムに、ハ短調のパルティータ(第2番)が入っているが、こちらも一旦これを聴いてしまうと、他の演奏が凡庸に聴こえるのではと思えるくらいの出来である。彼女は、余程この曲が気に入っていると見えて、後年にもライヴで弾いている。だが、何よりもこれは、彼女だけにしか弾けない「彼女のバッハ」になっていることの方が重要だろう。

 ちなみに上記ランキングで全体ランキングの第6位に入ったのは、ポリーニ。これは単なる偶然だが、先月、彼とアルゲリッチという当代屈指のピアニスト二人を扱った『アルゲリッチとポリーニ/ショパン・コンクールが生んだ2人の「怪物」』(光文社新書)が出た。こういう一般向けの新書が出るというのも、彼女ならではのことだろう。ただ筆者が思いつきのまま綴ったというような、とっちらかった構成が少し残念と言えば残念。しかも、日本人が「ムラヴィンスキーの代わりに来たサー・ジョン・バルビローリにもちゃんと拍手を送った。」などというとんでもない記述まであるのだから、むしろ編集側に問題があるのだろう。アルゲリッチのことを書いた文章なら、青柳いづみこさんの『ピアニストが見たピアニスト―名演奏家の秘密とは』(中公文庫)の方がずっとよく調べられていて、読み応えもあると思う。

※言うまでもなくサー・ジョンは、大阪万博時、1970年の初来日を前に急逝している。同じ年、レニングラード・フィルに同行しムラヴィンスキーも大阪にやってくるという予定だったが結局は出国できず、その代役はマリスの父、アルヴィド・ヤンソンスだった。ちなみに、このときのレニングラード・フィルの演奏会は、ライヴ録音で残っている(1970年7月1日、Altus:ALT094)。また、来日できなかったサー・ジョンの代役は、もう一人のジョン、つまりプリッチャードであったという。

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2020年2月11日 (火)

2019年まとめ

 すでに2月に入っているが、今回は昨年のまとめ記事。

 2019年に一番記憶に残った録音(CD)は、ジョージア(グルジア)出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのシューベルト集。新進演奏家が作曲家デビューのアルバムで、いきなり変ロ長調ソナタ D.960 をぶつけてくることくらいではもう驚かないつもりだが、この演奏は、正直すごい。自分の感性を信じ切った没入ぶりといい、極限まで大きく幅をとった緩急・音量の対比といい、こんなシューベルトは聴いたことがない。冒頭楽章の提示部をじっくり6分ぎりぎりまでかけて弾き、そのあと堂々と同じテンションで提示部のリピートに入るあたりは、まさに圧巻と言える。言い換えれば、彼女の演奏で聴くと、もはや古典派のソナタ(形式)の曲の常套手段である繰り返しが、このソナタが書かれた時点ですでに形骸化の道を歩んでいたことがわかるというものだ。ソナタのアンダンテ・ソステヌートは超絶的な遅さで始まるが、一方で変ホ長調の即興曲では極めて速い自在な音の流れを際立たせるなど、意外性たっぷりのアルバムになっている。僕がシューベルトのピアノ・ソナタで、最近よく聴くのは高橋アキさんのシリーズ(カメラータ)だが、ニュートラルなアキさんのシューベルトとはまた違った魅力にあふれている。加えて、アーティスト自身が名画のオフィーリアに扮したジャケットのアートワークも圧倒的に見事。クルレンツィスといい、このブニアティシヴィリといい、大手レコード会社がのきなみ影響力を落としている中で、ソニー・クラシカルは近年非常に良い仕事をしている。

 今年、20年以上続けてきたポータブルCDプレーヤー(CDウォークマン D-E01)とイヤフォンという就寝時の音楽視聴のスタイルが、ついに変わった。というのも、Amazon の AI スピーカー、Echo を導入したから。「Alexa(アレクサ)、バッハのピアノ曲を聞かせて」「ダウランドの曲を聞かせて」などと呼びかけるだけで、好きな音楽を流してくれる便利さは、一度経験するとちょっとあとには戻れない。なにしろ「少し、小さくして」「次の曲」「20分たったら、消して」という感じで、その後の操作もベッドに入ったまま自由自在にできる。AI 自体はまだまだ発展途上で、特定の曲の特定の楽章を「聴く」というようなマニアックな要求には応えてくれないのだが、就寝前に漫然と聞き流すというシチュエーションにはこれで十分、というか最適だろう。なにしろ「パレストリーナの曲を聞かせて」「フィリップ・グラスの曲を聞かせて」というようなお願いにも応えてくれるのだから(ちなみに年末あたりから Echo で一番よく再生したのは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だったりする・・・)。

 ちなみに僕が Echo と連動させている音楽配信サービスは、標準の Amazon Music。ここではブニアティシヴィリの各盤も聴ける。上記のシューベルトは、さすがに CD で買ったが、彼女の他の盤はこのストリーミング配信で聴いている。NML ナクソス・ミュージック・ライブラリーもかなり初期から加入しているので、遅きに失した感もあるのだが、ここに至ってやっと僕も「 CD(メディア)で持っていないと安心できない病」から快癒することができそうな気もしている。そんな事情も手伝って、各社から出る激安セット物にも、今年はあまりやられなかった。意識して続けて買ったのは、カラヤンの一連の来日ライヴ集と、ロトのマーラー(第1、第3)くらいか。

