2019年6月16日 (日)

モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)

 Zauberflete さんのブログ「Zauberfloete通信」で、モーツァルトのホルン協奏曲第4番 K.495 等の発想標語「Allegro maestoso」について、いつもながら興味深い考察がなされている。>>「モーツァルトの「アレグロ マエストーソ」」。詳細は上記記事を見ていただくとして、僕が気になったのは、この曲の第1楽章には発想標語の異同のほかに、長さ=<小節数>の異同もあるという点だ。後者の問題については、野口秀夫氏の優れた論考がある>>「《伸縮自在な》ホルン協奏曲 変ホ長調 K.495」。この論文には、いくつかあるバージョンと野口氏が再構成したバージョンを一覧表にしていて、それぞれがどのフレーズを採用、あるいは削除したかが一目でわかるようになっている。これは、いつもながら野口氏ならではの優れたお仕事だ(MID 音源で、実際に音で確認することもできる!)。

 あらかじめ断っておくが、この曲の自筆譜は第2楽章と第3楽章の一部が残されているだけである。野口氏の論文では、以下の資料が検討されている(以下、太字は引用)。

  • プラハ大学図書館蔵アーロイス・フックス・コレクションの総譜筆写譜(1800年直後):229小節(NMA校訂報告:録音なし)
  • アンドレ刊初版(1802年):175小節(AMA:ダム、ブロムシュテット、ドレスデン国立歌劇場O.、NMA付録)
  • ヴィーンの美術工芸社刊パート譜(1803年):218小節(NMA:録音多数)

 このうち一番最初に記された「プラハ版」の標語記号は「Allegro」、2番目の「アンドレ版(初版)」は「Allegro moderato」 、最後の「ウィーン版」は「Allegro maestoso」(ただし、第一ヴァイオリンには「Allegro moderato」と書かれている)ということが、新全集の校訂報告に記載されている(Giegling, 1988)※1。その異同が、この曲の発想標語において解説やCDの表記などでばらばらになっていることの原因になっているわけである。一方、野口氏が主に扱っているそれら3版の小節数の違いは、あまり話題にならないのはなぜだろう※2。それぞれの版は、野口氏の指摘のようにかなり長さに違いがある。モーツァルト作品の演奏実践の場では、新全集(NMA)が出るまでは(いや、新全集が出てもかなりの期間)、旧全集(AMA)やそのリプリントが使われていたことが多い。なので、この論文を読む限り、AMA(=175小節という短いバージョン?)を我々は聴いてきた想定になってしまう・・・

 Zauberfloete さんは先の記事で、「カラヤンが録音に使った譜面には「アレグロ モデラート」と書いてあった確率の方が高いとも思える。」と書かれているが、カラヤンやベーム、バーンスタインなどの大物指揮者は、基本的に新全集は使わない。というか、新全集が出る前に録音された有名なカラヤン&デニス・ブレインの録音は、僕もLP時代から何十回も聴いているが、現代の録音と曲の長さが違うという話は聞いた覚えがない。先週、実際にカラヤン&ブレイン盤を聴き直してみたが、新全集と変わらない218小節であった。一方で、屋根裏部屋に保管してあったオリジナルLP(英COLUMBIA:33CX 1140)の表記も確認してみたが、K.495 の第1楽章は「Allegro moderato」、k.417 の第1楽章は。「Allegro maestoso」と、やはり旧全集の表記(アンドレの初版と同じ)を採用している。これはどういうことか?

 結論から言えば、旧全集(AMA)に、2つのバージョンがあるらしいことがわかってきた。古い楽譜を参照する場合、imslp が便利だが、ここに Leipzig: Breitkopf & Härtel から出された旧全集「Wolfgang Amadeus Mozarts Werke」として、2つの楽譜がアップロードされていた(Serie XII:Concerte für ein Blasinstrument mit Orchester, Bd.2, No.19、「Ernst Rudorff」編)。これは、複数の人がデータを送る imslp ではそれほど珍しいことではない(一般的には、スキャンする解像度などの差がある)。このうち野口氏が参照したものと同じ楽譜と思われる方は、1881年に出版されたもの。こちらは、上記アンドレの初版を元資料にしたらしく、確かに175小節しかない。録音として、ペーター・ダム(Hr)、ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場O. の旧録音盤(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN)が挙げられている。週末に Amazon で取り寄せて聴いてみたが、確かに提示部の構成はアンドレ版(旧全集)と同じでやや短い。ただし、ダムは展開部の途中から再現部の入りにかけてウィーン版に移行しているほか、再現部終わりの部分で同じ音型(2小節分)をくりかえすなど、楽譜を変えている。旧全集を使って録音したというより、おそらく独自の校訂作業を行なっているのだろう※2。

 そして、もうひとつが、旧全集の「1886」年版。同じ「Ernst Rudorff」編で、「Rudorf's revision of the 1881 edition.」と注記されている。全体で2ページ分増えていて、第1楽章は、218小節ある。どのような事情かは不明だが、1881年版が出てわずか5年後に、同じ Plate 番号「W.A.M. 495」のままで改訂がなされたのは珍しいことだろう。1881年版が短いバージョンであったことに対し、当時の研究者から指摘があったのかもしれない。Breitkopf und Härtel からは、19世紀後半に Henri Kling 編で同曲の楽譜が出ていて、こちらも旧全集同様よく使われたのではないかと想像される。ホルン&ピアノ用のリダクション(Nr.2564)が imslp に上がっていて、これを見るかぎりこちらも218小節ある。これら218小節の版の方が、新全集が普及する20世紀後半くらいまで、各指揮者、オーケストラで使われていたのだろう。

