2020年5月19日 (火)

モーツァルトはさいころ遊びをするか?(その3)

 この項の(その1)(その2)では、モーツァルトの「さいころ遊び」と言われている曲のうち、偽作 K.Anh.294d (K.Anh.C30.01) 、そして真作 K.516f をそれぞれ見てきた。これらは、偽作=さいころの目で作曲、真作=名前のアルファベットで作曲ということで、偶然性を取り入れている点では一見似ているように見えるが、作曲技法としては実はまったく違う内容を持っている。真作が名前のアルファベットと関係があることを世界で初めて発見した野口秀夫氏は、この曲の遊び方や評価について以下のように書いている。

「《音楽の遊び》K.516fは音楽としてどのように評価すべきなのだろうか。名前の長さは無制限であるから「組み合わせ」の計算が出来ず、可能な音楽は無限種類ある、と言っても良い程である。それならば、世界のモーツァルト・ファンが各々自分の名前を曲にして、モーツァルトと自分の合作の響きを評価してみること、それが、この曲の唯一の評価方法ではないだろうか。」(「音楽の遊び ハ長調 K.516fの演奏法と作曲の背景」。)

 偽作の方も再現不能なくらい多数の組み合わせが生じる点では同じ。にもかかわらず誰でも「モーツァルトらしい(?)」音楽を作曲できるというところに、「さいころ音楽」のおもしろさがある。だが・・・実はそこにはある<秘密><仕掛け>があったのである。そのあたりを、imslp で公開されているジムロック版(3拍子系)を例に見てみよう。

Table1
Table2

 プレーヤーはまず最初に、2つのさいころを振って、そのダイスの目の合計(2〜12)の数字を得る。それが「3+4=7」だったとしよう。次に上記画像の上の方にある<数字表>の「A」の縦列から「7」のコマを見て、そこから「152」というキー数字が得られる。それをさらに下の画像の<音楽表>にあてはめると、第1小節目にあてはまる譜面として「152」という数字のついた旋律断片に行き着く、という仕組みである。第2小節目も同じようにさいころを振って、今度は「B」の縦列を見る。第3小節目は「C」を見る・・・というように、同じことを16回繰り返すことで、16小節の曲ができあがるという仕組みになる。ここで注目してほしいのは、<音楽表>には11×16=176もの断片があるが、実際の作曲過程で選んでいるのは、その中の11個だけである。多様な旋律がアト・ランダムに並んでいるのでいかにも複雑に見えるが、むしろプレーヤーは「特定の旋律を選ばされている」というに等しいわけである。例えば、8番目と16小節目は、音楽に終止感が出るようにしなければならないため、番号も掲載位置もばらばらながら、ほとんど同じ旋律が置かれている。また、終始に至るまでのカデンツの進行も、事前に設計されている。さいころという偶然性の高いアイテムを使いながら、ある程度、それらしき音楽になるのは、あたり前だったのである。ちなみに愛媛大学のサイトには、このさいころ遊びのコントルダンス版を分析して、音楽教育(子どもたちの曲づくり)に活かしているという論文もある>>温故知新!新しい音楽づくり活動への試み 〜モーツァルトの「音楽のサイコロ遊び」を使って〜 ※。

 翻って、真作の方はどうだろう。上記、野口氏の提起する遊び方では、名前のアルファベットが使われることになる。それだけ!では、上の偽作の場合で見たような、プレーヤーに音楽の進行を半ば強制的に選ばせることは難しい。モーツァルト自身がそのような基本的なことに気づかないわけはなく、曲の始めと終わりを一定にしたのは一つの工夫だ。とはいえ、やはり名前の綴りの順番・長さのランダムさは如何ともし難い。また、そのことが自筆譜の表面と裏面の違いにも関係してくるように思える。K.516f に書かれた表面の「fanciS」の旋律を鍵盤で弾いてみたが、当然ながら人前で演奏に値するような曲にはほど遠い。これでは無理と判断したモーツァルトは、裏面の旋律断片に1と2の選択肢を用意してヴァリエーションを持たせた、とは考えられないだろうか。ただそこで作り直した「francisca」も、偽作で見たようなシステマチックな仕組み・構成には程遠い。そのため、結局、完成しているとは言えない状態で放り出された・・・。

 ただ、一つだけ言えるとしたら、この真作の方が、ある意味、曲の進行に意外性は出るだろう(偽作では、何度やっても似たような曲しかできない)。(その2)で見た論文で土田英三郎氏は「親しい者を前にして音楽の謎掛け遊びを作ったのかもしれない。」と指摘されていた。自分や家族、親しい友人たちに「Punkitititi」や「Natschibinitschibi」など奇妙キテレツなあだ名をつけて楽しんでいたモーツァルトである。自動作曲装置としての不完全さを逆手に取り、友人の名前のアルファベットを演奏してその支離滅裂さを笑う、というようなことは当然、考えついただろう。あるいは、先に奇妙な曲を演奏して、その作曲に使われた名前をあてさせる、とか。

 ちなみに個人的には、この K.516f の旋律断片をどう組み合わせると満足すべき曲になるかについて、その他の解釈法も考えられないのかとも思わないではない(どうも、モーツァルトが下段に書いた組み合わせ例に、我々は引っ張られ過ぎているのかもしれない)。例えば、各フレーズの1と2の区別をモーツァルトがどう考えていたかについても、再度検討が必要ではないだろうか。今回はここまでにするが、機会をみて引き続き考えてみたい。

※ この論文の分析によれば、この「サイコロ遊び」は、「楽曲は C-Dur で、第1~4小節は主和音と属和音、主和音のカデンツ、第5小節目はドッペルドミナント( 複属和音 )、 第7小節は主和音-複属和音、第8小節は属和音で半終止、あるいは G-Dur に転調する。第9小節目は G-Dur の属和音から始まり、第10小節は主和音、その後 下属和音、第 12小節で主和音を経て、第2拍で C-Dur の属和音に至り、C-Dur に回帰、第13、14小節は主和音、第 15小節の属和音を経て第16小節で終結する。」と説明できる。

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2020年5月18日 (月)

モーツァルトはさいころ遊びをするか?(その2)

 昨日の記事では、偽作とされるモーツァルトの「さいころ遊び」について、2種類の楽譜を紹介した。今回は、真作 K.516f の方。「モーツァルトの全自作品目録(その4)」という記事でも紹介したが、K.516 の弦楽五重奏曲のピアノ・リダクションの一部が書かれた自筆譜(表裏両面)に、さいころ遊びに使用できるような数十の旋律断片が書かれているという。こちらはあくまでスケッチのような状態で、遊び方も何も記されていないのだが、紛れもなくモーツァルト自身の筆跡で書かれている。こちらが、もうひとつのモーツァルトの「さいころ遊び(?)」ということになる。

3)ワルツ(メヌエット)系=3拍子系 新全集で近刊予定(BA 4621-01/Series X, 31/4 Supplement、ベーレンライターのサイトで in preparation とある)

 「レファレンス協同データーベース」のこちらのページにも記載されているが、土田英三郎の 「骰子音楽と結合術の伝統」という論文に、自筆譜のファクシミリおよび現代譜が掲載されている(『音楽と音楽学 服部幸三先生還暦記念論文集』音楽之友社・刊)※。

