2019年9月 8日 (日)

ロンド K371 の見つかった「60小節」(その3)

 少し間が空いたが、モーツァルトのホルンのためのロンド変ホ長調 K.371 について、追加でいくつかの論点を挙げる。というのも、通常、モーツァルトのホルン協奏曲は、ヨーゼフ・ロイトゲープ Joseph Leutgeb(モーツァルトは、「ライトゲープ Leitgeb」と綴る)のために書かれたとされている。これは協奏曲の自筆譜中に「レイトゲープ」の名が何度も書かれていることからわかるのだが、一方、K.371 の方はどうやらそうではなかったようだ。というのも、ロイトゲープ自身がこのロンド(と想定されている)曲について、後年、「まったく知らない」とモーツァルトの妻コンスタンツェに伝えていたことがわかっている(1800年5月31日付け、コンスタンツェからヨハン・アントーン・アンドレへの手紙から)。では、誰の演奏を想定して、書かれた曲だろうか。

 ちなみにこの曲の自筆譜には、(その1)の注でも触れたように「Vienne ce 21 de Mars 1781」、つまり1781年3月21日という日付をモーツァルトは書いている。モーツァルトがウィーンに到着したのは同月の16日朝なので、まさに着いてすぐの日付である。アブ・コスター(hr)、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジーク「モーツァルト:ホルン協奏曲集」(Vivarte / Sony)における、ロバート・D.レヴィンのCD解説には、こうある。

「コロレード大司教の随行者のひとりとしてモーツァルトが1781年に行ったザルツブルクからヴィーンへの旅行中に(訳注1)、モーツァルトはホルン奏者のヤーコプ・アイゼン(1756-1796)に会ったようである。1781年3月に彼はアイゼンのために変ホ長調の2楽章の協奏曲を下書きした(訳注2)。」(「モーツァルトのホルン協奏曲」、1993)

 ここで、訳者のM氏がいつもながら饒舌な訳注をつけているのがおもしろい(>>拙稿「アントーン・シュタートラーは首席奏者ではなかったのか?(その1)」を参照)。訳注の1「正確に言えば、大司教一行はザルツブルクからヴィーンを訪問したが、《イドメネオ》上演のためにミュンヘンに滞在していたモーツァルト自身は、命令にしたがってミュンヘンから直行した。」という指摘は(特に必要とも思えないまでも)まだ普通。だが、訳注の2「文中に根拠が示されていないので、アイゼンと出会って彼のために書いた、というのはレヴィンの大胆な推定と考えられる。(後略)」という記述については、少し補足が必要なように思われる。というのも、このCD自体1993年の発売だったが、ヤーコプ・アイゼンのために書かれたという説自体は、その30年前、1963年には新モーツァルト全集で編者のフランツ・ギークリングが提起していたものである。(同じCD解説書の自らの解説文で、新全集のこともギークリングのことにも触れているにもかかわらず、)なぜそのことを一行も書かずに、レヴィンの説のように注記し、しかもこの後、否定的な文脈で紹介するのかは正直、不明だ。

 ギークリングが新全集の序文で指摘、重視しているのは、上記コンスタンツェの手紙の続きに、以下のようなことが書かれている点である。

「アイセンあるいはアイゼンのようなお名前の未亡人、国立劇場のホルン奏者の未亡人が、ホルンのオリジナル・スコアをお持ちになっているに違いありません。ヴラニツキーが彼女を知っています。モーツァルト自身が彼女の夫にオリジナルの手稿譜を渡しました。」

 アイゼンは、クラリネットのシュタートラー兄弟とともに、ウィーンの「帝国王室吹奏楽団」の8名のメンバーの一人であることが知られているが、ここではさらにモーツァルトから楽譜=曲を贈られるほど親しかったということがわかる(※1)。ただここで公平性を期すなら、この一連の記述については別の見方もあることにも触れておきたい。例えば、この項の(その2)で紹介した野口秀夫氏の論文でも、

「ギークリングはこの手紙に基づきアイゼンが持っていたものと考えたのだが、よく読むとコンスタンツェは K.371 のオリジナルを既に持っており、それをロイトゲープに見せたところ知らない曲だと言われたのだと読める。しかもアイゼン夫人が持っている筈のものはホルン協奏曲ではなくて、単に「ホルンのオリジナル」だと書いてある。むしろこれは K.487 を指すと考えられる。また別の可能性として、コンスタンツェは確かにアイゼン夫人と面識がないが、モーツァルト自身が生前にアイゼンからオリジナルを返却されていたのではないかと指摘する向きがあるかもしれない。しかし、コンスタンツェの手紙のニュアンスではアイゼンは亡くなるまでモーツァルトのオリジナルを手元にきちんと保管していた人物のようである(モーツァルトに返却していないという意味)。ということでアイゼン説には大いに疑問がある。」「Wolfgang Amade? Mozart(その1)-手稿譜における署名の状況- ホルンと管弦楽のためのロンド変ホ長調K.371は誰のために書かれたか?」

 なるほどこれは一理あって、確かに上記コンスタンツェの手紙でも、ロイトゲープが知らないと証言した「ホルンとオーケストラのためのロンド」と、アイゼン夫人が(今も)所有する「ホルンのためのオリジナル・スコア(※2)」とは同一のものとは書いていない(K.371 の不完全な楽譜は、アイゼン夫人の手にはなくコンスタンツェがすでに持っているということ)。ただこのことは、K.371 のロンドがアイゼンのために書かれたという証拠にこそならないとはいえ、その逆の証拠にもなっていないのではないか。特に、楽譜を誰がどのように保管・管理しているかは多分に偶然によるものであって、アイゼンを「亡くなるまでモーツァルトのオリジナルを手元にきちんと保管していた人物」と決めつけるような考えは廃すべきだろう。

 なお、ギークリングのアイゼン説の根拠としては、ほかに曲の内容・性格にも及んでいる。この点については、次回に。

※1 1783年刊のクラマーの「音楽雑誌 Magazin der Musik」による。詳細はこちらを参照)。
※2 野口氏の訳では訳されていないが、原文は「Originalpartituren」つまりパート譜ではなく総譜である。

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2019年7月 4日 (木)

ロンド K371 の見つかった「60小節」(その2)

 モーツァルトの(ホルンとオーケストラのための)ロンド K.371 において、前世紀の末になってようやく紛失していた中間部の60小節の自筆譜が発見されたという話題の続き。(その1)では、発見前の自筆譜(既存譜)の状態について見てみたが、今回は新たに見つかった方の楽譜を見ていく。

