2016年11月23日 (水)

ケルビーノの第3幕のアリエッタ

 「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事で紹介したケルビーノの第3幕の!「アリエッタ」について、書いてみたい。例によって日本語の情報はほとんど見つからない(泣)。まずは現在、僕にわかる範囲で、基本的事項を整理しておこう。

 直前のレチタティーヴォでケルビーノは、バルバリーナから娘姿に変装し「あとでみんな一緒に、奥方様に花を捧げに行きましょう。信用して、ねえケルビーノ、バルバリーナを」と誘われている。で、残されたのはこちらの歌詞だけ。ワシントンに『フィガロ』の初演時に配られたというイタリア語リブレットがある。そこにその歌詞が印字されているという。>この画像も「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事にある。

Cher.Se così brami
                 Teco verrò;
                 So che tu m'ami,
                 Fidar mi vo :
         Purché il bel ciglio            (a parte.
                 Riveggia ancor,
                 Nessun periglio
                 Mi fa timor.

 以下はその私訳。

ケル(ビーノ).もし あなたが お望みとあれば
                "汝とともに" やって来るでしょう;
                あなたが わたしを愛していることを 知っています、
                わたしを 信じてくださることを 望みます:
         もしも 美しい "目"が            (立ち去る)
                再び 見たとしても、
                いかなる "剣呑”もない
                私を恐れさせるような。

 自筆総譜(2巻目)の第63ページには、これも前に触れたように右端欄外に「Segue l'arietta di / Cherubino.」とあり、一旦、赤いクレヨンで「20」と書かれていて、この数字は横棒線で取り消されている。さらにその下には、「/: dopo l'arietta / di cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」と注記が続き、再び赤いクレヨンで「21」とあり、これも横棒線で取り消されている※1。これらの赤字の番号は曲のナンバーであり、モーツァルト自身が書いたものではないが、当時の上演時に遡ることができると考えられている。自筆総譜における前後の記述(曲番号)を整理しておくと、以下のとおり(これらは注記のない限り、赤クレヨンで書かれている)。

・ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロ、スザンナの6重唱:「19」
・(ケルビーノのアリエッタ「20」)
・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア:「21」と書いて「1」の文字の右上にくっつけて「0」と上書きで訂正
・スザンナと伯爵夫人の2重唱:「22」と書いて横棒線で取り消し
・娘たちの合唱:「23」
・フィナーレ(マーチ):「24」
・2人の娘の歌:「25」
・合唱:「26」と書いて横棒線で取り消し。ただしその訂正は鉛筆。
(参考 第4幕の冒頭、バルバリーナのカヴァティーナ:「27」と書いて「25」と上書きで訂正。あるいはその逆?※2)

 これら曲番号の訂正を見ると、我々「アリエッタ」の削除は、曲全体に影響を及ぼしている。リブレットに歌詞が印刷してあったことも合わせて考えると、曲中に確実に含まれていて、かなり初演に近い時期まで伯爵夫人のレチタティーヴォの前に「あった」、あるいは「あるべき」と思われていたと推定されるのである。そして、少なくともこれら楽譜が総譜としてひとまとめにされ、全体にこれも赤いクレヨンでページ番号が振られる前には、「消えた」ということになる。新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編者、ルートヴィヒ・フィンシャーは、序文の中でこの「アリエッタ」について短く触れて、「第12番の<恋とはどんなものかしら>と、韻律学上、同じ長さと節構造とを持っていることは、おそらく偶然の一致でなない。」と意味深なコメントをつけている。モーツァルトはこの曲を実際に作曲したのだろうか、それとも助長だと考え、組み込むことをあきらめたのだろうか。興味はつきない。

※1 ちなみにこれらの注記は特別なものではなく、どのレチタティーヴォにも終わりに次の曲の指示が書かれている。元々これらはばらばらな楽譜の束なので、どこに続くかを一目でわかるようにしているのだろう。無論、この「アリエッタ」の場合、2度、別々に注記されたことの意味は、もっと良く考えてもいいだろう。
※2 ※1とも関連があるが、ここで見た第4幕冒頭のバルバリーナのカヴァティーナは、どうやら後から追加されたようだ。自筆総譜では、元々、その後に続く(現在の)「シーン2」=フィガロ、バルバリーナ、マルチェリーナのレチタティーヴォの方の楽譜に「シーン1」とあり、その左上に「/: dopo la Cavatina di Barbarina:/」(バルバリーナのカヴァティーナのあとに)と記されている。これは明らかに後から記載されたもの。つまり、あの短くも美しい夜の曲は、最初の構想にはなかったということになる(あるいは、最初の構想では第4幕の冒頭の位置にはなかった、ということ)。

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2016年11月21日 (月)

訂正とお詫び(「パルピト」?「パールピト」?記事について)

※2016年10月28日付けの『「パルピト」?「パールピト」?』と題した記事について、訂正とお詫び>>元記事はこちら

※上記記事で私が引用し、「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、「パールピト」という歌詞割りに関して私が書いた内容は誤りであったことをご報告いたします。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

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2016年11月20日 (日)

モーバリ・レイバーン仮説(その3)