「 表側ではまず五段にわたって二小節単位で三九種の動機が列挙され、冒頭を除く各動機の下に小文字と大文字のアルファベットが順番に付けられている。一番下の段には上の素材から選択された七組が並べられている。裏側もほぼ同様だが、各組は概して複縦線で仕切られ、アルファベットの代わりに数字の1と2が交替に付されている。ここでは四九組の動機(一小節のものを一つ含む)が挙げられているが、表側よりも素材がいくぶん多様で、一時的転調を行うもの、和声を伴うものもある。ただし冒頭の二組と第四組だけは表側にもあった旋律である。第七段では表側と同様、上から選択されたいくつかの動機が第一組を起点として並べられている。」(土田氏同上論文から)

 ちなみに、冒頭の動機というのは、皆さんもおなじみの『ドン・ジョヴァンニ』K.527 のツェルリーナのアリア「薬屋の歌」の冒頭2小節と若干似ている。

K5271

 より重要な点は、この K.516f には各旋律断片を選ぶ<表>や<キー>は書かれていないということだ。「何の手掛かりも与えられていないので、いかなる手順で旋律全体を構成してゆくのかも不明である。これはあるいはいわゆる骰子音楽を意図したものではなく、モーツァルトが戯れに旋律を組み合わせる練習をしたにすぎないのかもしれない。骰子音楽だとしてもスケッチだけの未完成作品なのかもしれない。親しい者を前にして音楽の謎掛け遊びを作ったのかもしれない。」と土田氏は分析されている。ただし、土田氏は自らの論文に掲載した「現代譜」において、表側の「一番下の段」に記載された「上の素材から選択された七組」の動機群と、上段の「動機」を照合し、そこに「fanciS」というアルファベットを見い出していた。

 この手掛かりを受けてさらなる解読に挑んだのが、(その1)でも紹介した日本の野口秀夫氏である。氏によれば、これはさいころを振って曲を作るのではなく、名前のアルファベットを使って曲を作る仕掛けになっていることがわかったという。>>「音楽の遊び ハ長調 K.516fの演奏法と作曲の背景」。詳しくは、この論文を見ていただきたいが、野口氏は「おもて面の音楽はそれ以上進めないため見捨てられた稿であり、うら面の音楽が書き改められた新しい稿である。」と推定する。なぜなら、裏面の楽譜に、

「最初の1・2にa、次の1・2にbという具合に付けていってみよう。おもて面と同様jとxは抜いてみる。すると、ちょうど24のアルファベットが必要なためzで終わることが分かる。」(野口氏同上論文から)

 この野口氏が振ったアルファベットを、7段目の「いくつかの動機が第一組を起点として並べられている」楽譜と照合すると、なんと「Francisca」という文字が現れたという ※※。実は、モーツァルトの親しい友人で曲を捧げられたこともあるゴットフリート・フォン・ジャカンに妹がいて、フランチスカ・フォン・ジャカンという名前である。モーツァルトはこの妹にも「ケーゲルシュタット・トリオ」を書いている。つまりは、ジャカン兄弟を始めとした仲間を巻き込んだ作である可能性が高い。以上が野口氏の結論で、この論文はコンラッドの『Mozart Catalogue of his Works』(Barenreiter、2005)にも参考文献として挙げられている。同じ日本人として、これは非常に誇らしいことだ。もしかすると、この K.516f は「音楽の名前遊び」あるいは「名前による音楽遊び」と、これから呼ばれるようになるのかもしれない。

 これだけでも十分なのだが、次回は(その1)で紹介した偽作と、今回紹介した真作との比較をして、この項を終えたいと思う。

※ ネットで見る場合は、やや解像度は落ちるが、上記野口氏の論文にも自筆譜のファクシミリおよび現代譜が掲載されている。
※※ 野口氏のネットにあげられた論文(本文)では、「モーツァルトの選んだファクシミリ7段目の解答例」が「f1 r2 n1 c2 i2 s2 c1 a2」となっている。これは当初読んだときかなり悩んだが、「f1 r2 a1 n1 c2 i2 s2 c1 a2」が正しいと思われる(英語版は正しい表記になっている)。また、この K.516f を含む一葉の自筆譜は、「下端が切り取られた(土田氏)」状況である。野口氏は、これは元々は12段の五線が引かれたものであり、下の4段は何者かに切り取られた(裏面の8段目は未記入)とした。ただし、それを他のモーツァルトの自筆譜との比較から、「二つのホルンのための12の二重奏曲」K.487=496a と同じ用紙ではないかと推定されていた。が、この二重奏曲の用紙は「Wasserzeichen 86」という用紙であり、K.516f は同じ12段の「Wasserzeichen 61」であったことが現在では判明している(アラン・タイソンの<透かしのカタログ>)。

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2020年5月17日 (日)

モーツァルトはさいころ遊びをするか?(その1)

 モーツァルトのことについて書かれた本は、専門的な音楽書ももちろん多く出されているが、より一般向けの「ゼロからわかるモーツァルト」「モーツァルト入門」といったちょっとした伝記情報や作品のエピソード等を紹介したような本もかなり発刊されている。僕自身はそれほど買ってはいないが、もし誰かに推薦本を聞かれた場合は、以下の本を挙げるようにしている。

 『モーツァルト99の謎』(二見文庫)。タイトルだけ見ると一見怪しそうだが、巻末には洋書・和書とりまぜて、かなり詳細な【出典・参考文献】表がついており、その点でまず信頼がおける。著者の近藤昭二氏は、他にも死刑や犯罪関係の著書があり、ジャーナリストしても優秀な方なのだろう。記事の中身も「6歳のとき、6歳のマリー・アントワネットに求婚」「門外不出の秘曲を暗譜した調音能力と記憶力」といった有名な逸話ももちろん出てくるが、「絵のなかでモーツァルト姉妹が連弾している曲は?」「モーツァルトのアリアで、いちばん高い声は?」「モーツァルトの使った、いちばん低い声は?」といったすぐには答えられないような項目もあって、モーツァルト通の方でも楽しめる内容になっている。僕は確か、東京出張の折に、LaQua(ラクーア)の隣にある商業ビル内の書店で、夜、ホテルで読むために買ったのだが、その後も時折、本棚から取り出しては読むことがある。

 ただ一点、「一生かけても演奏しきれない不思議な曲とは?」という項目で挙げられている通称「音楽のさいころ遊び」について少し書いておきたい。この曲は、さいころを振って出た目の数で演奏の内容を決めていくという変わったもので、『99の謎』の記事の末尾でも挙げられているように、楽譜として『モーツァルトのサイコロ遊び』(全音音楽出版・刊)も出ている。

 この楽譜は「サイコロ二つをふればピアノのためのコントルダンスが無限に出来る楽しい作曲ゲーム」と説明されていて、その遊び方は Beads さんという方のブログ記事「おもしろい楽譜♪」が詳しいので、おまかせしよう。一方、問題は、この曲が『99の謎』で、「K.516f」というケッヘル番号が付いたものとして紹介されていること。それはおそらく、左記全音版の楽譜自体に、この番号が書かれているからと思われる(表紙には「ANHANG[516f]」とある)。が、これは、実は K.516f そのものではないようである。