<新2枚目表・新3ページ目>
 全12段のうち、上下2段づつには音符等を記入せず、真ん中の8段だけ使用している(これは、既存譜と同じ)。楽器指定はなし。1段目の上に、ニッセン等の手で、「私は信用する。これらはホルン・コンチェルトの一部だと・・・」というような意味のコメントが書かれている。右上には「フォン・モーツァルトと彼の筆跡」とも。1ページ目には、冒頭から15小節目までを記入。これは全体としては、27小節目から41小節目にあたる。既存譜の2ページ目から続いているため、スコアとしてほぼ完成している。

<新2枚目裏・新4ページ目>
 このページには、続く16小節目から30小節目までを記入(全体としては、42小節目から56小節目まで)。なぜか、独奏ホルンのパートしか記されていない。

<新3枚目表・新5ページ目>
 31小節目から44小節目までを記入(全体では、57小節目から70小節目まで)。ここも独奏ホルンのみで、41〜43小節のみ第1ヴァイオリンの合いの手が記入されている。

<新3枚目裏・新6ページ目>
 こちらには、45小節目から最後の60小節目までを記入(全体では、71小節目から86小節目までとなる)。やはり独奏ホルンのみで、57〜60小節のみ第1ヴァイオリンの合いの手が記入されている。

 これら4ページの楽譜のあとに、前回見た旧3ページ目=新7ページ目、および旧4ページ目=新8ページ目が続く形が、このロンドの本来の姿であった。以下、残りの自筆譜の状態も見ておこう。

<新5枚目表・新9ページ目>
 ここからは、新たな2枚折り用紙(4ページ)、2枚重ね(計8ページ)になる。旧55小節目から同69小節目までを記入(新115小節目から129小節目)。ここは前ページに続きフルでの記譜になっているが、旧66小節で短調のC部分に移行し、独奏ホルンとバッソだけの記載に変わる。

<新5枚目裏・新10ページ目>
 旧70小節目から同85小節目までを記入(新130小節目から145小節目)。引き続き独奏ホルンとバッソだけだが、旧80小節目から85小節目は弦の合いの手、和声も加わる。

<新6枚目表・新11ページ目>
 旧86小節目から同99小節目までを記入(新146小節目から159小節目)。ここは独奏ホルンのみ。

<新6枚目裏・新12ページ目>
 旧100小節目から同114小節目までを記入(新160小節目から174小節目)。ここも独奏ホルンのみだが、最後の1小節は管楽器の和音が入る。

<新7枚目表・新13ページ目>
 旧115小節目から同128小節目までを記入(新175小節目から188小節目)。前ページから続き、独奏ホルンに管の和音がつく部分が3小節あり、そこでC部分が終了。旧118小節目から3度目のロンド主題の復帰が始まる。以降は独奏ホルンのみの記譜だが、最後の2小節は一部弦(第1ヴァイオリンとバッソのみ)のブリッジが付く。

<新7枚目裏・新14ページ目>
 旧129小節目から同142小節目までを記入(新189小節目から202小節目)。前ページから続くロンド主題部が弦のブリッジで終わり、独奏ホルンに副主題部Bが戻ってくる。ただし、前回のBをそのままくりかえしているわけではなく、ほぼ上記<新2枚目裏・新4ページ目>27小節目以降の素材を使いやや変奏している(なので、(その1)で触れた分散和音の旋律は出てこない)。この部分は独奏ホルンのみ。

<新8枚目表・新15ページ目>
 旧143小節目から同156小節目までを記入(新203小節目から216小節目)。前ページから副題部が続いている。旧145、146小節目には一部弦(第1ヴァイオリンとバッソ)の合いの手が入るが、他は独奏ホルンのみ。

<新8枚目裏・新16ページ目>
 旧157小節目から同171小節目までを記入(新217小節目から231小節目)。副題部が続いている。旧161小節目から169小節目の1拍目には第1・第2ヴァイオリンが弾く対旋律が記されているが、他は独奏ホルンのみ。

<新9枚目表・新17ページ目>
 ここからは1枚重ねの用紙(4ページ)。旧172小節目から同184小節目までを記入(新232小節目から244小節目)。副主題部の終結部前。前ページの終わりから独奏ホルンと一部弦(第1ヴァイオリンとバッソ)による交互の応答が続いている。

<新9枚目裏・新18ページ目>
 旧185小節目から同198小節目までを記入(新245小節目から258小節目)。副主題部の終結部。前ページ最後の弦によるシンコペーションのフレーズを独奏ホルンが引き取る。旧193小節目の頭で独奏ホルンが終止。同じ小節から5小節で、(ヴィオラを除く)弦全体でのカデンツ。最後の1小節は、独奏ホルンのカデンツァが入る部分(の最初)。

<新10枚目裏・新19ページ目>
 旧199小節目から同212小節目までを記入(新259小節目から272小節目)。前から続くカデンツァ部分が、4小節目に「アダージョ」に達する。この部分は、独奏ホルンと(ヴィオラを除く)弦全体で書かれていて、和声の変化も明確に示されている。その後、次の小節で「アレグロ」に戻り、曲冒頭のロンド主題が戻ってくる。ここは独奏ホルンのみ。

<新10枚目裏・新20ページ目>
 旧213小節目から同219小節目までを記入(新273小節目から279小節目)。前ページの独奏ホルンのみのロンド主題が、このページの頭で(ヴィオラを除く)弦全体と短いかけあいになる。そのまま最後の4小節で華やかに楽章を終える。

 以上、K.371 の再構成された自筆譜全体を、1ページ毎に追ってみた。こうして見てみると、未完成のフラグメントと言えども独奏ホルンのパートはすべて記譜済みで、さらに弦の部分も合いの手やかけあい部分はきちんと押さえてある。野口秀夫氏は「Wolfgang Amade? Mozart(その1)-手稿譜における署名の状況- ホルンと管弦楽のためのロンド変ホ長調K.371は誰のために書かれたか?」という神戸モーツァルト研究会・第197回例会(2007/10/7)の発表原稿の中で、この自筆譜について以下のように推測されている。

「1781.3.21 1781.3.21(水):ヴィーンで 1781.3.16 以降にヴィーン製の五線紙に最長 5 日間で作曲されたK.371は、管弦楽部が未記入のままこの日に完成日と署名がフランス語で記入された。
--> 侯爵の注文を受けたモーツァルトはヴィーン製の五線紙に協奏曲を構想したが短納期ゆえ無理となり、単独楽章のロンドを書き下ろすこととした。(中略)。279 小節のロンドの独奏部を書き上げたモーツァルトは納期を過ぎてしまった穴埋めに、写譜の効率を上げる手としてオーケストラ部分を自らパート譜で仕上げ、この日に曲が完成。ホルンの独奏パート譜として使われることになった草稿譜面にはロシア出身の侯爵の公用語であるフランス語で署名し、オーケストラパート譜とあわせて納付した。」