※1 モーツァルトの自筆作品目録には、「Allegro」とのみ記載。
※2 残念ながら、こうした情報は日本の音楽学者、評論家が書いた解説等ではほとんど触れられていない。僕が見つけた中では、唯一、ONTOMO MOOK『モーツァルト名盤大全』(音楽之友社)の佐伯茂樹氏の解説(おそらく上記、野口氏の論文を参照したもの)があるのみだ。あと、翻訳ものでは、アンソニー・ホルステッド&ホグウッド盤(オワゾリール)のジョン・ハンフリーズの解説が非常に詳しいだけでなく、正確だ。
※3 ペーター・ダムは、Breitkopf & Härtel から、上記 Henri Kling 版の後継版を出している(Nr.7435)。こちらは、スタンダードな218小節版である。また、同社は最新の Henrik Wiese 編による Urtext edition(P.B.15131)も出していて、こちらもサイトで概要を閲覧するかぎり、218小節版である。>>こちら

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2018年9月23日 (日)

モーツァルトの弦楽五重奏曲の異稿(その2)

 モーツァルトの弦楽五重奏曲では、(その1)で述べたハ長調 K.515 の他に、 ニ長調 K.593 にも異稿問題がある。その時も触れたアマデウスSQの"ドイツ・グラモフォン・オリジナルス"シリーズ盤(UCCG-3898 )のCD解説にはこうある。

「 アマデウスとアノロヴィッツの組み合わせでモーツァルトの弦楽五重奏曲の全曲録音ということで、初期の変ロ長調も録音しなくてはならなくなった。それは1974年にできたのだが、いびつな状態が残った。K.593 の2つの録音とも、最終楽章の半音階的な第1テーマを何者かが「修正」した版をうっかり使ってしまっていたのだ。そこで1975年にウオルサムストウ・タウン・ホールで正しい最終楽章の録り直しを行った。」(タリー・ポッター、中嶋寛・訳)

 その第4楽章のテーマ「修正」が、今回の記事で取り上げる題材。以下は、新モーツァルト全集の前文に掲載された譜例である。

K5931

 初版や旧モーツァルト全集が採用する(下段)ジグザグ形が、新全集では(上段)半音階形に改められた。ただし楽譜のみは、こちらも(その1)で紹介した E.F.シュミットが新全集の正式出版に先立ち1956年にべーレンライターから出したポケットスコアが初出だった。この版では、両バージョンを併記しているらしい。またたまたまだが、今年夏にアマデウス四重奏団の結成70周年を記念した70枚組BOX『アマデウス四重奏団DG録音全集』が出て、修正前の全曲演奏2種と、上記解説中の終楽章「撮り直し」を聴くことができるようになっている※。

 上の譜例に挙げた第1テーマ冒頭の「修正」については、この曲の大抵の解説文に書いてあることだが、当然ながら実際の修正は冒頭の1小節だけではないだろう。なぜなら、同じテーマがくりかえされる度にジグザグ形に直す必要があるから。以下に、フィナーレの自筆譜から第1小節目と第13小節目の修正箇所の画像を貼り付けてみた。

K5932

 第1ヴァイオリンのテーマを斜線で消して、もともと休みだった第2ヴァイオリンのパートに、新しいジグザグ形の旋律を書き足していることがわかる。新全集の編集を引き継いだ E.ヘスはこの変更を第三者によるものと考えているが、 見てのとおりなかなか微妙な筆跡だ。自筆譜においてこのような半音階の下行音型の変更は19箇所に上るという(新全集の全文)。自筆譜全体は確認できなかったが、今回、新旧全集で変更されている下行音型の箇所を数えてみたら、確かに19箇所になるようだ※※。

 このほかに、モーツァルトの死後に出版されたアルタリアとアンドレの出版譜では、加えて半音階で上行する音型も変更していて、それは実際にはかなり手の込んだ仕事となっている(同じように数えてみたら、8箇所あった)。少なくとも150年近くモーツァルトの音楽として聴かれ続けてきただけに、それだけを聴く限り異和感は少ない※※※。H.C.R.ランドンなどのように、モーツァルト自身が、8音の半音階を「全音階的に少し模様替えすることに決心し、自筆譜にこれがある度に骨を惜しまずその箇所に修正した。」という解説をつけている学者もいる(『モーツァルト全作品事典』音楽之友社・刊。ニール ザスロー、ウィリアム カウデリー編)。そのランドンの解説につけられた野口秀夫氏の訳注には、以下のようにある。

「◆終楽章冒頭の主題の変更については『新全集』刊行後も多くの議論がある。変更がモーツァルトの筆跡か否か、他人の筆跡である場合、モーツァルトの意図であるかどうかということである。」(『モーツァルト全作品事典』)

 現在ではほとんどの演奏が半音階形に依っているが、モノラル時代の名盤として知られるバリリ盤などでは、当然ながらジグザグ形が選ばれているので、それを聴くこと自体は難しい訳ではない。近年もチリンギリアン弦楽四重奏団盤やストラディヴァリ四重奏団盤などでは両バージョンを併録しているので、一度は聴き比べていただきたい異稿の一つではある。

※とはいえ、以前3LPセット、3CDセットで出ていた彼らの五重奏曲全集では、終楽章の2つのヴァージョンを両方とも収めていた。
※※第37、39、101、278小節で、複数のパートにわたるユニゾンが変更されている部分も1箇所と数えている。ただし、音楽之友社刊の『作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルトII』では、なぜか16回としている。
※※※ただし、楽章の最終盤で第255小節から3回くりかえされる半音階の下降音型は修正されておらず、個人的には少し気になった。

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2018年9月14日 (金)

モーツァルトの弦楽五重奏曲の異稿(その1)

 少し前、ブログ「Zauberfloete通信」で、モーツァルトの弦楽五重奏曲ハ長調 K.515 について、中間楽章の順番が「メヌエット−アンダンテ」あるいは「アンダンテ−メヌエット」という2つの説があることについて言及があった(>こちら) 。新モーツァルト全集では、初版譜や旧全集の順番を逆転させ後者「アンダンテ−メヌエット」になっているわけだが、Zauberfloete さんが視聴したイブラギモヴァが参加した動画では、逆の「メヌエット−アンダンテ」になっていたという。事情は結構複雑で、参考文献によっていろいろな書き方がなされていることもあって、一般の愛好家に混乱を与えるもとともなっている(僕も上記発言のコメントで一部記述を間違えたので、自分の勉強も兼ねてここで整理しておきたい)。