 この点、『モーツァルト名盤大全』(音楽之友社・刊)の安田和信氏による解説ではこうある。

「 さいころを振って1小節ごとに音楽を決めて短い小品を作るという遊びは、18世紀後半から19世紀初め頃まで流行した。K3.Anh294d(Anh.C30.01)※ はその流行に乗って18世紀末に版を重ねたものだが、モーツァルトの作ではない。いっぼう、K6.516f はモーツァルトが1787年に書き残したスケッチで、厳密に言えば具体的な遊び方は明確ではない。偽作である前者はモダン・エディションも複数出ているが、事の性質上、録音を聴くというよりも(フィリップスの全集は両者をダシにした録音を収録)、実際にさいころを振って遊ぶほうが良いであろう。その意味では、CD-ROM『モーツァルトアーカイヴ』(小学館)は、偽作のほうをコンピュータで遊ぶことができるような機能を備えており、手軽に音楽のさいころ遊びを楽しむことができる(さいころを振るのではなく、クリックをするというのは雰囲気が出ないかも知れないが)。」

 一方、日本の研究者・野口秀夫氏は、「音楽の遊び ハ長調 K.516fの演奏法と作曲の背景」という貴重な論文の中で、

「現在でも入手出来る版としてW.A.Mozart 'Melody Dicer' Carousel Publishing Corp., 1983がある。この版のケッヒェル番号はK.516F(ママ)とあるが、K.Anh.C30.01と訂正されるべきである。そのほかにも出典不明のものがフィリップスのモーツァルト全集で入手可能であり、ウェブサイトでのアクセスも可能である。」

と指摘されている。ただし、この「Melody Dicer」なる楽譜は、コントルダンスではなく8分の3拍子で、4分の2拍子の全音版とは別物であった ※※。また『99の謎』にも記載があったが、野口氏が後段で触れている『モーツァルト全集』は、小学館から出たもの(元々はフィリップスから出たCD全集)。

 その別巻に、指揮者のネヴィル・マリナーと高名な音楽プロデューサーのエリック・スミスとが、それぞれダ・ポンテとシカネーダーとに扮し、ウィーンのカフェならぬスタジオでさいころを使って作曲している、という趣向の楽しい録音があった。こちらはさすがに解説で「K3.Anh.294d (Anh.C30.01)(偽作)」を録音したことをうたっている。ただし、CDにはメヌエット(3拍子系)とコントルダンス(2拍子系)の2曲がその場で作られ収録されている。これについて安田氏は「両者をダシにした録音を収録」としているだけ ※※※。先述の野口氏の論文でも「出典不明のもの」とあった。このあたり全体として混乱があるようで、一度、整理が必要だろう。

 まずは、偽作の方から。ケッヘル6版以降の Anh.C30.01 では、2拍子のコントルダンスの楽譜が掲載されている。ただし、解説文を読むと初版であるフンメル版(1793年刊)には、「2つのさいころを使い、ワルツとシュライファー ※※※※ も、コントルダンスも」作曲できるというような説明が4ヶ国語で書かれているという。またその重版(海賊版?)であるジムロック版には、出版番号48番のワルツ版、同49番のコントルダンス版がある(1798年刊)とも。つまり、元々モーツァルトに帰された偽作には、ワルツ=3拍子系とコントルダンス=2拍子系があったということになる(そこが、上記混乱の一因だったのだろう)。これらを簡単にまとめれば、以下のとおりとなる。

1)ワルツ版=3拍子系 ジムロック版のうち、imslp で閲覧可能な方の版>>こちら、「Melody Dicer」、Web Site「W.A. Mozarts Musical Dice」

2)コントルダンス版=2拍子系 全音版、CD-ROM『モーツァルトアーカイヴ』

 つまり『モーツァルト全集』では、その両者を収めているということになる。その録音を聴いてみた。さいころを振って楽譜片を選ぶ過程自体は、途中の一部と後半部が省略されているが、選ばれた番号と楽譜片自体は、メヌエットは上記ジムロックの3拍子系版から、またコントルダンスの方も4拍子系版から採られており、いずれもれっきとした「伝モーツァルト」のようだ(選んでいる<数字表>が違うようにも聞こえるが)。

 いずれにせよこれらの曲は偽作ということなので、結局、モーツァルトに「さいころ遊び」なる曲はないということになってしまうのだが、実はそうとも言い切れない。上記安田氏の解説にある(本物の)K.516f の方はどうだろう。こちらは、ケッヘル6版以降に、上記2)のコントルダンス系とは別の3拍子系の楽譜として掲載がある。

3)ワルツ(メヌエット)系=3拍子系 新全集で近刊予定(BA 4621-01/Series X, 31/4 Supplement、ベーレンライターのサイトで in preparation とある)

 以下、詳しくは次回に。

※ ケッヘル6版で、Anh.C がついたものは、偽作か存偽作。ちなみに、ギュンター・バウアー著の『ギャンブラー・モーツァルト』というおもしろい本があるが、こちらでも「パリ国立高等音楽・舞踏学校図書館に収蔵されている自筆譜(K五一六f)」についての言及があるが、以下の説明ではなぜか「K.Anh.C30.01」の特徴を挙げている。
※※ 「レファレンス協同データーベース」のこちらのページを参照。
※※※ 安田氏がここで「両者」と言っているものは何なのか、ちょっと意味が取りにくい。「偽作= K3.Anh294d(Anh.C30.01)」と「真作=K6.516f」のことだと、フィリップスの全集には K.516f は収録されていないので「ダシにした」という意味が不明。もしかすると、マリナーとスミスが「録音を聴く」ということと「実際にさいころを振って遊ぶ」ことをともに行なっていることを、両者と呼んでいるのだろうか。
※※※※ こちらも3拍子のカントリーダンス。

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2020年4月17日 (金)

タイソンのすかし研究(その3)

 昨日は、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 について、自筆譜の情報を記しておいた。そこでは、8つの異なった種類の五線譜が使われていて、第1楽章の2箇所を除きほぼ1ページ毎に用紙を変えていたことがわかった。

「モーツァルトは比較的少量ずつ紙を買い求め、さらに入手する前に使い切るのが実情だったようだ。そして次に入手した紙は同じ店で購入したとしても、別のすかしが入ったものかもしれなかった。」アラン・タイソン「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」(『文学』1991年秋号、岩波書店)

とタイソンは書いている。彼はさらにモーツァルトの作曲状況を、「画家のアトリエ」に例える。

「アトリエにはたくさんの絵画がありますが、それはほとんどが完成されていないものです。そのなかで画家は展覧会に出品したい作品に取り組むのでしょう。」(同上、末尾の「討論」より)