 昨年の「2018年まとめ」という記事で、「レコード・アカデミー賞」について以下のようなことを書いた。

「ちなみに「レコード・アカデミー賞」は、「各年度(1年間)に、日本のレコード会社から発売されたクラシック・レコード」、いわゆる国内盤を対象にしているとある。(中略)正直、この時代にあって、国内盤などというくくりに意味があるとは思えない。この際、「レコード・アカデミー賞」も、たまたま!国内盤で出たディスク内で競うのではなく、日本人演奏家部門(確か、かつてあった)や、日本のレコード会社の企画盤部門、あるいは日本での録音部門とかのレギュレーションで競う方がずっと良いのではないだろうか。」

 その記事を審査委員が読んで反省した、などということはまずないが(笑)、今年の「レコード・アカデミー賞」大賞は、古典四重奏団のショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲全集というからびっくりした(『レコード芸術』2020年1月号、音楽之友社・刊)。それだけにとどまらず、日本人演奏家の作品が、特別部門を除く(交響曲から現代曲までの)主要9部門中4部門で受賞するという快挙を成し遂げた。これは、実に歓迎すべき傾向だろう。一方で、いわゆるメジャー・レーベルは影が薄い(「グラモフォン」2部門)、「ソニー・レコーズ」1部門のみ)。大賞盤を出している「クレアシオン」というレーベルは、同四重奏団のチェリストで、タブラチューラという(擬似)ルネッサンス楽団のフィーデル担当でも有名な田崎瑞博さんが立ち上げたレーベルである。また大賞銀賞の佐藤俊介氏によるバッハ/無伴奏バイオリンソナタ&パルティータは、「アコースティックリバイブ」というレーベル名だが、こちらは何と超高級オーディオ用のケーブルやアクセサリーを出している会社である。そのほかは、「アルファ」や「アパルテ」「TRITO」といった知る人ぞ知るといったマイナー・レーベルから選ばれている。デジタル時代にあって、業界の流動化がますます進む一方で、主要オーケストラやオペラハウスの配信事業と合わせ、新たな時代の到来を考えさせられる今年の「レコード・アカデミー賞」であった。ちなみにブニアティシヴィリのシューベルトは、器楽曲部門でノミネート盤には入ったが、残念ながら受賞は逃した。しかし、翌月の『レコード芸術』誌で発表された読者投票による「クリティカル・チョイス2019」では、堂々3位に入っている。満足。

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2019年8月18日 (日)

モーツァルト・アラカルト(交響曲編・補足2)

 最近、ずっとモーツァルトの変ホ長調交響曲(第39番K.543)について調べていたが、この曲については以前、序奏(アダージョ、2分の2拍子)のテンポについて記事にしたことがある(2015年)。当該記事「モーツァルト・アラカルト(交響曲編)」「モーツァルト・アラカルト(交響曲編・補足)」という記事を書いたときには気づいていなかったのだが、古楽器初の「モーツァルト:シンフォニー全集」を録音したクリストファー・ホグウッドが、少なくとも1988年以前に序奏と主部のテンポの関係性について発言していたことがわかった。実はこの件、数年前から気づいてはいたのだが、そのままにしておいたのでこの機会に補足しておきたい。

 その発言は、ポリドールから出ていた上記全集のCD版(F00L-29064/82、1988年発売)の日本語解説にあった。実は、それを読むだけのためにすでに外盤で持っている同全集を僕は中古で購入してしまったがw、このままではほとんど一般の方の目には触れないと思われるので、以下に引用しておく。文章自体の執筆を担当しているのは石井宏氏で、曲目解説等のあと、巻末に「モーツァルト革命 --- 真正モーツァルトの誕生」として収録されている。石井氏は、ホグウッドが来日した折に講演で述べたこととして、以下のように報告している。

「 さらにホグウッドはその講演の折、某大家の演奏したモーツァルトの第39番のシンフォニーの序奏から第一楽章の主部に入る部分を、レコードをかけながら、いかに誤っているかを例証して聞かせた。その一つは、たとえば専任指揮者のいない18世紀のオーケストラでは、やたらに途中でテンポを変えられないので、序奏のアダージョと主部のアレグロのテンポには関連がなければ弾けない。それではこのアダージョとアレグロとの間には、どんなテンポのつながりがあるのかといえば、アダージョの中の鮮やかな下降フレーズ〔譜例1〕と、主部に入って現われる全く同じ音から成るアレグロの下降フレーズ〔譜例2〕とが、同じ速さで弾かれるという約束になっているというわけである。従って アダージョの♪ (8分音符)= アレグロの♩ (4分音符)となり、アレグロはアダージョの2倍のテンポということになる。
 (譜例1:アダージョの32分音符12個の下降音型)(譜例2:アレグロの16分音符12個の下降音型)
 なるほど、この約束ごとさえ頭に入っていれば、楽員は指揮者なしでも、アダージョからアレグロにスムーズに入って行けるわけである。それに反して、アレグロがアダージョの1.8倍のテンポであったり、2.3倍であったりするような演奏は、たとえロマンティックではあっても、すでにして18世紀では考えられなかった演奏ということになる。
 以上の説は、今日まで書き記されて残っているものをホグウッドが発見したといった体のものではない。あくまで合理的な思索から発見されたものであろうが、証明の有無を超越して、万人に対して説得力を持っている。いわゆる”自明の理”である。こうした透徹した思考と、冒頭の解説の項で述べたような緻密な考証とが重なって、ホグウッドの演奏のベースができるわけである。」