 ここで「ロシア出身の侯爵」と言われているのは、ヴィーン駐在ロシア大使であった「ドミトリイ・ミハイロヴィチ・ゴリツィン侯爵」(モーツァルトは「ガリツィン伯爵」と呼んでいる)のこと(※1)。そのことの当否は置くとしても、自筆譜を「ホルンの独奏パート譜として使われることになった草稿譜面」としている点は、上記記譜の状況から見て考慮に値する説であると思われる。少なくとも、完成を放棄した(完成できなかった)楽曲断片ではなかったのではないだろうか。

※1 野口氏は上記論文で、署名がフランス語でなされていることに着目し、このロンドがガリツィン伯爵の注文によると推察している。

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2019年7月 2日 (火)

ロンド K371 の見つかった「60小節」(その1)

 先日、モーツァルトのホルン協奏曲第4番 K.495 の楽譜異同について書いた折、ペーター・ダムの協奏曲録音(ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場O. )について触れておいた。この盤には4つの協奏曲のほかに、ロンド K.371 も収録されている。実はこの曲にも楽譜上の問題があるので、勉強がてら書いてみたいと思う。この K.371 について、最近の曲解説には以下のような説明がなされている。

「独奏部分は完成しており、伴奏部分のスコア(オーボエ2、弦楽合奏)には未完成部分が多いが、それらを補筆して演奏される機会がしばしばある(ジョン・ハンフリーズ、ロバート・レヴィンの版あり)。 1989年、長い間紛失していた中間部の60小節の自筆譜が発見され、この曲の本来の姿がようやく判明した。それ以前は、この部分を欠落させたまま補筆・録音されていた(音楽的にそれほど不自然ではなかったため、欠落しているとは気づかれなかった)。 」(「ホルン協奏曲 (モーツァルト)」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 僕の場合、このような記述を読むと、五線譜の束になっている自筆譜から「60小節」といわれる欠落部がどのような形で抜け落ちていたのか?ということが気になって確かめたくなる。だが、どうもそういうことを解説してくれる文章には、邦文ではめったにお目にかからない。このあたりの事情を、自筆譜の初め部分(4ページ)から見ていくことにしたい※1。まず自筆譜の状態だが、新モーツァルト全集の校訂報告によれば、「60小節」が見つかる前まではこうなっていた(以下、既存の自筆譜の状態を示す<図表>)。

K3171

 このうち最初の「1、2」と数字が振られた「コの字」記号は、1枚目(表裏)と2枚目(表裏)の用紙がつながっていて、半分に折られていることを示している。1枚の用紙で、4ページ分の楽譜が記入できるわけである。

<1枚目表・1ページ目>
 モーツァルトは、全12段のうち、上下2段づつには音符等を記入せず、真ん中の8段だけ使用している。楽器指定は上から、「独奏ホルン/ヴァイオリン1/同2/ヴィオラ/オーボエ1/同2/ホルン1&2/バッソ」の8段。1段目と2段目の間に、「/Rondeau/」と表題が書かれている※2。1ページ目には、冒頭から12小節目までを記入。スコアとしてほぼ完成している。

<1枚目裏・2ページ目>
 このページには、13小節目から26小節目までを記入。ちなみにこのロンドは、珍しく4分の2拍子の主要主題(A)を持ち、これが副主題(B、C)をはさんで何度も戻ってくる「ABACAB(カデンツァ)A」という楽曲構成になっている。音楽的には、ちょうど軽快なロンド主題が終わり、独奏ホルンがB部分の冒頭2小節まで吹き進んだところまで。こちらもスコアとして完成済み。

<2枚目表・旧3ページ目>

 こちらには、旧27小節目から同41小節目までを記入。ここで急にスコアの記述が薄くなり、独奏ホルンと弦のごく一部のみに記述がある(ロンド主題=A部分に戻る41小節目は、弦はフルで記入)。

<2枚目裏・旧4ページ目>
 続く4ページ目は、旧42小節目から同54小節目までを記入。前ページの最後1小節に続き、ここは独奏ホルンと弦部分は完成している。51小節目(厳密には50小節目最後のアウフタクト。以下、主題を指定する小節の指定はアウフタクトを除く)から「A」部分が「Tutti」となり管も含めすべてのパートに記載が戻る。

 ちなみに、1990年以前に録音されたであれば、この既存譜に沿った4ページ分をそのまま続けた演奏ということになる(上記、ダムの録音も、1974年録音なので無論、このバージョン)。その場合、元々あったこの2枚(4ページ)の資料では、副主題であるB部分は全26小節というサイズになっていて、あっさりと終わる印象だ。例えば短調で出る2番目の副主題部分であるCは52小節、2度目に出るB部分は67小節あり、小節数で比べても確かにやや短い。また、旧24、25、26小節で出る「(低い)ソ/ド、ミ、ソ、(低い)ソ/ド、ミ、ソ、(低い)ソ」と出る旋律も、次のページの冒頭=旧27小節で急に音型が変わるので、聴いたときにやや違和感が残る。実際、C部分の途中には旧24、25、26小節とまったく同じ旋律が出て、こちらでは同じような分散和音の繰り返しにつながっていく(旧81、82、83、そして84小節目以降を参照)※3。そして、前世紀末に発見された「60小節」は、ちょうどこの26小節から27小節の切れ目、つまり自筆譜でいえば<1枚目裏>と<2枚目表>のあいだに入るべきものだったわけである。こちらも半分に折られた1枚の楽譜で、全4ページという形。これを復元してつなげると、最初に出るB部分は86小節になるわけである。

 ただ一点、僕がこのことを調べたときに一瞬、不思議に思ったのは、1枚目と2枚目の楽譜用は上記のように紙の上ではつながっているという点であった。これら2枚の楽譜がそれぞれ単独であったなら、あいだの用紙が抜けてなくなるということはありえるだろう。が、実際にはつながった1枚の用紙であり抜けようがないからである。しかしよくよく考えてみると、上記<図表>の3から6の数字がついた楽譜の束のように、元々は2枚の紙が重ねられて8ページ分書けるようになっていたと考えればつじつまが合う。いつかの時点で、真ん中にはさみこまれた用紙(4ページ分)が抜け落ちたが、たまたま音楽がつながってしまい、その欠落に気づいてこなかったということではないだろうか。