 K.477 が作曲されたと思われる1787年に、モーツァルトが取り組んでいた大作と言えば、10月のプラハ再訪問のために用意されていた『ドン・ジョヴァンニ』がある。オペラのような大規模な作品は、作曲に半年以上かかるので、その間、一貫して同じ種類の用紙が使われるということはなかった。当時の五線紙は、1つのシートから4葉(枚)の横長の用紙をとることができたが、当然、アリアが途中で終わって余白のページ・部分が出ることもあっただろう。そうした場合、貴重な白紙部分をそのままにしたりせず、2枚綴りの用紙から白紙の一葉分を切り取ったり、余白部分に他の作品を書いたりして、再利用したと思われる。この項の(その2)で見たように、K.447 のうち3つないし4つの用紙が『ドン・ジョヴァンニ』と被っている。なので、『ドン・ジョヴァンニ』や他の作品を書き継ぎながら、その合間に手元にちらばっている白紙の五線紙をかき集め、この協奏曲を仕上げたのではないだろうか。

 また、Zauberfloete さんのブログ記事「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447」でもすでに指摘されていたように、第1楽章と第2・3楽章には、それぞれ別のナンバリングが付されていたことも、校訂報告で確認できた。これはこの2つの部分が当初は別々に扱われていたことを示している。また、Zauberfloete さんからは昨日の記事に「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。第1・2ヴァイオリンが同じ五線に書かれているのも驚きました。」とのコメントもいただいた。確かにヴァイオリン2部が1つの段にまとめられているのは、極めて珍しいだろう。また、この協奏曲にはオーボエがなく、代わりにB管のクラリネットが2本加わっているのも特筆すべきだ。さらにファゴットも2本使われているが、ロンドンの大英図書館のサイトで公開されているデジタル画像を見ると、第1楽章の冒頭の楽器表記では、クラリネットの下のファゴットの欄は、いったん別の楽器名が書かれたのち「2 Fagotti」と修正されたことがわかる(調性表記は上塗りで消されている)。ちょっと見にくいが、校訂報告によれば、もともとそこには「2 Corni in E♭(フラット)」(変ホ長調のホルン2)と書かれていたようである ※。

 この件に関し、ちょっと以前の記事になるが、やはり「Zauberfloete通信」において、坪井貞子さんという方による「この曲が編曲だったのでは?」という説が紹介されている(「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447~その2~」)。実際、これが未知の曲の編曲だったとすれば、モーツァルト自筆の<自作目録>にこの協奏曲に記載がないことも説明できるという。

「当然のことながら新たに作曲した1曲とはカウントしなかったので記載されなかった。記載忘れではない。自らの意思によってしなかった。(坪井さんご本人による上記ブログへのコメントから)」。

 実におもしろい論である。さらに、坪井さんは「編曲はそのままされたのではなくアウトラインはそのままで1787年頃の作風に改められて編曲がされたと思う。だからそういう響きがするのである。(同上)」と書かれている。これが確かだとすれば、もともと原曲にホルン・パートがあって、編曲時、当初それをそのまま使うつもりだったのを、急遽ファゴットに変えたというようなことも想定されるだろう(クラリネットももとはオーボエだった?)※※。Zauberfloete さんの「それにしても、ホルン協奏曲第3番の自筆譜は本当にきれいで、直しはまったくありません。」というご指摘も、編曲だったとすればある意味、納得がいく。モーツァルトが過去の作品を編曲した場合、ミサ曲ハ短調 K.K. 427 (417a) とオラトリオ「悔悟するダヴィデ」の例のように、元の自筆譜を再利用することもあったので、判断は簡単ではないが。
 
 いずれにせよ、モーツァルトのホルン独奏によるオーケストラ曲は、自筆譜をはじめとした資料、作曲過程、想定されるソリスト、楽器の奏法など、いずれの曲も調べれば調べるほど実に興味ふかい研究素材だと思う。

※ ただし、以下書かれている音符自体はファゴットのままなので、作曲途中での変更ではなく、着手後すぐに修正したようである。余談だが、僕が先日手に入れた、「Das Horn bei Mozart = Mozart and the horn ( Facsimile-Collection )」という本にも、この曲の自筆譜が掲載されているが、画像はかなりつぶれていてグラデーションが出ていない。これでは本格的な研究には使いづらいことが今回わかった(泣)。上記、大英図書館のサイトのデジタル画像の方が数倍優れている。
※※ 第3番に先行する第2番 K.417、第4番 K.495 は、オーボエ2、ホルン2であるのに対し、最後に書かれた第1番 K.412 / K.514 (386b) は、オーボエ2、ファゴット2(ただし第1楽章のみ)である。

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2020年4月16日 (木)

タイソンのすかし研究(その2)

 前回に続き、モーツァルトのホルン協奏曲第3番 K.447 に関して、タイソンのすかし研究をごく一部ながら紹介したい。『モーツァルト事典』(東京書籍)のこの曲の項では、モーツァルトが1784年の2月以降亡くなるまで書き継いでいた全自作品目録に、この協奏曲が載せられなかったことにについて触れ、それゆえケッヘルによる作曲の推定年、1783年が通説になっていた、と書いている。以下、

「ところが,まずプラートによって筆跡が1787年のものと推定され,さらにタイソンによる自筆譜の用紙研究の結果も,この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけであることが判明し,作曲の推定年は1787年と訂正されることになったのである。(渡辺千栄子、1991)」

とある。前田昭雄/藤本一子というクレジットのある『作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルトI』も、上記『事典』の記述を参照、または同じ元ネタを引き写したのではないかと思われる。なぜか、引用したかのように全体が同じ論旨なので。。。曰く「さらにタイソンも,この作品と同じ紙は1787年の《ドン・ジョヴァンニ》だけであることを明らかにした。(1993)」。ここまで書かれていると、普通はこれが定説だと思うしかないが、実はそうでもない。ちょうど Zauberfloete さんがご自身のブログで、この曲のすかしについて触れておられ、音楽評論家の石井宏氏の次のような文章を紹介されている>>こちら

「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番について、アラン・タイソンが行った五線紙の透かし模様に関する研究によれば、この曲に使われていた紙の大部分は、「ドン・ジョヴァンニ」を書いた紙と同じものだった(1787年2月~10月)。しかし、この曲の紙のうち2枚だけは別のもので、それは1789年に作曲された「6つのドイツ舞曲」K571と同じ紙であった。」(『モーツァルト ベスト101』(新書館、1995))

 Zauberfloete さんも書かれているように、従来の説明とは一部内容が変わっている。本当のところは、どうなのだろう? この協奏曲の自筆譜はロンドンの大英図書館にあり、幸いデジタル画像が公開されている>>こちら。それを見ると、曲は全体で22ページからなっている。石井氏の解説を普通に読めば、このうち2枚(裏表4ページ分)が「6つのドイツ舞曲」K.571 と同じ五線紙、そのほかの大部分(残り全部だとしたら9枚、裏表18ページ分)が『ドン・ジョヴァンニ』と同じという風に読める。ということで、新モーツァルト全集の K.447 の校訂報告を調べてみた。以下は、そのうちこの曲の自筆譜の様子を示した図表。

K447

 ちなみにこれは、「Blatter=葉」単位の表記になっていて、原則的に裏表で2ページ分となる。実は、僕としてもこの英数字の羅列だけだと何となく実感が湧かなかったので、いらない紙でミニチュアの自筆譜つづりを再現し、丁付やページ数を書き込んで確かめてみた(笑)。こうすると非常にわかりやすくなるので、興味のある方はお試しを。