 これは僕が上記2つの記事で参照させていただいた「Zauberfloete通信」(>>こちら)で、まったく独自に指摘されていたことと同じ内容である。ちなみに当時、僕はノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーの同曲CD(1991年録音)が、まさにアダージョとアレグロの下降音型の速度を揃えていると書いているが、「Zauberfloete通信」の元記事に最近寄せられた右近(大次郎)氏のコメントでは、「はい、序奏の下降音階と主部の下降音階が同じテンポ設定にするでビンゴだと思います。 /因みにノリントンも同じこと言ってました。 」とある。誰が最初という問題でなく、ここに挙げたそれぞれの方々が、それぞれの演奏実践の場で(同時多発的に)辿り着いた結論ということだろう。石井氏に言わせれば、それがまさに「自明の理」ということなのだが、僕も含め現代人の我々にはなかなか簡単にはそこに行き着けないのも事実である。

 記事の最後に、ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏を聴いておこう。序奏・アダージョの4分音符の速度=60前後、主部・アレグロの付点2分音符の速度=46前後、ということで、前者/後者の速度比は「1.30」である。ノリントン盤(速度比「1.50」)ほどではないが、井上道義盤(速度比「1.36」)に近い。ただし、序奏・主部とも井上盤よりやや遅めなので、聴いていてあまりエキセントリックな感じはしない。ともあれ、実際の演奏実践では、今後この「1.30」前後の数字が増えてくるような気がする。

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2019年4月28日 (日)

1967年のマーラー・ツィクルス(補遺・サヴァリッシュ3)

 昨日、NHK・FMの「N響 ザ・レジェンド」のリクエスト特集で、ウォルフガング・サヴァリッシュがNHK交響楽団を指揮したマーラーの交響曲第1番『巨人』が放送された。リクエストを投稿されたナガオカさんとおっしゃる方は、「N響とはマーラーの交響曲第1・4番を演奏しておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。」と書いておられるそうである。ただし、司会の壇ふみさんは、「マーラーについては、交響曲第1番、2番、4番を演奏していますが、音源が残っているのは、そのおっしゃるように1番と4番だったということでございます。」と話されていた。音源こそ残っていないということだが、交響曲第2番『復活』をサヴァリッシュは演奏していたのだろうか?

 以前、この記事の(その1)の記事に、「某巨大掲示板によれば、1970年頃に「第2番・復活」をN響と演奏したこともあるらしいが、詳細は未確認。」という情報を僕は書いていた。その後、同記事のコメント欄に、「よしお」さんという方からN響の「演奏会記録」をご紹介いただいていた。そこで「よしお」さんは、「サヴァリッシュ は復活を指揮していないようです。その代わり、巨人と4番はNHK交響楽団と演奏しているみたいです。」とコメントされていた。僕も当時その記録を検索したときには、『巨人』と第4番の記録は確かに確認したはずだが、第2番の『復活』は見つけられなかったように記憶している。なので(その1)の記事にもともとあった「復活」に関する記載を見せ消ししておいたのだった。もしかすると「N響とはマーラーの交響曲第1・4番を演奏しております」と書かれたナガオカ氏も、私たちと同様の認識からの投稿だったのかもしれないが、今回あらためて「演奏会記録」を再検索してみると、1972年の5月11、12日の2日間、東京文化会館で『復活』を振っていることが記されていた。解説の池辺晋一郎氏も、「2番はちょっとキャラクターが違う気がしますけど、1と4はなんとなくサヴァリッシュが演奏したことがわかる気がしますね。」とのことで、これは(その1)のコメント欄に僕が書いた感想とまったく一致している。しかし、サヴァリッシュが『復活』を取り上げたことは、どうも事実のようである。共演者は「木村宏子(sop.) / 長野羊奈子(alt.) / 東京藝術大学(chor.)」とのこと。ここであらためて、追加訂正しておきたい。

 ちなみに、『巨人』は、1975年の5月14〜17日に4日間連続で演奏されている。会場はいずれもNHKホール。昨日放送されたのは、初日である14日の録音とのことである。その演奏は、極めて明快なもの。管にはミスも見うけられたが、弦のフレージング、ハーモニーはいかにもサヴァリッシュらしく清潔で、冒頭から終楽章に向け見通しの良い設計も出色であった。

 もう一曲、交響曲第4番については、すでに(その1)で紹介したように、1989年4月28日にサントリーホールにおける『N響マーラー・スペシャル』で取り上げられていて、これは「演奏会記録」にも依然として記載されている。余談ながら、放送の中で壇ふみさんは、ブルックナーの交響曲については、N響と9曲全部を演奏していると話されていた。全曲の音源はないようだが、これらもぜひ聴いてみたいものだ。

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2019年1月 6日 (日)

2018年まとめ

 2018年も、テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナは大活躍だった。マーラーの交響曲第6番のCDは、予想どおり、いや予想以上に素晴らしかった。2年連続の「レコード・アカデミー賞」大賞受賞というのも不思議ではない。彼らの活躍については、一般紙である朝日新聞にも特集記事が出たし、2019年2月には初来日が待っている。まだまだ快進撃は続きそうだ。