「 楽章配置は、自筆稿ではアレグロ−メヌエット−アンダンテ−(アレグロ)となっているが,おそらくシュタトラー(Maxmilian Stadler 1748〜1833)と目される第三者の手で中間の2楽章が入れ替えられているため,新全集の校訂者シュミットはアンダンテを先におき,後継者ヘスもこれを残した。しかしアーベルトはメヌエットを先におく楽章配置をこの時期のモーツァルト作品の特徴としており,また,次にくるト短調作品でもメヌエットが第2楽章とされていることからヘスはメヌエット−アンダンテでも可としている。」(『作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルトII』音楽之友社・刊)

「 そのなかのハ長調の曲についていえば、楽章配置でまず疑念が生ずる。というのも、モーツァルトの自筆楽譜では、第2楽章はメヌエット、第3楽章はアンダンテとなっているものの、ウィーンのクラリネット奏者のアントン・シュタトラーか誰かによってこの二つの楽章の順序が入れ替えられてしまったからである。そして、新モーツァルト全集では、アンダンテ、メヌエットの配列にされている。もちろん、この配置に対して反論をとなえる学者もいる。しかし、6曲の弦楽五重奏曲のうちト短調の1曲だけが第2楽章をメヌエットとしていることもあって、新モーツァルト全集での配置が妥当という説も強い。」(アルバン・ベルクSQ盤(TOCE-7067)の解説 )

 これらを読んだ人は、自筆譜において「メヌエット−アンダンテ」となっているかと思うかもしれないが、現在、ワシントンに残っている自筆譜は「アンダンテ−メヌエット」のはず。ちなみに自筆譜の画像(の大部分)は、ワシントンの国会図書館のサイト(https://www.loc.gov/resource/ihas.200154476.0)で見ることができる。これを見ると確かに、2番目に置かれたのはアンダンテ(20ページ目)、3番目はメヌエット(28ページ目)になっていることがわかる。

K5152_2

 しかし、各楽譜のフォリオに打たれた番号(右上)を見ると、第1楽章アレグロの1~10まで(下線付き)はモーツァルトの筆跡らしいのだが、続くアンダンテに書かれた11~14(下線なし)は他の人が振ったものとのこと。新モーツァルト全集の編者E.F.シュミットは、この番号をモーツァルトの意を受けたマクシミリアン・シュタードラーらしき人物が振ったと考えたようである(新全集の前文)。後者の解説でこのシュタードラーをモーツァルトの友人で名クラリネット奏者の アントン・シュタードラー Anton Stadler(1753 - 1812)と混同しているのはまあよくある間違いとしても、両解説とも彼(あるいは第三者)によって「中間の二楽章が入れ替え」られた結果、メヌエットが第2楽章にきていると読めるような記述になっているのはどうか。シュミットの説では、初版で「メヌエット−アンダンテ」という順番だったものを、第三者がモーツァルトの死後に「モーツァルトの意志に基づいて」今ある「アンダンテ−メヌエット」という形に自筆譜の束をまとめ直した、としているのである。それゆえ、アンダンテが先になったと。ちなみにこの変更は、新全集の正式出版に先立ち1956年にべーレンライターから出されたポケットスコアによって紹介されていて、以降、演奏現場でも「アンダンテ−メヌエット」が有力になってきたという事情がある。

 ところが、話はこれで終わらない。シュミットは1960年に亡くなり、その仕事を継いだE.ヘスは、モーツァルトの生前1789年に出された初版がモーツァルトの意思に反したとは考えられないことや、Zauberfloete さんも指摘されているとおり「ト短調の五重奏曲でもメヌエットが先に来て」いることも重視した結果、シュミットの変更に保留をつけている。「編集委員会の意思として、KV 515 の現巻における楽章は、シュミットが再アレンジした順番をフォローするけれども、これら2つの楽章がメヌエット=アンダンテという伝統的な順番で演奏される可能性があることも、ここにあえて強調しておく。(同・前文※)」。その意味では、市販の解説中では、東京書籍・刊の『モーツァルト事典』の記述が、一番正確だろう。

「なお,中間楽章の配列には,初版に基づくメヌエット−アンダンテと,死後おそらくシュタードラー師によって一部ページが打たれた自筆譜に基づくアンダンテ−メヌエットの2つの可能性がある。新全集(E.ヘス)は,一応後者を採用しているが,生前の版でモーツァルト意向が無視されたとは考えられないこと,続くK.516もメヌエットを第2楽章としていることを挙げ,前者の正当性を支持している。」(大久保一氏※※)

 ちなみに「Zauberfloete通信」の記事を拝読したのち、上記アルバン・ベルクSQ盤の楽章表記を見てみたところ、なんと第2楽章が「メヌエットとトリオ」となっていたのでびっくり。でも、時間表記は「8' 24"」とあるので、もしやと思い聴いてみたところ、ちゃんと2トラック目は「アンダンテ」であった。また逆に、往年の名盤・アマデウスSQ盤の"ドイツ・グラモフォン・オリジナルス"シリーズ盤(UCCG-3898 )では、第2楽章が「アンダンテ」という表記になっていたが、こちらは実は「メヌエット−アンダンテ」である。CDの製作者側も音源を聴かずに安易に解説書等からクレジットを引用してくるからこうなるのだろう。上に見たように新全集の楽譜が「アンダンテ−メヌエット」になっているとはいえ、その評価はかなりあいまいである。ラルキブデッリなど古楽派にもメヌエットが先の盤がある。イブラギモヴァがそうであったように、今後「メヌエット−アンダンテ」が復興してくる可能性もかなり高いのではないだろうか。

※新全集の前文等はドイツ語で書かれているが、「新モーツァルト全集オンライン」にはこの前文を英訳したものもアップされている。
※※この『モーツァルト事典』には、以下の記述がありこれはなかなか面白い指摘だ。「ハ長調の弦楽五重奏曲は,全体で1149小節を有し,『ジュピター』の924小節を凌いでモーツァルトの器楽曲中の最大規模を示す。」