※1 自筆譜の画像(新発見部分を含む)は、画像の解像度こそ低いが imslp で閲覧できる。>> >こちら
※2 その他、右上に「di Wolfgang Amadèe Mozart mpa / Vienne ce 21 de Mars 1781」=作曲者名と作曲地・日(フランス語表記!)、右横等にニッセンらによる多数の書き込みがある。
※3 この分散和音の旋律は、2度目に出るB部分(=再現部)にはない。もしそれが再現部にもあれば、さすがに旋律の比較から楽譜の抜け落ちが疑われていたのではないだろうか。

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2019年6月20日 (木)

モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その3)

 この項の(その1)、(その2)では、モーツァルトの「ホルン協奏曲:第4番 変ホ長調 K.495」の第1楽章のバージョン違いについて考えてきた。この楽章には、大きく分けると、以下の3つの長さを持つ可能性がある。

1)174小節:アンドレ初版(1802年)、旧全集(1881年)、新全集付録(1987年)
2)218小節:ウィーンのパート譜(1803年)年、旧全集改版(1886年)、新全集本編(1987年)
3)229小節:プラハの手書き総譜(1800年代初め)

 このうち最も長いプラハの手書き総譜(「プラハ版」)については、演奏譜にあたるような楽譜は出ていないようだ。新全集の校訂報告によれば、以下のような追加小節がある。以下、2)のウィーンのパート譜(「ウィーン版」)への追加として示す(Tの後の数字は小節数)。

a)(オーケストラによる提示部の結尾)T42とT43の間に、1小節追加
b)(ソロによる提示部の結尾)T92とT93の間に、9小節追加
c)(再現部のカデンツァにいたる結尾)T187とT188の間に、1小節追加

 以上、計11小節の追加となり、全体の小節数も218から229に増える計算になる。実はこの「プラハ版」を演奏しているCDがある。Naxos のマイケル・トンプソン&ボーンマス・シンフォニエッタ盤がそれである。これを聴くかぎり、1小節挿入のa) は別として、b)はかなり違和感があるフレーズである(トンプソンは、c)の挿入は採用していないようだ)。この盤は、NML でも聴くことができるので、ぜひご自分の耳で聴いていただきたいが、新全集においても最新の「ホルン協奏曲集」の「序文」の中で、この箇所について「明らかにそれらのコンテキストに動機的な関連性がない」と指摘している。

 (その1)の注で紹介したアントニー・ハルステッド&ホグウッド盤の解説を書いているジョン・ハンフリーズも同じような意見※2。

「その後1803年に世に出たより完全なウィーン版は、通常スタンダード版と考えられているが、そのアーティキュレーションは、音符自体よりも信憑性に乏しい。アロイス・フックス(1799-1853)がかつて所有していた19世紀初頭の写譜には、よりスタイリッシュなフレージングが残されているが、中にはモーツァルトらしくないオーケストラの総奏部分も含まれている。私のヴァ—ジョンはこのスコアに基づいているものの、モーツァルトが本来作曲したものかどうか疑わしい小節は除いた。」

 実際にハルステッド盤を聴いてみると、小節数としては「ウィーン版」と同じであり、上記a) b)c)の部分はすべて除いて演奏している。ただし、「ウィーン版(=新全集)」を演奏しているわけではないようだ。わかりやすいところでは、展開部の冒頭:独奏ホルンパートにおける110小節目後半の4分音符2つを、同小節の前半と揃えて付点4分音符と8分音符にしているなど、「プラハ版」の特徴も無論、聴くことができる(この部分の変更は、トンプソン盤では採用されていない)※3。

 以上、3回にわたって K.495 の小節数の異同について見てきたが、第1楽章の自筆譜が見つかってないのでいずれの版も100%正しいとは言えない。残っている自筆譜部分でも、モーツァルト自身が青・赤・緑・黒のインクで各フレーズを書き分けていて、これもその意図が完全には解明されていないなど、我々にとっていろいろ探求しがいのある曲のひとつであることは間違いない。

※1 『Die Hornkonzerte / The Horn Concertos』(Barenreiter)の「序文」。フランツ・ギーグリングの元文を、2011年にグドゥーラ・シュルツが改訂。
※2 ちなみに、トンプソン盤「モーツァルト:ホルンと管弦楽のための作品全集」で、断片作品等の復元を担当しているのもハンフリーズである。
※3 第1楽章の再現部でカデンツァにいたる終結部:182小節後半から183小節にかけて2分音符での音の跳躍が3つ続くが、ここをハルステッドは装飾音でつないでいる。これは奏者のアドリブだろう。

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2019年6月18日 (火)

モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その2)

 この項の(その1)を書いたところ、話題のきっかけをくださった Zauberfloete さん(ブログ :Zauberfloete通信)から早速コメントをいただいた。貴重な追加情報ありがとうございます!。

「私がこの問題を初めて知ったのは、ペーター・ダム/ブロムシュテット=SKDの協奏曲集に載っていたダム自身による解説です。
その後eurodiscのCDに買換えて、LPは処分してしまったので解説書は手元にないのですが、ダム自身が校訂して再構成したようなことが書いてあったと思います。」

 僕が取り寄せたダム盤CDの解説は、別の方(家里和夫氏)が書いていて、「このディスクに収められた以下の4曲の協奏曲もダムによって校閲の手が加えられている。」とだけ触れられている(KICC 3603)。ネット上で探してみたところ、Zauberfloete さんが以前持っておられたのと同じものと思われるLPがネットショップに出品されていて、幸い商品画像から前半部分のライナーノーツが読みとれた(画像が不鮮明な部分があり、一部、引用者の推定であることをお断りしておく)。

「 この録音(と計画中の新版)のため、ホルン協奏曲のすべては私の入手し得る文献に基づいて本格的に校正された。ブライトコップ・ウント・ヘルテル社にあるヘンリ・クリング版は全般にわたって多くの改訂が必要なことが明らかになった。常にその原曲として置かれたものは、エルンスト・ルドルフ監修のモーツァルト全集(1881年)であった。そのほか参考としたものは、しばしば誤りはあるが、モーツァルトの死後初めて、オッフェンバック<マイン河畔(かはん)の地名>のアンドレの手によるものとして出版された貴重な初刷本と、アロイス・フックスの遺品の中にある写本などであった。(ETERNA ET3029)」

 これでダム版CDの楽譜の由来が、かなり明らかになってきた。ダムがK.495において基本資料としたのは、(旧)モーツァルト全集で、しかもそれは僕が(その1)の記事で指摘した「1881年版」の方であった。この版の第1楽章は、175小節しかない。しかも、次いであげられているアンドレの初版も同じく短いバージョン。それにフックスの遺品であったという写本(野口秀夫氏のいう「プラハ版」)を参照し、自身の演奏譜を作っているという。ダムが自身の初録音にあたり文献を集めた際に見つけた旧全集が、たまたま?「1881年版」であったことが、どうもことの発端にあるようだ。ちなみに野口氏も上記LPの解説を読んでいて、この短縮バージョンの説明に「(AMA:ダム、ブロムシュテット、ドレスデン国立歌劇場O.、NMA付録)」(>>「《伸縮自在な》ホルン協奏曲 変ホ長調 K.495」)と付記したのではないだろうか。