 年末には、HMV&BOOKS online が、「2017年11月1日~2018年10月31日までに発売されたクラシック商品の中から、お客様による投票と、HMV&BOOKS onlineクラシックのセールスランキングとを合わせ、この年一番の人気アイテムを決める「HMV&BOOKS online クラシカルアワード」」という新たな試みを始めた。総合1位が上記クルレンツィスのマーラーだったのは当然としても、第2位は僕も1票を入れたヒラリー・ハーンのバッハ「無伴奏」だったので、個人的にはうれしかった。デビュー盤(ソナタ1曲、パルティータ2曲)もバッハであった彼女が、何と20年の時を経て続編(ソナタ2曲、パルティータ1曲)を録音したのだから、これは驚き以外の何物でもない。演奏も期待以上の出来で、ソナタ第1番におけるフーガ後半の気迫には本当に圧倒された。ちなみに特設サイトには、投票時の私のコメントが載っている(笑)。

 このところ、ハイドンの交響曲が注目を浴びてきているようだ。ハイドン生誕300年にあたる2032年までにハイドンの交響曲全曲を録音しようとしているジョヴァンニ・アントニーニ&バーゼル室内管弦楽団(イル・ジャルディーノ・アルモニコ)を始めとして、ハリー・クリストファーズ&ヘンデル&ハイドン・ソサエティ、飯森範親&日本センチュリー交響楽団と、複数のシリーズ録音が続いている。シリーズ物では、他にトーマス・ファイ&ハイデルベルク交響楽団の全集もファイの意思を継いで続編が出ているし、鈴木秀美&オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)も長期に渡ってがんばっている。ラトル&ロンドン交響楽団の『ハイドン・想像上のオーケストラの旅』や、ジュリアン・ショヴァン&ル・コンセール・ドゥ・ラ・ローグの「パリセット」等、話題の新譜も目立つ。以前、「2016年まとめ」という記事に、日本でハイドンの交響曲全集録音を目指されている右近大次郎さんから、

「ハイドンには奏者の腕を見せることが出来て、少人数で出来る曲が多いので、こういう若い団体が増えて、古典派の時代が来ると、ハイドン コレギウムを始めた時から思ってましたので、是非そうなって欲しいと思います。」

というコメントをいただいていた。ハイドンの初期・中期の交響曲がこれほどまとめてリリースされてくると、まさに右近さんの予言が当たってきたと思わざるを得ない。新ハイドン全集における交響曲の楽譜が出揃ったことも、そうしたハイドン・リバイバルの要因の一つを担っているのかもしれない。その意味では、校訂楽譜の存在は大きいと言わねばならない。一方、モーツァルトの交響曲録音は、エッティンガー&シュトゥットガルト・フィルの「交響曲第25番、第40番」、ヘルベルト・ブロムシュテット&バイエルン放送交響楽団の「交響曲第40番、第41番」が目立ったくらい。新録自体が少なくなってきたような気もするが、これも時代の流れだろうか。

 2018年は個人的に、モンテヴェルディのマドリガーレをよく聴いた。1月に出たポール・アグニュー&レザール・フロリサンの「マドリガーレ集~『クレモナ』『マントヴァ』『ヴェネツィア』 」(3CD)を聴いて、その音楽の素晴らしさ、演奏の完璧さに魅了されたからなのだが、この時代の音楽はもっと知られてもいいのではないか。このCD集にも含まれるデュエット「金髪の髪よ、美しい宝 SV143」(マドリガーレ集第7巻)など、その美しさ・親しみやすさは何物にも変えがたい音楽の一つだと思う。鈴木美登里さんを中心に結成された日本の声楽アンサンブル「ラ・フォンテヴェルデ」が、モンテヴェルディのマドリガーレ全曲録音を目指しているが、咋夏、順調に「第5巻」に辿り着いた。全曲完成まであと3分の1。ぜひがんばってほしい。

 ところで、上記「レコード・アカデミー賞」の発表誌である 「レコード芸術」(音楽之友社)12月号には、 例年、「レコード・イヤー・ブック」という付録が付いている。前の年、我が国で出されたディスクが一覧できる冊子なのだが、これが異常に薄い。ページ数でいうと260ページしかない。ちなみに手近にあった1993年発売のディスクを載せた「'94」を見たところ、528ページあった。つまり昨年2018年は、その半分の量だったわけである。ちなみに「レコード・アカデミー賞」は、「各年度(1年間)に、日本のレコード会社から発売されたクラシック・レコード」、いわゆる国内盤を対象にしているとある。なので、オペラ部門などは、「たった一つ。本格的新録音のオペラ録全曲はたった一つだった。(堀内修氏)」などというとんでもないようなことも起きているようだ。正直、この時代にあって、国内盤などというくくりに意味があるとは思えない。この際、「レコード・アカデミー賞」も、たまたま!国内盤で出たディスク内で競うのではなく、日本人演奏家部門(確か、かつてあった)や、日本のレコード会社の企画盤部門、あるいは日本での録音部門とかのレギュレーションで競う方がずっと良いのではないだろうか。というのも、上記「ラ・フォンテヴェルデ」のモンテヴェルディや、ジョスカン・デ・プレの「ミサ曲全集」を録音中のヴォーカル・アンサンブル・カペラなどの取り組みこそ、賞でもって応援すべきではないかと思うからだ。そうした姿勢こそが、長い目で見て、国内のクラシック・ファンを育てていくことにつながるはずなのだが。