 前回、前々回に紹介したモーバリ・レイバーン仮説のその後について。

 1970年代にカラヤン/ポネルの一連の上演・録音で一般に知られるようになった第3幕の曲順変更だが、その後、1990年代になって古楽系の演奏家たちがこの仮説に従っている。CDではガーディナー盤(1993、LDもあり)、マルゴワール盤(1996)、クイケン盤(1998)がある。古楽器演奏ではないが、この種の情報に目敏いアバドの全曲録音(1994、1991のLDもあり)もある。DVD(映像)では(その2)で触れたプリッチャード盤(1973)、ベーム盤(1975-76、1980の2種)の後では、ハイティンク盤(1994)があった。またアーノンクールは、1993年録音のCDでは従来どおりの曲順だったにもかかわらず、1996年のチューリヒでの上演記録(DVD)ではモーバリ・レイバーン仮説を採用している(ユルゲン・フリム演出)。

 ところが、その後がなかなか続いていかない。最近では、2003年録音の David Parry のCD(英語歌唱)、あるいは2006年収録のパッパーノのDVDがあるくらいだろう。2000年以降は、古楽系でも採用は減っており、ヤーコプス(2003)や最近評判のクルレンツィス(2012)は、新全集どおり。さらにアーノンクールも、2006年のザルツブルク音楽祭や、こちらで触れた最新のコンサート形式での上演(2014)では、楽譜どおりの順番に戻してしまった。これらの結果から考えると、最終的にモーバリ・レイバーン仮説はフィガロ演奏の主流とはならなかった、と言えるかもしれない。

 以上は、演奏史上の話。他に文献学的に見ても、上記仮説を裏付ける資料は発見されておらず、定説とはなっていないのが現状である。ガーディナーは自身のCDおよびLDでは上記のようにモーバリ・レイバーン仮説を採用したが、それは「ドラマティックな一貫性を強化するため」の「妥協策」とはっきり書いている(ガーディナー盤に掲載されているガーディナー自身が書いた「《フィガロ》の曲順を考える」というライナーノーツから。磯山雅・訳)。さらに「アラン・タイソンは、1981年に、自筆総譜にはこの仮説を裏付ける証拠がないことを示した。」とし、根拠としてタイソンの「《フィガロの結婚》:自筆総譜からのレッスン」(The Musical Times, 122 (1981), 456-461ページ)というエッセイの名を挙げている(原題 'Le nozze di Figaro: Lessons from the Autograph Score')※1。

 ということで「百聞は一見に如かず」。モーツァルトの自筆譜を見てみよう。このオペラの第3・4幕は、2分割された自筆総譜の後編に含まれている。校訂報告書によれば、これらの楽譜はもともとばらばらなパーツに分かれており、それらは2つ折の横長用紙を2枚重ねたもの(結果、8ページ書くことができる)、あるいは2つ折の横長用紙(4ページ書き)、単葉の横長用紙(裏表2ページ書き)などの組み合わせから成っている。さらに今回話題になっている伯爵のレチタティーヴォとアリア(自筆総譜=新全集では「No.18」※2)、六重唱(同「No.19」)や、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア(同「No.20」)等は、ちょうど新しい五線紙の左端から曲を書き始め、数枚の用紙を使っていったあと、最終的に用紙の右端で曲を終えている。つまり五線紙の途中で次の曲の頭を書いていないので、このままでは曲順を入れ替えていたとしてもその判定は難しい。だが、曲頭に付けられたシーン番号等を見る限り、総譜自体の曲順は、現行の曲順どおりになっている。また、初演時(1786年5月)に発行されたリブレット(台本)がワシントンに残っているが、そのファクシミリを見ても現行と同じ順番になっている。

 さらに重要な点がある。通常、「No.19」のセステットのすぐあとに置かれるマルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォの最後に、「私たちの喜びを見て、伯爵がくたばってしまえばいい」と四重唱で歌われる部分があるが、これは第62ページの上半分に書かれている。そしてその下半分および第63ページの1、2段目にかけて、バルバリーナとケルビーノのレチタティーヴォが書かれている。つまり、この2つのレチタティーヴォは、少なくともそれらが書かれた時点でつながっていたことになる。また、この自筆総譜で圧巻なのは、このあと・・・実は、第63ページのおしまい=右端欄外にこんなことが書かれている。

「Segue l'arietta di / Cherubino. 」

 これは「ケルビーノのアリエッタが続く。」という意味。さらにその下に、

「/: dopo l'arietta / di Cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」※3

 つまり、ケルビーノのアリアのあと、シーン7:伯爵夫人の楽器伴奏付きレチタティーヴォとアリアが始まる、というわけである。ケルビーノの独唱曲は第1、第2幕にそれぞれ1曲づつあるのは「フィガロ」好きなら誰でも知っていると思う。が、第3幕のアリエッタ(小アリア)とは、初耳の方も多いだろう。ただ上記、初演時のリブレットに、なんとこの失われた曲の歌詞が掲載されている(第67ページ)。

Cherubino3

 でも、この曲が現在、存在しないのはご存知のとおり。印字されている歌詞を、<誤り>と感じた誰かが、鉛筆のようなもので消したあとが、リブレットに残されている。このまぼろしの曲との関係も、モーバリ・レイバーン仮説の是非を考えるに重要だと思われる。しかし今の僕には、まだはっきりできていないことが多過ぎる。このアリエッタについては、いずれ近いうちに新たに稿を起こして考えてみたい。

※1 ただ、これは上記タイソンのエッセイにも書かれていることだが、『フィガロ』の自筆総譜の後半部(第3・4幕)は、『魔笛』全巻などともに戦後、行方不明になってしまい、モーバリとレイバーンはそれを参照できなかった(後にポーランドで再発見されるのだが、それは新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編纂時=1973年にも間に合わなかった)。以上、お二人の名誉のために付け加えておく。
※2 曲のナンバリングは、総譜に赤いクレヨンで書かれている。これらの数字はモーツァルト自身が書いたものではないが、パート譜とも一致するので当時の上演時に遡ることができると考えられている。
※3 些細な違いだが、校訂報告書には「di cherubino, viene」の個所で、「, 」が抜けている。ファクシミリでははっきり見えるので引用者で補っておいた。