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 その上でわかったことは、一番左が、1. Satz=第1楽章というように楽章表示。そして、左から2番目の列にある連続した数字が自筆譜全体を通じた丁付、真ん中の列がモーツァルトによる丁付、一番右の列が用紙のタイプ、を表しているようだ。つまりこの曲は、第一楽章が5葉10ページ、第2楽章が2葉4ページ、第3楽章は4葉8ページで、すかしで区別されたA〜H、8種類!もの用紙が使われていたことになる。

 これだけでもちょっと驚きだが、この項の(その1)で紹介した<透かしのカタログ>で、『ドン・ジョヴァンニ』が書かれたものと同じ用紙があるのかを調べてみたら、C=Wasserzelchen 93(2葉)、F=Wasserzelchen 56、H=Wasserzelchen 55 の計3種のみ、という結果になった ※。にもかかわらず、どこかで「この曲の自筆譜と同じ紙を用いているのは1787年に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』K.527 だけ」「この曲の紙のうち2枚だけは別のもの」という話になったのか、正直、僕にもわからない ※※。上記のうち、Cの2葉に使われた93番の用紙は、確かに K.447 と『ドン・ジョヴァンニ』、「6つのドイツ舞曲」K.571 の弦楽セクション、という3曲だけ!で使われている。なので、そのことが一人歩きをして、曲全体のことのように拡大解釈されていったのかもしれないが。

※ 第2楽章後半に使われているEについては、すかし(Wasserzelchen 66)は同じだが、五線の引き方に違い(正確には、最上段の五線の一番上の線から、最下段の五線の一番下の線までの長さ=TSに違い)のある用紙が、『ドン・ジョヴァンニ』序曲のいわゆる「コンサート終結部」でも使われている。
※※ 新モーツァルト全集のホルン協奏曲の巻の校訂報告は1998年に出された(担当は、フランツ・ギークリンク)ので、それまでは専門家といえどもこれらすかしの情報にアクセスしにくかった、という事情は確かにある。

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2020年4月14日 (火)

タイソンのすかし研究(その1)

 モーツァルトの曲の作曲年代を考えるときに、自筆譜における五線紙のすかしが話題になることがある。場所(都市)や時代によって、手に入る五線紙が違う。なので、用紙のすかしを調べ、作曲年代が確定しているものと比較対照することで、おおよその使用年代がわかるからである。かつては「様式研究」が主流で、曲の特徴を見て「これはザルツブルク時代の作品」「こちらはウィーン移住後のすぐの作」などと判断されていたようだ。だが、これには「モーツァルトの晩年の作品の様式はこんなもの」などという判定者の主観・思い込みが入る余地が多分にある。一方、五線紙のすかしは、時に違った種類の五線紙が紛れ込むことはあったとしても、客観的な物的証拠に基づくわけで、楽譜に書かれた作曲者の筆跡と合わせ、作品の成立年代を決定する際の重要なファクターになっている。

 ただ、五線譜のすかしを年代判定に使うには、ある程度それらすかしの情報が網羅されていないといけない。モーツァルトの作品においては、ほぼ100強を数えるすかしが調べ上げられているが ※、その調査研究を行ったのがアラン・タイソン(1926 -- 2000)というスコットランド・グラスゴー出身の音楽学者だ。その成果は、新モーツァルト全集の Supplement(補遺)で『NMA X/33 Abt. 2: 透かしのカタログ (Alan Tyson, 1992, 221 頁/透かしのカタログ, 校訂報告 (Alan Tyson, 1992, 68 頁)』として結実している。時に、学者や音楽評論家はいとも簡単に「タイソンによれば」とか「タイソンの説では」という前置きでモーツァルトの作品の作曲年代について語るが、その裏に彼の網羅的かつ浩瀚な研究があったことを忘れてはならないだろう。

 以前このサイトのコメント欄で紹介した話だが、モーツァルトの『プラハ』交響曲 K.504 は、ウィーンで書かれた彼の6つの交響曲の中で、唯一メヌエット楽章がない。その理由にはいくつか説があるが、そのひとつとして、1786年の暮れ、『フィガロの結婚』の大成功に沸くプラハからの招待状が届き、そこで演奏するために急いでこの曲を書いたため、「メヌエットを書く時間がなかった」という説がある。僕個人としてはそこにいかにもモーツァルトらしさを感じないではないが・・・(真実とは意外にこのように単純なもの)、実はこの説には無理がある。というのもこの曲のフィナーレは、初演(1787年)の前年春にすでに書かれていることが、タイソンのすかしの研究からわかっているから。上記<透かしのカタログ>によれば、これは「Wasserzelchen 82(すかし82)」と分類されている用紙に書かれていて、「一七八六年のかなり早い時期にモーツァルトが《フィガロの結婚》の最後の二幕を書くのにほとんど使い切ってしまったものと同じ紙に書かれている。※※」。これは、この交響曲の自筆譜のうち、第27葉から第37葉にあたり、こちらの自筆譜ファクシミリで確認したが、ちょうどフィナーレの冒頭から終わりまでの部分になる。この楽章の前、というか実際にはアンダンテの最後は、1ページ分白紙になっている。すかしも、こちらは「Wasserzelchen 88」であり、つまりこのことは第2楽章と第3楽章のあいだで、もともと自筆譜は別れていたことを強く示す。この事実を受けてタイソンは、このフィナーレは、当初、自筆譜が失われてしまった『パリ』交響曲の新しい終楽章バージョンとして書かれたのでは、と推論している(『パリ』交響曲の資料状況は、こちらを参照)。ということであれば、『パリ』交響曲の三楽章形式を踏襲したという考えも成り立つわけで、これが先の疑問におけるひとつの有力な説と思える。

 ちなみに、前回の発言で触れたモーツァルトのホルン協奏曲についても、タイソンの研究で大きく成立年代が変わった曲がある。例えば、第1番 K.412 / K.514 (386b) は、従前は番号どおり第2番 K.417 より以前の作と思われていた。が、この曲の第1楽章の第1〜4葉には、実は上記『プラハ』のフィナーレと同じ「Wasserzelchen 82」が使われていて、それゆえ1786年より前ということはありえない。現在の説では、1786年以降に着手され、完成自体は最晩年、つまり一番最後に書かれたホルン協奏曲ということになっている。また先日、ブログ「Zauberfloete通信」で Zauberfloete さんがその用紙や作曲過程について言及されていた第3番 K.447 についても、1773年とされていた従前の作曲年代がタイソンにより後年に修正された ※※※。この曲については、長くなったので(その2)で。

※ あまり知られていないことだが、同じすかしを持つ五線譜でも、「五線」自体の引き方や段数に違いがあるものがあり、実際のヴァリエーションはこの数倍になる。
※※ 岩波書店の季刊誌『文学』の1991年秋号に収録された「新しい年代決定法---すかしと紙をめぐって」というタイソンの論文(北村結花・訳)に詳しい。
※※※ 「モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447」を参照。

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2020年4月12日 (日)

モーツァルト・アラカルト(その4・ホルン協奏曲とハフナーのファクシミリ)