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2018年4月 4日 (水)

2台のピアノのための協奏曲(バレンボイム/ショルティ)

 寝室のベッド脇に置いてあるサイドテーブルには、寝る前に聴くためいつも数枚のCDが常置してある。今回はその中の一枚から。

 それは、モーツァルトの「3台のピアノのための協奏曲へ長調 K.242」「2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365」ほかを収めたもので、 シフ(p)、バレンボイム(p)、ショルティ(pと指揮)、イギリス室内管が演奏している(Decca)。豪華メンバーだけに録音用の特別セッションかと思っていたが、今回調べてみたらどうやらそうではないらしい。1989年6月18日にジャクリーヌ・デュ・プレの追悼コンサート「ジャクリーヌ・デュ・プレ アピール・コンサート」がロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われ、このコンサートに出演したショルティ、バレンボイム、シフの3人が、同じ曲目をスタジオで録音したのがこのCDとのことである。僕の買ったCD(UCCD-90034 ※)の解説ではそのような事情は書かれていないが、せめてクレジットでは触れておいて欲しかったところ。ここで僕は、音楽には直接関係のないようなことを書いているようだが、これらのことはこのあと関係してくる。

 まずは1曲めの3台のピアノ用の協奏曲だが、上記の3人がそのままの順で、第1、第2、第3ピアノを弾いている。これはある意味、当然のキャスティングだ。次いで曲が2台のピアノ用の協奏曲の第1楽章まで進んだとき、僕は当然、前曲で第1、第2ピアノを担当しているシフ、バレンボイムが弾いているものと思いながら聴いていた。が、どうも第1ピアノの粒の揃った冴えわたった音色に比べると、第2ピアノはより重厚な響きを持ち、速いパッセージなどでややぎこちなさが残る。シフとバレンボイムでは「ピアノ専門のシフの方がやはりうまいのか」などと考えていたが、念のためもう一度、CDのクレジットを確かめてみると、第1ピアノがバレンボイム、第2ピアノがショルティとなっていたので、驚くやら、納得するやら(?)、ということがあったのが、まず一つめの話。

 二つめの話は楽器配置に関することなのだが、このCDを聴いたことがある方は、右側から第1ピアノが、左側から第2ピアノが聴こえてくるという点に疑問を持たなかったでしょうか? 楽譜をお持ちでない方のために念のため書いておくと、2分弱のオーケストラだけの前奏が終わり、2台のピアノが3度の音程差で同じパッセージを同時に弾いたあと、まずテーマを弾くのが第1ピアノ。同CDではこのパートが右側から聴こえ、続いて左側から第2ピアノが同じ旋律を弾いて加わってくる(このあとも、第1ピアノが高いパートを弾くことが多いため、両パートの聴き分けは、割と容易だ)。一般にピアノを使ったコンサートでは、ピアノは楽器の長辺がステージに並行になるように置かれる。2台のピアノが使われる場合は、第1ピアノは左側となり、奏者は向かって右向きに座る。一方、第2ピアノはその右前に向かい合うように置かれ、奏者は左向きに座ることになる。 そして、左側に座った奏者が、第1パートを弾くのが普通だろう。念のため自宅にある同曲のCDを聴いてみたが、「第1ピアノが左」という盤ばかりで「第2ピアノが右」というものは見つけられなかった。なぜこういうことが起こるのだろう?

 実はこのCDの実演版、つまり上記の「ジャクリーヌ・デュ・プレ アピール・コンサート」には、映像記録が残されている。かつてLDで出ていたし、数年前に出たバレンボイムがベルリン・フィルを弾き振りした「モーツァルト:ピアノ協奏曲全集」(Teldec)にボーナス・ディスクとして付いていたDVDにも収められている。ということで、この映像を見てみよう。まず左側に置かれたピアノは鍵盤が客席側を向き、弦の入った胴はステージ奥に延びている。そのすぐ右側に、楽器の曲線を合わせるようにもう一台のピアノが置かれ、こちらはステージ奥に鍵盤が、客席側に胴が延びている。映像では、その左側のピアノの前に立つのは、客席に完全に背を向けたショルティ。つまり、指揮をしながら第2ピアノ・パートを弾くために、上記のような配置がとられていた、というわけである※※。バレンボイムが座るのは右側のピアノであり、そこで第1ピアノ・パートを弾いている。セッション録音ではコンサートより楽器配置は自由にできたと思われるが、全体の位置関係についてはほぼ同様の形がとられたのだろう。これで、上記CDにおける第1ピアノが右という楽器配置の疑問が、ようやく氷塊した。

 ちなみに、3台ピアノ用の協奏曲のコンサート映像も残っており、この場合、ピアノはすべて客席に背を向けて配置されている。左からショルティ、バレンボイム、シフの順であるが、「さてCDではどうだろう?」というような観点で聴いてみるのもおもしろいのではないだろうか。