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2016年11月16日 (水)

モーバリ・レイバーン仮説(その2)

 前回ご紹介した「モーバリ・レイバーン仮説」に関する記事の続き。ロバート・モーバリとクリストファー・レイバーンが、「フィガロ」第3幕の現行の曲順は、歌手の都合でやむを得ず変更されたもので、そのためいろいろな不都合な状態がある、と推定した根拠を紹介する(つまり、現行の第3幕の曲順における難点である。以下、「Mozart's Figaro: The Plan of Act III」(1965) から自由に紹介。なお(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)

1)舞台裏で行われたはずの<裁判の場面>は、伯爵のレチタティーヴォとアリアのあいだで行われたとするには、十分な時間が与えられていない。
2)ケルビーノとバルバリーナとのあいだの会話が、劇の進行上、もっと前の位置にないと、ケルビーノが村の娘たちに交じって伯爵夫人に花を捧げるために変装したりする時間が十分に取れない。
3)スザンナは伯爵とデュエットを歌った後、すぐに伯爵夫人にそのときの様子を報告するため、夫人を探しに行ったはず。現行の曲順ではずっと後の場面までそうしていないことになる。(伯爵夫人は第8場でまだ「スザンナは遅いのね?」と言っていて、)その事実を知る度、私たちは驚かせられる。さらにフィガロの借金を穴埋めするためのお金・銀2000を、どこで調達したかがわからないという余計な疑問を引き起こしている(早い場面で伯爵夫人に会ってさえいれば、夫人にお金を工面してもらったということが想定できる)。
4)台本作家のダ・ポンテが、(彼がそう意図しなかったのなら話は別だが)数ページ早過ぎる場面でスザンナに「この出来ごとを奥様と伯父とにご報告してきます」と言わせるよう書くべきだったことは、同じようにミステリアスだ。(早すぎる場面で「報告する」と言わせたので、その結果)女主人に深い信頼を受けているスザンナが、自らの明白な勤めを論点3)に続き今回もすぐに果たさないことを私たちは信じるように仕向けられてしまう(第8場まで来ても、まだ伯爵夫人はことの成り行きをいっさい知らされていない!※1)。
5)「スザンナは遅いのね?」の場面(第19曲)から手紙の二重唱(第20曲)までのあいだに、モーツァルトはあまりに短い間隔しか許さなかった。そこに少し配慮が足りないことに対し、女性歌手たちが不満を持っていることが知られている。

 こうしたいくつかの課題・難点が、前回の記事で触れたように第7、8場を第4場と第5場のあいだに移動するということで、魔法のように解決できるというので、このモーバリ・レイバーン仮説はいかにも魅力的に映ったらしい。以後、第3幕の曲順を入れ替える演奏が現れてくるようになった。例えば、岸氏の記事にも触れられているが、セッション録音で言えば、1971年に録音されたコリン・デイヴィスの「フィガロ」全曲盤がモーバリ・レイバーン仮説を採用していて、これは最初期の例だろう※2。が、影響力から言えば、名演出家のジャン・ピエール・ポネルが、ザルツブルク音楽祭での「フィガロ」上演で採用したのが大きかったのではないだろうか(1972年7月)。しかもこのときの指揮は、帝王カラヤン。このあと同プロジェクトは1976年まで毎年再演され、さらに翌77年に実現したカラヤンのウィーン国立歌劇場への復帰公演でも取り上げられ、さらにデッカによりLPにもなった(1978年)。ちなみにカラヤンの同録音CD(POCL-2331/3)に付された石井宏氏の解説に、モーバリ・レイバーン仮説が簡潔に紹介されており、以下のような興味深い注釈が付けられている(のちにこの解説は、LONDON というレーベルで出ていた国内版LP/SLD 7001-4から転用されたものと判った)。

(なおクリストファー・レイバーンChristopher Raeburn は長年ロンドン/デッカの制作部長であり、このレコードのプロデューサーであるが、カラヤンはすでに1973年から彼の説を採用してきている。)<<引用者注・先述のように1972年からが正しいと思われる。

 これらからカラヤンのデッカへの録音が、我が国においてモーバリ・レイバーン仮説を広めたきっかけとなったのは間違いない。またカール・ベームには1975-76年に撮影した映画版「フィガロ」があり、ここでも演出はポネルが担当しているので、やはり第3幕の曲順を入れ替えている。こうした先例が1970年代にすでにあったのは事実で、岸氏が言うように1980 年のベームの来日公演が、この点で<分岐点>と呼べるものだったかどうかは微妙なところだ。ただ当該公演は、海外の一流歌劇場の本格的引っ越し公演のハシリであったのも事実で、そこでモーバリ・レイバーン仮説が採用されていたことも、決して意義のないことではないだろう。

 さてその後、この仮説の扱いはどのように推移していったろうか。その点は、また次回に。

※1 先の論点3)にも関わることだが、この場面で伯爵夫人が語っている台詞を見る限り、スザンナは伯爵と会ってから一度も報告をしにいっていないことがわかる。
※2 1973年にグラインドボーン音楽祭で収録されたプリッチャード指揮のDVDも、モーバリ・レイバーン仮説を採用していた(ピーター・ホール演出)。