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2016年11月23日 (水)

ケルビーノの第3幕のアリエッタ

 「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事で紹介したケルビーノの第3幕の!「アリエッタ」について、書いてみたい。例によって日本語の情報はほとんど見つからない(泣)。まずは現在、僕にわかる範囲で、基本的事項を整理しておこう。

 直前のレチタティーヴォでケルビーノは、バルバリーナから娘姿に変装し「あとでみんな一緒に、奥方様に花を捧げに行きましょう。信用して、ねえケルビーノ、バルバリーナを」と誘われている。で、残されたのはこちらの歌詞だけ。ワシントンに『フィガロ』の初演時に配られたというイタリア語リブレットがある。そこにその歌詞が印字されているという。>この画像も「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事にある。

Cher.Se così brami
                 Teco verrò;
                 So che tu m'ami,
                 Fidar mi vo :
         Purché il bel ciglio            (a parte.
                 Riveggia ancor,
                 Nessun periglio
                 Mi fa timor.

 以下はその私訳。

ケル(ビーノ).もし あなたが お望みとあれば
                "汝とともに" やって来るでしょう;
                あなたが わたしを愛していることを 知っています、
                わたしを 信じてくださることを 望みます:
         もしも 美しい "目"が            (立ち去る)
                再び 見たとしても、
                いかなる "剣呑”もない
                私を恐れさせるような。

 自筆総譜(2巻目)の第63ページには、これも前に触れたように右端欄外に「Segue l'arietta di / Cherubino.」とあり、一旦、赤いクレヨンで「20」と書かれていて、この数字は横棒線で取り消されている。さらにその下には、「/: dopo l'arietta / di cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」と注記が続き、再び赤いクレヨンで「21」とあり、これも横棒線で取り消されている※1。これらの赤字の番号は曲のナンバーであり、モーツァルト自身が書いたものではないが、当時の上演時に遡ることができると考えられている。自筆総譜における前後の記述(曲番号)を整理しておくと、以下のとおり(これらは注記のない限り、赤クレヨンで書かれている)。

・ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロ、スザンナの6重唱:「19」
・(ケルビーノのアリエッタ「20」)
・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア:「21」と書いて「1」の文字の右上にくっつけて「0」と上書きで訂正
・スザンナと伯爵夫人の2重唱:「22」と書いて横棒線で取り消し
・娘たちの合唱:「23」
・フィナーレ(マーチ):「24」
・2人の娘の歌:「25」
・合唱:「26」と書いて横棒線で取り消し。ただしその訂正は鉛筆。
(参考 第4幕の冒頭、バルバリーナのカヴァティーナ:「27」と書いて「25」と上書きで訂正。あるいはその逆?※2)

 これら曲番号の訂正を見ると、我々の「アリエッタ」の削除は、曲全体に影響を及ぼしている。リブレットに歌詞が印刷してあったことも合わせて考えると、曲中に確実に含まれていて、かなり初演に近い時期まで伯爵夫人のレチタティーヴォの前に「あった」、あるいは「あるべき」と思われていたと推定されるのである。そして、少なくともこれら楽譜が総譜としてひとまとめにされ、全体にこれも赤いクレヨンでページ番号が振られる前には、「消えた」ということになる。新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編者、ルートヴィヒ・フィンシャーは、序文の中でこの「アリエッタ」について短く触れて、「第12番の<恋とはどんなものかしら>と、韻律学上、同じ長さと節構造とを持っていることは、おそらく偶然の一致でなない。」と意味深なコメントをつけている。モーツァルトはこの曲を実際に作曲したのだろうか、それとも助長だと考え、組み込むことをあきらめたのだろうか。興味はつきない。

※1 ちなみにこれらの注記は特別なものではなく、どのレチタティーヴォにも終わりに次の曲の指示が書かれている。元々これらはばらばらな楽譜の束なので、どこに続くかを一目でわかるようにしているのだろう。無論、この「アリエッタ」の場合、2度、別々に注記されたことの意味は、もっと良く考えてもいいだろう。
※2 ※1とも関連があるが、ここで見た第4幕冒頭のバルバリーナのカヴァティーナは、どうやら後から追加されたようだ。自筆総譜では、元々、その後に続く(現在の)「シーン2」=フィガロ、バルバリーナ、マルチェリーナのレチタティーヴォの方の楽譜に「シーン1」とあり、その左上に「/: dopo la Cavatina di Barbarina:/」(バルバリーナのカヴァティーナのあとに)と記されている。これは明らかに後から記載されたもの。つまり、あの短くも美しい夜の曲は、最初の構想にはなかったということになる(あるいは、最初の構想では第4幕の冒頭の位置にはなかった、ということ)。

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2016年11月21日 (月)

訂正とお詫び(「パルピト」?「パールピト」?記事について)

※2016年10月28日付けの『「パルピト」?「パールピト」?』と題した記事について、訂正とお詫び>>元記事はこちら

※上記記事で私が引用し、「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、「パールピト」という歌詞割りに関して私が書いた内容は誤りであったことをご報告いたします。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

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2016年11月20日 (日)

モーバリ・レイバーン仮説(その3)

 前回、前々回に紹介したモーバリ・レイバーン仮説のその後について。

 1970年代にカラヤン/ポネルの一連の上演・録音で一般に知られるようになった第3幕の曲順変更だが、その後、1990年代になって古楽系の演奏家たちがこの仮説に従っている。CDではガーディナー盤(1993、LDもあり)、マルゴワール盤(1996)、クイケン盤(1998)がある。古楽器演奏ではないが、この種の情報に目敏いアバドの全曲録音(1994、1991のLDもあり)もある。DVD(映像)では(その2)で触れたプリッチャード盤(1973)、ベーム盤(1975-76、1980の2種)の後では、ハイティンク盤(1994)があった。またアーノンクールは、1993年録音のCDでは従来どおりの曲順だったにもかかわらず、1996年のチューリヒでの上演記録(DVD)ではモーバリ・レイバーン仮説を採用している(ユルゲン・フリム演出)。