 先月、久しぶりに海外のオークションサイト「ebay」を覗いてみた折、ふと思い立って「Mozart facsimile」と検索してみた。そうしたところ、「Das Horn bei Mozart = Mozart and the horn ( Facsimile-Collection )」と、「Mozart Haffner Symphony No. 35 1968 Oxford facsimile edition 」という僕が以前から探していたファクシミリ本がヒットしたので、正直ちょっと驚いた。ebay と言えば、「Electronics, Cars, Fashion, Collectibles & More」というキャッチフレーズにもあるとおり、どちらかと言えば電気製品などのハード系が強いというイメージだったので、楽譜関係のものが出るなんて盲点になっていた、少なくとも僕には。このうち前者は、当ブログで「モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)」という記事を書いたとき、故・佐伯茂樹氏から「ハンス・ピツカ氏のモーツァルトホルン協奏曲ファクシミリコレクションを参照しました、この楽譜には比較して相違点がわかるようになっています、」というコメントをいただいたもの。以前、国立音楽大学の図書館で見せていただいたことはあるが、1980年発行ということですでに手に入らなくなっていたこともあって、上記「ハフナー」交響曲のファクシミリとともに迷わず購入した。それらが最近、アメリカから相次いで届いたので、コロナ禍の外出自粛に対するせめてもの<慰み>としているところ。。。

 ピツカ氏のコレクションでは、早速、K.495 の変ホ長調の協奏曲のセクションを見てみたが、佐伯氏からの情報のようにここでは複数のバージョン(ウィーン版、アンドレ(初)版、ライネッケ版、クリング版、旧モーツァルト全集版)が比較できるようになっている ※。ただし、旧全集(AMA)からは、やはり1881年の版(最も短いバージョン)の方が採用されている ※※。当初、上記記事を書いたときにこの本があれば、もっと分析が楽だったのに・・・と思っていたが、僕の場合、むしろこれが手元になかったため1886年版の存在に気づけたと言える。実際、何が幸いするかはわからない。

 この第4番 K.495 については、モーツァルト自身が青・赤・緑・黒色のインクで各フレーズを書き分けている第3楽章のファクシミリも掲載されている。これは便利そうだ。ほかにこの本には、第3番 K.447 の自筆譜ファクシミリ、K.447 におけるゲシュトプ音(奏法)の解説、第2番 K.417 の自筆譜ファクシミリ(現在、残っている部分)、第1番 K.412 / K.514 (386b) の自筆譜ファクシミリ(部分)、協奏曲断章 K.494a の自筆譜ファクシミリ、同じく K.370b の自筆譜ファクシミリ(とユーリッセンによる再構成案)、コンサート・ロンド K.371 の自筆譜ファクシミリ(オーケストレーションは未完成 ※※※)等々が集められている。これらの情報を集成したピツカ氏の仕事には、頭が下がる思いだ。

 もう一冊、交響曲第35番『ハフナー』の自筆譜ファクシミリだが、こちらは1968年発行とさらに古い(オックスフォード大学出版局)。近年出されたヘンリク・ヴィーゼ校訂によるブライトコプフ新版では、セレナード稿と最終稿の間に中間の形態(1783年ウィーンで演奏された交響曲)が存在するとされ、そうした変更を後追いするためにも自筆譜は必須の資料だ。例えば、第1楽章の反復記号の抹消や、フルート&クラリネットの追加など、それぞれの修正がいつの時期に行われたのかは非常に興味深い問題と言える(詳しくは、こちら)。ちなみに、この交響曲のファクシミリは、IMSLP でも無料で参照できるのだが、僕としてはやはり手元に置いておきたかった(本日現在、この『ハフナー』のファクシミリはもう一冊出品されている)。

 日本と違って、海外のオークションでは時折、こうした古い本が出ることがあるので、興味のある方はぜひ探して見てください。

※ この曲の最も長いバージョンであるいわゆる「プラハ版」については比較の対象になっていない。
※※ ただ、ピツカ氏は1886年の改訂版の存在は知っていたようで、解説の中で触れられている。
※※※ この本の出版は1980年なので、1989年に再発見された K.371 の自筆譜の一部は、当然、掲載されていない。詳しくはこちら>>「ロンド K371 の見つかった「60小節」(その1)」

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2019年9月 1日 (日)

ベーレンライター版『英雄』の Solo 指定(その2)

 昨日の続き。では、いつものように『英雄』の Solo 指定に関して、なぜそういう一見奇妙な解釈が生じるかを見ていきたい。まずは、資料の状況から。『英雄』の自筆譜は残されていない。ただし、作曲者が関与した筆者譜がいくつかあり、それが主要な源泉資料となっている。終楽章の第2変奏(第59小節目の最後の拍以下)の Solo 指定がある資料について、デル・マー編纂のベーレンライター版の校訂報告(Fourth Printing 2002)には以下のものが挙げられている。

B:ウィーンの筆写譜(総譜、1804初め)
 ※T59 ヴィオラ:Viola Solo(ベートーヴェンの自筆)/T63 チェロ:V:C Solo(コピストの筆跡)。細かいことだが、新ブライトコプフ版の校訂報告によれば、チェロ欄の表示は「V.C. Solo」。
PX:ウィーンの筆写譜(パート譜)と P:ウィーン初版(パート譜、1806)
 ※「each Solo in PX,P」と記載があるが、PX のチェロ(バッソ)については、巻頭の「SOURCES」欄に楽譜なしとも記載がある。

 この資料状況だけをみれば、決して無視していいような指定ではないだろう(※1)。ただし、この「Solo」が本当に一人の奏者で弾く指定か、パート全員で弾くいわゆるパートソロの指定かについては、議論があるところだ(参考>>「Soloとは一人で演奏すること?(その1)」)。この項の(その1)で紹介したように、当初デル・マーはこれを「パートソロ」と見て、あえて「soli」=「Solo」の複数形という指示を、ベーレンライター版の(初版)楽譜に記したようだ(※2)。その理由として、彼は以下のように書いている。

「このこと(引用者注:ベートーヴェンが「パートソロ」を考えていただろうこと)は、(第76小節のバッソには足りているようだが、少なくともヴィオラのために)いかなる Tutti という指示も存在しないこと、そして第2ヴァイオリンに Solo というマークがないという事実によって、サポートされている。」
<<(以下は引用者補足)上記デル・マーの注釈中、チェロパート T76 については、それ以前の部分でコントラバスが休んでいたため、チェロ&コントラバス=バッソ・パートに戻るという意味でも、Tutti という表記がいるということも関係している。つまり、T63 の Solo 指定を受けたものとは一概に言えないということ。

 これは、ブライトコプフ新版(PB 5233、1999)を編纂したペーター・ハウシルトも同じような意見のようだ(※3)。彼は自身の原典版では、校訂報告でこの Solo 指定について触れてはいるが、本文の方ではこれを落としている。しかし、現在出ているベーレンライター版では、上記「soli」を「Solo」に訂正し、ヴィオラ・パートの第76小節目に〔Tutti〕、さらにチェロ・パートの第76小節に、Tutti という指示を置いたことは、(その1)で紹介したとおりである(※4)。なぜそうした訂正が生じたかについてのデル・マーの説明は、現在のところ僕には見つけられないでいる。もしかすると、校訂報告書も改訂されていてそこに説明があるかもしれないが、7千円程度するだけにさすがに買い変えていない。僕の所有する 「Fourth Printing 2002」以降の新しい版を持っておられる方がいらっしゃれば、ぜひ情報をお寄せください。