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2016年11月15日 (火)

モーバリ・レイバーン仮説(その1)

 1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演で、往年の名指揮者カール・べームはモーツァルトの傑作『フィガロの結婚』を指揮した。先月末からこのサイトでは、その上演が我が国のこのオペラの受容史上、重要な「分岐点」にあたるとした岸純信氏の説について考えている(『レコード芸術』2016年11月号所収)。その文章を再掲しておこう。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(p.50)

 このうち、第1点目の「コロラトゥーラ」についてはこちらで、第3点目の「パールピト」についてはこちらで検証した。では、第2点目に挙げられている「第3幕の曲順」についてはどうだろうか、というのが今回の検証テーマである。まずは、モーツァルトのスコアどおりの曲順を示す(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)。

第1場(伯爵のレチタティーヴォ)
第2場(伯爵夫人とスザンナ、その後、伯爵とスザンナのレチタティーヴォ~第16番・伯爵とスザンナのデュエット)
第3場(フィガロとスザンナの短いレチタティーヴォ)
第4場(第17番・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18番・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(第19番・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10場(伯爵夫人とスザンナのレチタティーヴォ~第20番・伯爵夫人とスザンナのデュエット)
第11場(第21番・娘たちの合唱~バルバリーナ、伯爵夫人、スザンナのレチタティーヴォ)
第12場(アントニオ、伯爵夫人、スザンナ、伯爵、ケルビーノのレチタティーヴォ)
第13場(前場の5人にフィガロが加わったレチタティーヴォ~第22番フィナーレ)
第14場(フィナーレの続き)

 このうち第7、8場を、第4場と第5場のあいだに移動するというのが、岸氏の言う「仮説」である。実際に上記のベームの日本公演を記録したDVDを見てみると、第3幕(特に中間部)は、下記のような配列になっている(前後部分は記述省略)。

第1~3場
第4場(第17曲・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18曲・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10~14場

 これは元々、今から半世紀も前、ロバート・モーバリ(Robert Moberly)とクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)によって書かれた論文「"Mozart's Figaro: The Plan of Act III", Music & Letters, Vol. 46 No. 2 (April 1965), p.134-6」で提唱された説である。3ページほどの短いものであり、今回、勉強も兼ねて取り寄せてみた。

 その中でモーバリとレイバーンは、このオペラの第3幕について「先行する各幕に比べある箇所では劣っている(inferior)ように見える」とし、「私たちの考えるところでは、その構造上の弱点はプランの変更に伴うものと思われる」と書いている。つまり、元々の台本は彼らが提案した「第4、7、8、5、6、9場」の順であったものを、作曲の段階で変更したのでは、というのである。その理由として二人が挙げたのは、初演時、バルトロとアントニオの役をひとりの歌手が兼役していたので、第6場と第9場の間で衣装を着替える時間がなかった、というもの。そこで、モーツァルトたちは、その間に今の第7、8場にあたるシーンをあいだに挟み込むことで、バルトロ(第6場)からアントニオ(第9場)に着替える時間をかせいだ、と考えたわけである。第7場のレチタティーヴォと第8場の伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアは、このオペラの原作にあたるボーマルシェの劇にはなく、移動可能なもの(movable)だった、からでもある。

 ただその「プランの変更」が原因で、現行の曲順には劇の進行上、いくつか無理が生ずることになった、とレイバーンたちは主張する。以上、長くなったので、次回にその主張の根拠を紹介したい。

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2016年10月28日 (金)

「パルピト」?「パールピト」?(訂正版)

 先日の記事で、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』について、オペラ研究家の岸純信氏によるこのような言及を紹介した。

「そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 この指摘は、カール・ベーム指揮のウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)についてのもの。残されたDVDを見てみたが、実際、ケルビーノ役のアグネス・バルツァは、54〜55小節目にかけて「palpito e tremo」という歌詞を、「パールピト エ トレモ」と歌っている。ただ、実際の現場では、岸氏の言うように歌手たちの対応は分かれているようだ。ケルビーノが当たり役だった歌手で言えば、テレサ・ベルガンサは「パルピト」派のようだ(ジュリーニ(L)、クレンペラー、カラヤン(L)、アバド(L)、バレンボイム)。一方、エディト・マティスは、「パールピト」と延ばし気味に歌っている(ベーム(L)2種)。他のCDを聴いても、結構、対応は分かれているので、興味のある方はご手持ちのCD等で確認していただけると、なかなかおもしろい結果が得られるのではと思う(実際、僕はCDをとっかえひっかえし、しばし楽しませてもらった)。

 ここで、念のため楽譜を見てみよう。

Cherubino24_2Cherubino25_2

Cherubino23_2

 上(2分割されたもの)が旧モーツァルト全集、下が新モーツァルト全集から、53小節後半から55小節目を引用した。微妙な違いではあるが、旧全集をあえて「8分音符/16分音符/16分音符」に分けて文字化してみると「パル/ピト/エ」、新全集は「パル/ピ/トエ」と表すことができる。この「パル」の部分は8分音符なので、岸氏の指摘どおり「パール」と延ばすのが正しいと言えば正しいのだろう。イタリア語辞典を見ると「palpito」の場合、「pa」の「a」にアクセントがあるようなので、そのことも「パール」と延ばし気味にすることを支持する。