 参考までに、このあたりの流れを、時系列順に追ってみよう。
1)1974年 ダムの「モーツァルト:ホルン協奏曲集」(旧盤、ブロムシュテット指揮)の録音(K.495 は、175小節版)
2)1987年 新モーツァルト全集のホルン協奏曲の巻発刊:Werkgruppe 14/Band 5(校訂報告の発刊は、翌1988年)
3)1988年 ダムの「モーツァルト:ホルン協奏曲集」(新盤、マリナー指揮)の録音(K.495 は、通常の218小節版)
4)1993年 ペーター・ダム編の「モーツァルト:ホルン協奏曲 K.495」のピアノ・リダクション版発刊(Nr.7435、通常の218小節版)※

 ということで、1)の録音のあと、ダムは「ホルン協奏曲集」を再録音しているが、その時までには新全集等も出そろい、基礎とする資料を「ウィーン版」に乗り換えたと思われる。なんとなれば、4)の脚注で、(厳密には、ホルンパートのアーティキュレーションについての言及だが)自筆譜を参照できない部分は、1803年刊行のウィーンのパート譜を取り入れた旨を明らかにしている。

 以上、ペーター・ダムのCD(旧盤)の使用楽譜について考えてきたが、実際の演奏については触れずじまいであった。この盤の演奏は、現代楽器での演奏としては理想的なもののひとつだ。特にダムの柔らかく暖かいホルンの音色は、他の奏者では聴くことができない。本来のナチュラル・ホルンを使った演奏のような野性味はまったく期待できないが、弱音の美しさは際立っている。ドレスデンのシュターツカペレの弦も、ひときわ輝きを放っている。
(2019/6/20の追記 ありがたいことに、Zauberfloete さんが、ペーター・ダムのCD(新旧盤)の視聴記を書いてくださった。>>「モーツァルト:ホルン協奏曲第4番/ペーター・ダム新旧録音」

※このホルン&ピアノ版の楽譜(表紙裏)に、「Available for sale:/Score PB 4460/Orchestral parts OB 4460」と記載がある。オーケストラ版もあったのだと思うが、現在のカタログからは確認できなかった。

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2019年6月16日 (日)

モーツァルト、ホルン協奏曲第4番の長さは?(その1)

 Zauberflete さんのブログ「Zauberfloete通信」で、モーツァルトのホルン協奏曲第4番 K.495 等の発想標語「Allegro maestoso」について、いつもながら興味深い考察がなされている。>>「モーツァルトの「アレグロ マエストーソ」」。詳細は上記記事を見ていただくとして、僕が気になったのは、この曲の第1楽章には発想標語の異同のほかに、長さ=<小節数>の異同もあるという点だ。後者の問題については、野口秀夫氏の優れた論考がある>>「《伸縮自在な》ホルン協奏曲 変ホ長調 K.495」。この論文には、いくつかあるバージョンと野口氏が再構成したバージョンを一覧表にしていて、それぞれがどのフレーズを採用、あるいは削除したかが一目でわかるようになっている。これは、いつもながら野口氏ならではの優れたお仕事だ(MID 音源で、実際に音で確認することもできる!)。

 あらかじめ断っておくが、この曲の自筆譜は第2楽章と第3楽章の一部が残されているだけである。野口氏の論文では、以下の資料が検討されている(以下、太字は引用)。

  • プラハ大学図書館蔵アーロイス・フックス・コレクションの総譜筆写譜(1800年直後):229小節(NMA校訂報告:録音なし)
  • アンドレ刊初版(1802年):175小節(AMA:ダム、ブロムシュテット、ドレスデン国立歌劇場O.、NMA付録)
  • ヴィーンの美術工芸社刊パート譜(1803年):218小節(NMA:録音多数)

 このうち一番最初に記された(野口氏のいわゆる)「プラハ版」の標語記号は「Allegro」、2番目の「アンドレ版(初版)」は「Allegro moderato」 、最後の「ウィーン版」は「Allegro maestoso」(ただし、第一ヴァイオリンには「Allegro moderato」と書かれている)ということが、新全集の校訂報告に記載されている(Giegling, 1988)※1。その異同が、この曲の発想標語において解説やCDの表記などでばらばらになっていることの原因になっているわけである。一方、野口氏が主に扱っているそれら3版の小節数の違いは、あまり話題にならないのはなぜだろう※2。それぞれの版は、野口氏の指摘のようにかなり長さに違いがある。モーツァルト作品の演奏実践の場では、新全集(NMA)が出るまでは(いや、新全集が出てもかなりの期間)、旧全集(AMA)やそのリプリントが使われていたことが多い。なので、この論文を読む限り、AMA(=175小節という短いバージョン?)を我々は聴いてきた想定になってしまう・・・

 Zauberfloete さんは先の記事で、「カラヤンが録音に使った譜面には「アレグロ モデラート」と書いてあった確率の方が高いとも思える。」と書かれているが、カラヤンやベーム、バーンスタインなどの大物指揮者は、基本的に新全集は使わない。というか、新全集が出る前に録音された有名なカラヤン&デニス・ブレインの録音は、僕もLP時代から何十回も聴いているが、現代の録音と曲の長さが違うという話は聞いた覚えがない。先週、実際にカラヤン&ブレイン盤を聴き直してみたが、新全集と変わらない218小節であった。一方で、屋根裏部屋に保管してあった初期LP(英COLUMBIA:33CX 1140)の表記も確認してみたが、K.495 の第1楽章は「Allegro moderato」、k.417 の第1楽章は「Allegro maestoso」と、やはり旧全集の表記(アンドレの初版と同じ)を採用している。これはどういうことか?