※このCDは、上記 K.242 と K.365 のほかに、シフの弾くコンサート・ロンド2曲が組み合わさっている。が、オリジナル盤には、コンサート時と同じで、ショルティが弾く K.466 が収められていた。
※※ YouTube に1966年にアシュケナージとバレンボイムが K.365 を弾いたコンサート映像(モノクロ)がアップされている。実はここでもバレンボイム/ショルティ盤のようなピアノ配置が見られる。ただしバレンボイムが弾き振り役で客席に背を向けて座っていて、アシュケナージが右側で第1ピアノを弾いている。

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2018年3月10日 (土)

リリー・クラウスの板起こしCD

 先日はリステンパルト&マカノヴィツキーのモーツァルトを紹介したが、そこで Silent Tone Record 製の板起こしCDについて触れておいた。今回は同じシリーズから、有名なモーツァルト弾き、リリー・クラウスのモーツァルト、ピアノ・ソナタ全集の板起こしCDを聴こう。こちらは、フランスの「Les Discophiles Francais」のモノラルLPが原盤。かつて僕が東芝 EMI の廉価盤LPで聴いていた頃には、1956年のモーツァルト生誕200年記念の年に、フランスのシャルランの手でソナタ全曲の録音が行われたという話であった。が、その後、その2年前の1954年にハイドン・ソサエティのために録音されたマスター・テープを復刻したというCD盤が出た(Music&Arts)。これは、なんとLPと同じ演奏であった。さらに最近 Warner Erato から出た「リリー・クラウス/パーロフォン、デュクレテ・トムソン、ディスコフィル・フランセ録音全集」でも、これに合わせたのか「Paris, Salle Adyar, February/March 1954」というクレジットに直されるようになっている。

 で、肝心の板起こしCDだが、こちらにも Youtube にソナタ第3番変ロ長調 K.281 の視聴ファイルがあり、それがかなりいい音に仕上がっているのである(>こちら)。無論、針音も聴こえるし、最強音等では雑音が混じる箇所もある。音場的にも少し荒っぽく響くかもしれないが、当のピアノの、鈴を鳴らしたとでも表現するほかない可憐な音色には、正直まいる。演奏としても、クラウスのモノラル録音の中でも白眉の出来で、この自在な演奏に慣れると他の演奏家が生ぬるく思えるほどだ。僕も、上記LPのあと、アートユニオン版、東芝版(ソナタのみ)、新星堂再発版、そしてハイドン・ソサエティ版などを買って聴いてきたが、クラウスの特徴でもある強弱緩急をつけたタッチの差がこれほど良く伝わってくる盤は、これら市販版にはないと思う。全体として市販CDは、ノイズが乗るのをこわがるせいか、高音を抑えこもった音に整音されされがちだからだろう※。

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 別の盤では、幻想曲ハ短調 K.475 とソナタハ短調 K.457 の演奏も、極めて迫力があり、いかにもリリー・クラウスらしい演奏になっている。そして、これも板起こしCDで聴いた方がずっと臨場感が出る。何万円もするオリジナルLPを買っても、なかなか頻繁に聴くという気がしないだろうし、これら板起こしCDならば、寝室でも車の中でもどこでも気軽に聴ける。このシリーズでクラウスの全集録音を、久しぶりに全曲ぜひ聴き直してみたいと思っている。

※ただし、新星堂が2005年に出した再発盤全集は、(僕の視聴環境では)例えばソナタイ短調 K.310 の冒頭などピアノの音が少し金属的になっていて、他盤とは音の傾向が違う。また上に触れた「リリー・クラウス/パーロフォン、デュクレテ・トムソン、ディスコフィル・フランセ録音全集」は、マスタリングをやり直したのか、比較的、澄んだ音になっていると思う。

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2018年3月 7日 (水)

リステンパルト&マカノヴィツキーのモーツァルト

 先月末、『ハイドン音盤倉庫』の Daisy さんが、「今日は秘蔵お宝盤。」との触れ込みのもと、「リステンパルト/ザール室内管の朝、昼、晩(ハイドン)」という記事をアップされた。こちらでも紹介した「Le Club Français du Disque」のLPだが、今回はそれに対抗し(笑)、同じ「クラヴ・フランセ」盤から、リステンパルトのモーツァルト盤を紹介したい。曲は、ヴァイオリン協奏曲第3番K.216、第4番K.218 の2曲。ここでヴァイオリンを弾いているのは、ポール・マカノヴィツキー(Paul Makanowitzky, 1920 - 1998年)というロシア系のヴァイオリニストである。スウェーデンのストックホルム出身とのこと。後年にはジュリアード音楽院で教鞭を執っていたようで、例えば原田幸一郎氏@東京カルテットのプロフィールなどにも、マカノヴィツキーに師事したことが出てくる。というような経歴は別にしても、これはなんと美しい、しかも均整のとれたソロだろう。美音のモーツァルトと言えばグリューミオが有名だが、それに勝るとも劣らないどころか、テクニックはマカノヴィツキーの方が上だろう。1960年前後の録音だと思うが、その時代の奏者にしては音程も実にしっかりしている。録音もすばらしく、「これぞモーツァルト」というような神々しいまでの残響を伴っている。また伴奏のザール室内管弦楽団(Saar Chamber Orchestra)との調和が抜群であり、ソロと伴奏のヴァイオリンの音色がこれほど合っている例を、僕は正直知らない。