 ところで、ここで話を終えるなら、あえて僕がこの記事を書くまでもなかっただろう。というのも疑い深い僕はここまで調べた後で、「念のため」とモーツァルトの自筆譜(ファクシミリ)を見てみたのだが、やはりことは簡単ではなかったのだ。そこでは、こんな風に記されていた。

 これを素直に見る限り、「パルピ/ト/エ」と分けるようにも読める。モーツァルトは歌詞を音符ごとに書き分けているわけではないので、断言まではできないが、少なくとも「パール」と延ばすのが絶対に正しいとは言いにくいのではないか。実際、最後の「e」だけは、短い斜め線で区切られているので、小節末の16分音符で「トエ」と畳み込むように歌う新全集の歌詞割りは、間違いとしか言いようがない。

(2016/11/21の重要な修正)
※上記記述で引用し、僕が「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、確かに始めの8分音符については、その音符の下に「pal」が書かれていました。つまり、この部分については新全集の歌詞割りで間違いがありません。残りの16分音符2つについては、明確な歌詞の書き分けはしていませんが、新全集の「pi/to e」で間違いないと思われます。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

Palpito1

 (古い筆写譜には、「パルピ/ト/エ」と歌詞割りした楽譜もあったようだ。なので最後に、「パルピ/ト/エ」と歌っている録音がないか探してみたところ、なんと僕が10代の頃から最も愛聴していたアリア集の中にそれに近いものがあった。エリザベート・シュワルツコップがジョン・プリッチャード指揮で歌った盤では、この個所を「パルピー/ト/エ」と歌っているように聴こえる。厳密には、歌い出しが少し遅れ気味に入るので、16分音符3つに「パル/ピー/トエ」と当てはめているというべきだが。録音は1952年。これは彼女独特の表現のひとつだろうか。あるいは、どこかにこのように歌詞割りした楽譜があるのだろうか。詳細は不明だが、実際、この盤ほど言葉が明晰に聴こえるアリア集はほかにはない。同じケルビーノの「自分で自分がわからない」などを聴く度に、歌詞の丁寧な扱い、精緻さを極めた表現は、まさに空前絶後の域に達していると思わないではいられない。もし未聴の方がいらっしゃったら、ぜひ一度お聴きください

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2016年10月27日 (木)

伯爵夫人とスザンナ(その5)

 先日の発言の続き。

 『レコード芸術』2016年11月号で、オペラ研究家の岸純信氏が、1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演でカール・べームが指揮した『フィガロ』において「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせた」と書いていたことに関する検証について・・・。ちなみに、この公演での配役は以下のとおり。

スザンナ ルチア・ポップ
伯爵夫人 グンドゥラ・ヤノヴィッツ
伯爵 ベルント・ヴァイクル

 当然ながら、ポップとヤノヴィッツがうたう声部の比較になる。(その4)でも触れたが、僕個人は従来から主に声質での区別などからポップの方が「くねくね音型」を歌っていると判断していた。しかし、声質の区別には聴き手の側の個人的判断が関わるので、以下の検証では主にDVDに残された映像、そして歌唱パートの比較によることとしたい。

 三重唱の始めの部分は、この項の(その2)で見たように、新旧全集ともにスザンナが高いパートを歌う(自筆譜がモーツァルトによってスザンナ・パートを高くするよう訂正されているため)。46小節以降は、自筆譜の訂正が行われていないので、新全集は伯爵夫人が高いパートを歌うバージョンを採用する。そして高い音部のまま、51小節目のコロラトゥーラ音型を伯爵夫人に歌わせる。つまり、ここから両全集に大きな差が現れる。

検証点1) 45小節の末尾から、スザンナが高いパートで「capisco qualche cosa」という歌詞で歌い出すのが旧全集。伯爵夫人は同時に「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞を低いパートで歌う。一方、同じ個所で高いパートを伯爵夫人の方が「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞で細かく歌うのが新全集。スザンナは八分音符2つ分遅れて46小節から「capisco qualche cosa, capisco・・・」と低く歌うことになる。この場面、DVDを見ると画面が舞台全体を引きで捉えており、左にヤノヴィッツが、真ん中にヴァイクルが、そして左端のカーテンの陰にポップが立って歌っている。画像が荒いので断言まではできないが、音楽を聞く限り高いパートの歌詞は、「Capisco qualche cosa: Veggiamo come va.」(なんとなく様子がわかったわ/成行きを見てみましょう)と聴き取れる。つまり旧全集。

検証点2) そのすぐあと、例のコロラトゥーラ音型の部分。ここも画面は引きのままだが、音型に合わせて口が動いて(開いて)いるのは、ポップの方のように見える。ヤノヴィッツの口は、1小節遅れて52小節目から「cosa sara」と歌っている。もしこの公演で新全集が使われていたなら、ヤノヴィッツの口が開き続けていて、ポップの方が1小節遅れて「coma va」と口を動かしていなければならない。

検証点3) これ以下、検証点1と同様、高いパートの歌詞を見ていけば、スザンナが歌っているのか伯爵夫人が歌っているかを聴き分けられるのだが、わかりやすい個所として曲の末尾の部分を挙げておこう。3回目のコロラトゥーラ音型が出て、その後、スザンナは「qui certo nascera.」という歌詞を3回くりかえす。一方、伯爵夫人は、「schiviam per carita.」という歌詞を3回くりかえす。DVDでは、高いパートを歌う歌手の声が、1回目および3回目に「qui certo nascera.」と歌っている。ここも旧全集バージョン。