Sl1600 Sl1600-2 Sl1600-1


 結論から言えば、旧全集(AMA)に、2つのバージョンがあるらしいことがわかってきた。古い楽譜を参照する場合、imslp が便利だが、ここに Leipzig: Breitkopf & Härtel から出された旧全集「Wolfgang Amadeus Mozarts Werke」として、2つの楽譜がアップロードされていた(Serie XII:Concerte für ein Blasinstrument mit Orchester, Bd.2, No.19、「Ernst Rudorff」編)。これは、複数の人がデータを送る imslp ではそれほど珍しいことではない(一般的には、スキャンする解像度などの差がある)。このうち野口氏が参照したものと同じ楽譜と思われる方は、1881年に出版されたもの。こちらは、上記アンドレの初版を元資料にしたらしく、確かに175小節しかない。録音として、ペーター・ダム(Hr)、ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場O. の旧録音盤(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN)が挙げられている。週末に Amazon で取り寄せて聴いてみたが、確かに提示部の構成はアンドレ版(旧全集)と同じでやや短い。ただし、ダムは展開部の途中から再現部の入りにかけてウィーン版に移行しているほか、再現部終わりの部分で同じ音型(2小節分)をくりかえすなど、楽譜を変えている。旧全集を使って録音したというより、おそらく独自の校訂作業を行なっているのだろう※2。

 そして、もうひとつが、旧全集の「1886」年版。同じ「Ernst Rudorff」編で、「Rudorf's revision of the 1881 edition.」と注記されている。全体で2ページ分増えていて、第1楽章は、218小節ある。どのような事情かは不明だが、1881年版が出てわずか5年後に、同じ Plate 番号「W.A.M. 495」のままで改訂がなされたのは珍しいことだろう。1881年版が短いバージョンであったことに対し、当時の研究者から指摘があったのかもしれない。Breitkopf und Härtel からは、19世紀後半に Henri Kling 編で同曲の楽譜が出ていて、こちらも旧全集同様よく使われたのではないかと想像される。ホルン&ピアノ用のリダクション(Nr.2564)が imslp に上がっていて、これを見るかぎりこちらも218小節ある。これら218小節の版の方が、新全集が普及する20世紀後半くらいまで、各指揮者、オーケストラで使われていたのだろう。

※1 モーツァルトの自筆作品目録には、「Allegro」とのみ記載。

※2 残念ながら、こうした情報は日本の音楽学者、評論家が書いた解説等ではほとんど触れられていない。僕が見つけた中では、唯一、ONTOMO MOOK『モーツァルト名盤大全』(音楽之友社)の佐伯茂樹氏の解説(おそらく上記、野口氏の論文等も参照し、独自に研究されたもの)があるのみだ。あと、翻訳ものでは、アントニー・ハルステッド&ホグウッド盤(オワゾリール)のジョン・ハンフリーズの解説が非常に詳しいだけでなく、正確だ。

※3 ペーター・ダムは、Breitkopf & Härtel から、上記 Henri Kling 版の後継版を出している(Nr.7435)。こちらは、スタンダードな218小節版である。また、同社は最新の Henrik Wiese 編による Urtext edition(P.B.15131)も出していて、こちらもサイトで概要を閲覧するかぎり、218小節版である。>>こちら

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2018年9月23日 (日)

モーツァルトの弦楽五重奏曲の異稿(その2)

 モーツァルトの弦楽五重奏曲では、(その1)で述べたハ長調 K.515 の他に、 ニ長調 K.593 にも異稿問題がある。その時も触れたアマデウスSQの"ドイツ・グラモフォン・オリジナルス"シリーズ盤(UCCG-3898 )のCD解説にはこうある。

「 アマデウスとアノロヴィッツの組み合わせでモーツァルトの弦楽五重奏曲の全曲録音ということで、初期の変ロ長調も録音しなくてはならなくなった。それは1974年にできたのだが、いびつな状態が残った。K.593 の2つの録音とも、最終楽章の半音階的な第1テーマを何者かが「修正」した版をうっかり使ってしまっていたのだ。そこで1975年にウオルサムストウ・タウン・ホールで正しい最終楽章の録り直しを行った。」(タリー・ポッター、中嶋寛・訳)

 その第4楽章のテーマ「修正」が、今回の記事で取り上げる題材。以下は、新モーツァルト全集の前文に掲載された譜例である。

K5931

 初版や旧モーツァルト全集が採用する(下段)ジグザグ形が、新全集では(上段)半音階形に改められた。ただし楽譜のみは、こちらも(その1)で紹介した E.F.シュミットが新全集の正式出版に先立ち1956年にべーレンライターから出したポケットスコアが初出だった。この版では、両バージョンを併記しているらしい。またたまたまだが、今年夏にアマデウス四重奏団の結成70周年を記念した70枚組BOX『アマデウス四重奏団DG録音全集』が出て、修正前の全曲演奏2種と、上記解説中の終楽章「撮り直し」を聴くことができるようになっている※。

 上の譜例に挙げた第1テーマ冒頭の「修正」については、この曲の大抵の解説文に書いてあることだが、当然ながら実際の修正は冒頭の1小節だけではないだろう。なぜなら、同じテーマがくりかえされる度にジグザグ形に直す必要があるから。以下に、フィナーレの自筆譜から第1小節目と第13小節目の修正箇所の画像を貼り付けてみた。

K5932

 第1ヴァイオリンのテーマを斜線で消して、もともと休みだった第2ヴァイオリンのパートに、新しいジグザグ形の旋律を書き足していることがわかる。新全集の編集を引き継いだ E.ヘスはこの変更を第三者によるものと考えているが、 見てのとおりなかなか微妙な筆跡だ。自筆譜においてこのような半音階の下行音型の変更は19箇所に上るという(新全集の全文)。自筆譜全体は確認できなかったが、今回、新旧全集で変更されている下行音型の箇所を数えてみたら、確かに19箇所になるようだ※※。

 このほかに、モーツァルトの死後に出版されたアルタリアとアンドレの出版譜では、加えて半音階で上行する音型も変更していて、それは実際にはかなり手の込んだ仕事となっている(同じように数えてみたら、8箇所あった)。少なくとも150年近くモーツァルトの音楽として聴かれ続けてきただけに、それだけを聴く限り異和感は少ない※※※。H.C.R.ランドンなどのように、モーツァルト自身が、8音の半音階を「全音階的に少し模様替えすることに決心し、自筆譜にこれがある度に骨を惜しまずその箇所に修正した。」という解説をつけている学者もいる(『モーツァルト全作品事典』音楽之友社・刊。ニール ザスロー、ウィリアム カウデリー編)。そのランドンの解説につけられた野口秀夫氏の訳注には、以下のようにある。

「◆終楽章冒頭の主題の変更については『新全集』刊行後も多くの議論がある。変更がモーツァルトの筆跡か否か、他人の筆跡である場合、モーツァルトの意図であるかどうかということである。」(『モーツァルト全作品事典』)

 現在ではほとんどの演奏が半音階形に依っているが、モノラル時代の名盤として知られるバリリ盤などでは、当然ながらジグザグ形が選ばれているので、それを聴くこと自体は難しい訳ではない。近年もチリンギリアン弦楽四重奏団盤やストラディヴァリ四重奏団盤などでは両バージョンを併録しているので、一度は聴き比べていただきたい異稿の一つではある。