 ところが、その後がなかなか続いていかない。最近では、2003年録音の David Parry のCD(英語歌唱)、あるいは2006年収録のパッパーノのDVDがあるくらいだろう。2000年以降は、古楽系でも採用は減っており、ヤーコプス(2003)や最近評判のクルレンツィス(2012)は、新全集どおり。さらにアーノンクールも、2006年のザルツブルク音楽祭や、こちらで触れた最新のコンサート形式での上演(2014)では、楽譜どおりの順番に戻してしまった。これらの結果から考えると、最終的にモーバリ・レイバーン仮説はフィガロ演奏の主流とはならなかった、と言えるかもしれない。

 以上は、演奏史上の話。他に文献学的に見ても、上記仮説を裏付ける資料は発見されておらず、定説とはなっていないのが現状である。ガーディナーは自身のCDおよびLDでは上記のようにモーバリ・レイバーン仮説を採用したが、それは「ドラマティックな一貫性を強化するため」の「妥協策」とはっきり書いている(ガーディナー盤に掲載されているガーディナー自身が書いた「《フィガロ》の曲順を考える」というライナーノーツから。磯山雅・訳)。さらに「アラン・タイソンは、1981年に、自筆総譜にはこの仮説を裏付ける証拠がないことを示した。」とし、根拠としてタイソンの「《フィガロの結婚》:自筆総譜からのレッスン」(The Musical Times, 122 (1981), 456-461ページ)というエッセイの名を挙げている(原題 'Le nozze di Figaro: Lessons from the Autograph Score')※1。

 ということで「百聞は一見に如かず」。モーツァルトの自筆譜を見てみよう。このオペラの第3・4幕は、2分割された自筆総譜の後編に含まれている。校訂報告書によれば、これらの楽譜はもともとばらばらなパーツに分かれており、それらは2つ折の横長用紙を2枚重ねたもの(結果、8ページ書くことができる)、あるいは2つ折の横長用紙(4ページ書き)、単葉の横長用紙(裏表2ページ書き)などの組み合わせから成っている。さらに今回話題になっている伯爵のレチタティーヴォとアリア(自筆総譜=新全集では「No.18」※2)、六重唱(同「No.19」)や、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア(同「No.20」)等は、ちょうど新しい五線紙の左端から曲を書き始め、数枚の用紙を使っていったあと、最終的に用紙の右端で曲を終えている。つまり五線紙の途中で次の曲の頭を書いていないので、このままでは曲順を入れ替えていたとしてもその判定は難しい。だが、曲頭に付けられたシーン番号等を見る限り、総譜自体の曲順は、現行の曲順どおりになっている。また、初演時(1786年5月)に発行されたリブレット(台本)がワシントンに残っているが、そのファクシミリを見ても現行と同じ順番になっている。

 さらに重要な点がある。通常、「No.19」のセステットのすぐあとに置かれるマルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォの最後に、「私たちの喜びを見て、伯爵がくたばってしまえばいい」と四重唱で歌われる部分があるが、これは第62ページの上半分に書かれている。そしてその下半分および第63ページの1、2段目にかけて、バルバリーナとケルビーノのレチタティーヴォが書かれている。つまり、この2つのレチタティーヴォは、少なくともそれらが書かれた時点でつながっていたことになる。また、この自筆総譜で圧巻なのは、このあと・・・実は、第63ページのおしまい=右端欄外にこんなことが書かれている。

「Segue l'arietta di / Cherubino. 」

 これは「ケルビーノのアリエッタが続く。」という意味。さらにその下に、

「/: dopo l'arietta / di Cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」※3

 つまり、ケルビーノのアリアのあと、シーン7:伯爵夫人の楽器伴奏付きレチタティーヴォとアリアが始まる、というわけである。ケルビーノの独唱曲は第1、第2幕にそれぞれ1曲づつあるのは「フィガロ」好きなら誰でも知っていると思う。が、第3幕のアリエッタ(小アリア)とは、初耳の方も多いだろう。ただ上記、初演時のリブレットに、なんとこの失われた曲の歌詞が掲載されている(第67ページ)。

Cherubino3

 でも、この曲が現在、存在しないのはご存知のとおり。印字されている歌詞を、<誤り>と感じた誰かが、鉛筆のようなもので消したあとが、リブレットに残されている。このまぼろしの曲との関係も、モーバリ・レイバーン仮説の是非を考えるに重要だと思われる。しかし今の僕には、まだはっきりできていないことが多過ぎる。このアリエッタについては、いずれ近いうちに新たに稿を起こして考えてみたい。

※1 ただ、これは上記タイソンのエッセイにも書かれていることだが、『フィガロ』の自筆総譜の後半部(第3・4幕)は、『魔笛』全巻などともに戦後、行方不明になってしまい、モーバリとレイバーンはそれを参照できなかった(後にポーランドで再発見されるのだが、それは新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編纂時=1973年にも間に合わなかった)。以上、お二人の名誉のために付け加えておく。
※2 曲のナンバリングは、総譜に赤いクレヨンで書かれている。これらの数字はモーツァルト自身が書いたものではないが、パート譜とも一致するので当時の上演時に遡ることができると考えられている。
※3 些細な違いだが、校訂報告書には「di cherubino, viene」の個所で、「, 」が抜けている。ファクシミリでははっきり見えるので引用者で補っておいた。

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2016年11月16日 (水)

モーバリ・レイバーン仮説(その2)

 前回ご紹介した「モーバリ・レイバーン仮説」に関する記事の続き。ロバート・モーバリとクリストファー・レイバーンが、「フィガロ」第3幕の現行の曲順は、歌手の都合でやむを得ず変更されたもので、そのためいろいろな不都合な状態がある、と推定した根拠を紹介する(つまり、現行の第3幕の曲順における難点である。以下、「Mozart's Figaro: The Plan of Act III」(1965) から自由に紹介。なお(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)