 以上、僕が検証した限りでは、「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来どおりスザンナが歌っている」と判断されるがどうだろうか。公演日によってパートを交換したというようなことがない限り、べームの1980年公演ではこの個所は聴き慣れた旧全集バージョンで歌われたのではないだろうか。では、なぜ岸氏は新全集を採用したように聴いたのか? ひとつの手がかりとして、1986年3月に行われたウィーン国立歌劇場の日本公演でも、伯爵夫人役はグンドラ・ヤノヴィッツであった(スザンナはバーバラ・ヘンドリック)。もしかして、こちらではヤノヴィッツが高いパートを歌ったのではないだろうか。無論、今の時点ではただの想像に過ぎないけれど(記憶ではこの時もテレビ放送があり、僕も見たはずなのだが・・・)

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2016年10月26日 (水)

伯爵夫人とスザンナ(その4)

 すでに数年前のことになるが、『フィガロの結婚』第2幕の第14曲・テルツェットにおける伯爵夫人とスザンナの声楽パートが、旧モーツァルト全集(や慣用譜)と新全集とでは、高低が入れ替わっているという話題を報告したことがある。

「伯爵夫人とスザンナ」(その1)へ、(その2)へ、(その3)

 その折にも紹介したのだが、『作曲家別 名曲解説ライブラリー モーツァルト2』(音楽之友社・刊)にはこうある。「従来と異なり新全集では夫人のほうがコロラトゥーラを含む高い音域のパートを歌うことになっているが、それは役柄の心理的状況と自筆譜の入念な考証等から得られた判断に基づく(p.351)」。そうした解釈の最も典型的な演奏・演出として、上記発言では「カール・ベーム指揮の映画版『フィガロ』(1976年制作)が最も参考になる」と僕は書いた。「伯爵夫人のキリ・テ・カナワが窮地に追いつめられ「まさかこんなことになろうとは」という<動揺>の表現として、このコロラトゥーラ音型を歌っているのが、歌唱・表情ともに非常によくわかる。」とも。

 逆に、旧全集を使った演奏の解説では、同じ音型がスザンナの「心理的状況」と結び付けて解釈されている例もある。例えばこちら。

「戻ってきたスザンナが奥で伯爵夫妻の会話を聴くシーンでは、夫妻の真剣なやりとりに対し、気の利くスザンナがどうしようかと頭をめぐらす様子が、くねくねと上昇する音階〔譜例13〕でうまく表現されている。しかも初めは上のGだったのが、心配が昂じて三点Cまで上昇するところも聴きどころだ。」(『新潮オペラCDブック・8 モーツァルト「フィガロの結婚」』所収の永竹由幸氏による<訳・解説>から)

 その「くねくね」譜例が、こちら。

T13

 さて、皆さんは伯爵夫人とスザンナの内、どちらが上記音形を歌った方が、この場の「心理的状況」に合っているとお考えだろうか? 実際、多くの演奏実践の場でも、二人のうちどちらが高いパート、つまりこの「くねくね」音型を歌っているかが気になるところだ。一応、新全集が出された1973年の前か後かが、ひとつの目安にはなるだろう。例えば、上記『新潮オペラCDブック』の付属CDの場合、こちらもベーム指揮のザルツブルク音楽祭における1970年のライヴ録音が採られている。ビデオならともかく音源のみでは判断がつきにくい場合もままあるのだが、ここではスーブレットとして一世を風靡したレリ・グリストがスザンナを演じていて、そのチャーミングさが際立つ声によってスザンナが「くねくね」音型を歌っているのがよく聴きとれる(伯爵夫人役は、グンドゥラ・ヤノヴィッツ)。つまり永竹氏の上記解説どおり、だったということがわかる。また実は、僕の前発言でも同じベームのウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)のDVDを取り上げて、スザンナ役のルチア・ポップが上のパートを見事に歌っているとし、「映像では1回目がややアップでわかりやすい」と書いていた。1970年はスザンナが上、1976年は伯爵夫人が上、そして1980年はスザンナが上、という具合で、同じ指揮者、同じ演奏団体であっても、使用楽譜が違う場合もあるわけだ。

 ところで、今月の『レコード芸術』誌(音楽之友社・刊)の特集は、「モーツァルト・クロニクル(年代記)--- 録音史を紐解く」と題し、モーツァルトの録音史を追った企画になっている。その中に「フィガロ」の章もあり、岸純信氏がその執筆を担当している。その記事を見て、すぐ僕は思わずわが目を疑った。氏は、記事の冒頭、上記DVDに記録されているべームの1980年に行われた来日公演(とそのテレビ放映)が、我が国のこのオペラの受容史上「分岐点」にあたるとし、その根拠として以下の3点を挙げたからである。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 氏がこの公演をホールで実際にご覧になったかまでは記述がないが、「”1980年11月”/日本の《フィガロ》が変わった」という見出しの元にある以上、その発言にはある意味、絶対の自信がおありになるだろう。僕の方がこれまでこのブログで書いてきたことを修正しなければと思い、さっそくビデオ・ラックから当該DVDを取り出してきた。ところが、これがまた簡単ではなく、岸氏の指摘どおりともはっきり言い難いようなのだ。実際、このディスクの映像はVHS並みの画面であり、画面ではなかなか判定がしにくい。ここまでで既に長くなったので、その詳しい判定結果は次回にまわすことにしたい。

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2016年5月18日 (水)