※とはいえ、以前3LPセット、3CDセットで出ていた彼らの五重奏曲全集では、終楽章の2つのヴァージョンを両方とも収めていた。
※※第37、39、101、278小節で、複数のパートにわたるユニゾンが変更されている部分も1箇所と数えている。ただし、音楽之友社刊の『作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルトII』では、なぜか16回としている。
※※※ただし、楽章の最終盤で第255小節から3回くりかえされる半音階の下降音型は修正されておらず、個人的には少し気になった。

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2018年9月14日 (金)

モーツァルトの弦楽五重奏曲の異稿(その1)

 少し前、ブログ「Zauberfloete通信」で、モーツァルトの弦楽五重奏曲ハ長調 K.515 について、中間楽章の順番が「メヌエット−アンダンテ」あるいは「アンダンテ−メヌエット」という2つの説があることについて言及があった(>こちら) 。新モーツァルト全集では、初版譜や旧全集の順番を逆転させ後者「アンダンテ−メヌエット」になっているわけだが、Zauberfloete さんが視聴したイブラギモヴァが参加した動画では、逆の「メヌエット−アンダンテ」になっていたという。事情は結構複雑で、参考文献によっていろいろな書き方がなされていることもあって、一般の愛好家に混乱を与えるもとともなっている(僕も上記発言のコメントで一部記述を間違えたので、自分の勉強も兼ねてここで整理しておきたい)。

「 楽章配置は、自筆稿ではアレグロ−メヌエット−アンダンテ−(アレグロ)となっているが,おそらくシュタトラー(Maxmilian Stadler 1748〜1833)と目される第三者の手で中間の2楽章が入れ替えられているため,新全集の校訂者シュミットはアンダンテを先におき,後継者ヘスもこれを残した。しかしアーベルトはメヌエットを先におく楽章配置をこの時期のモーツァルト作品の特徴としており,また,次にくるト短調作品でもメヌエットが第2楽章とされていることからヘスはメヌエット−アンダンテでも可としている。」(『作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルトII』音楽之友社・刊)

「 そのなかのハ長調の曲についていえば、楽章配置でまず疑念が生ずる。というのも、モーツァルトの自筆楽譜では、第2楽章はメヌエット、第3楽章はアンダンテとなっているものの、ウィーンのクラリネット奏者のアントン・シュタトラーか誰かによってこの二つの楽章の順序が入れ替えられてしまったからである。そして、新モーツァルト全集では、アンダンテ、メヌエットの配列にされている。もちろん、この配置に対して反論をとなえる学者もいる。しかし、6曲の弦楽五重奏曲のうちト短調の1曲だけが第2楽章をメヌエットとしていることもあって、新モーツァルト全集での配置が妥当という説も強い。」(アルバン・ベルクSQ盤(TOCE-7067)の解説 )

 これらを読んだ人は、自筆譜において「メヌエット−アンダンテ」となっているかと思うかもしれないが、現在、ワシントンに残っている自筆譜は「アンダンテ−メヌエット」のはず。ちなみに自筆譜の画像(の大部分)は、ワシントンの国会図書館のサイト(https://www.loc.gov/resource/ihas.200154476.0)で見ることができる。これを見ると確かに、2番目に置かれたのはアンダンテ(20ページ目)、3番目はメヌエット(28ページ目)になっていることがわかる。

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 しかし、各楽譜のフォリオに打たれた番号(右上)を見ると、第1楽章アレグロの1~10まで(下線付き)はモーツァルトの筆跡らしいのだが、続くアンダンテに書かれた11~14(下線なし)は他の人が振ったものとのこと。新モーツァルト全集の編者E.F.シュミットは、この番号をモーツァルトの意を受けたマクシミリアン・シュタードラーらしき人物が振ったと考えたようである(新全集の前文)。後者の解説でこのシュタードラーをモーツァルトの友人で名クラリネット奏者の アントン・シュタードラー Anton Stadler(1753 - 1812)と混同しているのはまあよくある間違いとしても、両解説とも彼(あるいは第三者)によって「中間の二楽章が入れ替え」られた結果、メヌエットが第2楽章にきていると読めるような記述になっているのはどうか。シュミットの説では、初版で「メヌエット−アンダンテ」という順番だったものを、第三者がモーツァルトの死後に「モーツァルトの意志に基づいて」今ある「アンダンテ−メヌエット」という形に自筆譜の束をまとめ直した、としているのである。それゆえ、アンダンテが先になったと。ちなみにこの変更は、新全集の正式出版に先立ち1956年にべーレンライターから出されたポケットスコアによって紹介されていて、以降、演奏現場でも「アンダンテ−メヌエット」が有力になってきたという事情がある。

 ところが、話はこれで終わらない。シュミットは1960年に亡くなり、その仕事を継いだE.ヘスは、モーツァルトの生前1789年に出された初版がモーツァルトの意思に反したとは考えられないことや、Zauberfloete さんも指摘されているとおり「ト短調の五重奏曲でもメヌエットが先に来て」いることも重視した結果、シュミットの変更に保留をつけている。「編集委員会の意思として、KV 515 の現巻における楽章は、シュミットが再アレンジした順番をフォローするけれども、これら2つの楽章がメヌエット=アンダンテという伝統的な順番で演奏される可能性があることも、ここにあえて強調しておく。(同・前文※)」。その意味では、市販の解説中では、東京書籍・刊の『モーツァルト事典』の記述が、一番正確だろう。

「なお,中間楽章の配列には,初版に基づくメヌエット−アンダンテと,死後おそらくシュタードラー師によって一部ページが打たれた自筆譜に基づくアンダンテ−メヌエットの2つの可能性がある。新全集(E.ヘス)は,一応後者を採用しているが,生前の版でモーツァルト意向が無視されたとは考えられないこと,続くK.516もメヌエットを第2楽章としていることを挙げ,前者の正当性を支持している。」(大久保一氏※※)

 ちなみに「Zauberfloete通信」の記事を拝読したのち、上記アルバン・ベルクSQ盤の楽章表記を見てみたところ、なんと第2楽章が「メヌエットとトリオ」となっていたのでびっくり。でも、時間表記は「8' 24"」とあるので、もしやと思い聴いてみたところ、ちゃんと2トラック目は「アンダンテ」であった。また逆に、往年の名盤・アマデウスSQ盤の"ドイツ・グラモフォン・オリジナルス"シリーズ盤(UCCG-3898 )では、第2楽章が「アンダンテ」という表記になっていたが、こちらは実は「メヌエット−アンダンテ」である。CDの製作者側も音源を聴かずに安易に解説書等からクレジットを引用してくるからこうなるのだろう。上に見たように新全集の楽譜が「アンダンテ−メヌエット」になっているとはいえ、その評価はかなりあいまいである。ラルキブデッリなど古楽派にもメヌエットが先の盤がある。イブラギモヴァがそうであったように、今後「メヌエット−アンダンテ」が復興してくる可能性もかなり高いのではないだろうか。