1)舞台裏で行われたはずの<裁判の場面>は、伯爵のレチタティーヴォとアリアのあいだで行われたとするには、十分な時間が与えられていない。
2)ケルビーノとバルバリーナとのあいだの会話が、劇の進行上、もっと前の位置にないと、ケルビーノが村の娘たちに交じって伯爵夫人に花を捧げるために変装したりする時間が十分に取れない。
3)スザンナは伯爵とデュエットを歌った後、すぐに伯爵夫人にそのときの様子を報告するため、夫人を探しに行ったはず。現行の曲順ではずっと後の場面までそうしていないことになる。(伯爵夫人は第8場でまだ「スザンナは遅いのね?」と言っていて、)その事実を知る度、私たちは驚かせられる。さらにフィガロの借金を穴埋めするためのお金・銀2000を、どこで調達したかがわからないという余計な疑問を引き起こしている(早い場面で伯爵夫人に会ってさえいれば、夫人にお金を工面してもらったということが想定できる)。
4)台本作家のダ・ポンテが、(彼がそう意図しなかったのなら話は別だが)数ページ早過ぎる場面でスザンナに「この出来ごとを奥様と伯父とにご報告してきます」と言わせるよう書くべきだったことは、同じようにミステリアスだ。(早すぎる場面で「報告する」と言わせたので、その結果)女主人に深い信頼を受けているスザンナが、自らの明白な勤めを論点3)に続き今回もすぐに果たさないことを私たちは信じるように仕向けられてしまう(第8場まで来ても、まだ伯爵夫人はことの成り行きをいっさい知らされていない!※1)。
5)「スザンナは遅いのね?」の場面(第19曲)から手紙の二重唱(第20曲)までのあいだに、モーツァルトはあまりに短い間隔しか許さなかった。そこに少し配慮が足りないことに対し、女性歌手たちが不満を持っていることが知られている。

 こうしたいくつかの課題・難点が、前回の記事で触れたように第7、8場を第4場と第5場のあいだに移動するということで、魔法のように解決できるというので、このモーバリ・レイバーン仮説はいかにも魅力的に映ったらしい。以後、第3幕の曲順を入れ替える演奏が現れてくるようになった。例えば、岸氏の記事にも触れられているが、セッション録音で言えば、1971年に録音されたコリン・デイヴィスの「フィガロ」全曲盤がモーバリ・レイバーン仮説を採用していて、これは最初期の例だろう※2。が、影響力から言えば、名演出家のジャン・ピエール・ポネルが、ザルツブルク音楽祭での「フィガロ」上演で採用したのが大きかったのではないだろうか(1972年7月)。しかもこのときの指揮は、帝王カラヤン。このあと同プロジェクトは1976年まで毎年再演され、さらに翌77年に実現したカラヤンのウィーン国立歌劇場への復帰公演でも取り上げられ、さらにデッカによりLPにもなった(1978年)。ちなみにカラヤンの同録音CD(POCL-2331/3)に付された石井宏氏の解説に、モーバリ・レイバーン仮説が簡潔に紹介されており、以下のような興味深い注釈が付けられている(のちにこの解説は、LONDON というレーベルで出ていた国内版LP/SLD 7001-4から転用されたものと判った)。

(なおクリストファー・レイバーンChristopher Raeburn は長年ロンドン/デッカの制作部長であり、このレコードのプロデューサーであるが、カラヤンはすでに1973年から彼の説を採用してきている。)<<引用者注・先述のように1972年からが正しいと思われる。

 これらからカラヤンのデッカへの録音が、我が国においてモーバリ・レイバーン仮説を広めたきっかけとなったのは間違いない。またカール・ベームには1975-76年に撮影した映画版「フィガロ」があり、ここでも演出はポネルが担当しているので、やはり第3幕の曲順を入れ替えている。こうした先例が1970年代にすでにあったのは事実で、岸氏が言うように1980 年のベームの来日公演が、この点で<分岐点>と呼べるものだったかどうかは微妙なところだ。ただ当該公演は、海外の一流歌劇場の本格的引っ越し公演のハシリであったのも事実で、そこでモーバリ・レイバーン仮説が採用されていたことも、決して意義のないことではないだろう。

 さてその後、この仮説の扱いはどのように推移していったろうか。その点は、また次回に。

※1 先の論点3)にも関わることだが、この場面で伯爵夫人が語っている台詞を見る限り、スザンナは伯爵と会ってから一度も報告をしにいっていないことがわかる。
※2 1973年にグラインドボーン音楽祭で収録されたプリッチャード指揮のDVDも、モーバリ・レイバーン仮説を採用していた(ピーター・ホール演出)。

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2016年11月15日 (火)

モーバリ・レイバーン仮説(その1)

 1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演で、往年の名指揮者カール・べームはモーツァルトの傑作『フィガロの結婚』を指揮した。先月末からこのサイトでは、その上演が我が国のこのオペラの受容史上、重要な「分岐点」にあたるとした岸純信氏の説について考えている(『レコード芸術』2016年11月号所収)。その文章を再掲しておこう。

「一つが、第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせたこと。(新全集では取り乱した側の音型と判断)。次に、第3幕の曲順を変え、伯爵夫人のアリアを六重唱の前に置いたこと。現行の曲順は、初演時に兼役した歌手の着替え時間を稼ぐためとする仮説に拠る配置替えである。
 そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(p.50)

 このうち、第1点目の「コロラトゥーラ」についてはこちらで、第3点目の「パールピト」についてはこちらで検証した。では、第2点目に挙げられている「第3幕の曲順」についてはどうだろうか、というのが今回の検証テーマである。まずは、モーツァルトのスコアどおりの曲順を示す(ここでの曲番は、便宜上モーバリたちの論文に合わせたナンバリングにしてある=旧全集。新全集は、自筆譜に合わせ1番づつ加えた番号になっている)。