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 実は、僕の持っているLPはモノラル仕様で、それはそれで十分美しいのだが、この盤にはステレオ仕様もあって、「異常に珍しい」(Silent Tone Record さんのサイト)のだそうである。というわけだから、それは当然ながら「異常に高い」(笑)。そして、その録音状態はモノラル以上の出来なのである。無論、僕自身もステレオ盤は持っていない。だが、上記 Silent Tone Record さんから、ステレオ盤の板起こしCDが出ていて、実はこれで聴いているというわけである。視聴ファイルが Youtube にアップされていて、最初の3分間を聴くことができるので、今回紹介しておきたい(>こちら)。

 「Le Club Français du Disque」盤などのフランスのマイナー・レーベル物には、まだまだ名盤・名録音が眠っていると思われる。いずれまた機会を見て紹介していきたい。

※このマカノヴィツキーのモーツァルト協奏曲盤には、他のショップからも複数の板起こしCDが出ている(エテルナトレーディング社さん、Forgotten Record)。また例によって、米ノンサッチから同じ録音のステレオ盤LP(H-71056)も出ている。ちなみにこちらは、比較的安価に手に入れることができる。

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2018年2月22日 (木)

『帝国』の終楽章と序曲ニ長調について(その2)

 前回、ハイドンの交響曲第53番ニ長調『帝国』、その終楽章の初期稿 Version B と、その原曲である序曲ニ長調 Hob. Ia:7 について、その相違点等を調べてみた。今回は、その補遺として、既存の音源等で演奏者たちがどのような選択をしているかを整理しておきたい。ちなみにこの曲の冒頭には「Largo maestoso」の序奏がついており、これは後の追加と見られている。ただし、僕が聴いたものでは、全録音においてこの序奏つきで演奏されている。

 まずは『帝国』の終楽章の選択から見ていこう。第4楽章として Version B を採用している演奏に以下の盤がある(いずれもフルート、ティンパニ使用)。
1)マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ管
2)ドラホシュ指揮ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア
3)フィッシャー指揮オーストリア・ハンガリー・ハイドン管

 次に終楽章として Version A を使う盤(いずれもフルート、ティンパニ使用) 。
4)クイケン指揮ラ・プティット・バンド
5)ヘンヒェン指揮C.P.E. バッハ室内管
6)アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントス・ムジクム
7)オルフェウス室内管
8)カルマー指揮オレゴン響
9)ディヴィス指揮シュトゥットガルト室内管

 Version B および A を両方収録した盤も少なからずある。
10)メルツェンドルファー指揮ウィーン室内管(A、Bの順。A、Bはフルート、ティンパニ使用)
11)ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(A、Bの順。A、Bはフルート、ティンパニ使用)
12)鈴木秀美 指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ(A、Bの順。Aはフルート、ティンパニ使用。Bは別日にアンコールで演奏された都合で、ティンパニなし)
13)ファイ指揮ハイデルベルク響(A、Bの順。A、Bはフルート、ティンパニ使用)
14)ミラー指揮ロイヤル・ノーザン・シンフォニア(A、Bの順。A、Bはフルート、ティンパニ使用)

 さらに前発言の注でも触れたが、4つの終楽章のヴァージョンをすべて収めた版も2種ある。
15)ドラティー指揮フィルハーモニア・フンガリカ(B、A、C、Dの順。A、Bはフルート、ティンパニ使用)
16)ボストック指揮ボヘミア室内フィル(A、B、C、Dの順。チェンバロ使用。A、Bはフルート、ティンパニ使用)

 少し古い録音だが、珍しく終楽章に Version C を使った盤があるので、参考盤として挙げておく。このヴァージョンを聴かれた先達の方は皆「ハイドンらしくない」とおっしゃる。確かにそうには違いないが、どこかハイドンの作風を現代によみがえらせたプロコフィエフの『古典交響曲』のような響きがして、正直、僕はおもしろく聴いた(Cはもともとフルート、ティンパニなし )。
17)ザッハー指揮ウィーン交響楽団(全楽章にティンパニなし)

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18)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(1〜3楽章にティンパニーあり)

 また Version D と呼ばれることのある序曲ニ長調 Hob. Ia:4 には、以下の音源がある。この曲はハイドン作であることは間違いない。ランドンが「最終的なフィナーレと見るのが妥当なように思われる」とまで書くだけあって、機知に富んだ楽しい曲である。なによりも第1楽章の主部・ヴィヴァーチェと雰囲気がよくあっている。
19)ブッシュ指揮ウィーン響
20)スワロフスキー指揮Vienna Philharmusica Symphony Orchestra?(他、複数の表記あり)
21)フス指揮ハイドン・シンフォニエッタ・ウィーン

 最後に、序曲ニ長調 Hob. Ia:7 の録音を挙げる。
22)朝比奈隆 指揮 新日本フィル(フルート、ティンパニ使用)
23)フス指揮ハイドン・シンフォニエッタ・ウィーン(フルート、ティンパニ使用)
24)ヤンソンス指揮バイエルン放送響(フルート、ティンパニ使用)
25)ファイ指揮ハイデルベルク響(フルート、ティンパニなし)

『ハイドン音盤倉庫』さんのサイトによれば、『帝国』には他に幽霊指揮者として有名な?リッツォ(Version A)、グシュルバウアー、ヴィーラントの各盤がある。「Hob. Ia:4」には、フロシャウアー盤もあった。

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2018年2月20日 (火)

『帝国』の終楽章と序曲ニ長調について(その1)