「トルコ行進曲付き」の全音版・新版

 Twitter では予告しておいたのだが、全音楽譜出版社からK.331「トルコ行進曲付き」の新版が出た。つい先日、2016年5月15日の発行で、Amazon に注文を出しておいたものが本日、自宅の郵便受けに届いていた。『モーツァルト ピアノソナタ イ長調[トルコ行進曲付き]/2014年発見の自筆譜に基づく原典版』というタイトル。校訂を担当したクラヴィーア奏者の渡邊順生氏の解説が付いていて、これが非常に詳しい。自筆譜(新発見の4ページ、以前から知られていた1ページ)、初版(第1〜4刷)をソースとして、詳細な校訂報告が2ページ半にわたってある。それに加え、昨日の記事で僕が触れたような従来版との異同は、「問題点」というセクションで非常に詳しく解説している。僕もかつての記事を書く前にこの渡邊版が出ていたら、随分、調べる時間が短縮できただろうに、と思わないではいられない。それほど便利な原典版だ。

 ところでこの新版を作った理由として、渡邊氏はこのように書いている。

「 昨年(2015年)の夏、さるドイツの有名な出版社が、主に新発見の自筆譜に基づくこのソナタの新版を出版した。それが充分満足のいく内容のものであったら、本書が編集されることはなかったであろう。しかし、折角の新版は作曲者の残したいわゆる一次資料の忠実な再現とは言い難い部分を何箇所も含んでいた。そこで作曲者のオリジナル・テキストにより忠実な版、という狙いに基づいて編集されたのが本書である。」(本版について、p.2)

 ここで言われている新版とは、Wolf-Dieter Seiffert が編集したヘンレ版新版(HN 1300)のこと。例えば、ヘンレ版新版=Seiffert 版は、第1楽章のテーマ冒頭の音型(および類似箇所)において、最初の3つの音をスラーでつないだものをテキストとして印刷している。渡邊氏はこのことを、「信頼性の低い」版(初版の第3刷以降)を元にしていると批判する。実はここは自筆譜が残っていない箇所でもあり、初版・第1刷が重要な資料となるのだが、これを見ると確かに最初の2音にスラーをつけているように見える箇所が多い。実際、新モーツァルト全集版やウィーン原典版などでも2音スラー採用が多いので、Seiffert 版は少し踏み込み過ぎと言えるかもしれない(ヘンレ版旧版が3音スラーだった)。

 ただし、初版・第1刷においても、第2小節は明らかに第3音までスラーがついている。

 K331t1

 さらに第13小節(上記図の右下部分)もおそらくそう読めないことはないし、渡邊版が参照していないプラハの筆写譜も3音スラーだという。そうしたことは、Seiffert 版でも脚注の指示に従って巻末のコメントを読めばわかるようになっている。また、2点スラーを指示する理由として、渡邊氏は「音楽的な見地から見ても、3音スラーを採用すると、このテーマの性格が子守唄のようなぼんやりとしたものになってしまう」と書いているが、これはどうか。後代の楽譜編集者が「音楽的な見地」で楽譜の改変を行ってきた結果が、この「トルコ行進曲付き」のテキストをゆがめてきたのではなかったか。渡邊氏は「この自筆譜の発見で、このソナタの初版譜には、モーツァルトの他の作品に比べて誤りが多いことが明らかになった。」と書いているが、昨日の記事で紹介した異同を見ていただければわかるように、むしろ現代人が「これは音楽的に明らかな誤り」と初版を訂正したところが、自筆譜で覆された箇所もかなりある。そのことが今回の自筆譜発見が、我々に教えてくれた大きな教訓だと思う。

 あるいは、第1楽章第6変奏における前半最後の左手バス音(昨日の記事で、4)として触れた箇所)。こちらは初版等が上から「ホ—嬰ハ—イ」という和音で終止していて、これを後代の諸版もこれを継承してきたのだが、自筆譜は低い「イ」音のみになっていた。当然、Seiffert 版もこの単音を採用しているが、渡邊氏はこれにかみついている。氏は、初版=OE で和音になっているのは、「明らかにモーツァルトが「修正」した結果である」とし、その根拠として「この修正はモーツァルト時代のフォルテピアノで弾くと「なるほど」と思わせるし、何度か弾いてみて少し慣れると、Aの単音ではやや物足りなさを感じるようになる。」と書いている。それは渡邊氏個人の感覚であって、楽譜校訂とは関係がない話だと僕など思う。少なくとも、「Seiffert 版が単音(A)を正しく、和音(OE)を誤りと断じているのは、明らかにモーツァルト時代のフォルテピアノに対する無知ないし認識不足の結果であり、このようなコメントはエディション全体の信頼度を貶める結果となる。」とヘンレ版新版の編者を批判するのは、まったくのお門違いではないだろうか。クラヴィーア奏者の権威者としての自信が、そう言わせているのだとしたら、少々悲しい話だ。

 あと、モーツァルトのスタッカート表記については、それだけで論文がいくつも書けるほどの難問なのだが、どうも渡邊氏は自筆譜から「ポルタート、楔形、ドット」の3つが明確に判別できて、その意図もはっきりわかるらしい。この点についても Seiffert 版を批判している箇所があるが、少なくとも利用者は他版との比較はやはりした方が良い。例えば第1楽章第5変奏の冒頭小節で、渡邊版の右手5拍目後半のホ音(E)に付けられた楔形スタッカートは、自筆譜や初版・第1刷にはない。

 K311v5

 第2小節目からの類似によって付けられたと思うが、それならば Seiffert 版のように編者が補ったという印として( )に入れた方がいいのではないだろうか。僕個人は、自筆譜・初版どおりでもいいと思うが。