第1場(伯爵のレチタティーヴォ)
第2場(伯爵夫人とスザンナ、その後、伯爵とスザンナのレチタティーヴォ~第16番・伯爵とスザンナのデュエット)
第3場(フィガロとスザンナの短いレチタティーヴォ)
第4場(第17番・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18番・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(第19番・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10場(伯爵夫人とスザンナのレチタティーヴォ~第20番・伯爵夫人とスザンナのデュエット)
第11場(第21番・娘たちの合唱~バルバリーナ、伯爵夫人、スザンナのレチタティーヴォ)
第12場(アントニオ、伯爵夫人、スザンナ、伯爵、ケルビーノのレチタティーヴォ)
第13場(前場の5人にフィガロが加わったレチタティーヴォ~第22番フィナーレ)
第14場(フィナーレの続き)

 このうち第7、8場を、第4場と第5場のあいだに移動するというのが、岸氏の言う「仮説」である。実際に上記のベームの日本公演を記録したDVDを見てみると、第3幕(特に中間部)は、下記のような配列になっている(前後部分は記述省略)。

第1~3場
第4場(第17曲・伯爵のレチタティーヴォとアリア)
第7場(バルバリーナとケルビーノの短いレチタティーヴォ)
第8場(伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア)
第5場(ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロのレチタティーヴォ~第18曲・前の5人にスザンナが加わった六重唱)
第6場(マルチェリーナ、バルトロ、スザンナ、フィガロのレチタティーヴォ)
第9場(アントニオと伯爵の短いレチタティーヴォ)
第10~14場

 これは元々、今から半世紀も前、ロバート・モーバリ(Robert Moberly)とクリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)によって書かれた論文「"Mozart's Figaro: The Plan of Act III", Music & Letters, Vol. 46 No. 2 (April 1965), p.134-6」で提唱された説である。3ページほどの短いものであり、今回、勉強も兼ねて取り寄せてみた。

 その中でモーバリとレイバーンは、このオペラの第3幕について「先行する各幕に比べある箇所では劣っている(inferior)ように見える」とし、「私たちの考えるところでは、その構造上の弱点はプランの変更に伴うものと思われる」と書いている。つまり、元々の台本は彼らが提案した「第4、7、8、5、6、9場」の順であったものを、作曲の段階で変更したのでは、というのである。その理由として二人が挙げたのは、初演時、バルトロとアントニオの役をひとりの歌手が兼役していたので、第6場と第9場の間で衣装を着替える時間がなかった、というもの。そこで、モーツァルトたちは、その間に今の第7、8場にあたるシーンをあいだに挟み込むことで、バルトロ(第6場)からアントニオ(第9場)に着替える時間をかせいだ、と考えたわけである。第7場のレチタティーヴォと第8場の伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアは、このオペラの原作にあたるボーマルシェの劇にはなく、移動可能なもの(movable)だった、からでもある。

 ただその「プランの変更」が原因で、現行の曲順には劇の進行上、いくつか無理が生ずることになった、とレイバーンたちは主張する。以上、長くなったので、次回にその主張の根拠を紹介したい。

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2016年10月28日 (金)

「パルピト」?「パールピト」?(訂正版)

 先日の記事で、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』について、オペラ研究家の岸純信氏によるこのような言及を紹介した。

「そしてもう一つが、ケルビーノの名アリア〈恋の悩み知る君は〉の一節 "palpito 胸のときめき" が「楽譜どおりに歌われた」こと。筆者は当時ピアノ伴奏を始めており、歌手の卵が譜面通りに「パールピト」と伸ばさず。勝手に16分音符に変えて「パルピト」と畳みかけるので苛立っていた。しかし、放送翌日からみな一様に記譜通りに歌いだしたので、目を丸くしたのである。」(『レコード芸術』2016年11月号、p.50)

 この指摘は、カール・ベーム指揮のウィーン国立歌劇場の日本公演(1980年)についてのもの。残されたDVDを見てみたが、実際、ケルビーノ役のアグネス・バルツァは、54〜55小節目にかけて「palpito e tremo」という歌詞を、「パールピト エ トレモ」と歌っている。ただ、実際の現場では、岸氏の言うように歌手たちの対応は分かれているようだ。ケルビーノが当たり役だった歌手で言えば、テレサ・ベルガンサは「パルピト」派のようだ(ジュリーニ(L)、クレンペラー、カラヤン(L)、アバド(L)、バレンボイム)。一方、エディト・マティスは、「パールピト」と延ばし気味に歌っている(ベーム(L)2種)。他のCDを聴いても、結構、対応は分かれているので、興味のある方はご手持ちのCD等で確認していただけると、なかなかおもしろい結果が得られるのではと思う(実際、僕はCDをとっかえひっかえし、しばし楽しませてもらった)。

 ここで、念のため楽譜を見てみよう。

Cherubino24_2Cherubino25_2

Cherubino23_2

 上(2分割されたもの)が旧モーツァルト全集、下が新モーツァルト全集から、53小節後半から55小節目を引用した。微妙な違いではあるが、旧全集をあえて「8分音符/16分音符/16分音符」に分けて文字化してみると「パル/ピト/エ」、新全集は「パル/ピ/トエ」と表すことができる。この「パル」の部分は8分音符なので、岸氏の指摘どおり「パール」と延ばすのが正しいと言えば正しいのだろう。イタリア語辞典を見ると「palpito」の場合、「pa」の「a」にアクセントがあるようなので、そのことも「パール」と延ばし気味にすることを支持する。

 ところで、ここで話を終えるなら、あえて僕がこの記事を書くまでもなかっただろう。というのも疑い深い僕はここまで調べた後で、「念のため」とモーツァルトの自筆譜(ファクシミリ)を見てみたのだが、やはりことは簡単ではなかったのだ。そこでは、こんな風に記されていた。