 先日、ファイ&ハイデルベルク響のハイドン交響曲シリーズについてまとめ記事を書いた際に気になっていたことがある。というのも、シリーズ中、第15巻には交響曲第53番ニ長調『帝国』が収録されているのだが、そのCDの最後にこの交響曲の終楽章の別ヴァージョンがボーナストラック的に収められていた(2010年収録)。これには以下のクレジットがある。

Symphony No. 53 L'Imperiale
(4. Satz/movement, Version B = Hob. Ia:7)

 つまり、この終楽章 Version B が、ホーボーケン番号1a(序曲の項)の「第7番ニ長調」にあたる曲と同じということを示している。『帝国』には複数のフィナーレが残っており、この Version B =「プレスト」が初期稿、Version A =「フィナーレ、カプリッチョ モデラート」という表記のある方が後期稿と想定されている(後者は、この第15巻のCDにおいては、第53番の第4楽章としてトラック4に収録されている)。ところで、先のまとめ記事で僕は、第10巻の収録曲を以下のように記していた。

10)第60番/第61番/序曲ニ長調 Hob. Ia:7 2008年

 ここにも「Hob. Ia:7」が収録されており、これでは同じ曲がシリーズ中2度含まれることになってしまう(収録時間は、2008年版が「3:56」、2010年版が「4:00」と微妙に違う)。シリーズが長くなると、初期と後期の録音でコンセプトや演奏傾向が変わるなどして、最初期のものをあらためて再録音する、ということもないわけではない。ただ、今回は2年弱しか経っておらず、そういう事情でもないようだ。ということで気になっていたので、詳しく調べてみた。

 結論から言えば、2つの演奏は同じ音楽ながら、別ヴァーションの別演奏であった。ファイ交響曲集の<第10巻の序曲>と<第15巻の終楽章 B>の聴いてわかる主な相違点は、以下のとおり※1。

1)<第10巻の序曲>は楽器編成にフルートを含まない。<第15巻の終楽章 B>はフルートを含む(ファイの演奏やランドン版全集楽譜では、第1〜4楽章にフルートを含む。ただし、Version B にはフルートがない稿もあり、新ハイドン全集はこれを採用している。ランドン版でも Version B のフルート・パートは小さな音符で記されている)。
2)<第10巻の序曲>は楽器編成にティンパニーを含まない 。<第15巻の終楽章 B>はティンパニを含む(ただし、この交響曲は奇妙なことに第1楽章にしかティンパニを使わない稿が複数存在していて、新ハイドン全集はこれを採用している。ランドン版でも Version B のティンパニ・パートは小さな音符で記されている ※2)。
付記)<第10巻の序曲>では演奏されていないが、序曲ニ長調としてはハ長調の属和音へ転調している結尾部(13小節)を持っている。

 ところで、ハイドンはこの序曲ニ長調「Hob. Ia:7」の音楽を、もう一度活用している。しかも今度は、交響曲第62番ニ長調の冒頭楽章に!である。これも微妙に編曲されており、交響曲第53番の<終楽章 B>と第62番の<第1楽章>の聴いてわかる主な相違点は、以下のとおり。

1)<第1楽章>は冒頭の第1主題を編曲。第2主題前後以降は終結部を除きほぼ<終楽章 B>と同じ音楽。提示部全体では<第1楽章>の方が4小節短い。また<第1楽章>の提示部はリピートあり。
2)展開部の同じ音型をくりかえすゼクエンツァ部分について、<第1楽章>と<終楽章 B>はほぼ同じ音楽(計41小節)。
3)<第1楽章>はハイドン自筆のフルート・パートを含む。<終楽章 B>はフルート・パートを含まない稿がある。
4)<終楽章 B>はファゴットを2本使う。<第1楽章>は1本。

 この交響曲に典型的に現れているように、当時売れっ子だったハイドンの場合、多種多様な楽譜・ヴァージョンが作成されヨーロッパ中に出回っていて、もはやこれが決定稿というものは選定不能である。これに演奏現場での個別対応が加わってくるので、使用楽譜の選択・楽器編成などはますます複雑化してくる。既存の解説等の楽器編成等を参照する場合は、十分な注意が必要となっている 。

※1 <終楽章 A, B>の楽譜は、新ハイドン全集第1系列9巻にあるほか、フィルハーモニア版(ランドン編)全集第5巻にも収められている。なおこのフィルハーモニア版全集には、上記<終楽章 A, B>のほかに、<終楽章 C>(プレスト、偽作?)の楽譜も記載されている。ほかに、序曲ニ長調「Hob. Ia:4」(プレスト)を終楽章に持つ筆写譜もあり、以上この4つのヴァージョンをすべて収めた盤には、ドラティ指揮の全集付録、ボストック盤(CLASSICO)があるようだ。
※2 ホグウッドの全集版に収められている『帝国』の演奏(第9巻所収)では、メヌエット楽章のティンパニについて解説で「これは極めて素人的な用法であるので、今回の収録ではこの楽章にティンパニは用いなかった。」(英語原文では、メヌエットとフィナーレの両楽章、になっている)とある。が、CDを聴くとティンパニの音がなぜか盛大に鳴っている。さすがに現場では、第1楽章だけティンパニを使うという案は採用できなかったのか(とはいえ、ランドン版のとおりには叩いていないが)。

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