 そういった気になる点もないではないが、定価1000円でこのようなオーセンティックな楽譜が手に入るのは、本当に予想外のことだ。昨日の記事で指摘しておいた、「トルコ行進曲」における前打音についても、詳しい検討が加えられており、またいつかその中身についても紹介してみたいと思う。

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2016年1月10日 (日)

「トルコ行進曲付き」のヘンレ版・新版(その3)

 K.331(300i)の新たに発見された自筆譜とこれまでの現行譜との関係について。今回はこれまで触れてこなかった相違点3)と相違点1)を見てみたい。

 まず相違点3)第2楽章 第3小節=メヌエットの冒頭のテーマだが、元々、初版のアルタリア版ではこのテーマの3小節目に「2点イ」音が置かれていた。

Menuetto1

 一方、メヌエットの後半でテーマが再現する箇所=第33小節では、同じ旋律の最高音が「3点嬰ハ」音となっている。

Menuetto2

 後世の編集者はこれを一種の矛盾と捉え、両方とも第33小節の「3点嬰ハ」音の方に統一していた。我々が聴き親しんでいるのは、「2点嬰ハ」音から「3点嬰ハ」音に1オクターヴ上昇するこちらのメロディーの方である。これは新モーツァルト全集も同じ(脚注で修正したことを記している)。今回発見された自筆譜では、モーツァルトは第3小節の3拍目にはっきり「2点イ」音を書いている(ファクシミリを見るときは、右手の楽譜がト音記号でなく、ソプラノ記号で書かれていることに注意)。さらに第33小節では、冒頭の7小節に「ダ・カーポ」する、という文字を書き入れて具体的な記譜は省略されていた。つまり後世の楽譜が依拠した初版の第33小節の「3点嬰ハ」音の方が、モーツァルトに由来しない可能性が高まったことになる。ネットで見ることのできるゾルターン・コチシュの自筆譜版の試奏では、この旋律の変更をはっきり聴き手にわからせるように、この箇所をテンポ・ルバートで弾いている。

 これは大きな発見であり、今後、編集される楽譜はこのヘンレ版・新版のように、第1、33小節とも「2点イ」音の方を採用すると思われる。ただ、それが絶対に正しいかと言えば、そうでもない。例えば、自筆譜を発見したバラージュ・ミクシ氏による報告を同氏の許可を得て要約された畑野小百合さんのレポートによれば、「発表に続く質疑応答では、この点についてフロアのロバート・レヴィン氏からの指摘があった。レヴィン氏によれば、モーツァルトの自筆譜には、五線の上の加線の本数が不足していることが多く(また、五線譜の下では加線の本数が過剰なことが多く)、この場合も作曲家自身の誤記の可能性があるとのこと。」。また、初版はモーツァルトの生前に発行されており、その際に自筆譜には加えられなかった修正が加えられたということもありうる。一例をあげれば強弱記号。「必ずしも自筆譜が初版のテクストより大きな重要性をもっているわけではないということを指摘しておきたい。自筆譜には詳細に書き込まれなかった強弱記号が、初版の出版準備の過程で作曲家自身によって付け加えられるということも確実にあったのだから。(同要約レポート)」。

 相違点1)第1楽章 第5変奏・第5、6小節における右手の上行パッセージの場合はどうだろう。こちらについては、初版(アルタリア版)の記譜には誤植が見られる。この両小節の6拍目には、それぞれ「32音符2つ、16分音符ひとつ、そして16分休符ひとつ」が書かれているが、それでは16分音符(休符)分、小節からはみでてしまう。なので、すでにこの初版の修正版から、それ以前の音符の流れに即した「32分音符3つと、32分休符ひとつ」に修正され、以後の印刷譜もこれをずっと踏襲してきた(新モーツァルト全集も同じ)。にもかかわらず今回、発見された自筆譜には、何と「64分音符2つと32分音符ひとつ、そして16分休符ひとつ」が書かれていた。これで弾くと、他の類似箇所とは違うため最後の部分で急速に語尾をはねあげるような感じになり、聴き手の耳を「おや?」とそばだてる。もしかして今回の自筆譜発見により修正された箇所の中では、楽譜なしで聴いても一番わかりやすい変更点かもしれない。

 以上のように、このK.331(300i)の場合、これまで最も重要な資料であった初版(アルタリア版)と、それに基づく後世の諸版、現代の学者が作ったいわゆる原典版、そして今回発見された自筆譜等との関係は非常に複雑である。それらの相違点が生まれたわけは、初版を作った「当時の楽譜出版社が自筆譜の不明瞭な点を独自に判断して印刷した部分がある」ためだけでは無論ない。「平行箇所と違う」、「以降の和声的継続と明らかに矛盾」、「(両声部が平行8度となるので)おそらく彫版の誤り」等の後世の判断も、結局は誤りであったわけで、むしろ自筆譜の発見により、誤りが多いとされていた初版が実は正しかった、という箇所も結構多かったことがわかった。とはいえ、作者といえども時に誤りはあって、この曲の自筆譜の場合も臨時記号などは省略されている(落としている)箇所が数か所ある。そのあたりが、楽譜校訂の難しいところだ。やはり我々は、先入観なく謙虚に資料に向かうほかないということか。

※この項の最後に、資料の紹介を。
1)K.331(300i)の新たに発見された自筆譜のファクシミリ
http://mozart.oszk.hu/index_en.html
2)ヘンレ版・新版の楽譜と校訂報告(ヘンレ社のサイトで公開されている)
こちら

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