(2020年2月の付記)コメント欄に芝宮さんというオーケストラ関係者の方から、校訂報告書の新しい版(Sixth Printing 2017)では、デル・マーは当該箇所の Va および Vc について、やはりソロ=1人の奏者での演奏を支持している(つまり考えを改めた)という報告がありました。情報提供に感謝申し上げるとともに、ぜひ下記コメント欄の参照を読者の皆さんにお願いしたい。

※1 IMSLPに、最初にロンドンで出版された総譜(1809)のファクシミリがUPされていた。デル・マーによれば、作曲者に由来しない楽譜とのことだが、今回話題にしている「Solo」指定がこちらでも見られるので、参考までに該当箇所を以下に示す。

Eroica41
第4楽章第59小節目以下:ヴィオラへの Solo 指定

Eroica42
第4楽章第63小節目以下:チェロへの Solo 指定

Eroica43
第4楽章第76小節目以下:バッソへの Tutti 指定


※2 ハイドンなどの記譜の例では、「soli」という表記は2つのパートに分かれている場合に使われている。ここのヴィオラは、一部「分奏」箇所もあるものの1パートなので「Solo」で十分のはずだ。だが、「パートソロ」であることを強調するため、デル・マーはあえて複数形の「soli」を置いたのではないだろうか。
※3 ブライトコプフ新版の校訂報告は、ネットで閲覧できる。>>https://www.breitkopf.com/work/1031/symphonie-nr-3-es-dur-op-55
※4 ちなみに、近年出たもう一つの原典版に、ヘンレ社から出た新ベートーヴェン全集版(バティア・チャーギン校訂、2013)がある。こちらについてはスタディ・スコアを見てみたところ、ヴィオラ・パートの第59小節目に「Viola Solo」、チェロ・パートの第63小節目に「Vc Solo」という指示がある。ただし、後段の「Tutti」の指示はなく、スタディ・スコア版に付された校訂報告にはこの箇所に関する記事はなかった。なので決定的なことは言えないし、別にヘンレ版から出ている全集版(大型総譜、Beethoven Werke 1/2)には、もしかするとより詳しい校訂報告があるのかもしれない。

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2019年8月31日 (土)

ベーレンライター版『英雄』の Solo 指定(その1)

 前々回の記事「モーツァルト・アラカルト(交響曲編・補足2)」のコメント欄で、ハイドンコレギウムの音楽監督兼常任指揮者である右近(大次郎)氏から、Ludwig Camerata ルートヴィヒ・カメラータの公式動画演奏をご紹介いただいた>>こちら。このルートヴィヒ・カメラータは、「2018年、桐朋学園大学の学生有志で結成された、指揮者のいない室内オーケストラ。」とのことで、上記動画はその2回目の定期公演のライヴ記録である。プログラムは、モーツァルトの交響曲第39番 K.543 およびベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』op.55 という、どちらも変ホ長調の交響曲というユニークなもの。さらに演奏はそれ以上に興味深い。詳しくは、動画を見ていただきたいが、チェロ以外、全員が「立奏」スタイル。上記のとおり指揮者はおらず、コンサートミストレルが中央やや右!の位置に置かれた指揮台に立つ。これは、通常と反対の位置だと思いきや、実際に音楽が始まると、なんと第1ヴァイオリン群は右側、第2ヴァイオリンは左側で弾いていることがわかり、再度びっくり! 演奏自体も非常に速いテンポで、アグレッシヴな音楽を奏でている。この団体は「奏者たちがアクティヴな意見交換を重ね、たったひとつの音楽をつくりあげる。」というが、その成果が現れているところだろう。さらに楽譜の扱いもなかなかユニークだ。例えば『英雄』では、第4楽章の第2変奏部分がそう。この変奏は前半・後半の2つのセクションに分かれていて、それぞれにリピート記号が付いている。これを演奏すると「A1・A2・B1・B2」という形になるのだが、このうちA1部分を第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのソロで弾く。続くA2とB1部分は全メンバーで弾き、最後のB2部分はまたソロで弾かせる、という斬新な演奏を聴かせている。これについて、僕は先の記事のコメントで以下のように書いている。

「『英雄』の使用楽譜は、終楽章のT(59)60以下の弦の「Soli」の扱いなどをみるとベーレンライター版のように思えるのですが・・・ここは実際どう解釈したらいいのでしょうか? 僕個人はデル・マーの解釈を支持しますが、ソロと全奏で弾き分ける今回の演奏もなかなか魅力があるように聞きました。」

 ここはベーレンライター版の中でも、特徴的な箇所のひとつとして知られている。一般的な楽譜・演奏ではここを全弦セクションで弾かせるのだが、ベーレンライター版の編者のジョナサン・デル・マーは、ヴィオラ・パートの第59小節目の最後の拍(事実上の旋律は第60小節から始まる)、そしてチェロ・パートの第63小節という2箇所に、soli という表示を付けていた(※1)。実は、この点については僕もブログでも一度、触れたことがある>>「Soloとは一人で演奏すること?(その1)」2014。

「前世紀末にディビッド・ジンマンが「モダン楽器によるベーレンライター原典版世界初録音」という触れ込みで録音したベートーヴェン交響曲全集が、一世を風靡したことがあった。この中で交響曲第3番の終楽章の第59小節目以降の、弦のみで弾かれる美しい変奏を独奏アンサンブルで弾かせて、我々をあっと言わせたものだった。が、ここも実は「Soli」関係。「2ちゃんねる」でどなたかが「でも4楽章の弦楽器のソロはジンマンが根拠も無くやってるだけだろ?」と発言されたところ、すかさず!

「ベーレンライター版のヴィオラとチェロに「soli」
て書いてあるのをジンマンが勘違いしたため」

とコメントされた強者の方がいらっしゃった(2001年頃の話)。本当にジンマンが勘違いしたのか、あるいは確信犯なのかはここでは問わないが、ブライトコプフ版等では付いていなかった「soli」という指定を、ベーレンライター版の編者ジョナサン・デル・マーが採用したことに端を発していることは間違いない。

 このときも、そして先日のコメントを書いたときも、僕は自宅にあるベーレンライター版『英雄』の大型版総譜(BA 9003、初版 1997)を見て、そこに「soli」と書いてあるのを確認後、当該記事を書いている。また、同版の校訂報告書(Fourth Printing 2002)も再度見直し、そこに「それゆえ作品55では、両者の Solo マークは、(ブラームスやヨハン・シュトラウスといったより後の作品にさえも見つかるのだが、)全セクションを対象にした、結果として独自の突出したパッセージを意味する19世紀の一般的な慣習に属することを、むしろ表していると思われる。」というような注釈が書かれていることも再確認しておいた(※3)。