※新全集の前文等はドイツ語で書かれているが、「新モーツァルト全集オンライン」にはこの前文を英訳したものもアップされている。
※※この『モーツァルト事典』には、以下の記述がありこれはなかなか面白い指摘だ。「ハ長調の弦楽五重奏曲は,全体で1149小節を有し,『ジュピター』の924小節を凌いでモーツァルトの器楽曲中の最大規模を示す。」

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2016年11月23日 (水)

ケルビーノの第3幕のアリエッタ

 「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事で紹介したケルビーノの第3幕の!「アリエッタ」について、書いてみたい。例によって日本語の情報はほとんど見つからない(泣)。まずは現在、僕にわかる範囲で、基本的事項を整理しておこう。

 直前のレチタティーヴォでケルビーノは、バルバリーナから娘姿に変装し「あとでみんな一緒に、奥方様に花を捧げに行きましょう。信用して、ねえケルビーノ、バルバリーナを」と誘われている。で、残されたのはこちらの歌詞だけ。ワシントンに『フィガロ』の初演時に配られたというイタリア語リブレットがある。そこにその歌詞が印字されているという。>この画像も「モーバリ・レイバーン仮説(その3)」の記事にある。

Cher.Se così brami
                 Teco verrò;
                 So che tu m'ami,
                 Fidar mi vo :
         Purché il bel ciglio            (a parte.
                 Riveggia ancor,
                 Nessun periglio
                 Mi fa timor.

 以下はその私訳。

ケル(ビーノ).もし あなたが お望みとあれば
                "汝とともに" やって来るでしょう;
                あなたが わたしを愛していることを 知っています、
                わたしを 信じてくださることを 望みます:
         もしも 美しい "目"が            (立ち去る)
                再び 見たとしても、
                いかなる "剣呑”もない
                私を恐れさせるような。

 自筆総譜(2巻目)の第63ページには、これも前に触れたように右端欄外に「Segue l'arietta di / Cherubino.」とあり、一旦、赤いクレヨンで「20」と書かれていて、この数字は横棒線で取り消されている。さらにその下には、「/: dopo l'arietta / di cherubino, viene / Scena 7ma: ␣ ch'è / un Recitativo istrumen= / tato, con aria della / Contessa :/ 」と注記が続き、再び赤いクレヨンで「21」とあり、これも横棒線で取り消されている※1。これらの赤字の番号は曲のナンバーであり、モーツァルト自身が書いたものではないが、当時の上演時に遡ることができると考えられている。自筆総譜における前後の記述(曲番号)を整理しておくと、以下のとおり(これらは注記のない限り、赤クレヨンで書かれている)。

・ドン・クルツィオ、マルチェリーナ、フィガロ、伯爵、バルトロ、スザンナの6重唱:「19」
・(ケルビーノのアリエッタ「20」)
・伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア:「21」と書いて「1」の文字の右上にくっつけて「0」と上書きで訂正
・スザンナと伯爵夫人の2重唱:「22」と書いて横棒線で取り消し
・娘たちの合唱:「23」
・フィナーレ(マーチ):「24」
・2人の娘の歌:「25」
・合唱:「26」と書いて横棒線で取り消し。ただしその訂正は鉛筆。
(参考 第4幕の冒頭、バルバリーナのカヴァティーナ:「27」と書いて「25」と上書きで訂正。あるいはその逆?※2)

 これら曲番号の訂正を見ると、我々の「アリエッタ」の削除は、曲全体に影響を及ぼしている。リブレットに歌詞が印刷してあったことも合わせて考えると、曲中に確実に含まれていて、かなり初演に近い時期まで伯爵夫人のレチタティーヴォの前に「あった」、あるいは「あるべき」と思われていたと推定されるのである。そして、少なくともこれら楽譜が総譜としてひとまとめにされ、全体にこれも赤いクレヨンでページ番号が振られる前には、「消えた」ということになる。新モーツァルト全集の『フィガロ』の巻の編者、ルートヴィヒ・フィンシャーは、序文の中でこの「アリエッタ」について短く触れて、「第12番の<恋とはどんなものかしら>と、韻律学上、同じ長さと節構造とを持っていることは、おそらく偶然の一致でなない。」と意味深なコメントをつけている。モーツァルトはこの曲を実際に作曲したのだろうか、それとも助長だと考え、組み込むことをあきらめたのだろうか。興味はつきない。

※1 ちなみにこれらの注記は特別なものではなく、どのレチタティーヴォにも終わりに次の曲の指示が書かれている。元々これらはばらばらな楽譜の束なので、どこに続くかを一目でわかるようにしているのだろう。無論、この「アリエッタ」の場合、2度、別々に注記されたことの意味は、もっと良く考えてもいいだろう。
※2 ※1とも関連があるが、ここで見た第4幕冒頭のバルバリーナのカヴァティーナは、どうやら後から追加されたようだ。自筆総譜では、元々、その後に続く(現在の)「シーン2」=フィガロ、バルバリーナ、マルチェリーナのレチタティーヴォの方の楽譜に「シーン1」とあり、その左上に「/: dopo la Cavatina di Barbarina:/」(バルバリーナのカヴァティーナのあとに)と記されている。これは明らかに後から記載されたもの。つまり、あの短くも美しい夜の曲は、最初の構想にはなかったということになる(あるいは、最初の構想では第4幕の冒頭の位置にはなかった、ということ)。

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2016年11月21日 (月)

訂正とお詫び(「パルピト」?「パールピト」?記事について)

※2016年10月28日付けの『「パルピト」?「パールピト」?』と題した記事について、訂正とお詫び>>元記事はこちら

※上記記事で私が引用し、「自筆譜」と書いていた楽譜について、再度、ファクシミリ等を自己確認してみたところ、それは自筆譜からの画像ではなかったことが判明しました。手元のファクシミリをコピーするのでなく、安易にネットで画像を拾ったのが間違いの原因であり、これまでこの記事を読んでいただいていた方には、本当に申し訳ありません。本日、自筆譜のファクシミリをあらためて参照したところ、「パールピト」という歌詞割りに関して私が書いた内容は誤りであったことをご報告いたします。元記事の岸純信氏の記述について、信憑性がないように書いたことについては本当に申し訳ありせん。あらためてお詫びし、記事を訂正いたします。(ブログ筆者)

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