 これを素直に見る限り、「パルピ/ト/エ」と分けるようにも読める。モーツァルトは歌詞を音符ごとに書き分けているわけではないので、断言まではできないが、少なくとも「パール」と延ばすのが絶対に正しいとは言いにくいのではないか。実際、最後の「e」だけは、短い斜め線で区切られているので、小節末の16分音符で「トエ」と畳み込むように歌う新全集の歌詞割りは、間違いとしか言いようがない。

(2016/11/21の重要な修正)
※上記記述で引用し、僕が「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、確かに始めの8分音符については、その音符の下に「pal」が書かれていました。つまり、この部分については新全集の歌詞割りで間違いがありません。残りの16分音符2つについては、明確な歌詞の書き分けはしていませんが、新全集の「pi/to e」で間違いないと思われます。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

Palpito1

 (古い筆写譜には、「パルピ/ト/エ」と歌詞割りした楽譜もあったようだ。なので最後に、「パルピ/ト/エ」と歌っている録音がないか探してみたところ、なんと僕が10代の頃から最も愛聴していたアリア集の中にそれに近いものがあった。エリザベート・シュワルツコップがジョン・プリッチャード指揮で歌った盤では、この個所を「パルピー/ト/エ」と歌っているように聴こえる。厳密には、歌い出しが少し遅れ気味に入るので、16分音符3つに「パル/ピー/トエ」と当てはめているというべきだが。録音は1952年。これは彼女独特の表現のひとつだろうか。あるいは、どこかにこのように歌詞割りした楽譜があるのだろうか。詳細は不明だが、実際、この盤ほど言葉が明晰に聴こえるアリア集はほかにはない。同じケルビーノの「自分で自分がわからない」などを聴く度に、歌詞の丁寧な扱い、精緻さを極めた表現は、まさに空前絶後の域に達していると思わないではいられない。もし未聴の方がいらっしゃったら、ぜひ一度お聴きください

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2016年10月27日 (木)

伯爵夫人とスザンナ(その5)

 先日の発言の続き。

 『レコード芸術』2016年11月号で、オペラ研究家の岸純信氏が、1980年11月、ウィーン国立歌劇場の初来日公演でカール・べームが指揮した『フィガロ』において「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来のスザンナでなく伯爵夫人に歌わせた」と書いていたことに関する検証について・・・。ちなみに、この公演での配役は以下のとおり。

スザンナ ルチア・ポップ
伯爵夫人 グンドゥラ・ヤノヴィッツ
伯爵 ベルント・ヴァイクル

 当然ながら、ポップとヤノヴィッツがうたう声部の比較になる。(その4)でも触れたが、僕個人は従来から主に声質での区別などからポップの方が「くねくね音型」を歌っていると判断していた。しかし、声質の区別には聴き手の側の個人的判断が関わるので、以下の検証では主にDVDに残された映像、そして歌唱パートの比較によることとしたい。

 三重唱の始めの部分は、この項の(その2)で見たように、新旧全集ともにスザンナが高いパートを歌う(自筆譜がモーツァルトによってスザンナ・パートを高くするよう訂正されているため)。46小節以降は、自筆譜の訂正が行われていないので、新全集は伯爵夫人が高いパートを歌うバージョンを採用する。そして高い音部のまま、51小節目のコロラトゥーラ音型を伯爵夫人に歌わせる。つまり、ここから両全集に大きな差が現れる。

検証点1) 45小節の末尾から、スザンナが高いパートで「capisco qualche cosa」という歌詞で歌い出すのが旧全集。伯爵夫人は同時に「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞を低いパートで歌う。一方、同じ個所で高いパートを伯爵夫人の方が「Bruttissima e la cosa, bruttissimae・・・」という歌詞で細かく歌うのが新全集。スザンナは八分音符2つ分遅れて46小節から「capisco qualche cosa, capisco・・・」と低く歌うことになる。この場面、DVDを見ると画面が舞台全体を引きで捉えており、左にヤノヴィッツが、真ん中にヴァイクルが、そして左端のカーテンの陰にポップが立って歌っている。画像が荒いので断言まではできないが、音楽を聞く限り高いパートの歌詞は、「Capisco qualche cosa: Veggiamo come va.」(なんとなく様子がわかったわ/成行きを見てみましょう)と聴き取れる。つまり旧全集。

検証点2) そのすぐあと、例のコロラトゥーラ音型の部分。ここも画面は引きのままだが、音型に合わせて口が動いて(開いて)いるのは、ポップの方のように見える。ヤノヴィッツの口は、1小節遅れて52小節目から「cosa sara」と歌っている。もしこの公演で新全集が使われていたなら、ヤノヴィッツの口が開き続けていて、ポップの方が1小節遅れて「coma va」と口を動かしていなければならない。

検証点3) これ以下、検証点1と同様、高いパートの歌詞を見ていけば、スザンナが歌っているのか伯爵夫人が歌っているかを聴き分けられるのだが、わかりやすい個所として曲の末尾の部分を挙げておこう。3回目のコロラトゥーラ音型が出て、その後、スザンナは「qui certo nascera.」という歌詞を3回くりかえす。一方、伯爵夫人は、「schiviam per carita.」という歌詞を3回くりかえす。DVDでは、高いパートを歌う歌手の声が、1回目および3回目に「qui certo nascera.」と歌っている。ここも旧全集バージョン。

 以上、僕が検証した限りでは、「第2幕の三重唱でハイCに至るコロラトゥーラを、従来どおりスザンナが歌っている」と判断されるがどうだろうか。公演日によってパートを交換したというようなことがない限り、べームの1980年公演ではこの個所は聴き慣れた旧全集バージョンで歌われたのではないだろうか。では、なぜ岸氏は新全集を採用したように聴いたのか? ひとつの手がかりとして、1986年3月に行われたウィーン国立歌劇場の日本公演でも、伯爵夫人役はグンドラ・ヤノヴィッツであった(スザンナはバーバラ・ヘンドリック)。もしかして、こちらではヤノヴィッツが高いパートを歌ったのではないだろうか。無論、今の時点ではただの想像に過ぎないけれど(記憶ではこの時もテレビ放送があり、僕も見たはずなのだが・・・)

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