 いつものように前置きが長くなったが、ここでようやく本日の記事の本題。上のコメントで久しぶりにベーレンライター版を書架から取り出してきた僕は、少しいやな予感がしたので、この点につき再度調べてみる気になった。というのも、僕がよく参照する新モーツァルト全集でも、ベーレンライター社は注記もしないで誤植の訂正以上の変更をすることがよくあり、その話題はこのサイトでも何度も触れている(>>例えば、こちらの「リンツ」/あるいは、こちらの「プラハ」)。これはたまたまだが、今週末に所用で大阪に行く予定があったので、いつものように列車の待ち時間中にJR駅前のササヤ書房にダッシュ。最新のベーレンライター版『英雄』を確認してきた。すると、「やはり!」と言うべきだろうか。なんと上記箇所の楽譜が次のように書き換えられていたのだ(僕が店頭で見たのは大型総譜だが、紺色のスタディースコアの方を買ってきた。こちらには「Eleventh Printing 2017」という奥付がある)。

ヴィオラ・パートの第59小節目の最後の拍、そしてチェロ・パートの第63小節という2箇所に、Solo という表示。ヴィオラ・パートの第76小節目に〔Tutti〕、さらにチェロ・パートの第76小節に、Tutti という表示。 
脚注に、「当該エディションのより初期の印刷は、まぎらわしい表現をとっていたが、多分、ベートーヴェンは一人のソロ奏者を意図していた。」と注記。

 これは極めて重大な変更ではないだろうか。いうなれば、デル・マーは考えを正反対に改めたということになるのだから。前世紀末にベーレンライター版が出版されたとき大きな話題となったので、僕のように最初に出た大型楽譜を全冊揃えた方は多いのではと想像される。それがあてにならない場合もあるということである(泣)。

 以上、今回はベーレンライター版の新しい版に、修正・変更があるということだけで紙幅が尽きた。次回以降、資料的な確認も含め補足をしていきたいが、遺憾ながらこれまで僕の過去記事を読まれた方には、またも!訂正&お詫びをしなければならない。「ベーレンライター版『英雄』の終楽章第2変奏は、パートソロではなく、ソロ演奏を強く支持していました。申し訳ありません」。

※1 ここでデル・マーは、楽譜中には「soli」=「Solo」の複数形という指定を置くが、脚注で(複数の)資料では「Solo」とあることを注記。校訂報告への参照指示を置いている。
※2 このことはネット上でも複数の方が触れており、上記記事でも「Jurassic Page」という音楽関係サイトの記事を紹介させていただいた。>>こちら

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2019年8月27日 (火)

吉田秀和『カラヤン』

 すでに先月末のことになるが、河出文庫から吉田秀和氏の新刊『カラヤン』が出た。1963年から、かのマエストロが亡くなった年である1989年まで、よく目配りして文章を集めている。昨日、夕食後から就寝前にかけて断続的に読み出してはみたものの、吉田氏の文章を通じ、ブルックナーやマーラーの交響曲、プッチーニのオペラ、そして「パルジファル」等々、次々と聴き続けてきた名演が思い出され、頭の中が音楽でいっぱいになるような心持ちがした。こういう経験は、なかなかあるものではない。最終的に、バッハの曲を聴いて心を落ち着けなくては眠れなかったほどである。吉田氏の河出文庫のシリーズは、初め『マーラー』『フルトヴェングラー』が出て、今年『バッハ』『グレン・グールド』も相次いで刊行された。いずれも購入して読んでいるが、このようなことは初めてだ。「バッハ」の巻などはかなり期待して読み始めたのだが、リヒターやグールドなど古楽復興以前のものへの記述が多いこともあって、やや不満であった。それに比べ、カラヤンについては、全盛期の仕事を同時代的に追い、それに対応する吉田氏の文章も読んできたのであり、こちらの思い入れも随分と違うわけだが・・・。

 「カラヤンのモーツァルトで……」(「ステレオ」1972.7、『レコードのモーツァルト』等)「カラヤン --- ドビュッシー、ヴェルディ、マーラー」(レコード芸術別冊『カラヤン&ベルリン・フィル』1981)など、これまで何十回も読み返した懐かしい文章が並んでいる。再会した文章の中でも一番うれしかったのが、「カラヤンのベートーヴェン」と題された一文。これはこの本の中で最も初期=1963年に『芸術新潮』に発表されたもので、僕もリアルタイムには読んでいない。内容的には、カラヤンがベルリン・フィルと組んで1961~62年に録音したベートーヴェン交響曲全集を扱ったもので、当時のカラヤンの音楽的な立ち位置を、トスカニーニやフルトヴェングラーと比べ詳細に論じている。晩年の吉田氏の融通無碍な文章と比べると、幾分理屈が勝っている印象もないではないが、その当時、楽壇に飛躍しつつあったカラヤンのまっさらな「全集」を、紋切り型ではない表現で捉えようとした意欲的な評論であることは間違いない。

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 その中では、「今度のレコードでいう限り、『三番』が最もすぐれ、『六番』が最も異彩を放つ。ともに全く非凡なものである。」として評価している。特に、

「『第三』にみられるように、エモーションの領域に深入りするのを避けながら、感覚と自然と知性の次元から形而上的な次元に突入しているのは、全く新しいタイプといってよかろう。(p.106)」

という表現などは、誰のどの表現よりも(当時の)カラヤンの演奏の特徴を正確に言い表していると思う。ちなみに上記交響曲全集に含まれる第5番『運命』は、シューベルトの『未完成』交響曲と組み合わせて出ていて、小学生の頃、母が買ってきてくれて、自宅のステレオセットでそれこそ何百回も聴いた盤である。その後、学生時代にLPで第3番も買い、その演奏に魅了されていた。ちょうどその頃、『吉田秀和全集』(白水社・刊)の第4巻に再録されたこの文章を、僕は図書館で見つけ初めて読んだのだが、そのときの「この人の文章はすごい」と思った印象は今でもよく憶えている。今回、文庫版に収録されたのを機に、多くの方の目に触れるようになるのは、なによりだ。

 ちょうど今年4月には、1966年にカラヤンがベルリン・フィルと来日して、東京で行ったベートーヴェン・チクルスのライヴ録音が発売され、話題になった。上記セッション録音とはやや印象が違うものの、ライヴならではの迫力とヴィルトゥオーゾ的な感興にあふれた演奏はいかにも魅力的だ。ちょうど今夏、一夜の演奏会ごとにこのライヴ盤を聴いている。まだ第9番は聴いていないが、第1番交響曲の序奏から主部にかけての雄渾な表現や、第4番、第7番の終楽章の熱狂などを聴くにつけ、これはやはり一時代を築いた音楽家(たち)の貴重な記録であると思わざるを得ない。

 最後に、これまであまりカラヤンの録音を聴いたことがなかった人が、今、吉田氏の文章を読んで聴くとしたら、という想定で3枚の盤と本文庫の収録作を選んでみた。
1)ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」(EMI)/ベームとカラヤンのベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》
2)ワーグナー「ラインの黄金」「ワルキューレ」(DG)/「オペラ指揮者としてのカラヤン」その他
3)ロストロボーヴィチとのドヴォルザーク/チェロ協奏曲(DG)/「新しくて古いロシア人」

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